第66話 可哀想なんて言わないで
ヒメがミオの人生を歩み終えてからしばらくが経った。気持ちの整理が付いたヒメは次に進む。
「次は……」
ヒメが触れた魂は、黒い神鳥ムギンの巫女リリィの魂だ。
彼女がどういった人物なのか、ヒメはあまり知らない。だからといって彼女を軽んじることは出来ない。
もう一度、ミオの時のような気持ちを味わうのかと思うと、触れることをためらってしまうが、意を決して彼女の人生に触れた。
リリィには物心ついた時から親というものがいなかった。孤児院に入れられていた。
孤児院ではあまり周囲の子供達に馴染むことが出来ず、友達というものも上手くは作れなかった。そこで彼女が頼ったのが大人だった。孤児院や時折出会う大人達に対して弱い自分を演出し甘えた。効果は抜群で、大人達はリリィを存分に甘やかしてくれた。馴染むことの出来ない同年代の子供達よりも、自分を甘やかしてくれる大人達に囲まれることが、次第にリリィにとっての居場所になっていく。生き方というものが分かった気がした。
リリィが大きくなってもそれは続いた。自分より強い存在に甘えていく生き方。それは大人から男性になり、男性からより強い男性へと甘える先を変えていくだけだった。でもそれでいい。それで自分は満たされているから。
……本当にそうなのだろうか。そんなことを思う時もあった。しかしその度に、それは雑音だと切り捨てた。
気付けばいつの間にか世界は滅び、自分も死んで魂だけの存在になっていた。よく分からないことだらけだが、自分が生きていくためにすることは変わらない。周囲の強い者のご機嫌を窺い、ただ甘えるだけ。どこにいっても、どうなろうとも、それだけは変わらない。
この世界は人が鳥に襲われるらしい。人は鳥に勝てないから、人に甘えても、頼っても無駄だとそのうち気付いた。
襲ってきた鳥にも媚びへつらって生きていこうとしたが、人を襲うような鳥に通じる言葉などなく、リリィは目の前で自分を守ってくれていた男が一瞬であっけなく食われる様を見て、自分の終わりを覚悟した。
その時だった。黒い鳥がリリィを助けたのだ。リリィは恥を捨て、脇目も振らず必死でその黒い鳥に縋った。黒い鳥は何を思ったのか、リリィを自分のもとに置いた。
「君の名前は? 教えてくれるかい?」
黒い鳥は優しい声でリリィに質問した。
「……リリィ」
「そうか。リリィか。教えてくれてありがとう、リリィ」
なぜこんなにも優しくしてくれるのか。よく分からない。だけど、自分はもう、この鳥に縋って生きていくしかない。
黒い鳥は世界樹と呼ばれる、とても大きな樹に住んでいるらしい。天まで届いているかのような高さと小さい国なら1つ入ってしまいそうな太さ。
「今日から君は、僕の巫女となってここに住むんだ」
黒い鳥がそのように言う。リリィに選択の余地などあるはずもなく、彼女はただ首を縦に振る。
「僕の名前はムギン。これからよろしくリリィ」
そうして、リリィの新しい生活が始まった。新しい生活といっても別に何かをするわけでもない。ただただ過ぎ行く時間を待つだけ。ムギンの巫女というものになったせいか、鳥達も襲ってこない。退屈な時間が過ぎていった。
時折ムギンと話す時間だけがリリィにとっての楽しみになった。それに伴って、リリィの中でのムギンの存在が大きくなっていく。それはやがて神に対する信仰のようなものにまで行き着いた。
ムギンとの話の中で、リリィはこの世界の真実を知っていく。驚きもあったが、それらはあまり心を動かすものではなかった。今となっては、自分とはまるで関係がないように思えたからだ。いや、最初からそうだった。世界がどうとか、神がどうとか、そういった哲学的な話も、社会的な話も何一つ興味が湧いたことなんてない。どれも自分には関係のない、遠くつまらない話ばかりだ。
だけど1つだけ、興味のある、というよりも何故か心が惹かれてしまうような、そんな話があった。
神のもとへ行けば、苦しみに満ちた魂が救われる。
細かいところまでは覚えていないが、そんな感じの話。話ですらないのかもしれない。それでも心惹かれた。
どうしてだろう。そう疑問に感じていると、いつの間にかムギンとの会話がそのことばかりになっていく。
「ねぇ、ムギン様。神様に会えば、救われるって本当?」
「神様にはどうやったら会えるの?」
「神様はどうやって私を救ってくれるの?」
「私は本当に救われるの? 楽になれるの?」
どんなに聞いても、ムギンは顔色一つ変えることなく、優しく聞いてくれた。慈しみ、あるいは哀れみだったのかもしれない。
「リリィ、君はそんなに救われたいのかい?」
どうなんだろう。今までたくさん聞いたのに、一度も考えたことがなかった。
「そんなに熱心に、それも何回も聞いてくるということは、君が心の中でどう思おうとも、魂がそれを願っているということなのかもね」
「私が、救われたいと思ってる……」
リリィは救われたいなんて、一度も考えたことがなかった。苦しいと思ったことはあっても、全部そういうものなんだと思っていた。自分が歩んできた人生以外のことは、何も知らない。
「君が今まで歩んできた人生をみるに、そう思っても不思議ではないよ。君自身がどう感じていても、どう考えていても、君は無意識のうちに、他人と自分の人生を比べてしまっていたんだ」
そうなのかな。でもムギン様がそう言うのなら、そんな気がする……。
「そして、自分が他人よりも不幸であることに気付いてしまった。神鳥は千里眼を持っている。どんなことでも見通す眼だ。過去も未来も、そして人の心の中さえも。リリィ。僕は君に惹かれたんだ」
「私も、私を知っているムギン様が好きなの」
ムギンに心を打ち明ける。そしてムギンはリリィに、これからのことと神様に会う方法、魂が救われる方法を教えた。
ガルダとその巫女と戦い、そして倒すこと。そのための道具もどこからか用意してくれたらしい。後は待つだけ。
もう少しで、私は、私はこんな自分とさよなら出来るんだ。
それなのに。
「いいじゃないか。さよなら、出来ただろう?」
そしてヒメは目を覚ました。
「はぁはぁはぁ……。これが、あの子の記憶……」
「どうだった?」
「そう、ね……。なんて言えばいいのかしら。なんか、ずっと心が埋まらない感じ」
「悲しい人生だったんだね」
「そう言われるのも嫌な気持ちになるわ。勝手に悲しくさせられてるみたい。可哀想に思われたくないのよ。誰にも、自分にも。まだ頭の中からあの子だった時の気分が抜けないわ。自分に戻れてないのね」
ヒメはリリィの人生をそのまま歩んだのだ。自分がリリィだと思って生きてきた人生がそのまま自分の魂に流れ込んできている。自分が何者なのかを思い出すのに時間がかかりそうだ。
「それはしょうがないよ。ていうか、それでもいいんじゃない?」
「え?」
「だって自分に戻ったら、その人のことを自分の中から締め出しちゃうってことでしょ? その人をずっと覚えているためにも、ヒメは自分に戻らない方が良いんだよ。まぁ、戻らなくても、ヒメはヒメだと思うけどね」
「……そう。まぁ、確かにそうかもね」
自分の目的はなんだったのか。そしてその目的の先には何が待っているのか。考えてみたら、いちいち自分に戻っていてはいけないのかもしれない。飽くまで自分は自分で、例え変わったとしても、自分は変わらずそこにあるのだ。




