第73話 最弱の戦士
「うぁっ、あぁ……!」
自らを焦がす炎に苦しむユメ。
「あなたって人が嫌いって言ってたわよね。どうしてそうなのか、分かったわ」
ヒメは自分に刺さっていた剣を右手で引き抜き、その場に立ち上がった。苦しさから屈んでいるユメを上から見るような形で、いつしかその視線の高さは逆になった。
「あなたは人の期待に応えようとしていた、それは凄く優しいこと。そしてその分、自分を押し殺していたのね。そうやってあなたは頑張っていたけれど、誰もあなたの努力に報いろうとはしなかった……」
ヒメは言葉を選ぶ。しかし言葉を選ばなくてもいいのなら、そのまま言ってしまえば、その言葉は悪く聞こえてしまうかもしれない。
ユメは、応える必要のないことに応え続けてしまったのだ。始まりは小さな子供の頃だったのだろう。子供が大人の、それも親も期待に応えようとするのは大事なことだ。親の喜ぶ顔が見たいと思うことは、子供として当たり前のこと。
しかし、そのままではいけないのだ。子供はやがて親よりも大事な人を見つけ、親の期待よりも応えたい期待を見つける。そしていつか親から離れるのだ。
ユメはそれが出来なかった。親より大事な人を見つけることなく、しかし段々と自我が芽生え、自分が報われないのはおかしい、と考えるようになってしまった。
ユメが変わることはないのに、周囲の環境は変わっていってしまっていた。親も友人も、ユメがそこまで変わらないままだったとは思ってなかったのだろう。そして結婚して、子供が生まれた。
子供が生まれて、初めてユメの中に母性という他者への愛情が芽生えたのだ。子供という、母親にとってもっとも近しい他人に対する愛情に、ユメは戸惑い、それがなんなのか分からなかった。しかし本来、そこまでに経るはずだった気持ちを、感情の成長をその時に経たのだ。
「あなたにとって、あなたへの努力にちゃんと応えてくれたのは、あなたの子供だった。あなたは、子供を愛するように仕組まれた、なんて思ってたけど、でもそれがそんなんじゃないってことは、あなたが一番分かってたはず」
「うるさい……! いい加減にしろ! まだ分かったようなことを言って! どこまで腹立たしいんだお前は!」
激昂するユメ。
違う。ユメを説得することの出来る、ユメを救うことの出来る言葉はこんなものではない。ヒメは頭を巡らせ、ユメのためを思って考える。彼女にとって、一番良い言葉とは、彼女が一番かけてほしい言葉とは。
「......そうよ。あなたは逃げ続けていたの。自分の願い、自分の欲望と向き合おうとしないで、他人の願いを叶えることに逃げた。皆があなたに期待していたんじゃない。あなたが皆に期待していたのよ」
「......なにを」
「やりたいことならあったはず。なりたいものならあったはず。でもそれらに続く道を潰したのはあなた自身。滑稽だわ。あなたは自分自身から逃げた、最弱の戦士なんだもの!」
「......!」
ユメは歯を食いしばり、額に血管を浮かび上がらせるほど怒りに震えた。しかし、彼女は言い返さなかった。いや言い返せなかったのだ。それは、彼女が1番よく知っていた。1番よく分かっていた。だがそれでも今まで見ない振りをしていたのだ。見ない振りをして、勝手に自分を可哀想な存在に仕立て上げていた。被害者を気取っていた。
親の期待も、友人からの期待も、裏切ることだって出来たはずだ。それをしなかったのは、彼女が優しかったからじゃない。臆病だったからだ。そしてそんな臆病な自分を隠すように、息子にも同じように期待をかけていた。息子はユメと違って強かったから、自分で将来を決め、それに向かって進むことが出来た。
もしユメが自己を確立していたら、例え息子を亡くしてしまうほどの悲しいことがあったとしても、息子を自分の中に生かすようなことはしなかったはずだ。どうにもならない運命を、自分のなかで消化し、明日へと繋げていくことが出来ただろう。それが出来なかったのは、ユメの弱さゆえである。だから、世界が滅んでもなお、憎しみとともにこの世界に残ったのだ。
「あなたは何も強くなんかない。今まで越えるべきだった全てから逃げてきた、ただの弱者よ!」
ヒメはユメの前に立ち、ユメを抱きしめる。2人はヒメの身体から燃える炎に包まれる。
そこに、重なる2人を剣が貫いた。シイトの剣だ。シイトはユメの背後に立ち、彼女の背中から刺している。
「ぐ、ぁ......!」
ユメは心臓を刺された痛みに耐えきれず、その場に倒れこもうとする。しかし、ヒメがユメのことを抱きかかえ、そうはさせない。ヒメもシイトの剣に刺されてはいるが、心臓からは外れている。
「卑怯だ......」
「えぇ、そうよ。卑怯。とても卑怯な方法で、私はあなたに勝つわ」
「これから先、ずっと、恨むよ......」
「えぇ。それであなたの気が済むなら、そうしなさい。今回は、あなたは何も悪くないわ。卑怯な手を使った、私が悪いから。だから、もう、ゆっくりと眠っていいのよ」
ヒメのその言葉を聞き、ユメはゆっくりと握っていた剣を手放した。剣はカランと音を立てて倒れる。そしてユメの身体から力が抜け、ぐったりとした。ユメの全体重がユメを抱きかかえているヒメにのしかかってきた。
ヒメは力の抜けたユメの身体をゆっくりとその場に横にし、もう動かなくなったユメの身体から手を離した。
「......酷い倒し方だったな」
傷だらけのシイトがヒメの方へ歩きながら言う。既に剣を持つ力も残っておらず、剣を引きずりながら歩いてきている。
「えぇ。そう思う。でも、彼女を救うには、きっとこうするしかなかったのよ」
ユメは心のどこかで、自分がわがままであるということに気付いていた。しかしその現実を認識したくなかったのだ。自分の人生は自分で変えることが出来る。しかしそれには、しっかりとした志と、確固たる目標と、何度でもすぐにでも挑戦する実行力が必要だ。ユメにはそのいずれもなかった。しかしそれでも、それなりの人生を送ることは出来る。
幸福とは、人生を変えた先にあるものではない。どれだけ運命を変えたとしても、それが幸せである保証はない。むしろ、運命を変える前よりも不幸になる可能性だってある。幸せとは、掴むものではなく見出すものだからだ。ユメは自分の意思で運命を変えるようなことはしなかった。しかし幸せを見出してはいた。だから彼女は人生を続けることが出来た。
最後、ヒメがユメを卑怯な手段によって倒したのは、それが最も彼女を救うことが出来ると考えたからだ。ユメは不幸が転がり込んでくることを望んでいた。自分の意思や行動ではどうすることも出来ない不幸が来てほしいと思っていた。なぜならそうすれば、自分は悪くないのにも関わらず、悲劇的であれるからだ。可哀想な被害者になることが出来る。それがユメにとっての救いだった。
ユメがそのように望んでいたから、ヒメはそうした。
「あなたには悪いことしちゃったわね。その手を穢させるようなことを」
「いや、いいよ。僕も、君のせいにしておくからさ」
「えぇ。そうしておいて」
ヒメとシイトはお互いに軽口を叩く。戦いが終わった後のちょっとした安らぎのような会話。しかしそれも、長くは続かない。シイトの身体は既に限界を迎えようとしていた。




