第5話 変化
「聞かないんですか?どうして俺が逃げているかってこと・・・」
だいぶ落ち着きを取り戻した清水裕太が不思議そうな顔で尋ねてくる。僕はさっき淹れたばかりのコーヒーのマグカップを手持ち無沙汰に持ちながら、その質問に対する答えをうーんと考えた。
「誰にだって聞かれたくないことの1つや2つあるでしょ。清水さんが話したいときにでも話してください」
けらけらと笑って答えると、申し訳なさそうに裕太が頭を下げた。
正直、話に興味がないと言ったらウソになるが、常識的に考えてここは聞くべきではないだろう。
何気なく時計を見る。もうすぐバイトの時間だ。これから先のことを少し迷っていると、唐突にマグカップを置いて裕太が立ち上がった。
「コーヒーごちそうさまでした。もう帰ります。いろいろとご迷惑をおかけしてすみません」
「え・・・あ、はい。もう大丈夫なんですか?」
玄関まで見送っていくと、彼は靴をはきながらこくんとうなずいた。
「大丈夫。それに逃げてちゃダメなんです・・・」
いつか同じような言葉を僕は言ったような気がする。美咲とカケオチみたいなことをしたとき。そうだ、あのときの僕も同じことを思った。今、思い出した。
「真実さんが嫌がってるんですね。清水さんが自分の家族と会われるのを」
靴をはく手が止まった。そして、驚いた表情で僕を見る。
「どうしてそれを・・・」
「俺も一緒です。同じことを思ったことがあります」
驚く裕太の顔が印象に残った。僕もあのときのように彼女と話したかった。今はもうどうすればいいのかわからない。
その電話がかかってきたのは夕方、5時頃の話だった。
バイトから帰ってきてすぐケータイが振動していることに気づいて、相手を確認してから電話に出る。電話なんて珍しい。
「うーっす」
『先輩、つばめのこと見ませんでしたか?』
電話の向こうの塚本の慌てた声が降りかかる。声の調子でそれが尋常ではないことに気づく。
「見てないけど、どうした?」
『今日会う約束してたんですけど、時間になっても来なくて・・・』
ふと、僕は美咲の行き先について気になった。彼女は一体どこに行ったんだ?
「わかんないけど、俺もちょっと捜してみるよ。なんか心配だ」
『すんません』
ツーツーという電子音を聞きながら、僕の中で何かが渦巻いていくのを感じた。なんだろう、この感じ。美咲・・・?
美咲に電話してみた。しかし、電源が切られていることがわかって、慌てて家を飛び出した。
息が苦しくなってきた。日頃の運動不足のせいですぐに足が痛くなってしまった。
まだ6月だというのに汗が出てきた。一体美咲はどこにいるのだろうか。電話はあいかわらずつながらない。
なんとなくだが、美咲と江藤は一緒にいる気がする。根拠のないカンだったが、こういうのは昔からよく当たるんだ。
もう1度塚本に電話してみる。しかし、むこうも見つからないとのことだった。
6時を過ぎたので、一旦家に帰ってみたが、美咲はまだ帰っていなかった。
『先輩!』
塚本からの電話はずいぶんと慌てたものだった。僕は心臓がどくんと高鳴るのを感じた。
「見つかった?」
『つばめは見つかりました。あの、先輩落ち着いて聞いてください・・・・・美咲さんが病院に・・・・・』
「え・・・」
一瞬放心状態になった。美咲が・・・病院?
