1-13 可能性の話
13話です。
「お前……本気で言ってんのか?」
豹牙の叫び声が響き渡った後の静かな病室で、ほんの少しの隙間から入る隙間風。4月の春の風は時に温かく、時に冷たい。昼に吹く風が温かくないのは、聖の所為だろうか。
「本気も何も、僕は君を色んな意味で強くしてあげたいんだ」
第一席である証ーー紫のネックレスが聖の首元で輝いている。
聖が少し変わった人間なのは分かっていた。まさに天才には変人が多いという言葉を体現している様な男。それでも、豹牙を指導するなんて言い出すのは流石に【異常】とも呼べる。
「俺はお前の敵だぞ?」
「そうだね。確かに君は僕の場所を狙っている敵だ」
聖も豹牙の存在を正しく認知している。なのに、どうしてそんな戯言を言い出すのか。
聖は、只々立ち尽くし虚ろな目で自分を見る豹牙と視線を逸らさない。
「ーーでも君は、ここの生徒だ」
「……!」
七英傑の存在ーーそれは、一般生徒達の模範として存在する事。
「第一席として、君を敵視してしまうのは許されない。ーーそれに僕は君に可能性を感じるんだ」
弾みを含んだ言い方をする聖。
「可能性……だと?」
聖と戦ってもいないのにそんな事を言われても豹牙は納得がいかない。この男は、本当に謎な男だ。そんな謎の男は豹牙の手を取り、その取った手の平を見つめる。
「母親が子を産んだ時に無限の可能性を感じる様に、僕も君が渚と戦った時に同じ事を感じた。でも、僕は君の親じゃないーー」
そこで聖は言葉を区切る。当たり前だ。こんな奴に親気取りをされてたまるもんか。
それでも、聖はその手をぎゅっと包み込む。それが気持ち悪くて思わず、聖の手から思い切り自分の手を引っぱり抜いた。
「何すんだよおまえ! 気持ち悪いな!」
叱咤する豹牙を無視して、聖は自分の手の平を次は豹牙に見せつける。だが、その手の平も豹牙と同じで何の変哲もない。
「ーー君はこの手をみて何を思う?」
「は? 別に何も思わねぇよ。てか、何も思う事なんて無いだろ」
答える豹牙に「そう」とだけ呟くと、聖は自分の手を腰の横へと戻した。
本気で何が言いたいのか分からない。
「そこだよ豹牙君。君に足りてないのは」
またしても訳の分からない事を言い出す聖。元々、遠回しな言い方をされるのが嫌いな豹牙は苛立ちを隠しきれなくなってーー
「だからお前は一体何が言いてぇんだよ! さっきから、はっきりしねぇ言い方ばかりしやがって! 男ならはっきり言いやがれこの馬鹿が!」
言いたい事をぶつけた。
聖は何も反応する事なく、睨みつける豹牙を見ているだけ。それでも、今までと違ったのは笑顔が無かった事くらいだろうか。
「ーーならはっきり言わせてもらうよ?」
優しい笑顔は、いつもの聖の雰囲気は、優しい眼差しはーーまるで人が入れ替わったかの様に、冷たい眼差しを豹牙にぶつけている。
そんな聖は、豹牙が返事をする前から言葉を続けた。
「僕には人の色が見えるんだ……豹牙君。君の手は悪で染まった汚い手にしか見えない。それは君の弱さを示している。魔道士としても、人としても……もう少し他人を考えようよ」
「……なん、だと!?」
強さを求める豹牙にとって、1番言われたくない一言を聖に言われてしまった。豹牙の逆鱗に触れた聖は、言葉よりも先に手が出ていた豹牙に胸ぐらを掴まれる。
それでも聖は反応しない。ただ、じっと豹牙の目を見るだけーー
「お前は、俺の何を知ってんだよ! ならお前は、誰もが俺を白い目で見て近づかなかった目にあった事があるか!? 誰にでも優しかった兄が、味方を庇って足を失ったのに、それでも兄を忌み嫌われた俺の気持ちが分かるか!?」
叫ぶ豹牙の唾が聖の顔に付いてしまう。普通の人なら直ぐに拭きたくなる事が起きても、聖は一時も視線を変える事なく豹牙から目を逸らさない。
「お前の言う俺の悪で染まった手は全て俺が悪いのかよ!? そこまで嫌われてきたのに、何をどうやって他人を悪に染まらずに考えろって言うんだよ!?」
一気に話した豹牙の荒れた呼吸だけが室内に聞こえる。豹牙の後ろに居る香澄も、豹牙に掴まれる聖も、只々豹牙を見る事しかしない。気のせいだろうか、先程の風よりも強い風が病室に吹き込んでいる気がした。
ゆっくりと胸ぐらを掴んでいる豹牙の手を、自分の胸から引き剥がす。
吹く風が収まったところでようやく聖が口を開いた。
「ーー僕はね、親が居ないんだ」
たった一言。それを口にしただけで、豹牙は「えっ?」と驚いた顔で聖を見てくる。
「僕の家は弟のいる本当にそこらへんにある様な家族だった。僕が小学生になる時まで、ごく普通の……けど、幸せな日を過ごしていた」
話す聖の顔のパーツは何1つ変わらない。それなのに、少し目に宿る光が小さいだけで、いつもの聖からは想像も出来ない様な暗い、悲しい顔へと変貌してしまっていた。
