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12月15日PM19:55 異世界なんか信じないけど




1Kロフト付き。築43年リフォーム済。家賃は6万5千円。そんな何の変哲もないアパートの前で俺は北風で身を凍らせながら佇んでいた。


「何で着いてきてるんだよ!」

「貴方がこの世界のことを教えてくださるのでしょう!?」

「言ってない!」

「けど、私は今日異世界からここに来たのです。正直すぐ貴方を連れて元の世界に帰るつもりで…何も準備してなくて…うぅ…」

「なら帰れよ」


またその設定かとうんざりしながらそう告げた俺はアパートに入ろうとしたが、それを阻むためかハイネが右腕にしがみつく。


「キオといっしょでなければ私は帰りません!」

「他の奴でいいだろーが」

「キオじゃなきゃダメなんですー!」


そう俺の腕に抱きついたハイネはじたばたと脚をばたつかせる。膝上のワンピースでそんなことをするものだからまたセンスのないネコ柄のパンツが見えた。


「お前さっきからパンツ見えてるぞ」

「え!?やだっ!」


そう指摘した瞬間、ハイネは顔をぶわりと赤くして身体を離した。両手でワンピースの裾を押さえている様子を見る限り、注意力がないだけで恥じらいはあるようで安心した。


そして俺はその隙をついて、アパートの102号室へと走った。ポケットに入れていた鍵を取り出すと、流れるような動作で鍵穴へそれを突き立て鍵を開ける。そのままドアノブをひねってドアを開けると、ハイネが駆け寄る前に勢いよくドアを閉めた。


「キオー!?」

「うるせぇ早く家に帰れ!」


ドンドンとドアを叩かれたが無視だ無視。近所迷惑この上ない。しかしどう見てもハイネは未成年。ここであいつを家に上げれば俺は警察に捕まる。騒音で明日大家さんに怒られるよりずっとまずい。


だから俺は心を無にしてシチューを作るため冷蔵庫を開けた。ひんやりとした冷気が頬を撫でる。さっき俺の腕にしがみついたハイネの体みたいだ…って何考えてるんだ俺。うっかり絆されそうになってるじゃないか。


「暫くしたらあいつも両親のとこに帰るだろ」


そうまるで言い聞かせるように口にした俺は、冷蔵庫からジャガイモやニンジンといった材料を手にしてキッチンに向かった。コンロはひとつだがまな板を置いたり調味料を置いたりするスペースはそこそこあるこのキッチンを俺はけっこう気に入っている。


包丁を手に野菜を切りはじめるが、刃物を扱っているというのに視線が手元ではなくドアへと向かってしまう。


「集中だ集中!」


ギギギギと錆び付いたおもちゃのように首をひねって手もとへ視線を戻す。さっきのようにドアを叩く音は聞こえない。やべーやつの割には良識はあったようでなによりだ。と、視覚からの情報収集を止めれば、次は聴覚に頼ろうとする。アホか俺は。


そもそも異世界転生なんか嘘に決まってるだろ。そんなもんあり得ねぇ。この世界には宇宙人だって幽霊だっていない。異世界だって存在しない。あいつはアニメやマンガに影響を受けてあんなことをしているだけだ。


けど、


『キオじゃなきゃダメなんですー!』


そう言ったハイネのアクアマリンのような瞳はどこまでも真っ直ぐ俺を見詰めていた。


「あんなの放っとけってば、俺!」


どう考えてもやべーやつだ。どう考えてもいい方向に話を想像できない。


けど、手を取った時の微笑みが。嬉しそうに俺の後を着いてくる姿が。あまりにも真っ直ぐな瞳が。


これでよかったのかと問いかける。


異世界転生なんてあるはずがない。けれど本当に行く宛が無かったら。あのワンピースで、この寒空の下ひとりで過ごすってことだ。


気付けばシチューはできあがっていて部屋中にいい匂いが充満する。けれど何だかこれを食べる気にはなれない。


小さい頃、捨て猫を見付けた。けれど俺の住んでいたマンションはペットを飼うことができなくて、俺は猫を置いて家に帰った。次の日その猫はいなくなっていたけど、ずっと心配だった。


事故にあっていないか。怪我をしていないか。お腹をすかせていないか。悪い人間に拾われていないか。


ずっと心配で、後悔した。


「あーもう!」


俺はエプロンを床へ叩き付けると、ずかずかと玄関へと歩く。そして思いっきり閉ざされたドアを開けた。


「キオ…!?」


そこには膝を抱えて座り込んだハイネがいて。小さく震えるその姿に俺は何だか泣きたくなって唇を噛んだ。


もっと俺の名前を叫べばよかっただろ。もっとドアを叩けばよかっただろ。そんな俺が思うべきでないことがぐるぐると頭のなかで回る。だってこいつを見捨てたのは俺だ。


「なんで笑ってんの」


なのに何でハイネは俺を見てうれしそうに笑った。自分が悪いことをしたとは思っていない。けどこいつを傷付けることをしたとは思ってる。


俺が座り込んだハイネにそう問いかけると、ハイネはふわりと聖女のように俺へ微笑んだ。


「心配してくれて嬉しかったから」


ハイネはアクアマリンの瞳を細めてそう言った。その瞳はどこまでも透明で美しくて。異世界転生なんか信じていないけど、行くところがないこの少女を助けたいと思った。


別に異世界転生の冒険者とかにならなくていいから。この子が寒さを感じなければいいとか、お腹をすかさなければいいとか、その程度のものだけど。


「シチュー」

「?」

「食ってみる?」

「それはこの世界の食べ物ですか?」

「そうだよ」


もう異世界についてどうこう言うのがめんどくさくて俺がうなずくと、ぱぁっと顔を輝かせながらハイネは立ち上がった。


「食べたい!」


こんなことで笑ってくれるなら、


そう思いながらハイネの手をとった。






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