第1話 再び・・・
朝、目を覚ますとたいていベッドの隣は空になっているのだが、たまに早く起きるとまだ彼女が眠っていることがある。
無防備な寝顔を見ると、早起きは三文の徳と言われる理由がわかる気がする。僕はジジ臭く肩をぼりぼりとかきながら、彼女を見つめる。無意識に体が動いて、たぶん僕はキスをしようとしていたと思う。だけど、唇が触れる寸前のところで彼女の目がぱちっと開かれた。
「おはよう」
「・・・・・おはよう」
意外に冷静に挨拶をされたので、逆に僕の焦りが強くなってしまった。そのままの姿勢で挨拶を返してしまった。
「で、何しようとしてたの?」
「・・・おはようのチュー・・・とか?」
「スケベ」
ばちんっといい音をたてて、実際にはかなり痛いデコピンをされて、僕はひっくり返った。彼女の力はハンパじゃないんだ。
何も知らない人がここまで読んでいると、僕らは恋人同士で同棲しているかのように思えるかもしれないが、恋人じゃない。夫婦だ。今年の春に結婚したばかりの新婚ホヤホヤだったりする。
僕の名前は葉山孝介。妻の名前は美咲。
ノロケ話なんかじゃなく、美咲はかわいかった。特に染められていない綺麗な長い黒髪に、端正な顔立ち。歩いていれば、何人かの人が振り返るような綺麗な女だ。ただ、本人に自覚症状がないため、彼女は普段化粧をしない。すっぴん美人だ。
なりゆきで出会って、なりゆきでデートして、なりゆきでつきあってここまで来た。だけど、ここまでの過程は説明するのも面倒なくらい長かった。そして、今こうして無事に夫婦になれたわけだ。
今年で22歳、4年生になったので、大学の授業はあまり入れていない。単位もあと少しで取れるし、卒論の準備もまだ大丈夫だ。
サークルもすでに引退していたが、それでも新歓コンパには参加することにした。今年は去年よりも少し遅めに開かれた。たぶん、その理由が僕たちの結婚式がその時期にあったため、忙しくてできなかったのだろう。だから、僕も感謝の意味をこめて盛り上げに行った。
「先輩が結婚なんてなー・・・」
2年後輩の塚本がしみじみとチューハイを片手に呟く。この男は酒が入ると、テンションが上がるどころか地の底までローになる。
「俺、なんで彼女できないんすかね。素朴な女の子と素朴に出会いたいだけなのに」
「人生いつどこでどうなるかなんてわかんないぞー?例えば夜のトンネルなんて狙い目かもな」
自分の経験論で言ったのだが、
「それは先輩がラッキーだったんですよ」
その一言で片付けられてしまった。普段、ジョーダンを言ってばかりいる塚本。今日はいつにも増してテンションが低い。
「新入生にいい人とかいないのかよ」
試しに聞いてみた。塚本の様子がだんだんおかしくなっているのがわかった。
「・・・・・彼氏いるんだって」
誰かのことを言っているらしい。途端に塚本はわーっと泣き出してしまった。さすがにぎょっとなってなだめたが効果はなく、今日はもう遅いということで、僕が塚本を家まで送っていくことになった。彼の家が近くて助かった。
それが起こったのは、吐いたり泣いたり状態の塚本を家まで運んでいくときだった。まさに絶好のシチュエーション、誰もいない夜のトンネル内だ。
そして、どこかで見たことのある光景。
数人の男が1人の女を囲んでいる。
その内の1人と僕は目が合った。心底冷たい瞳だった。
「おい・・・塚ちゃん、起きろ」
塚本は虚ろな瞳をぼんやりと開けたが、すぐには状況が飲み込めないらしい。ものすごいスピードで男たちが襲い掛かってくるのがわかった。しかし、なぜか体が動かなかった。たぶん、その理由は、女が金属バットを持って、さらに男たちを追いかけているからだ。
「ちらせらー!!!」
意味不明な叫び声をあげながら、女は今まで取り囲んでいた男たちを次々とバットで殴打していく。さすがの塚本も口を開けて固まっていた。
そして、彼女が僕と塚本のほうを向いて、
「うらー!!!」
その叫び声と共に、バットを振り上げたのを最後に見た。
白くぼんやりとした世界の中で、もう1度美咲に会いたいなと思っていた。
まるでこのまま死ぬみたいだ。
ってジョーダンじゃねー!結婚したばっかりなんだ!美咲がいるのに死んでたまるかよ!