「けど、今も忘れない……家族で遊びに行ったある日突然、親に捨てられたんだ。僕だけがーー」
病室が一気に重い空気になる。唯一の不幸中の幸いだった事は、この病室が豹牙1人だった事だろう。
「未だに理由は分からないし、別に知りたいとも思ってない」
「それでも」と豹牙の肩に手を置いた聖が言葉を繋げ、
「ーー僕は親を未だに好きでいるよ」
そこで、ようやくいつもの聖に戻る。豹牙の肩に置かれた手は、そのまま豹牙の頭を優しく撫でていく。なのに、今の豹牙はそれを拒む事をしなかった。
それがどうしてなのかは、豹牙自身も分からない。
撫でる手を止めて、もう1度豹牙の手を掴んでは、その手の平を豹牙自身に見せつける。
「魔導士も、一般人も【悪】じゃない。本当の【悪】はーー妬んで、恨んで、それをぶつけてしまう事を許してしまう心だよ」
「……」
「君の過去には本当に同情するよ。でもーー君の行いには賛成はしない」
「……っ」
豹牙の手の平越しに見える聖の目は、真剣な眼差しを豹牙へと突き刺してくる。だが、聖は眼差しを変えることはなかったが「更に、でも」と、言葉を継げた。
「優しいお兄さんを大切に思う豹牙君も十分優しいよ」
その言葉が、豹牙の脳に落雷でも落としたかの様な衝撃を走らせた。
何回だろうか。人を殴りつけたのは。
何回だろうか。その度に隼牙に謝らせたのは。
何回だろうか。そんな隼牙に迷惑を掛けたのは。
何回だろうか。その度に晩御飯が好きなカレーだったのはーー。
「……?」
現実に振り返ると視界が滲んでいた。自分の制服の袖で目を擦ると、水濡れしている。
「ぁ……」
そこでようやく涙だと気づいた。それと同時に、自分の姿が猛烈に恥ずかしくなってくる。
目を過剰に擦り、落ち着く様に深呼吸を吐いた。
それを見た聖が、静かに呼びかける
「豹牙君……改めて言うよ?」
「……」
呼びかけに返事こそはしなかったが、手を地面につけてはいるものの、顔だけはしっかりと聖へ向ける事で応じる。
「僕が君の指導者になろう。魔導士としても人としても、僕が大きく成長させてあげる」
「お前……それは1ヶ月じゃ無理だろ」
思わず苦笑してしまう。
間所が言っていた過程の中で、聖を師として仰げば、自分は大きく成長する事が出来るのだろうか。
「……それに俺はお前を倒すつもりなんだぞ?」
1番最初に思った事だ。敵を育てる人間なんて見た事も聞いた事も無い。
しかし、このまま違う道を歩むのは正解なのだろうか。もしかすれば、何度も挑み、何度も敗れ、その度に心を折られるかもしれない。
考える頭も、振るう力も、思う心も、全てが彼らに劣るというのに。
「ーーなら倒せば良い」
「えっ?」
思いもよらない一言が聖の口から飛び出す。
「倒してくれよ豹牙君。魔導士としても、人としても、自分が教えた生徒に敗れる事が出来るならば、この上なく清々しい終わり方だ」
「……」
「さっき途中で終わったけど、君には大きな可能性を感じるんだ。他の生徒とは違う何かを……」
その言い方が1番豹牙には理解出来ない。
「だからそれがどういう事か、はっきり言えよ……」
「……」
少しの無言が続く。
窓から見える空は、そろそろ赤みを帯びてきており、病室を照らす光にも色がつき始める。いくら、春とは言えども、沈む太陽の早さは未だに冬を引きずっているようだ。
徐々に広がっていく病室に差し込む光が、聖と豹牙の間へと差し込むのと同時か、それとも少し聖の方が早かったか。
聖は閉じていた口で、言葉を放った。
「君が今までのどの魔導士よりも遥かに上を行く可能性だよ」
「どの魔導士よりも……俺が?」
「あぁ……風薙豹牙という男がだ」
それが本当なら、どれほど嬉しい事だろうか。
この学院や世界を通り越して、過去にまで遡って1番になれるなんて。
「そんなの、本当に出来んのかよお前に……」
「出来るさ。僕が教えて、君が学べば……ね」
即答。
しかし聖の目も語る言葉も、決してその場の勢いだけのものではないのは豹牙にも、しっかりと伝わっていた。
「……俺はそこらへんの生徒と違って、手を焼くぞ?」
「初めての弟子取りなんだ。少しは協力してくれよ」
「ははっ」と軽く噴き込むと、地からつけていた手を離して、立ち上がる。同じ様に聖も立ち上がると、豹牙の胸元に手を差し出してきた。
いつもの、突き立てられていた親指は握られた拳の中に呑み込まれている。
「約束しよう。僕を倒せる様に……最高の魔導士に仕立て上げるとーー」
「約束してやる。お前を倒して、過去最強の魔導士になってやるとーー」
突き立てられた拳と拳が、軽くぶつかり合う。
それと同時に夕陽が差し込む光によって、病室の温かい明るさが豹牙達を包み込んだーー。
読了頂きありがとうございます!
さてさて、聖に弟子入りした豹牙。ここからどう成長するんですかね?
次回の更新は明日、12/16(土)です。
二話更新予定ですので、是非読んで下さいね!