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オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
箱の園 Ⅱ
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8




 その後も何度か会議が重ねられたが、慎重派のルシファーと性急な意見を通そうとするアブディエルの対立は平行線のままだった。

 ルシファーは頭を悩ませた。

 調和、共済、協調……。

 齟齬、摩擦、軋轢……。

 ルシファーの中に芽吹いた意思が、その鼓動を始めた。


 そして唐突に、統御議会議長を辞任すると発表した。






 陶器が割れる音が響いた。ハーブティーを淹れようとしたベリエルが、珍しくティーカップを落とした。


「統御議会を辞めた!?」


 それはルシファーのサプライズの所為だった。居館に帰って勤仕の二人に辞任を報告すると、驚愕された。驚かせてしまうとは思っていたが、愛用していたティーカップが犠牲になることは予想していなかった。こんな突然の別れが来るとは考えてもいなかったが、忙しい合間に癒しをくれる手伝いをしてくれた労いを密かに送り、潔く諦めた。


「本当ですかルシファー様!」

「ああ。ついさっきアブディエルたちに言って、辞表を出してきた」

「何バカなことを!正気なの!?」


 本来なら上級天使に言うなんて以ての外の、相手を愚弄する最上級の言葉「バカ」をベリエルは使ってしまったが、言う相手と状況からこれも許されてしまう。こんな時に辞める無責任な自身に似合った言葉だと、ルシファーは受け入れる。


「ベリエルは、私が正気の沙汰でないところを見たことがあるのか?」

「ないけど……ルシファーはいつも冷静に判断してるから、ボクは何の不安もなく貴方に付いていられると思っているけど」

「正気で冷静だと仰るんですね」

「やっぱり正気じゃない!今すぐ撤回してきて!」


 正気で冷静だと言って納得するベリエルではなかった。ハビエルもベリエルに同意する。


「そうですよ。その方がいいと思います。それに、勝手に辞めてしまって大丈夫なんですか。神が選んで下さったのでは?」

「天使の長だから選ばれただけだ。議長になりたいなど願ったことはない。そんなことよりも、床を片付けてくれないか」


 未練は残すまいとルシファーが床を指差す。気付いたハビエルは素早く、割れたカップの破片も残らず片付ける。その間にべリエルは辞職の理由を聞いた。


「ルシファー。どうして急に辞めたの。神は許して下さったの?」

「託宣の間で玉音を拝聴した時に、ついでに申し出た。私のできることは議会ではもうありません、と」

「ないなんて、そんな訳ないでしょう。貴方にはやるべきことがたくさんある。貴方でないとダメなのは自分でもわかるでしょう?」

「わかる。わかるが、ダメなんだ。どうしようもなく歯車が合わなくなってしまったから」

「それは……アブディエル様のこと?」


 あぁとうとう、とベリエルは心の中で思った。

 ルシファーはもう一度お茶を淹れてくれと頼み、ベリエルは新しいティーカップでハーブティーを淹れた。

 片付けを終えたハビエルとベリエルは、ルシファーの机の正面の一人掛けソファーにそれぞれ座り、一緒にお茶を飲みながら話を聞いた。


「前から言ってたよね。アブディエル様と反りが合わないって」

「問題を抱えていらしたんですか?」


 初耳だったハビエルは意外に思った。以前ちらりとそんな話を聞き何となくの雰囲気を感じさせられたが、ルシファーが自ら辞職する程重症化していたとは思ってもみなかった。


「アブディエルが議会に入ってきた時は、特に問題はなかった。反発意見が出始めた時も可愛げのある程度だったから、見込みがあると思っていたんだ。だが、どうやらそんなものではなかったようなのだ」

「反発が意気込みからくるものではなかった、ということですか?」

「あぁ。そして、ある時から急に様子が変わった。それから次第に意見の食い違いが起こり始めて、この前はついに言い争いになってしまった」

「だいぶお疲れの様子でご帰宅された時がありましたけど、それが原因だったんですね。でも、きっかけは何なんですか?」

「私もそれがわからない。アブディエルが何故、急にああなってしまったのか」


 アブディエルが議会に入って来た当初はごく普通の上司と部下の関係で、ルシファーものちに自分の後を任せてもいいと思える働きだった。それが何をきっかけに錆び付いてしまったのか、噛み合っていた歯車が少しずつ軋んでしまった。修復を試みようにも、向こうがそれを望んでいないようだった。


「それならまぁ、しょうがないよ」


 ベリエルはお茶を飲み、深く短い溜め息を吐いた。


「ギスギスした相手と上手くやっていこうって努力するエネルギーを消耗することが無駄だと思うし。ルシファーがそう決めたんなら、それでいいよ」

「ベリエル様」


 先程愚弄したばかりのベリエルがルシファーの意思を尊重すると、ハビエルはそれでいいのかと不安を浮かべた視線を向ける。


「ボクらは主に従うだけ。ルシファーは愚かな人間とは違うから、将来的な不安はない」

「ありがとうベリエル。すまない」

「謝るなら、事前に相談して下さい」


 ベリエルの表情は怒っていて、声音は呆れている。ルシファーは、勝手に大事なことを決めてしまった自分に尽くしてくれる勤仕に申し訳なくなり、眉尻を下げた。

 ルシファーは、困惑するハビエルに視線を移す。


「ハビエル。勤仕になったばかりで申し訳ないが、話した通り私はただの一天使となってしまった。もし考えているのなら、辞めても構わない」


 ハビエルは、試用期間を過ぎて本採用されたばかりだった。ルシファーは状況の変化を考慮し、ハビエルに離職の選択肢を提示した。


「何だったら、今度は私から紹介状を書こう。顔は広いから、私が紹介すれば誰か雇ってくれる筈だ。それとも、誰が希望とかあるのか?」


 ハビエルは視線を落として考える。

 ひょんなことからルシファーの勤仕になり、それは夢のような出来事だった。記憶がないことが不安だったり、時々ベリエルに意地悪はされるが、勤仕になってからの日々は充実していた。

 元々自分が何処で何の職務に就いていたかは覚えていないし、他に仕えたい天使も思い付かない。ここを出たって、何処に行ったらいいのかわからない。それに。


「……いいえ。ここにいさせて下さい」

「いいのか?」

「ルシファー様は憧れですが、地位や権力に惹かれているんじゃありません。だからと言って、紹介して頂いて訳がわからないままここに来たので、具体的にルシファー様の為に何がしたいとかないんですが……ただ、何て言ったらいいのか上手く説明できないんですけど……とにかく、ここにいたいんです。いさせて下さい」


 そうするべきだと感じた。自分はルシファーの側にいるべきだと。


「はぁ?何その中身が何もない台詞。呆れるね」


 ベリエルはハビエルを見下すように言った。競争相手脱落の絶好のチャンスだったのにと、さぞ残念に思っているのだろう。

 ルシファーは、ハビエルの瞳を見つめた。


「……ありがとう、ハビエル。では、これからも頼むよ」


 ルシファーはハビエルの意思を尊重した。必要はなくなってしまったかもしれないが、自分に仕え続けたいと言ってくれた思いを冷たく拒否することはできない。




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