1-12 伝えたい事
12話です
「……ぁ」
ゆっくりと閉じていた瞼を開く。永らく浴びていなかった光が窓の外から目を刺激して、思わず目が一気に覚めた。
「……あれ? ここは?」
「医療棟だよ」
ゆっくりと身体を起こし辺りを確認すると、見たことのない壁や天井が豹牙を囲みこんでいた。
「目が覚めた?」
「……香澄。何でお前……学校は?」
「今日は豹牙君の看病の為に、特別に間所先生が休みを許可してくれたんだよ」
「そ、そうか……ありがとな」
香澄が「うん」と頷き豹牙を見つめる。そんな彼女に対して、豹牙は彼女の後ろの窓から見える天気を確認する。
空は晴天。少なくとも、英傑戦から1日は経過してる事を意味していた。
「……どれくらい寝てたんだ?」
「そうだね…昨日の夕方からだから15時間くらいかな?」
それを聞いた豹牙は「そうか」とだけ香澄に返すと、被っていた布団から抜け出し、それを綺麗に畳むと部屋を去ろうとした。
「ち、ちょっと……豹牙君! どこ行くの!?」
「決まってんだろ? 教室だよ」
「でも今日、豹牙君はここの医師の先生と間所先生から休む様に言われてるんだよ?」
「……」
「体も本調子じゃないよ……昨日あんな事があったんだから」
香澄の最後の言葉で、豹牙は思い出した。
自分がどうしてこんな所にいるのか。それが誰の仕業なのか。
「……」
何も言葉が出てこない。
確かに漣 渚は恐ろしく強かったし、豹牙だって負けた事は悔しい。
でも、それ以上に豹牙と彼女の天と地の差にまで開いていた力が、豹牙に【もう1度】という言葉を言わせる事を封じていた。
『だから、私達に挑もうとするその無謀な考えをここでへし折ってあげる』
彼女の言葉通りになってしまったのか。
気持ちだけならば今からだって挑む事を全く厭わない。だが同じ事を繰り返す事になると考える頭は彼等に冷静にさせられた様だ。
ただ病室の扉の前で足が止まる自分が、昨日何も出来なかった自分が、とてつもなく腹立たしい。
「っ……くっそ……!」
「豹牙君……」
そんな豹牙をただ眺める事しか出来ない香澄。
自分の無力さを感じた豹牙は香澄を置いて、病室の外へと出た。そこで、病室に入ろうとしていた間所と遭遇してしまう。
「……あ、目が覚めたんだね?」
「……間所」
「ちゃんと先生を付けなさい」
間所が頬を膨らませて怒る様な仕草をするが、中性的ーーむしろ女性に近い顔立ちは、それを可愛さとしか捉えさせてくれない。
「本当に分かってる?」
「はいはい。分かってる分かってる」
そんな間所を適当にあしらう。そこで、間所は少しだけ真剣な口調で語り始めた。
「……それより、昨日の事は残念だったね」
「仕方ないさ。俺の力が足りてなかっただけだ」
「おや? 随分と冷静なんだね」
「まぁな……あいつの魔法の所為かもな」
軽いジョークを言う豹牙を見た間所は、ある紙を豹牙に差し出した。
「……何だこれ?」
「今の君は英傑戦に敗れて、正真正銘の序列が最下位だからね」
「あ……」
豹牙はすっかり忘れていた。負けた人間は、最下位に落とされる事をーー。
とは言え、元から最下位のつもりだった豹牙としてはそこはそんなに問題ではない。だが、そんな豹牙とは逆で、落ち込んでいると考える間所は弾んだ口調で語り始める。
「そこでだよ。それ出てみない?」
指差したのは豹牙の手に収まっている先程、間所が豹牙に手渡した1枚の紙。
それに豹牙も視線を落として、内容を確認する。
「1年戦?」
「そうそう」
「何なんだこれ?」
「1年生の中でトップを決めるんだよ。けど参加するには各担任の推薦がいる。それにこのイベントの時期が早すぎて毎年20人くらいしか参加しないんだけどね」
「へぇ……でも、何で俺に?」
間所が鼻を膨らませる。
「その1年戦で優勝したら一気に100位になれるからだよ」
「何!?」
間所の言葉に豹牙が大きく反応する。
「ほんとだよ? それにーーー」
「それに?」
「ーー第六席もこれに出るよ」
「……!」
間所としては、これが豹牙を釣る一番の餌だったこれに豹牙が食いつかない訳がない自信があった。
