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作業が長引きそうだと思い、悠仁たちは徹夜ができるように別の場所に移動した。自宅に戻ってもよかったが、もし邪魔が入っては先に進まないので、近くのカラオケ店にした。夜からのフリータイムを選んだので誰にも邪魔されずに朝まで入り浸れる上に、食べ物が持ち込みできるので学生のお財布にも優しい。
ミカエルとベリアルは、初めてカラオケ店に来たと言った。悠仁以外の人間とは殆ど交流していなかったし、そもそも邦楽も洋楽も歌えないどころか全くの無知なので、こんな娯楽施設に来る機会もなかったのだ。
そんな二人の話を聞いて、それなら世界に広まった日本の文化を教えようと悠仁は歌った。上手くも下手でもない歌唱力だが、ミカエルとベリアルはわりとノリノリで聞いてくれた。
夕飯も食べたのだが、人間ではない二人はあまり食物を摂取してエネルギーを充填する必要がなかったので、コンビニで買ったお菓子をちびちび食べた。甘党のミカエルにはコンビニスイーツを一つ買ってあげていたが、カラオケ店のスイーツも食べたいと甘えられたので、悠仁は一品だけ許した。ベリアルは人間の食べ物にはそんなに興味がないらしく、「よく食べますね」と皮肉を込めた一言を言った。
何曲か歌い、食べ、一息着くと、ベリアルは悠仁に聞いてきた。
「ねぇ、聞いていい?危険だってわかってるのに、何でルシファーの意志を継ごうと思ったの?」
「何て言うか……恩返し、かな」
持ち込みの炭酸飲料を飲みながら悠仁は答えた。
「恩返し?」
「あの人は、人生のやり直しを決断されてくれたんだ」
歌唱が終わったモニター画面では、アーティストが新曲の宣伝をする映像などが次々と流れる。悠仁は、きっかけとなった出来事を話し始めた。尊敬する父親が病で急逝したこと。そのショックで大学受験を一度失敗したこと。将来を考えられなくて希望を見失ったこと。ルシファーにも話したことを打ち明けた。
「───その話を真人さん、じゃなくてルシファーにしたら、今からでも目指せばいいって言われた」
「そうだよ。目指せばいいじゃん」
「そう簡単じゃないんだよ。医学部を目指してたんだけどさ、かかる学費は他の学部より高いし、受験するのだってまたお金がかかるんだ。そんなお金ないし、母さんに迷惑かけたくない」
医者になりたいと思ったのは、よくありがちなドラマの影響だった。しかし、単なる憧れが動機だったからなのか、それとも、単に最初から医学部は自分には高いハードルだったのかと悄然とし、二度目は医学部を目指す気にはなれず、選んだのは別の学部だった。
「ルシファーにも同じことを言われて、同じことを言い返したよ」
するとルシファーは、悠仁にこう言った。
「人生を再スタートすることは、希望でもあり恐怖でもある。昔の僕は、新しい道を歩もうと思った時に、本当にこれでいいのかと迷って決断を倦ねた。けれど、全てを吹っ切り、自分の道を決めて歩み始めた時は清々しかった。その開放感を生まれて初めて感じて、思い切ってよかったと思った」
と。だからもし、これまで積み上げてきたものを崩すことになってもまだ目指したいと思っているのなら、お金を貯めて目指した方がいいと悠仁に言った。
「父親は、俺が医学部に入れるように応援してくれて、その為に一生懸命働いてくれた。ガンになって倒れて、末期だって言われた時、俺の所為だと思って凄く責任を感じた。医者になりたいのに家族を死なせるような自分は、医者に相応しいのかって悩んだ」
母親や妹は、落ち込む悠仁を懸命に慰めてくれた。けれど、家族の温かい優しさでも、くしゃくしゃになった夢は元通りにはならなかった。
「悩んでたことを、全部ルシファーに話した。そしたら、『父親は自分の身体を気遣うのを後回しにするくらい、君を応援してくれていた。今も、君が素晴らしい人生を送れるように願っているかもしれない。今歩んでいる道の先で後悔する前に、諦めるな』って言ってくれたんだ。父親からも、死ぬ直前に『諦めるな』って言われた。その意味が、受験や夢をってことにその時になって気付いた。父親の思いに応えられない自分が、情けなくて申し訳ない気持ちでいっぱいになったけど、本当は自分自身を一番裏切ってたんだってわかったんだ」
悠仁に影響を与え続けてきた父親の死は、悠仁の人生そのものに多大な影響を与えた。早過ぎる死別はショックだったが、父親の思いに気付けなかった悔しさを抱くのと同じように、受験を失敗したことを何故もっと悔しがらなかったのだろうと思った。もし最初から諦念を抱いていたのなら、合格する筈がなかったのだと。
「同じ言葉でルシファーに背中を押されて、それから俺は人生のやり直しを考え始めたんだ」
「じゃあ、大学途中で辞めるの?」
「いや。取り敢えず大学は卒業する。もしかしたら、在学中に違う目標が見つかるかもしれないし。でも何も見つからなかったら一度就職して、お金を貯めて、未練が残ってたらもう一度医学部にチャレンジしてみる」
「人間は、複雑な事情を抱えてるんだな」
静聴していたミカエルは、注文したチョコレートパフェをきれいに食べ終えた。
「あと。住んでたアパートが急遽取り壊しになって、行くとこなくて間借りさせてもらったから、そのお礼も兼ねてかな。とにかく、ルシファーのおかげで人生に前向きになれた。夢を叶えられる可能性があるなら、ここで人生を捨てるのはまだ早い。だから俺は、諦めないことにした」
命を救ってもらった訳でも、死にたくなるような人生のドン底から助け出してくれた訳でもない。他の誰かが聞けば、何だそんなことでかと言うかもしれない。もう一人の自分に相談していたら、恩返しにしては返すものもリスクも大き過ぎると反対されただろう。
しかし悠仁からしてみれば、尊敬する人物を喪って再び同等の存在に出会えたことが重要なのだ。父親が眩しく見えていたように、ルシファーからも光をもらった。それだけで悠仁には、恩返しをする理由になるのだ。




