第26話 ムギンの罠
「だけど君も君だよ。一体なんのためにそんなことしてたの?」
シイトがブライに聞く。彼が生前に何をしていたのかをシイトは知らない。リリィ達の話を聞くかぎり、なんとなく把握は出来るが、それだと今度はなんのためにという理由を知りたくなってくる。
「理由なんて最初から最後まで1つだよ。苦しんでる人を救いたい。それだけさ」
ブライにとっては考えるまでもない、当たり前の理由。目の前に困っている人がいるのならば手を差し伸べ、遠くで苦しんでいる人がいるのなら遠くまで行って助ける。彼にとってはそれが当然であり、裏を返せばそれしかない。
「ふぅん。で、出来たの?」
「......いや、出来なかった。俺達じゃ力不足だったんだ。でも今は違う。鳥によって生き返らされたことは不満だが、それに目をつぶれば前なんかとは比べ物にならない力を手に入れたんだ!」
鳥を倒すことが出来るのは騎士の持つ聖剣だけである。唯一足りなかったものをブライは神鳥によって授けられたのだ。まるで皮肉を言われているようで納得できないが、自分の持つ不満など苦しんでいる人々からすれば微々たるものに過ぎない。
「今度こそ救ってみせる。この力で。2度目の命、それが使命だ!」
「救うって、その苦しんでる人ってのはどこにいるの?」
「世界中だ! ここから1歩でも外に出れば、そんな人たちはごまんといる!」
「ふぅん」
シイトにはそれが分からなかった。彼は世界樹の外に出たことがなかったのだ。それに加えて、彼には聖剣がある。聖剣が側になかった時が今まで一度もなかったので、鳥の恐怖についても鈍感、というより無知であった。彼からすれば、何故そんなに恐怖する必要があるのか分からないのだ。そのため、ブライの言葉はシイトには全くといっていいほど響くこともなく、理解もできない。
「分からないか」
「まぁね。弱いのが悪いんじゃないの? って感じ。だってそうでしょ。弱いから鳥なんかに怯えて、弱いから苦しんでるんだよ。そんなのを救ってどうするの? 強くなれるわけでも、幸せになれるわけでもないよね? 必要なくない?」
シイトの短慮な発言にブライは徐々に憎悪を募らせる。
それに伴って、ブライの攻撃が苛烈になっていく。正義感が憎しみに変わり、憎しみが力になる。
ブライは、人々の命が鳥によって理不尽に奪われていく様をこれでもかと見てきた。死への恐怖に怯える人々の顔、苦しみを抱える人々の心を見て、彼はそれを救わんと立ち上がったのだ。
だからそれを知らないシイトに対する怒りが彼の中でどんどん湧き上がってくる。
「ははっ、やるじゃん! やっと本気になってきた感じ!?」
シイトは強くなっていくブライと戦うことに喜びを見出す。笑顔で戦いを楽しむ姿は、ブライから見て嘲笑いに見えた。まるでシイトが命を馬鹿にしている、嘲笑っているかのように見えたのだ。ブライの憎しみはピークに達する。
「いいね。2人共やっと力が出てきたよ」
ラズとブライの戦いを見ていたムギンの口から、そんな言葉が放たれる。
「遅すぎじゃないか? 戦いとは速さ。そのように呑気では勝ち筋など見えてはこない。失敗したな、ムギン」
「失敗? ガルダは何か勘違いしているよ。戦いとは常に長引くもの。幾重にも張り巡らせた策こそが戦士を勝利へと導く。目の前のことだけに集中して周りを見ない者に勝利は訪れない。兵は神速を尊ぶ、っていうのは兵法の1つにしかすぎないんだよ」
「ではこれも何かの策だとでも言うのか? ただ暴れているだけにしか見えないが」
「あの2人を蘇らせたのには理由がある。それはなんだと思う?」
「私に憎しみを抱いているといったところだろう。分かりきっていることを答えさせられるのは嫌いだ」
そう言ってガルダはムギンの首を自らの足先で斬り裂く。自分の中にあるドロドロとしたストレスを吐き出すかのようにして繰り出した攻撃だったが、ムギンも戸惑うことなく流れるように躱す。
「君への憎しみというのも理由の1つだ。しかしそれもある、という程度のね。もっと大きな、第一の理由としては、彼らの「生きる」ということに対する価値観にある」
「そうか。奴らは「生きる」ことが素晴らしいものだと、何よりも勝る幸福だと考えている。それを使ったのか」
「理解が早いね。だから彼らは生き返ることを受け入れてくれると思ったし何より」
「現実とは矛盾が起きる」
生きることを幸福とし、生きているだけで素晴らしいと考えるのは危険である。その考えが成り立つのは、豊かな社会、裕福な生活においてだけだ。生きるということは何よりも苦痛だ。食べたり飲んだり寝たり起きたり排泄したり、それ以外にも様々なことをしなければならない。生きているだけで体を手入れしなければならないし、それらを解決したところで、日々のことや人間関係で悩まされることばかりである。億劫な毎日を過ごし、かといって退屈でもいけない。
生きることが素晴らしいというのは、そうした事実の上に成り立っている。むしろそういった考えがなければ、生きることはひたすら苦痛でしかない。道理から外れた教育をすることで、人間はようやく生きようと思える生き物だ。
そして何よりも、生きることこそが幸福であるという「教え」や「考え」は、全ての命は死ぬという事実に反している。
「しかしそれでも彼らは生きようとしてくれる。現実を理想というベールで隠しながら、必死に。そしてそれは彼らから他の者へと感染していく。やがて全ての魂は生きることを望むようになるだろう」
「なんのためにそのようなことをする」
「救済のためだよ。失望すればするほど、救済が輝きを増す」
生きることを望む魂は、生きるほどに世界の残酷さに耐えられなくなっていく。ムギンは神鳥としての役割を果たすために人々の魂を欺こうとしていた。そしてムギンの思惑通りにことは進んでいる。
ムギンの罠に、ここにいる全員が嵌ってしまっていた。
「レス......タレス!」
「ん? おぉ......あぁ......」
「珍しいな。君が白昼堂々と寝ているなんて」
「なんじゃ、私は昼寝をすることすら許されんのか? ミュソス」
「ハッハッハッ! まさか! だけど夏に雪が降るようなことが起こってたら、誰だって驚くだろう?」
ここは都市国家。ポリスとも言う。タレスは友人であるミョソスと共に、広場で行われている議論の様子を見ていた。
老若男女が集まり、様々なことを議論する。生活の小さな悩みから国の政治に至るまで、ここで語られないことはない。
「ところでタレス、君はこれについてどう思う?」
今、広場で議論されているのは、「幸福」についてである。何が幸福なのか。どのように生きれば幸せになれるのか。多くの人々がこの議論に加わり、そして興味深そうに聞いている。
この議題は度々話題になり、注目される。それだけ多くの人の関心事でもあるし、悩みでもある。
広場ではタレスから見て左右に陣営が分かれ、激しい議論がなされていた。1つの考えが議場に上がるたびに批判され、あぁでもないこうでもないと議論は繰り返される。
「そうだな。私が思うに、幸せというのは、きっと幸せについて考えない状態のことであろう。そして、幸せになるためには、他人から認められる必要があるのではないか」




