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ルシファー辞職後、統御議会議長の椅子を空けたままにしておく訳にはいかない為、すぐさま議会は再編された。選挙制は取っていない為、上の役職はエスカレーター式で決まる。つまり、副議長だったアブディエルが繰り上げで議長に就任し、必然的にルシファーの望みが叶うかたちとなった。副議長は、アブディエルの指名でそれまで第二補佐官だったヨフィエルが就任した。
一人議員が不足することになるが、新しく加入する予定はない。しかしアブディエルの判断で、一人の天使が議会に招かれることとなった。
「するまでもないが、紹介しておこう。この度、七大天使のミカエル様を議会にお招きした」
「宜しく」
右手を肩くらいまで挙げて、ミカエルは軽く挨拶をした。赤いメッシュが入った腰まである金髪のポニーテールに赤い装束を纏うミカエルは、七大天使のまとめ役を務め、ルシファーに次いで多くの者に慕われ敬意を払われる存在だ。
ヨフィエルたちも、かのミカエルがと驚いた。職場が近かったり居住区が同じだから姿を見たことは何度もあるが、まさかこうして同じ組織内で従事することになるとは夢にも思っていなかった。ルシファーの下で働くことと同じくらいの感動だ。
何故ミカエルの招喚が可能だったのかと言うと、アブディエルと面識があったのだ。グリゴリ事件の際に、与えられた人間の本質とそれが導く未来について、七大天使と熾天使が集まって話し合う機会があった。その時にアブディエルが論説した内容に関心を持ったミカエルは、会議のあとにアブディエルに詳しく話を聞いた。その時の縁があり、ミカエルはアブディエルの招喚に応えたのだ。
しかし、打診したアブディエル自身も承けてくれるとは思っていなかったので、内心信じられないでいる。
「一ついいか。訂正することがある。今はもう七大天使じゃない」
「どういうことでしょうか」
「そのままだ。辞めてきた」
挨拶も軽いが、ミカエルは所属を辞めたことも軽く口にした。しかも、仲間に何の相談もなく勝手に除名してしまっていた。
「もしや、私は無理な依頼を……」
「いや、そうじゃないって。折角呼ばれたんだから、尽力してやりたいと思っただけだ」
「そこまでして……感謝致します」
「ところで議長。ミカエル様の役儀は?」
「ミカエル様は特別顧問としてお招きした。新しくなった議会を運営していくにあたり、アドバイスをして頂こうと思う」
アブディエルがそう言うと、ヨフィエルが若干顔を顰めた。
「オレで役に立つといいけどな」
「ご謙遜なさらないで下さい。貴方のお力は十分存じております」
会議の途中で休憩が挟まれ、会議室に留まる者、外に出る者と、それぞれに一息吐く。
アブディエルも席を外し、会議室を出た。その後をヨフィエルとザフキエルが付いて行く。
「アブディエル様。どういうことでしょうか」
眉間に皺を寄せるヨフィエルは、アブディエルを問い詰める。
「何故ミカエル様を招かれたのですか」
「さっき言ったではないか。顧問をお願いしたと」
「それはわかりました。しかし、私がいるではありませんか!副議長になられた時から、私がずっと助力してきたではありませんか!なのに」
議長室に入ると、アブディエルはソファーに腰かけた。室内に入ると、ヨフィエルの眉間の皺は倍に増える。
「副議長の私では、お役に立てませんか?」
「そういう意味ではない。ルシファー様を見てきたとは言え、初めての統率は右も左もわからない。かと言って、ルシファー様に助言を乞いたくはない。ミカエル様も優れた統率力や指導力を持ち、それは誰もが認めている。あのお方ならご指導賜りたいと思ったのだ」
「それはつまり」
「つまり!」
ヨフィエルが突っかかりそうになると、横で待機していたザフキエルが声を被せてきた。
「ミカエル様は指導者の手本にしたいだけで、表に出る訳ではない。でもヨフィエルはアブディエル様を表で支え、これまで通り、いや、これまで以上の助力を期待している。そういうことですか?」
「その通りだ」
「だってさヨフィエル。きみの定位置が奪われる訳じゃないみたいだよ。だからちょっと落ち着いて」
ヨフィエルはミカエルによってお株が奪われる危機感と、ずっと慕っていたアブディエルに裏切られたと感じて憤っていたが、徐々に興奮は収まり眉間の皺の数も減っていく。
「ヨフィエル。これまでお前には随分助けられている。その働きには感謝しかない。これからもその知恵を私に貸してくれ」
ヨフィエルの忠誠心を知っているアブディエルは彼に鎮火の言葉を贈り、右手を差し出した。ヨフィエルは歩を進めアブディエルの前で跪くと、その右手を取って自分の額に付けた。
「畏まりました。このヨフィエル、貴方様の為にこれからも尽くすことをお約束致します」
「宜しく頼む」
ヨフィエルは変わらぬ忠誠を誓った。
このように、ヨフィエルは一度へそを曲げると面倒臭い。今日は取り敢えず収まってくれたが、ミカエルが議会を出入りする限りまたいつ機嫌を悪くするかもわからない。
ザフキエルは安堵すると同時に、幼稚な面を併せ持つ同僚をこれまで以上に注視していなければならないのかと思うと、面倒臭さに溜め息を吐かずにはいられなかった。
その日の会議が終わり議事堂を後にしたヨフィエルは、自身が責任者を務めるシェハキムの研究施設に向かう。
第三天シェハキムは自然が豊かな場所で、至る所に庭園がある。建物は和洋折衷のようで、きらびやかさよりは趣を感じさせる。主に人間に関する研究施設があり、力天使と主天使の住居がある。ヨフィエルは、会議がない時はほぼ施設に籠っている。
施設は天界の建物にしては質素で、白壁の二階建てになっている。その分敷地面積は広く、研究棟や実験棟など三棟が連なって建っている。周囲は鉄格子に囲まれ門には守衛もおり、関係者以外の誰も入ることも近付くことも許されない。
ヨフィエルは研究棟の中の部屋に入った。研究員たちは挨拶するが耳に入って来ないのか一切返さず、そのまま部屋の奥の自分の机に着席し、壁に向かってブツブツしゃべり始める。
「取り敢えず了解したけどさぁ、やっぱ納得いかないよ。何でミカエルを呼んだんだ。お前が必要だって言われたけど、何か上手いこと言い包められてないか?せめて相談くらいしてくれよ。突然言われて納得いくかよ。僕がずっと支えてきたんだぞ。議会に入った時からこの人なら付いて行きたいって思ったんだ。ルシファーなんて眼中から消えた。だからアブディエル様の意見には何でも賛同したし、ルシファーに何を言われても僕が肯定してきた。僕がずっとアブディエル様を支えようと。僕しかその役目は務まらないと。なのに、僕の役目をミカエルなんかに任せるなんて」
その上司の珍妙な行動を、研究員たちは遠目に様子を見る。
「いつものだな」
「あぁ。いつものがまた始まった」
不満が溜まると壁に向かって独り言を吐くのは、ヨフィエルの癖だ。ルシファーにアブディエルの意見が否定されれば吐き、自分がアブディエルを擁護すれば何もわかっていないと言われて吐き……と、今までこの壁には数えきれない不満をぶつけている。それでも壁はいつも変わらずヨフィエルの愚痴を受け、多分、吸収されることなく床に捨てられている。
研究員たちは見慣れた光景なので、そのまま放っておくのが通例だ。皆、気にせず自分の仕事に戻っていく。
「アブディエル様の隣は僕だけの席だ。ミカエルなんかに邪魔させてたまるか」