第37話 ムウの変化
「……シン。シン! 良い! すごく良い! 母さんありがとう!」
ヒメに名前を付けてもらったことに、これ以上ないほど喜ぶシン。ヒメに抱きつき、手をヒメの背中に回し力強く抱き締める。
強い力のはずなのに、ヒメは痛くない。むしろ目の前のシンが愛らしいような、そんな気さえしてくる。ヒメは微笑みをこぼした。
それを遠くで見ていた他の者達。ゴウマ、ナビ、シイト、ミュソス。ゴウマはシンを羨ましそうに、あるいは妬ましそうに見て、ナビはヒメを見て微笑ましく、シイトは興味なさそうに、ミュソスは考え事をしながら、それぞれの時を過ごした。
ヒメ達がそれからもそのようにしていた一方で、オコナはムウに話しかける。飛びながら移動するなかで、速度や高度を調節しながら、オコナはムウに近づき言葉をかけた。
「ねぇ、ムウ。あなた、本当に賢くなったわね」
「本当に?」
「えぇ、さっきの、記憶の海での考察は、私にだって出来なかった。あなたは驚くほどに賢くなっていってるのよ」
「そっかぁ」
「あなたの名付け親は誰だったかしら」
「タレス! ムウの名付け親はタレス!」
「そう、ならそれも納得だわ。あなた、タレスに似てきてるのよ」
「ムウがタレスに似てきてる? どうして? もしかしてタレスが名前を付けてくれたから?」
「えぇ。そうよ。でもそれだけじゃない。私達はトビ。魂の運び手。そして救済者。その役割が、あなたにも回ってきたのよ」
「それって」
「あなたの中にタレスの魂、あるいはその一部が入っているのよ」
「ムウの中にタレスが?」
「時が来たら、トビとしての役割を果たすのよ。あなたになら出来るわ。いいわね?」
「……うん」
そう言って、オコナは再び元の軌道に戻った。
「ねぇ、今の話、本当?」
話が終わった頃合いを見て、ヒメがオコナに話しかけた。先程の、ムウの名付け親がタレスであり、ムウがタレスに似てきているという話。気になって聞いてしまった。
「本当よ。名前は、生き方や在り方を大きく決めてしまうもの。名付けっていうのはね、とても大事な行為なのよ」
「それ、先に言いなさいよ。知ってたらあなたにだってもっと良い名前を付けてあげたのに」
オコナと出会い、そして名前を付けた時、ヒメはかなり適当にオコナの名前を決めてしまった。オコナの言う通り、名前というものに大きな力があるのならヒメは今頃オコナにオコナという名前は付けていなかっただろうし、もっと悩んで、意味とか言葉の響きとか、そういったものに力を入れていただろう。
「ふふっ、ごめんなさいね。でもいい名前だと思うわ。私が言うんだから間違いないわ。それに、あの時のあなたも、ちゃんと悩んでくれたじゃない。感謝してるわ。そして、この名前も大事にする。約束するわ」
「そ、そう……」
ヒメはオコナの真っ直ぐな言葉に意表を突かれ驚きつつ、顔を赤くして照れる。このような感謝にはあまり慣れていなかったので、どう受け取っていいのか分からないのだ。
それからしばらくして、ヒメ達は目的の場所に辿り着いた。そこは巨大な空洞となっており、ガルダ達のような巨大な鳥ですら余裕で入る。それどころか、その空洞の中であっても、十分に翼を広げて飛ぶことが出来るほどに広い。ヒメ達からすれば、そこはまるで地下世界とも呼べるような場所だ。
空洞の中へと入り、周囲を見渡す。物静かで、太陽の光が僅かながらに届く薄暗い場所。しかしその光が点々と差し込み、この場所にどこか神秘的なイメージを与えている。
「ここは?」
「忘却の都と呼ばれる場所よ。ここにベンヌがいるの」
「都……? 人が住んでいたの?」
「えぇ、そうよ。かつてここはとても栄えていたそうよ。そしてそこにベンヌは縄張りを作った。ベンヌに従う者達は今もここに住んでいるわ」
「そう、物好きなのね……」
ヒメには鳥に守られながら、鳥と共に暮らすという考えが理解できなかった。鳥とは自分達に対して、不自由と理不尽を強いてくる存在だからだ。そのため、ここにいるという人々のことを、ヒメは物好き、あるいは悪趣味としか思えなかった。
「それで、ここからどうするの?」
「ベンヌってやつの所に行くんじゃねぇのか?」
ナビが聞き、ゴウマが答えるが、決めるのはヒメだ。いつの間にかあらゆることの決定権をヒメが持つことになっているが、とくに誰もおかしいとは思っていない。むしろ全員がそれで良いと思っているぐらいだ。
「そうね、まずはベンヌの所に行って」
「行ってどうするの?」
シイトが言う。
「行って、連れ戻しでもするわけ? 聞いたりするの? どうして出ていっちゃったんですか? って。聞いてもどうにもならないし、力ずくで連れ戻してもどうにもならなくない? どちらにしろ詰んでるよね。それに、僕がよく分かってないだけかもしれないけど、別にたくさんの人と一緒にいる必要もないよね? なんか君の話を聞いてるとさ、そうしなきゃいけないとしか聞こえなくて、どうしてそうしなきゃいけないのかが伝わってこないんだよね。教えてくれる? 君は何を目指してて、何をしたいの?」
「えっと、それは……」
シイトからの質問に何も答えられないヒメ。そこにガルダが割って入る。
「私にはある。ベンヌと会わなければならない理由がな。そのためにここに来たのだ」
「言っておりましたな。ベンヌは先代のガルダであると。「ガルダ」というものにどのような使命があるかは存じ上げませんが、既にあなたがガルダであるのなら、それで良いのではありませんか?」
「いや、そういうわけにもいかぬ。正当な継承が出来ていない。ゆえにそれを行わなければならない」
「継承、ですか」
「なにそれ? 儀式みたいなものー?」
「そんなものよ。でも凄く簡単なこと。ガルダがベンヌを倒す。そして神に、今のガルダの方が使命を果たすに相応しいと示すのよ」
「どのように示すのですか?」
「なにも特別なことなんてする必要はないわ。神は常に私達を見ている。私達から何かを見せる必要なんてないのよ」
ガルダには目的がある。しかし、ここに来た目的が明確にあるのは、ガルダだけだ。ヒメには、そして他の者達にも目的と呼べるものはない。
「とにかく、意味もなく流されてここに来たってわけか。こんなんじゃ先が思いやられるね」
小馬鹿にするようにシイトが言う。小馬鹿にしているのはもちろんヒメだ。
素直に悔しいと思う。だけど言い返す言葉を持っていない。認めたくはないが、シイトの言う通りだ。
「母さんを悪く言うな!」
シイトの言葉に強く反論したのは、それまで黙っていたシンだった。
「流されることなんて誰にだってある! でも来た以上はきっと必ず意味があるはずだ! たとえそれが何なのか分からなくても、何もやってない時からそんなことを言うな!」
シンから放たれる強い言葉。その言葉にヒメは少し励まされる。
「それにあんただって、自分の考えも言わずにここに来たじゃないか! 黙って付いてきただけのやつが、他人を批判なんか出来るもんか!」
「……」
シンの言葉にシイトは黙る。ここまでとくに何か意見や考えを積極的に言うことなく、付いてきただけのシイトには反論することが出来ない。彼がやったのは、ヒメ達に対して冷笑気味に指摘しただけだ。
シイトはその場で少し拗ねたような顔をしながら、シンとその周囲から顔を反らした。




