第49話 怒りの苦しみ
「あはは! あっはははは!」
ヒメが1人で大きく笑う。さっきまであんなにうるさかった民衆が、ガルダの声ひとつで静まり返ったことが面白くて仕方がなかったのだ。
「ねぇ、もっとやりましょう!」
ヒメがガルダにそのように言う。
「だっておかしいじゃない! 巫女って特別なんでしょう!? コイツらはそれなのに、私に楯突いたのよ! そんなのおかしいわ! だからもっと怖い思いをして分からせないといけないのよ!」
ヒメは笑いながらガルダに訴えかけるように言う。その様は端から見れば、狂気に染まっているかのごとくだ。まるでヒメではないかのようで、そしてそれに気付いたのか、ミュソスがヒメを戒める。
「ヒメ様、それはいけません。あまりにも横暴な振る舞い、少し勝手が過ぎるのではありませんか?」
「なに? あなたまで私に楯突こうってわけ? 私は巫女なの。特別なの!」
「ならなおさらだ。なおさら気を付け、それ相応の振る舞いをするべきです」
「違うわ! 特別なんだから、そうじゃない奴らに何をしてもいいのよ! 特別ってそういうことでしょ!?」
「いいえ。特別であるということは、それも人の上に立つということは、好き勝手しても良いということではありません。人の上に立つに相応しい責任ある言動を心掛けなければならないということです。何のための地位なのか、何のための力なのか。人の役に立てないのなら、その地位も力も、不要なのです。巫女は、鳥と人の間に立つもの。勝手な振る舞い、人の不幸を願うようなことはあってはならないはずです」
「いい! 聞きたくない! 私に指図しないで! これだから男は……!」
ミュソスが力や特別な地位、そしてそれらを兼ね備えた巫女というものの役割について説く。しかしヒメはそれを拒絶した。今の彼女には都合の悪い言葉だからだ。
「いや、そこのミュソスとかいう男の言う通りだ。お前には巫女としての使命と、それに相応しい振る舞いがある」
ガルダがミュソスの言うことに同意を示す。使命や、ヒメの巫女としての役割を重視しているガルダにミュソスの言うことはそのままガルダの考えであるかのようにも聞こえただろう。
「はぁ!? あんたまで? ふん、相変わらず馬鹿で何も分かってないのね!」
「何も分かっていない馬鹿はお前だ。覚えたての弱い言葉を使うのもやめろ。そしてその態度を言われた通り改めることだ。私はベンヌを倒す。ここは頼んだ」
そう言ってガルダは飛び去った。ベンヌともう一度戦うために赴いたのだろう。
ガルダという脅威が去り、ここに残された人々。彼らは自然と集まり、そして話し合いを始めた。
「おい、あの鳥がいなくなったぞ」
「今ならあの女を叩ける……」
「でも巫女なんだろ? 何かあったらまたあの鳥が来るんじゃないか?」
「いや、どうだろう。さっきのを見るかぎり、あの鳥と巫女は仲が良さそうには見えなかったぞ」
「なら、やっても大丈夫ってことか?」
「やるなら、鳥がいない今しかない」
人々は互いに目を合わせ、頷く。これから行われることに対して結束を固めたのだ。
そして人々はヒメの方を見る。ヒメは不機嫌そうにどこか遠くを見つめており、民衆の不穏な動きに気付いていない。
やるなら今しかない。民衆達がそう思った瞬間、彼らの不満は爆発し暴動となって、その姿を現した。
「ウォォォォォ!!」
「ワァァァァァ!!」
「いけ! やれ! ぶっ飛ばせ!」
理性を失ったかのように暴れる民衆。突然に、そして一斉に秩序が失われた。
ヒメは困惑した。一体何が起こっているのか。民衆達はヒメの方へ一直線にやってくる。恐怖がヒメを襲った。
ミュソスはそれが何であるのかをすぐさま理解し、止めようとした。しかし、非力なミュソスに暴れる民衆達を止めることは出来なかった。
ナビはそれが何なのか分からなかった。民衆達が何故暴れ始めたのか。戸惑いのなか、ナビは見ていることしか出来なかった。
そして、この暴動を止められる力を持つシイトは民衆達が何をしているのか知っていながら、何もしなかった。ミュソスやナビと同じように、しかしその2人とは決定的に違い、ただ見ていた。
ついに暴徒と化した民衆はヒメのもとにやってきて、迷うことなくヒメに暴行を加えた。殴り、蹴り、引っ掻き、引っ張り、ヒメは声を上げることすら出来ず、ひたすらに暴力を浴びた。その熱気はもはや誰にも止めることが出来ないほどのものだった。
やがてしばらくした後、民衆達は満足したのか、その場から立ち去り、どこかへと行ってしまった。後に残されたのは、暴行を浴びてぐちゃぐちゃになり、そこら中から血を出し倒れているヒメだけだ。ヒメの血と傷からは炎が小さく燃え上がり、傷だらけのヒメの身体は炎に包まれた。
ミュソスはその場からいなくなった民衆を纏めようと、彼らの後を追う。
「ど、どうすればいいかなぁ!?」
どうすればいいのか分からないナビはただその場でウロウロしながら戸惑っている。
「別に、どうもしなくていいでしょ。どうせすぐ治るだろうし。ま、うるさくするぐらいなら今のまま静かにしてくれればいいけどね」
シイトはヒメに近付き、倒れているヒメの頭を強く蹴った。重い音がなる。
「な、なにしてるの!?」
ナビが驚く。ヒメを心配してナビも近寄ってくるが、ヒメは変わらず炎に包まれており、迂闊に触ることも出来ない。
「仕返し」
一方でシイトはヒメを心配する素振りもなく、ナビにそれだけ言って、その場から立ち去ろうとする。
「どこに行くの!?」
「そこら辺。別に遠くには行かないよ。近くで休んでるだけだから」
「ここにはいないの!?」
「いたくないんだよ。必要なら君がいてやればいいんじゃないの」
「うぅ……」
ナビはシイトに言い返すことも出来ず、ヒメの近くで立ち尽くす。しばらくした後、疲れたかのようにその場でペタッと座り込み、ヒメの方を見た。
「どうしちゃったんだよぉ……ヒメェ……」
ナビもヒメの違和感には薄々気付いていた。なんだかおかしい。前はこんなじゃなかったのに。
シイトや民衆の気持ちも分かる。確かに言われて嫌な言葉ばかりだったし、自分や大切なものを馬鹿にされて怒らない者などいない。次に何か言われるのは自分だったかもしれない、とナビは思う。
しかし、それでもおかしい。ヒメはあんなことを言うような人物ではなかった。至らなかったところや駄目なところ、迷っていることや苦しんでいることもあった。だけどそんなのは誰でもそうだ。完璧な人間などいない。それでもここまで諦めずにやってきたじゃないか。大切な人を失い、傷つき倒れても、なんとかしてここまでやってきた。それなのに、どうして急にこんなことになってしまったのか。
「分からないや……」
チリチリと弱く燃えるヒメの横に座り、彼女を見ながらナビが呟く。
あれが乗り越えられたから、これも乗り越えられるというわけではないのか。
ナビは人ではない。たった1匹の、仲間のいない獣である。だから人の心が分からない。どれだけ寄り添っても、そこには分かりきれないものがある。そして今そのことをこれ以上ないほどに痛感していた。
どうすればいいのか分からない。今はただ、ヒメの横で、ヒメが帰ってくることを待つことしか出来ない。
帰ってきたら今度こそ理解しよう。そう思って。