目覚めは唐突だった。とにかく目がばちっと開かれて、見知らぬ天井を見た。
どこだ、ここ。
ゆっくりと体を起こすと、後頭部がずきんと痛んだ。ケガ?でも、なんでケガをしたのか覚えていない。ボケか?
ふと辺りを見渡すと、僕が寝ていたベッドの足元でうずくまるようにして眠っている人を見つけた。
「美咲・・・?」
起こすつもりで呼んだわけではないのだが、僕の声に彼女がぴくりと反応して目を覚ました。なぜか泣きそうな顔で僕をまじまじと見つめてくる。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
「・・・・・・孝介の・・・ばかー!」
突然、力のないパンチが飛んできた。状況が飲み込めない。
「なんだよ?どうしたんだよ!?」
「どれだけ心配したと思ってるんだ!もし・・・孝介が・・・目を覚まさなかったらとか、いろいろ考えちゃって、すごい・・・・すごい心配したんだからな!」
目をそらして、涙をこらえているのがわかる。その様子を見て、ようやく自分の頭が覚醒してきた。そうだ、僕はトンネルで女の人にバットで殴られて・・・
「塚ちゃんは?塚本はどうなった?」
「・・・・・意識不明で運ばれたんだけど、今から2,3時間前に意識が戻ったって」
「そっか・・・よかった」
安心すると同時に、美咲の心情をようやく理解した。たぶん、病院から僕が運ばれたと連絡が入ったのだろう。美咲はどんな思いでずっとここにいてくれたのだろうか。
「美咲、ごめん。心配かけてごめん」
「もーいいよ。私もいきなり怒鳴ってごめん」
僕は美咲を長い間抱きしめた。
この事件はなぜか運ばれたのは僕と塚本の2人だけで、残りの男の存在は綺麗さっぱり知られていなかった。そして、なぜか女の存在も明らかにされていなかった。先に警察から事情聴取を受けた塚本は、殴られた相手を女だと認識しなかったらしい。
それにしても踏んだり蹴ったりだ。まさか去年と同じように新歓コンパの帰りにトンネルでこんな目に遭うなんて。
すぐに退院して、僕は美咲と一緒にマンションに帰った。
「まだ痛む?」
包帯の取れない僕の頭を見て、美咲が心配そうに尋ねる。僕は首を振った。
「大丈夫だよ。こう見えて石頭だし」
軽くジョーダンを言ったつもりなのだが、なぜか彼女は少し笑っただけだった。僕を殴った犯人がまだわかっていない今、そのことを心配しているのだろう。
そういえば、今になって思った。僕と塚本の救急車を呼んでくれたのは誰だったのだろうか。ひょっとしたら、あの女だとか・・・
なんか、気になる。あの女のことが。
「孝介・・・どうかした?」
美咲の声ではっとして我に返った。
「や、なんか気になる女がいて・・・」
ぼーっとしていた言い訳をしたつもりだったが、墓穴を掘ったことに気づいた。
「・・・・・サイッテー!」
「違う!そういう意味じゃなくて・・・俺を殴った相手のことだよ!たぶん、相手女だった」
「じゃぁ、いってらっしゃい、ユウちゃん」
「そうなのか?」
「うん。行ってくるよ、マミリン」
シリアスな会話の中に紛れ込まれるピンク色の会話。
はっとして振り返ると、玄関前でキスをしているカップルの姿が目に入った。同時に彼らもこちらを向いて互いに目が合う。
「もしかして、隣の人ですか?」
「よかった!何度行っても出ないから今まで挨拶ができなかったんだ」
「私たち、703号室に引っ越してきた清水です。よろしくお願いします!」
呆然として何も言えない。いつのまにか隣に変なカップルが引っ越してきていたらしい。
お久しぶりです。廉です。
おしどり夫婦へが好評だったため、続編です。
楽しんでいただけたら幸いです。