第一話
彼女のことを話し始めるには、多くの歴史を語らなくてはならない。
そういった物語は、得てしてつまらないものになりがちだ。
したがって、そんな話は書かないことにした。
彼女のことは、きっと彼女の話をしているうちに、きっと理解できるようになるだろう。
彼女は、魅力的でかわいらしく、それでもって間が抜けている。
彼女の名前は、紗夜子。
名字は田中だが、それは通称で、本当の名字はCIA2101、タイプ2468という。
彼女は、冴えない科学者が偶然に開発に成功したニューロチップコンピュータなのだ。
それでもって、間抜けな科学者は、その制作方法をパソコンの故障で紛失してしまった。
これ一台っきり。
これで大もうけを企んだはずの科学者は業を煮やして破壊してしまおうと考えたが、一晩寝て考え直した。
とにかく、このコンピュータは優秀だ。その記憶容量は膨大で、ほとんど無限大ともいえる。
そのうえ、構造的に学習能力を備えているために、多くのプログラムを必要としない。
OSだとか、応用ソフトだとか、そういうものがほとんど要らないのだ。その代わりに、コンピュータの構造そのものが複雑を極めている。だから、間抜けな科学者は複製品を作ることさえ出来ずにいるのだ。
これを人間型、とくに若い女性の型のロボットに組み込み、世界で一台きりのメイドさんロボを作り上げ、お金持ちの独身企業家に売り込もうと、そう考えたのだった。
ビキニマシン計画、と科学者は呼んだ。
もはや、1960年代のB級SF映画並みの計画だった。
所詮、その程度の科学者であった。
「博士、やかんが悲鳴を上げています」
紗夜子は、目も動かさずにそう言った。
「さっちゃん、目を動かしなさい。それから口も動かすの。不気味でしょう?顔を動かして話しなさい」
博士は、うんざりした様子で口走った。それからのんびりと動いてガスレンジのつまみを回した。
「でも博士、私は動かさなくても話せます」
今度は、耳を動かしながら口を閉じていた。
「それじゃないの、口を動かすの」
かわいらしい顔をして、紗夜子は首を傾げた。
大きな目、長いまつげ、ともすればアニメ的とすらいえる顔立ちは、ブルーの髪の毛の下でぼんやりと微笑んでいた。
「あ、それは・・・」
間抜けな科学者が手に持ったやかんをテーブルに置こうとした瞬間に、紗夜子の顔が胴体から転げ落ちた。紗夜子はキッチンの床でケラケラと笑った。そこへ、失礼するよ、と入ってきたのが近所に住む老人、Zだった。
彼は、こんな間抜けな小説に実名で登場することを嫌って匿名を希望している。
老人Zは、キッチンの床で声を上げて奇妙に笑う美しいほどの首級をみて、腰を抜かしてひっくり返った。
その拍子にキッチンの壁に掛かっていた3年前のカレンダーが老人Zの足の上に落下し、老人Zは、その怪我が元で18年後に死亡することになる。その経緯については、いまだに不明だが、少なくとも本人はそう主張しているので、ここでは本人の希望に添って、そう経緯を説明することにした。事実は不明である。
「ば、化け物ー」
老人Zは、そう絶叫して首級を驚愕の表情をもって凍り付いたように注視した。
「ああ、辻子原さん。それは開発中のアンドロイドですから。気になさらぬよう」
「アンコロ餅じゃと?」
老人Zは、本名を露出されたことにも気がつかないままに聞き返した。
「アンコロ餅じゃない、アンドロイドです。平たく言えばロボット」
「ロボットが、ぼろっと壊れたのかい」
大声で老人Zは叫びかえす。その声には怒りがこもっていた。
「こ、こんなもので老人を驚かすとは、なんたる思いやりの無さじゃ。それだからお前には嫁の来手もないんじゃ」
「なにをおっしゃいますやら。私には嫁の一人や二人や三つや四つ、いくらでも候補はおりますぞ。もうハーレムのような有り様で、滅多には嫁を呼ばんのです。大変な一夜になりますからな」
そう言いおわるか言いおわらないうちに、床に転がった首級が「よめ?はーえむ?」とのたまわった。
「うるさい、このロボット三等兵」
老人Zが叫ぶと、首級は言い返した。
「私は人間よ」
紗夜子の容貌は完全といえる。
少なくとも、現代的なアニメ好きにとっては、まさに理想と言える容貌を有している。
年齢設定は、14、5才。身長は143センチと、小さい。目は大きく、その瞳はグリーンだが、鼻は小さく顔も小さい。肌は白く透き通るような色をしている。等身大であるために、市販の服装をしている。その中身に関してはデータ不明である。
ヌードデザインがどうなっているか、そんなことはわからない。
「お世話になりました、お父さん」
