第12話 妊娠
時は流れ、季節は冬になっていた。
今年はまだ雪は降っていないが、例年よりも寒い冬になりそうだと天気予報で言っていた。
僕は玄関でほどけかけた靴ひもを結んだ。
「じゃぁ、行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
いつものように出かけようとする僕を美咲が見送る。だけど、今日はなんか違った。
「・・・調子悪い?」
「え、なんで?」
「や、なんか元気ないような・・・・・」
美咲は少し黙ってから何かを考えるような仕草をした。髪の毛を耳にかけ、首を傾げた。
「昨日からだるくて・・・なんもやる気がしなくてさ。でも、今からちょっと寝れば治ると思う」
「・・・ん。無理すんなよ」
僕は彼女の頭をぽんぽんとなでて家を出た。
1月の空は寒い。僕は自転車をこぎながら、本格的に車が欲しいと考えていた。
でも、今は節約しなきゃだな。そのためにもっと働かなきゃだ。
「おい、孝介ー!」
急にそんな声が聞こえてきて、僕はこいでいた自転車をとめた。懐かしいこの声。
「三田!久しぶり!」
サークルが同じだった三田篤志だ。最近はサークルを引退したため会うことはなかったが、バイトに行く途中で会うなんて初めてだった。
「めっずらしーな!三田の地元ってここじゃないだろ」
「ああ。彼女んちに行く途中」
三田はへっへーと子供みたいに笑って答える。たぶん新しくできた彼女だろうとなんとなく思った。
「元気そうだな」
「お前もな。結婚生活はどうよ?独り身が恋しくなったんじゃねぇの?」
「俺、美咲一筋だからそんなこと考えないよ」
僕はマフラーを巻き直した。こんなふうに会話するのが久しぶりでなんだか懐かしい。やっぱり持つべきものは友達だと思う。
「じゃぁな、三田も結婚することになったら教えろよ」
「孝介もな。子供できたら教えろよ」
そのときは笑って僕たちは別れた。
帰宅すると、美咲は朝よりも元気そうだった。
「よかった。治ったのか」
「まぁね。別に病気とかじゃないと思うし」
なぜか美咲は笑顔だった。
「なんかいいことあった?」
「ん・・・もしかしたら、こう・・・・・・や、なんでもない」
こう?この後に続く言葉がわからない。少し考えてみたが、やっぱり思い当たらなくて尋ねると、美咲はなんでもないと言うばかりだった。
僕がその事実を知るのは翌日になる。
昼過ぎに大学から帰ってくると、美咲が自転車をこいでいるのが見えた。買い物の帰りだろうかと思って、僕も走って追いかけると、美咲が段差につまづいてバランスを崩して転んでしまった。
「美咲!大丈夫?」
「あれ、孝介。おかえり」
自転車を起こしながら美咲は立ち上がった。
「ごめん。考え事しながらこいでたから・・・」
「気をつけろよー」
僕らはそのまま一緒に帰ることにした。
「どっか行ってたの?」
僕としては何気ない質問のつもりだった。だけど、美咲は一拍考えてからおもむろに答える。
「病院行ってた」
「え・・・・どっか悪いの?」
「ううん。そーじゃなくて」
美咲はかぶりを振って否定する。
「あのさ!コウノトリ来た!」
「私、赤ちゃんできたみたい」
どのくらいかしばらく固まった後、美咲が僕の反応を見るようにちらりと顔を上げた。
「顔・・・赤いよ」
ぎょっとなって僕は手で顔を隠した。
「だ・・・・赤ちゃん、俺らの・・・マジ!?」
「マジ」
僕の中で何かが熱くなるのを感じた。赤ちゃん、僕と美咲の子供。すげー・・・すげーよ。
「すっげー・・・すっげーよ。マジ嬉しい・・・・・え、今何ヶ月?」
「2ヶ月だって・・・・・そのくらいだとは思ってたけど」
「なんで?」
「なんていうか・・・妊娠したなって思ったときが1回あった。たぶんそのときの・・・」
美咲は真っ赤になって説明する。その仕草がかわいかった。
言葉にならない喜びと恥ずかしさが込み上げてくる。今、美咲のお腹の中にはもう1人の命があるんだ。
僕らはもうすぐ親になる。
「孝介・・・嬉しい?」
何かを伺うような表情で美咲は尋ねる。僕は笑顔で頷いた。
「信じらんねーくらい嬉しい・・・」
美咲は僕を見て、そしてにっこりと笑った。
「私も!」
そこで僕ははっとした。そういえば、さっき美咲は自転車で転んでいなかっただろうか。急に恐ろしく感じてしまった。
「美咲!!もっと安静にしてろよ!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ!」
なぜか不安になった。
ベッドに寝転び、僕は美咲のお腹をおそるおそる触れてみた。へその上に耳を当てて何か音が聞こえないか耳をすましてみる。
「まだなんにも聞こえないんじゃない?」
美咲が照れくさそうに言う。
「こういうのやってみたかったんだ」
両親に子供のことを話すと、すごく喜んでくれた。生まれてくる子は多くの人に祝福されて生まれてくるだろう。
「パパだぞー」
そのとき、美咲がぷっと吹き出すのがわかった。逆に僕はふくれてしまった。
「美咲だってママになるんだぜ?」
「そうだけど、孝介がパパでちゅよーとか言って赤ちゃん言葉使うとこ想像しちゃった」
言われて僕も想像してしまった。そのうち女の子だったら、パパキモいって言われるんだろうか。
僕は美咲の顔を覗き込んでみた。
「どうした?」
「ううん。不安じゃない?」
それは美咲の出産に対する気持ち。僕は確かめてみた。
「そりゃぁ・・・痛そうだし、不安はあるけど・・・・・ウチの家系はお産が軽いほうだって言ってたし、それに、やっぱり」
美咲は自分のお腹に触れる。
「この子に会いたい。私たちの子供だもん」
僕たちの子供。なんだか新鮮な言葉だった。
ずっとどきどきしっぱなしだ。
僕らに子供ができた。
美咲が妊娠しました。
なんか自分の孫に子供ができたような気分です。
この先彼らはどうなるんでしょうか・・・?