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オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
箱の園 Ⅴ
52/106

3




 すると、意外にもアブディエルが折れた。


「……わかりました」


 観念した様子でアブディエルはペンを置いた。そして机の引き出しを漁ると、書類の束を出し机上に提出した。


「グリゴリの裁判記録と刑執行承認書。それから、堕天判決となった天使たちの裁判記録です」


 ルシファーは書類を手に取り、一枚ずつ目を通す。それは間違いなく、グリゴリ二百人の刑執行の承認書と、多数の天使の裁判記録だった。グリゴリとは別に裁判となった天使たちのリストを見ると、数百〜千人程の名前が並んでいた。その殆どの位階は最下級の天使エンジェルスだ。

 一枚残さず目を通したが、全て裁判官と議会の承認を得た正式な書類だった。こんなものは存在していないのだろうと思っていたルシファーは、逆に動揺してしまう。


「誰が書類が存在しないと言ったのか知りませんが、事情をご説明致しましょう。人数があまりにも多く裁判が長期に渡ってしまい、つい先日全ての裁判を終えたばかりなのです。全ての判決に目を通すのにも時間がかかり、最後の一枚にサインをしたのも先程です。なので書類が存在しないと勘違いしたのでしょう。こうして、まだ私の手元にあったのですから」

「何故、先程はあると言わなかった」

「部外者に本当のことを言う必要はありませんでしたので」

「……確かに存在は確認した。だが、グリゴリまでこんな遅くはならないだろう。判決が下されたのはかなり前だ」

「それは、判決を下したあとになって、聴取の時とは違う証言をする者が多く出たからです。間違った判決を受けた者がいるのなら、聴取し直すべきではありませんか。結局は、堕天したくない故の悪あがきでしたが。そういった理由があって予定が狂い、執行が遅くなりました」

「では。シェハキムでグリゴリを見たという証言は」

「明らかな勘違いです」


 アブディエルはしれっと断言する。その口からすらすらと出て来る言い訳は、ルシファーがこう問い質してくるだろうと予測して用意していたような滑らかさだ。

 疑いようのない証拠を手にしたのは想定外だった。しかし、ルシファーは疑念を向け続ける。


「……それでは、刑を執行したという公示は嘘だったということになるが。何故訂正をしなかった」

「それは私の技量不足だったと認めます。混乱をさせてしまい、申し訳ございませんでした」


 しおらしく謝罪するが、言葉に乗せただけの感情は紙のように薄っぺらく聞こえる。


「議会が誤った情報を流すなど、あり得ない話だぞ。先程自分でも信用を落とすと言っていたではないか。何故そうなった。何か特別な事情があるんじゃないのか。滞りない進行を妨げるような」

「そんなことはありません」


 ルシファーの問い質しをアブディエルは遮った。


「全ては、議長として未熟な私の責任です。見ての通り、議長はやることが多いので。貴方ならそれはご理解して頂けるでしょう。ルシファー様」


 アブディエルは自省を口にしながら微笑した。

 その時、執務室の扉がノックされる。来たのはヨフィエルだった。


「失礼致します。アブディエル様、ご報告したいことがあるのですが」

「わかった。今行く」


 用事ができたアブディエルは、退室しようと扉へ向かう。すると、ルシファーと擦れ違おうとした時に真横で立ち止まって囁いた。


「貴方の器は湖のように大きい。ですが、正しさを湛える湖はきれい過ぎる。その美しい湖の底には、一体何が隠されているのでしょうか」


 囁かれたルシファーは、眼球をアブディエルに向けた。アブディエルは悪心を含んだ微笑を浮かべると、ルシファーを置いて出て行った。


 アブディエルとヨフィエルは小会議室に入る。


「助かったヨフィエル」

「大丈夫でしたか?」

「ああ。やはり事実を確認しに来た。お前の言う通り証拠を作っておいてよかった」

「お役に立てて光栄です」


 ヨフィエルは胸に手を当て、充足感に幸せを感じる。

 先程アブディエルは書類を見せルシファーを黙らせたが、くだんの書類など本当は最初から存在していなかった。ルシファーの動きを察知したヨフィエルが展開を予想して事前に用意した、捏造したものだった。


「それで、何かわかったか?」

「公安部の調査によると、アザエルをマコノム潜伏中に見失ったあと、ルシファー様の別邸の方から歩いて来るのを目撃した者がおりました」

「確保した時に手当てをされていたな。成る程。と言うことは」

「ルシファー様が手当てをしたのかもしれません」

「罪人擁護の罪を行使できそうだな」


 アブディエルは、ルシファー周辺の調査をヨフィエルに頼んでいた。報告を聞くとほくそ笑み、邪魔な存在でしかなかったルシファーに早く私怨を晴らしたいと心が踊る。


「擁護と謀反。これで判決を下せるでしょうか」

「いや。罪人擁護は被せられるだろうが、謀反はまだ容疑でしかない。罪に問えたとしても、せめて数百年の禁固刑だろう。相手も相手だから更に罪が軽くなる……いや。最悪無罪の可能性がある。二つだけでは無理だ」

「神に最も愛されている天使を裁判に引っ張り出すのは、難しいですね」

「ああ、そうだ。だから、擁護と謀反容疑の他にも罪にできるものが必要だ」


 そこでアブディエルは、ヨフィエルに更なる調査を依頼する。


「ヨフィエル。一つ気になることがある。ヤダティ・アサフで、グリゴリが物質界に降りた頃の記録を調べてくれ」


 アブディエルは私怨とは別に、あることでルシファーを疑っていた。


 それは以前の会議でのこと。グリゴリと人間の混血児について話が及んだ時だった。ルシファーはこんなことを発言していた。


「私たちとの間に生まれる人間の子供がどんな存在になるかは未知だ。何ら変わらぬ姿なのか、何かしらの変異を持っているのか」

「我々の方が人間よりも秀発しているのですから、我々の血の方が濃く出るのでは?」

「その可能性はあるかもしれない」

「議長はどのような変異があるとお考えですか」

「そうだな……例えば、人間にはない力を備えるか。もしくは、予想もしない混乱を招くか」


 確かに、どちらも可能性としては考え得ることだったので、その時は発言に対して特に疑問は持たなかった。


「混乱ですか。そんなことがあるのでしょうか。まがりなりにも、私たちの血を引く者ですよ?」

「だから、飽くまでも想像だ。人間との混血なのだから、良い方と悪い方を想定しておいた方がいいだろう。とは言え、この目で見るまでは何もわからない」


 しかし、ルシファーが過去に例がない事象に対して、しかも悪い結果も想定して結果を絞って発言するのは稀だった。実際にこの時の発言の通り悪い結果になったのだが、いつもなら不安を駆り立てないよう慎重に発言をするのに、何故この事件だけいつもと違う予測を立てられたのだろうと、アブディエルは不思議に思った。

 そして、のちに改めて考えた。もしやルシファーは、混血児が危険な存在になることを知っていた、少なくとも予見していたのではないかと推測した。

 それに、ルシファーはこうも言っていた。


「だが、これだけは言える。私たちとの混血ならば、普通の人間としての生命を全うできないだろう」


 アブディエルは、ルシファーの会議での発言の一つ一つを深読みし、グリゴリが物質界に降りた時とルシファーが一時不在だった時期が重なっていたことに気付き、とある一つの答えに辿り着くと確信した。


 ルシファーはグリゴリ事件に関与している、と。




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