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ルシファーが別邸に移っても、各所からの書状は相変わらず届き続けた。しかし内容には変化があり、スカウトから職務に関するアドバイスを求める内容に変わった。皆何とかしてルシファーと縁を持ちたいのか、些細な相談事まで送って来る。
まるで相談室のような状態にベリエルがまた怒っている……かと思いきや、「いい加減にしてほしいよね」と軽くあしらう程度に留まった。ハビエルとルシファーは拍子抜けし、珍しいこともあるんだなと流していた。
そんなある日のこと。ルシファーは書斎でアドバイスの返事を書き、ハビエルとベリエルは書斎と一続きになっている隣の部屋で、古くなったカーテンの取り付けと掃除をしていた。
「ベリエル。お茶のおかわりをくれないか」
ルシファーはティーカップが空になったので、近くにいたベリエルにおかわりを頼むが。
「ハビエル。淹れてあげて」
「え?……あ。はい」
自身に頼まれたことを、何故かカーテンの取り付けをしているハビエルに振った。何で大変な方の作業をしている自分にとハビエルは不思議に思いながらも、先輩に言われたので代わりに淹れて持って行った。
「ありがとう、ハビエル」
「何だか、お悩み相談室みたいですね」
「だが、頼られていることは嬉しいものだ。持て余した時間の有効活用にもなるしな」
そんなルシファーを、まるで教え子からの手紙に返事を書いている隠居生活を送る元教師を見ているようだと、ハビエルは思った。
アブディエルの思惑を探ってばかりいるよりも、こんな穏やかな日常をルシファーは望んでいた筈だ。元部下がしでかしたことに暗鬱になるよりも、風任せに日々を過ごしてくれていた方がハビエルも安心していられる。しかし、このまま詮索をやめてほしいと思いつつ、やめてはならないと思う自分もいた。
ルシファーは、書いた書状を丸めて紐を巻いた。待機させていた伝書鳥に付けようとするが、三羽いるうちのどれに託すものかを忘れてしまった。
「なぁベリエル。ラキアから来た鳥は、どれだったかな」
「一番左ですよ」
窓拭きをするベリエルに再び話しかけるが、振り向きもせずに答えられた。ルシファーとハビエルは、互いに顔を合わせた。
どうもベリエルの様子がおかしい。ゼブルのお使いから戻って来てから毒気が薄れ(なんて本人に言ったら、最初から毒気なんてないと睨まれてしまいそうだが)、彼の個性の棘がなくなっている。大人しくなっているのだ。しかもルシファーともあまり目を合わせようとせず、ルシファーが話しかけると逃げることもある。
「……ベリエル。どうかしたのか。機嫌でも悪いのか?」
「何でもありません。大丈夫です」
しかも、いつも使わない敬語でしゃべる。敬語を使うなんて、何でもない訳がなかった。
ベリエルは窓を拭き終わると、少し休憩を頂きますと言って部屋を出て行った。
「……あれは、何でもなくないですよね」
「私がうっかりし過ぎるから、愛想を尽かせてしまったのだろうか」
突然のベリエルの変化に、二人は心配した。
するとその翌日。職務開始前のハビエルの部屋に、ベリエルがやって来た。何故かフード付きの外衣を着ている。
「どうしたんですか?」
「これをルシファーに渡して」
そう言って紙を差し出された。どうやら手紙のようだ。
「何でわざわざ俺に。ご自分で渡したらいいじゃないですか」
「直接渡したくないから頼んでるんでしょ。空気読んでよ」
その台詞の次に尖った口から出そうな棘で怪我をする前に、ハビエルは手紙を受け取った。
「ボクはこれから休暇をもらう。暫くは戻って来ないから」
「休暇ですか」
「だから、ボクがいない分もちゃんと仕事してよ。手を抜いたらルシファーに迷惑なんだからね」
「わかってますよ」
何なら一緒に住んでいた期間があるから、ベリエル並に役に立つことがあるかもしれない。
べリエルからは特に引き継ぎもなく、じゃあ宜しくと言って休暇に出かけて行ってしまった。
そのあと書斎で、託された手紙をルシファーに渡した。ところが。
「休暇?聞いていないが」
「えっ。てっきり、ルシファー様の了承を得ているのかと……」
ベリエルの休暇は、ルシファーも初耳だったことが判明した。ハビエルは既にルシファーは知っているものだと思っていて、ルシファーはベリエルらしくない勝手な行動に困惑する。
ベリエルからの手紙を読んでみると、
『突然で申し訳ありませんが、一身上の都合から休暇を頂きます。冷静になって自分の心とこれからのことを見つめ直す為に、暫く一人になって考えて来ます。長い休暇にならないうちに戻るつもりです。その間、ハビエルの言うことをちゃんと聞いて下さいね。事後報告になってしまったことは、帰ったらちゃんと謝罪します。』
と、休暇申請の代わりのものだった。
「ベリエル様、何があったんでしょう?」
「先日から少し様子がおかしかったな。この文面を見ると、やはり私に愛想が尽きたのだろうか」
「それはないと思います。さっき話した時はいつも通りで、怒っていた様子もなかったので、本当に戻って来るつもりではいると思います」
「そうか。ならいいのだが……」
そう言うルシファーだが、手紙に視線を落とす目が心配そうにしている。側にいるハビエルまで、ルシファーの心情が伝染して心配になってくる。
「……まぁ。ここに書いてあるように、何か心境の変化があったのだろう。心配ない。この機に、べリエルにはゆっくりしてもらおう。今まであまり休暇を与えてやれていなかったから、丁度いい機会だと思えば……リフレッシュできたら帰って来るだろう」
「そうですね。ストレス溜めてそうですし」
ハビエルは他意なく発言したが、密かにルシファーの気掛かりを刺激した。議員徽章を返し忘れたり相談もなしに大事なことを決めたり、度々棘を飛ばされていたことを思い返すと、やっぱり自分が原因なのだろうかと過失を後悔する。
しかし、べリエルは普段から、自分のことをベラベラ話す質ではない。だから、何か思うところがあったのだろうなどと考えても、それ以上のことは憶測止まりに過ぎない。
心配ではあるが、あまり過保護になることもないだろう。二人はいつも通りに過ごすことにした。