しかし、豹牙はそんな間所が思ってもいなかった反応を示した。
「……そうなのか」
「あれ……随分と乗り気じゃないね?」
「そう……かもな」
昨日の今日で、七英傑を倒そうとする志が折れる理由なんて1つしかない。
「昨日の渚さんとの戦いで、無理だと悟ったの?」
「……無理とは思ってない。けど、今の俺じゃ多分勝てない」
「豹牙君……」
見ると、間所は少しだけ……哀しそうな顔をしている様に見えた。もしかすると、本気で応援してくれてたのかも知れない。そう思うと、何だか申し訳ない気がしてくる。
「すま「偉いよ豹牙君」……え?」
間所は最高の笑顔を豹牙に見せ、豹牙の頭をくしゃくしゃと雑に撫でてきた。
「そうだよ、昨日の様に完敗した君にはまだ早いんだ」
「間所……」
「だけど、君にはまだ4年の期間がある。仮に聖君に勝とうと思っても、まだ1年ある」
そこでもう1度、豹牙の手にある1年戦の紙を奪う様に乱暴な取り方をすると、それを豹牙の目の前にまで近づけて、言葉を続けた。
「だからこそ、君は多くの人と戦い。多くの人に勝って、多くの人の上に立ち、多くの人に頼られる人になってから挑むべきだ」
「……」
「第一席だから皆に憧れられる訳じゃない。皆が憧れる器だからこそ第一席になれるんだ。もし今、君が聖君を倒したとしても皆はすぐに聖君への憧れを君には移り変わらないと思うよ」
「……そう、かもな」
豹牙は聖の過去を知らない。聖がどんな成績で入学したのか、どうやって第一席になったのか、そしてどうしてあんなに皆から憧れられているのか。
間所の言う通りで、豹牙が今、第一席に座っても皆は聖への憧れを止めないだろう。それは【第一席の明神聖】への憧れではなく、【第一席になれる明神聖】への憧れである事になる。
「彼を本当の意味で越えるのに必要なのは、結果じゃなくて過程だ」
「過程……」
「そう……そして、その過程こそがこの1年間なんだよ豹牙君」
「……あんたの言いたい事が少しだけ分かった気がする」
静かに間所の話に耳を傾けていた豹牙。間所は包み込む様な笑顔で豹牙の背中をポンと叩く。
「すぐにわかる必要は無いよ……その為の4年間だからね」
「あぁ……ありがとう。少しだけ、気持ちが楽になったかも知れねぇ」
「本当に!? いやぁ〜、僕にはカウンセラーの才能があるのかも知れないね!」
先程までの大人な雰囲気は宇宙の彼方まで飛び去ってしまったのか、いつものお調子者の子供の様な間所へ戻ってしまった。
「まぁ、とりあえずはそれをどうするのか考えといてね!」
「はいはい。分かったよ」
豹牙のあしらう様な返事を聞くと、間所は鼻歌を歌いながら彼が来た道へ踵を返し、立ち去っていった。
その背中を見送ると、豹牙は1年戦の紙を眺め1人呟く。
「仙石朧……か」
◆
「ふんふふんふふーん♪」
間所は豹牙と別れた後も、鼻歌を交えながら医療棟を抜けようとしていた。
「……遥」
「おや? これはこれは……多田先生ではありませんか」
角で遭遇したのは同じく、仙石魔道院の教員・多田久志。
「随分と風薙豹牙に熱く語っていたな」
「あら……聴いていたんですか? やだなぁ、聞き耳をたてるのは良くないですよ?」
「……はぁ」
多田と間所は10歳以上の歳の差が開いている。それにも関わらずお調子者の間所にため息を吐く。
「あいつの言葉をそのまま受け売りしやがって」
「あはは……あの言葉は僕の教訓ですからね。それに、彼に説くなら多田先生も問題ないでしょ?」
「……ふん」
「……痛!?」
間所の悪い笑顔に、多田は1発のデコピンをぶつけた。間所は涙目で患部を大事そうに撫でながら多田を弱々しく睨みつける。
「だが……やはりまっすぐな所は似ているな」
「そうですね。あの人と、雰囲気や考え方は全然似てませんけどね」
「はっはっはっ……それは確かに言えてるな」
普段は滅多に笑う事のない多田が、珍しく間所に笑顔を見せる。間所も驚いたのか、目を点にしてパチパチと瞬きをしながら見つめている。
それに気づかないままに多田は言葉は続けた。