「どういう意味だよ!?」
『わかりません!俺もつばめから連絡もらっただけなんで・・・ただ、今は市民病院にいるみたいです!』
「すぐ行く!」
もう何も考えられなかった。僕は鍵を閉めるのも忘れて家を飛び出した。
市民病院へは行ったことがなかったので、自転車で駅まで行き、そこからタクシーに乗った。僕はずっと外を眺めながら、巨人かなにかに心臓を鷲掴みにされているような錯覚を覚えた。
病院にはすぐに着いた。正面玄関から入って、ロビーで葉山美咲の名前を出した。自分の勘違いであることを祈って。
しかし、ロビーの女性は3階の部屋の名前を告げた。それが現実だと僕に教える。
焦る気持ちを抑えて、その部屋まで行く。病院の匂いが鼻をつく。
1人部屋、葉山美咲。そう名前が書かれていた。
そのままドアを開けてしまうのを抑えて、僕はノックした。すぐに中から誰かが出てきた。塚本だった。
「先輩」
「美咲は?」
病室に入るとすぐにベッドに寝ている人の姿が視界に入った。
「美咲・・・?」
美咲は頭をケガしたのか額にガーゼが当てられている。真っ白いそれが見ていて痛々しかった。今は眠っているらしい。
そして、その傍で江藤つばめがぐったりとして座り込んでいた。
「・・・何があったの?」
僕の問いに、塚本が答える。
「ここに運ばれてきたときは・・・もう気を失っていたそうです。でも、命に別状はないらしいです!額の傷も軽いみたいで、じきに目を覚ますだろうって」
頭が放心していた。なんだか現実のことじゃないみたいだ。
僕は傍の江藤を見た。彼女はずっとうつむいたまま動こうとはしない。僕はもう1度、今度は江藤に同じ質問をした。
「何があったの?」
彼女はゆっくりとした動作で顔を上げた。いつかの美咲みたいだ。焦点の合わない目で僕のことをぼんやりと見つめる。やがてはっきりと僕がわかったのか急に目を大きく見開いた。
「私は・・・悪くない」
「誰も責めちゃいないよ。ただ、何があったのか聞いてるだけだ」
口調が強くなってしまう。責めていないと言っても、これじゃぁ同じことだ。とことん自分に嫌気が差した。
「私は悪くない!」
「先輩」
もしこのとき塚本に話しかけられなかったら、僕は彼女に何を言ってしまうかわからないところだった。とにかく肩の力を抜いて落ち着こうと考えた。
「ごめん」
2人に対しての謝罪が自然と口から出た。
僕が連絡してから、美咲の両親が来るのはそのすぐ後のことだった。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになって、顔が上げられなかった。だけど、お義父さんもお義母さんも誰かを責めることはしなかった。それがありがたくて、辛かった。
みんな一晩中、美咲の傍にいた。
1度僕はトイレに行った。そのときエレベーターに向かっていく江藤と塚本の姿を見つけて、慌てて後を追いかけた。
「どこ行くの?」
時刻は12時をまわっていたので、自然と小声になる。消灯時間だから、廊下も当たり前のように暗い。
「明日学校があるので帰ります」
塚本が答える。
「そっか・・・」
「・・葉山さん、最初に私と会ったときのことを覚えていますか?」
急な江藤の話に僕は首を傾げそうになったが、うなずく。
「あのとき私はケンカして人を殴りました。今日はその仕返しです。美咲さんは私をかばってくれたんです・・・・・でも、相手が男子数人だったから、押さえ込まれて、そのまま・・・・・・美咲さんは自分から階段を落ちたんです」
それだけ話すのにすごい苦労したようだ。僕はそれを理解したが、それでも1つだけ聞かなければならないことがあった。
「その男子の特徴教えて」
「葉山さん!」
「いいから・・・お願いだから・・・・・」
病室に戻ると、ベッドを取り囲んでみんなが口々に声を出している。もしかして、と思って僕もその輪に入ると美咲が上半身を起こしている。
しかし、目を覚ましたらしいが、その様子がおかしいことに気づいた。
「美咲!」
取り囲む輪の中に入ったとき、美咲がびくっと体を震わせたのがわかった。
「孝介・・・・・ごめん、あの・・・・・私、ごめんなさい」
泣きそうな顔で、おびえた顔で体を小さくする美咲。見ていて痛々しかった。
僕は美咲を怖がらせないようにゆっくりとした動作で彼女の手を握った。びくっとされると思ったのだが、彼女は僕の手に額を当てて、静かに泣き出した。ガーゼの感覚が妙に生々しかった。
「守ってあげられなくて・・・・・ごめん」
自分でも情けなくなるような声だった。彼女はただ首を振る。
このとき、僕の中で何かが変わった。
うーん・・・なんかシリアスになってきたなー・・・
とりあえずもう少し彼らにつきあってやってください。