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翌日早朝。雀の鳴き声しかしない街を自転車で走る。
悠仁は、PCに書かれていた最寄り駅の地下道に来た。駅の北側と南側を繋ぐ役目を果たす、人と自転車専用の地下道。錆びついた自転車が一台放置されている。蛍光灯は点いているが、ホラー映画のワンシーンに出て来そうな雰囲気の場所だ。
まだ誰一人通らない地下道で、悠仁は時間になるのを待った。
数分して、指定されていた午前五時になったのをスマホで確認する。階段を下りて来る足音がないか耳を澄ませるが、バイクの走行音が聞こえただけで人がやって来る気配はない。
悠仁は、二つある入口を交互に見る。その時、視界の端で動いた黒い影に反応して振り向いた。
「真人さん!?」
しかし人影はなく、代わりに野良の黒猫がいるだけだった。
「何だ。野良猫か」
あからさまにがっかりして視線を逸らす。猫は嫌いじゃないが、野良猫に構っていられる余裕はない。
すると。
「悠仁」
男性の声が悠仁を呼んだ。聞き慣れた声に、悠仁ははっと振り返る。
「真人さん?どこですか!?」
ところが、振り返った先に人の姿はない。悠仁は狭い一本道の通路をキョロキョロ見回し、姿を探す。
「ここだよ。ここ」
「下を見て」と言われた悠仁は、素直に視線を下げる。先程の野良の黒猫が悠仁を見上げ、尻尾を前肢に巻きつけて行儀よく座っている。よく見ると、瞳が金と赤のオッドアイだ。
「君なら、気づいてくれると思ったよ」
黒猫は口を開き、人間の言葉をしゃべった。真人と同じ声で。
悠仁は目を丸くし、口を半開きにする。
「……ね……猫が、真人さんの声でしゃべってる……」
いきなりのファンタジーとの遭遇に、悠仁のシナプスの働きが悪くなる。
「ごめんよ、驚かせてしまって。しかもこんな朝早くに、こんな場所に呼び出して」
「……ま…真人、さん?」
視覚情報と聴覚情報のちぐはぐに困惑しながら呼びかけると、黒猫は返事をするように尻尾の先を動かした。
どういう訳か、真人は猫の姿になっている。これは生きていたということなのだろうか、姿は違えども再会に喜ぶべきなのだろうか、それ以前にこの現実を認めていいのか。今すぐYahoo!知恵袋で質問もできたが、あいにく脳は一時停止中でそこまで考えが至らなかった。
「悠仁。まだ状況が飲み込みきれていないと思うが、君に話さなければならないことがあるんだ」
「だいぶ混乱してるので、できれば一日時間がほしいです」
「悪いが、話を先に進ませてもらう。あまり長い時間、この身体にいられないんだ」
悠仁の気持ちは忖度せず、黒猫真人は話し始める。悠仁は取り敢えず、話を聞く心構えだけはする。
「まずは、君に謝らなければならない。私は身分に嘘を吐いていた。何となく気付いているかもしれないが、「黄木真人」は元からこの世界に存在しない。私が人間として活動する為に使っていた偽名なんだ。私の本当の名前は、ルシファー。元天使だ」
「ルシファー」
聞いたことある。堕天使の名前だ。堕天使ルシファー。
ゲーム好きの友達に勧められたゲームのキャラクターにもいたので、何となく覚えていた。邪悪なイメージで、“罪を犯して天界から地獄に堕とされた悪魔の王”と記憶している。
悠仁は、真人の一人称が「僕」から「私」に変わっているのさえ気づいていない。
「しかし、君も知っているあの飛行機事故によって、私は人間でいられなくなった。何者かの故意によって、物質界から消されたんだ」
「それって、誰かに殺されたってことですか?」
「人間的に言えば、そういう言い方に近い」
困惑で頭を少し麻痺させながらも、悠仁は真人に起きたことを少しずつ飲み込んでいく。
「そんな……でもどうして?何でそんなことに。他の人たちを巻き込んでまで」
「それは違う。あの時死んだ人間は皆、あのタイミングで死ぬことになっていた。私がそこに加えられたのだ」
「じゃあ、誰がどういう理由で?」
「私はあることを調べていた。それが理由なのは間違いない。だから私は、いずれこうなることはわかっていた」
「一体何を調べてたんですか。危険を承知してまで何を」
黒猫真人は四本の肢で立ち上がると、左右を行ったり来たりして落ち着きのない動きをし始める。
「悠仁。すまないが時間がない。君に頼みたいことがある。私を助けてほしい」
「PCにも書いてありましたけど、どういうことなんですか?俺は何をしたら……」
「これからわかる」
「これから?」
「いいかい悠仁。間もなく物質界に、新たな歴史の道標が現れる。その未来は、人間が喜んで迎えたい未来だろう。だからいいことなのかもしれない。だが、それではダメだ。ダメなんだ。だから君が変えてくれ。君たち人間の未来を」
「えっ。ちょっと待って。どういうことかちゃんと……」
「もし困ったら、私のPCを見てくれ。きっと役に立つ」
「真人さん、もう少し説明を」
求める間もなく、黒猫は放置自転車を経由して、鳴き声を上げながら悠仁に飛びかかった。途端に、悠仁の視界が真っ暗になる。
「リフネイ ヴォオニヤ・ヤツァ」