「だが流石はーーって所だな」
「えぇ……その通りです」
◆
「どうしようか……これ」
間所が帰った後も、豹牙はずっと病室のベッドの上で、1年戦への出場をするかしないかを考えていた。
「まだ1ヶ月くらいあるから、豹牙君だし受けてみたら?」
「うーん……」
香澄も先程から助言をしてくれるが、どうにも乗り気になれない。
七英傑ーー特に同じ学年の仙石朧と戦えるのは豹牙としては、好都合。しかし、問題点が1つ存在していた。
「『1年戦出場の場合は1ヶ月間の上級生からの指導を条件とする』って一体どういう事だよぉ!」
間所もそこについて説明する事なく帰ってしまったので、どうしようもない。
「それに、先生からの指導は駄目なんて、いまいち理由が掴めないよね……」
「あぁ……それに俺には、繋がりのある上級生なんていねぇぞ?」
「私も居ないから、どうしようも出来ないなぁ……」
2人して、唸りをあげる。この際、理由はどうでもいい。問題は、相手がいない事だ。
「仕方ない……諦めるかなぁ」
「う、うーん……」
そんな、なす術なく諦る豹牙のため息と唸り続ける香澄の耳に、聞き覚えのある声が聞こえて来たーー。
「その必要はないよ」
開いていた扉を通り、豹牙達の前に1人の人物が現れる。
「昨日の今日で見舞いにくるなんて、優しいな明神聖さん?」
「そんな事は無いよ。僕は君に朗報を伝えにきただけだ」
「朗報……?」
「うん。朗報」
聖はお得意の親指のグッドポーズを豹牙へ決めると、ある物を渡す。
「これって……」
渡されたのは、昨日豹牙が、英傑室で聖に叩きつけた【下克上】と書かれた紙。
「お前……こんなの捨てとけよ」
「それは渚からのお願いで返しにきただけだよ」
「……! あいつが?」
「うん。で、今から言うのが朗報ね」
少しだけ、心臓の鼓動が早くなる。朗報なんて言われたら誰だって早く聴きたくなるものだ。
「渚が『素質はあるんじゃないかしら』って言ってたよ」
「え?」
「すごいよ豹牙君! あの第三席に褒められるなんて!」
「あの女が、俺のことを?」
驚きと言うよりも、意外だった。昨日、あんなにボコボコにされ、ボロボロに言われたのに、彼女が豹牙を褒めるなんてーー。
「……やっぱり俺出るわ」
「え?」
ポロっと呟いた豹牙。段々と体のどこか奥底からやる気が高らかに湧いてくる。
漣 渚にほんの少しでも認められたからだろうかーー。だとしたら、物凄く単純な人間である。
だが、それでも今の豹牙には十分過ぎる理由であったのは間違いない。
「俺、1年戦出るよ!」
「え……でも、上級生の件はどうするの?」
「そんなのどうにでもなる! よっしゃ行くぞ!」
豹牙は勢い良くベッドから飛び出すと、下に置いてあった靴を履き、病室の外へと駆け出して行く。
「どこ行くの豹牙君?」
扉を通る寸前のところで、聖の言葉が豹牙の足を止める。
「どこって……1年戦に出る為の上級生探しだよ」
「何で?」
「何でって……上級生に知り合いがいないから手当たり次第に俺の指導者を探すんだよ」
「あぁ……その心配なら大丈夫だよ」
聖は立ち止まっている豹牙の前まで歩み寄ると、自分の両手を豹牙の両肩にポンと乗せるとーーー
「僕が君の指導者になろう」
時が止まったーーとまでは言わないが、聖の言葉を理解して反応を示すまでに掛かった時間は時間にしてどれほどだろうか。いつもの1秒がまるで、インスタント食品を待つ時間の遅さと酷似していたとでも言おうか。
「は?」
「え?」
その場に居る聖以外の豹牙と香澄は、笑顔のままにとんでもない事を口にした聖に対して瞬きする事を忘れたままにじっと見続ける。世の中理解できない事は多いが、これほどまでに理解できない事も少ないだろう。
「えっ……は、はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
静かな医療棟に豹牙の叫び声が響き渡ったーー
今回も読了頂きありがとうございます!
さて、遂にタイトルの話に入りました。
次回の更新予定は明日の18時頃です。
次回も是非読んで下さいね!