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オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
箱の園 Ⅱ
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 人間が天国とも呼ぶ場所、天界。

 天界は七つの層で構成され、人間の世界───物質界に一番近い層が第一層となり、各層それぞれの働きをしている。

 ここは第二層のラキア。主な施設は、軽度の罪を犯した天使の更生施設や、植物や生物の遺伝子研究が行われている施設がある。研究施設で働く者たちは物質界から運ばれて来る細菌を持ち込まれるのを嫌がる為、関係者以外の立ち入りを禁じられている。そして、大天使アークエンジェルス権天使プリンシパリティーズ能天使パワーズ住居がある。建物の造りは、ドーム状になった屋根と、細長い塔が建物の四隅に突き刺したように立っているのが特徴だ。

 そのラキアの一角の建物の陰に、一人の天使が膝を抱えて蹲っている。彼は、自分に関する記憶を失くしていた。

 そこに草を踏む音が聞こえて、彼は神経を尖らせた。その音は段々と近付いて来る。警戒心を全開にすると身体は硬直した。

 足音は目の前で止まった。蹲る彼は恐る恐る顔を上げて、近付いて来た人物を確かめる。公安部の天使だったらどうしようと、何も後ろめたいことはしていないのに不安に思ったが、公安部の制服ではなく座天使の服を着ていた。更に、髪で片目が隠れたその顔は、公安部にはいそうにないぼーっとした面構えだった。

 眠たそうな、何を考えているのか計り知れないその天使は、彼の目線に合うようにしゃがんだ。長めの髪が、前でざっくりとした三つ編みにされている。


「……あ。あの……」

「オレは…キミを…()()()()()


 しゃべりも、その風貌を裏切らないマイペースな話し方だ。


「俺のことを知ってるんですか?」

「名前は……知らない」


 しかし彼の期待は裏切った。途方に暮れる彼はガッカリして肩を落とす。


「……俺、自分の名前とか、わからないんです。だから、その辺を歩くのが怖くて」


 迷子の仔犬のように、彼はしょんぼりする。

 自分がいる場所だけはわかる。しかし、何故ここにいるのか思い出せない。何の目的で、いつからここにいるのか。だから無闇に歩けない。もしも公安部に出会して職務質問されても自分の名前も位階も言えないし、怪しまれて任意同行を求められるかもしれない。それが怖くて、気付いた時からずっと動けずにいる。

 マイペース天使は元気付けるでもなく、ぼーっとしながら彼を見つめる。やはり何を考えているのかわからない。いや。そう見せかけて、頭の中ではものすごい早さで何かを考えているのだろうか。


「……ハビエル」

「え?」

「名前…わからないなら…付けてあげる。キミは…ハビエル」


 どうやら名無しの天使に名前を付ける為に、頭を働かせていたようだ。


「ハビエル……」


 名前をもらえたのは嬉しいが、こんな簡単に、しかも見ず知らずの天使から名付けてもらっていいものだろうか。

 しかし名無しよりは断然ましだ。全くわからない自分の固有名詞だけでも認知できるだけで、何となく前向きになれた気がする。


「あと…これもあげる」


 名付け親は、懐から出した一通の書状をハビエルに渡した。


「これは?」

「これを持って…ゼブルの役所に行くといいよ」


 何の書状かわからないまま、ハビエルは取り敢えず受け取る。役所で必要ということは、事務的な手続きを申請するものだろうか。


「あ、ありがとうございます……あの。貴方は」


 顔を上げると、謎の名付け親天使は消えていた。始終不思議オーラを浴びたおかげで、幻でも見たのかと思ってしまいそうだった。

 困ってる俺を助けてくれたのかな。でもどうして……。

 恐らくお礼の言葉も聞いていないだろう。ハビエルはまたいつか会えるだろうと、その時にお礼を言うことにして、彼に言われた通りにゼブルに向かった。


 ゼブルとは、天界の第六層の名称だ。そこへ行くには、最下層から繋がっている透明なエレベーターを使う。飛べないこともないがわりとエネルギーを消耗するので、天使たちはエレベーターで上層と下層を行き来している。

 ハビエルもエレベーターを使いゼブルまで来た。到着した目の前は、楕円形に広がる広場だった。周囲は列柱廊に囲まれ、広場のど真ん中には一本の石柱が直立している。

 エレベーターホールにしては大袈裟すぎる広場を横切り、正面の立派な門を潜り抜ければ、そこが真のゼブルだ。

 ここには、議事堂、裁判所、役所、公安部など天界の主要機関が集まっており、まさに天界の中心部と言える場所だ。主に上級天使の熾天使、智天使、座天使たちが職務に従事しており、熾天使と一部の大天使たちの居住区も存在している。

 建物は、どれを取っても「荘厳」という言葉しか当て嵌まらないくらい、芸術品のように装飾や造りが美しい。初めて訪れ建物に目を奪われるハビエルは、観光客の気持ちで役所までの道のりを進んだ。

 役所も例外なく美しかった。二つの尖塔を構えたその大きさにまず圧倒されそうになるが、その外壁・屋根・扉の細部に至るまで繊細な彫刻が施されている。単なる事務処理施設とは思えない。

 ハビエルは、美しい彫刻が彫られたブロンズの扉を押し開けた。一歩入った途端、空間の広さに口を開けてしまった。天井は高く、アーチ状のリブ・ヴォールト仕様になっている。ステンドグラスからは光彩が射し、役所らしからぬ神秘的な雰囲気を醸し出している。

 数秒呆けてしまったハビエルは頭を振り、正面のカウンターにいる職員に謎の天使からもらった書状を見せた。受け取った職員は、書状の文言を頭からお尻まで一文字も漏らさず目を通す。

 すると職員は沈黙し、不可解極まりないと言わんとする面持ちでハビエルを見た。


「あんた、下級天使だよね。どういう繋がりで紹介されたの」

「いや。俺、それを渡されて、言われるがまま来ただけなんで……その紙、何なんですか?」

「紹介状だよ。中級以下の天使を、上級天使に勤仕きんしとして紹介する書状。推薦状ほど効力はないが、それなりに有効なものだ」


 上級天使の中には、身の回りの世話や、職務で他のことに手が回らない自分の代わりに、雑務を任せる者を側に置いていたりする。上級天使から直接声がかかることはなく、大抵は職務で世話になっている中級天使に“仲立ち”してもらうのが一般的だ。種類は紹介状と推薦状がある。

 そんなのくれたんだ。


「それで。俺は誰に仕えられるんですか?」

「幸運だなお前は。全ての天使が羨むぞ」


 そう言う職員も言葉に羨望を滲ませて、書状の内容をハビエルに見せた。


熾天使セラフィムルシファー様だ」

「ルッ…ルシファー様ぁ!?」


 ハビエルの仰天する声が、役所内全体にこだました。




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