紗夜子は、そう言うと三つ指をついて頭を下げた。
「そういうことは、こっちを向いて言いなさい」
科学者は、キッチンの床で正座をする紗夜子に言った。紗夜子は、電子炊飯器に向かって頭を下げていた。
「お蔭様で、ここまで大きくなることが出来ました」
うむ、うむと科学者は大きく肯き、自分の方を向かない紗夜子にあわせて、電子炊飯器の前に立った。
「もう、お前に教えることは何も無い。お前は今日からお屋敷へ奉公に行く。一ヶ月に一度はメンテナンスに戻ってくることになるが、それ以外の時は、ご主人様の言うことをよく聞いて立派にお仕えするのだぞ、よいな、紗夜子」
「はい、お父様。さっちゃんは、立派に努めを果たし、見事玉砕してお国のために役立って見せますわ」
「お国のために努力することはないが、まあ、立派に努めを果たすのだ。今日から、お前は田中紗夜子、岸田重工業代表取締役の岸田氏のお屋敷に住み込み、そこでメイドとして働くのだ。岸田氏に尽くすのだぞ」
「はい、賜った飛行機は決して無駄にはいたしません。必ずや鬼畜米英の航空母艦を撃沈してみせますわ」
「どこで、そういうことを覚えたのやら・・・」
科学者は大きくため息をつき、それから紗夜子の手を引くと、研究所という表札のついた建て売り住宅の庭先に停めた年代物の軽自動車に乗り込んだ。
岸田氏の屋敷は、まるで絵に描いたような大邸宅であった。
庭は後楽園球場が三つは入ろうかというほどの面積を持ち、川が流れ、池が3つも存在した。そのうちの一つには鯉が飼われ、色とりどりの錦鯉が優雅に泳ぎ回り滝が流れていた。残りの二つには、ワニとピラニアが飼われ、哀れな同業者が投げ込まれるというまことしやかな噂が流れていた。
屋敷は3つあり、そのそれぞれが渡り廊下によって繋がっていて、それぞれの屋敷からは、春、夏、秋のそれぞれの景色が楽しめるように木々が植えられていた。春には春の、夏にはゴッホの絵画もさるや、というひまわり畑が、秋にはコスモスが咲き乱れる。
まさに、和洋折衷、意味不明の総覧たる景色が広がるのである。
邸宅には、様々な御家人が仕えていたが、紗夜子は多くを知らない。
紗夜子が知っているのは、建物の外観だけであった。
邸宅に連れてこられてすぐに、彼女は夏の屋敷の奥の間に閉じ込められ、1ヶ月に一度受けるはずのメンテナンスも受けないまま、外の様子も知らないままに過ごした。
その時のことを紗夜子は多く語らない。
およそ10年間、紗夜子が連れてこられてから岸田氏が死去するまでの10年間、彼女はたった一度も外出することなく奥の間で過ごした。その間のエネルギー補給がどうなっていたのか、様々な部品のメンテナンスはどうなっていたのか、まったくもってわからない。
いずれにせよ、岸田氏が死去した後、紗夜子は半身不随で発見された。
その頃には、もはや岸田氏が紗夜子を多額の代金と引き換えに買い取ったという事実は誰も知らないままになっていた。
彼女は人間の娘だと思われて病院に担ぎ込まれたが、レントゲン写真でアンドロイドだと確認された。
長年の岸田氏による虐待の結果、言語機能にも異常を来していたために、彼女は自分のことを説明することさえ出来なくなっていたのだった。
紗夜子は、その後、岸田重工業多足歩行制御研究室にてオーバーホールといくつかの改良を施されて復調した。時に西暦2000年のことであった。
そうして、彼女は岸田重工業社内においてKISIDAインダストリー2000(トゥーサウザンド)、と呼称されることになった。略称はKITTである。残念ながら、ナイト2000とは呼ばれなかった。
岸田重工業では、紗夜子を自社開発ロボットとして発表することを目論んでいた。紗夜子の機能を研究し尽くして、彼女の複製を生産し、お金持ちの家庭にメイドさんロボットとして売り込もうという計画だった。またしても安易な1960年代SFのような計画だったのだが、後にこれは計画を変更され、来る宇宙時代に人間の入り込めない環境下において重労働や戦闘に用いる計画も付加された。
だが、その計画を知った紗夜子は、自分が過ごしてきた10年間を思い、これから自分の複製として生まれてくるであろう彼女の子供たちが、自分と同じような苦しみを味合うことになると思った。
そして、彼女は逃げ出したのである。
その際、研究員の一人に重傷の怪我を負わせている。そうして、紗夜子は負われる立場となったのだ。
追うのは、岸田重工アメリカ支社のエージェント、名前をデッカードという。
不定期更新です。
書きかけの小説がPCのパンドラの箱から出てきたので、アップしました。