第54話 愛
「そして、この力を持つのは私とベンヌ、そして、あのガルダとその巫女です」
シュナはその場に立ち上がり、民衆達の方を見る。決意を据わらせた目をして言う。
「行きましょう。この戦いの決着を見届けるのです」
シュナはベンヌとガルダが戦いを繰り広げる場所まで向かい始めた。
一方でヒメは、何もない真っ白な空間で、幼いガルダと話し続けていた。
「うっ……」
ヒメを頭痛が襲う。この痛みは以前も同じもの。知っている痛みだ。やがてヒメの心に侵食し、蝕んでいく。
「どうしましたか?」
「うっさい……!」
ガルダの声が鬱陶しい。気遣ってくれているのが分かっているはずなのに、気に入らない、嫌い、聞きたくないものになる。
「ヒメ、気をしっかり!」
「いちいち指図しないで! なんでも上から偉そうに!」
思ってもいない言葉が出てくる。酷い有り様だ。
ヒメもなんとか自分の心を抑えようとする。しかしどうすればいいか分からない。
「ぐ、ぅぅ……。ごめんなさい……。本当はそんなこと、思ってないの……」
「いいんです。あなたがそのような人でないことは分かっています。本当のあなたは、心優しい方。今感じている苦しみも、きっと乗り越えるべき試練なのです」
この心を支配しようとする痛みは何なのか。考える。
「……そう。これは怒り、憎しみ、そして苦しみなのね……」
ヒメが、まるで天啓でも授かったかのように思い至る。そうか、これが苦しみなんだ。
それが分かった瞬間、心がフッと軽くなる。
苦しみを苦しみだと理解すること。それが苦しみを制し、心を安らかにする方法なのだ。
「大丈夫、ですか……?」
「えぇ、もう大丈夫。また誰かの記憶が見えたみたい。色んな苦しいことが流れ込んできたの」
「ここには色んなものが流れ着きますから、それを拾ってしまったのかもしれませんね」
「そう……。でもね、記憶が見えて良かったって、そう思ってる自分がいるの。この人はこんな風に苦しんでたんだって、分かることが出来た、そんな気がするの」
ヒメの中に流れ込んできた記憶。そのどれもが苦しみに溢れたものであった。
人生を思い返す時、過去を振り返る時、どんなことを思い出すだろうか。幸せなことだろうか。苦しいことだろうか。
人は幸せを経験する。しかしそれは人によって違うし、幸せになどなったことない人も世の中にはいるだろう。しかし苦しみは違う。どんな人も、社会や人生は甘くないと良い、何かを後悔して、何かしらの生きづらさを抱えている。人生で悩まない人はいないし、苦しまない人もいない。
つまり人生の本質とは苦しみなのである。苦しみこそが人生であり、人なのだ。
「あなたは他人の苦しみを理解したのですね。それは愛です。あなたは今、愛を得たのです」
「愛? ふふっ、そんな大層なものじゃないわ」
「いいえ。間違いなく愛です。他者を理解することを愛と言わずして、何を愛と言うのでしょうか」
人の苦しみを理解した時、初めてその人を理解したと言える。そしてそれを愛と言うのだ。人を愛するというのは、異性を好きでいるとか、手間暇かけて育てるとかそういうことではなくて、きっと人の苦しみを受け入れ寄り添えた時だ。ヒメは過去に生きていた人々の記憶を通して、真に愛することを知った。
「あなたは人を愛した。苦しみや痛みというのは、人にとって醜い部分でもあります。永遠に近い時間をひたすらジワジワと首を絞められるようなものです。それで死ぬということは簡単ではないかもしれませんが、生きる希望を失うことは容易に出来ます。あなたはそこに光を与えたのです。人を愛するとは、人の苦しみを背負い、なお生きていくことにあります。辛く苦しいものです。ですから、あなたの苦しみは私が背負います」
そう言ってガルダはヒメを自らの翼で繰るんだ。その翼をメラメラと紅い炎を燃やす。しかし暖かい。魂の奥底から癒されるような、そんな暖かさだ。
「今、神に誓いました。これで、どのような運命であろうともあなたは私の巫女になります」
「酷いことするのね……。巫女って使命とか義務とか、苦しいことがまた増えるじゃない」
「そんなことありません。巫女とは、そうですね、例えるなら、激流の中ではぐれないようにするための強い綱のようなもの。神と世界と私と、そしてあなたを繋ぐ強い綱です。巫女における使命や義務というのは、人を愛していれば、それだけで達成したようなもの。ですからあなたは、もう立派に巫女の務めを果たしています」
例えここにいるガルダがヒメのことを忘れていたとしても、運命は必ずヒメをガルダの巫女とする。そしてヒメも、ここで愛を知ったことによって、巫女としての使命を果たした、あるいは世界に戻り果たせるようになったのだ。
「どうしてそこまでするの?」
「それが私の使命、生きる意味だからです。ヒメにはありますか? そういったものが。何のために生きているのですか?」
「分からないわ。ただ生まれたから生きているだけよ」
「そうやって過ごすには、人生はあまりにも長くはありませんか?」
「それでいいじゃない。人生ってそういうものだと思うわ」
「では不幸なままでいいのですか? 苦しみ続ける人生でいいですか? 何も考えずに生きるというのは、それと同じようなものです」
「ならどう生きろっていうの? 私に、何をさせたいの?」
「愛してほしいのです。あなたはここで本当の愛を知りました。世界に戻り、未だ苦しみ続けている全ての魂を愛してほしいのです」
愛とは他者に対する無償の救済である。他者の苦しみを理解し寄り添う。万人から理解される必要も、愛される必要もない。誰か1人に愛されれば、それでいいのだ。たった1人であったとしても、愛された魂の苦しみは取り払われるだろう。
そして、ヒメはその1人になれる。なってほしい。なるべきだ。ガルダはそう言っている。
「あなたには私とともに愛のために生きてほしいのです。そのために巫女にしたのですよ」
「拒否権がないじゃない」
「あなたなら断らないだろうと」
「まぁ、そうなんだけど」
ヒメが笑みを溢す。あれほど嫌だった巫女というものが、それほど嫌ではなくなっていた。むしろ、その運命を受け入れてもいいと思ってさえいる。
「巫女ってあれでしょ。人と鳥を繋ぐとかいう。まだちゃんと理解出来てない気をするけど……まぁ、いいわ」
「では説明しましょうか。まず、神より使わされた鳥には天と地を繋ぐ力と役割があります。そのための翼です。しかし鳥では人を愛するのに不十分なのです。人は人に愛されてこそ救われる。そのために巫女が必要なのです。人々の苦しみを鳥が背負えるように変換する繋ぎこそが巫女。だから、鳥にはそれぞれ巫女が必要になります。そしてその苦しみは天へと送られ、苦しみから解放された魂が神のもとまで還ることが出来る」
「そういうことだったのね。でもいいの?あなたまで苦しみを背負うんでしょ?」
「確かに、あなたが苦しむほど、私が背負う苦しみは大きくなります。その苦しみによって、いずれあなたのことを忘れてしまうかもしれません。ですから、その前にこれを託そうと思います。手を出してください」
手のひらを出したヒメに、ガルダは小さな瓶を渡した。
「これは?」
「聖油アムリタ。あなたの魂をより輝かせるものです。これさえあれば、あなたはこれからも大丈夫。……私が大きくなって、ここから出たら、あなたを探しにいきます。覚えていなくても、私は必ずあなたを巫女にします」




