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こびと  作者: 結城康世
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「殿下、お召しによりまかり越しました。」

 王妃の寝室でこびとは膝を折った。

「よく来てくれました。今宵もそなたの黙劇(パントマイム)を見せておくれ。」

 王妃の凛とした声が響く。

「かしこまりました。」

 顔を上げた彼は、王妃の頬に涙の後を見とめた。

「殿下……。」

「何でもありませぬ。さあ。」

 王妃に促され、楽士たちの演奏に合わせて彼は見事な黙劇(パントマイム)を演じて見せた。


「今宵も見事でした。」

 王妃はねぎらいの言葉と共に右手をこびとに差し出す。

「勿体のうございます。」

 こびとは臣下の礼を以ってその手に口づけする。王妃からは何とも言えぬよい香りが漂ってくる。どこか異国から取り寄せた香水だろうか。

ふと顔を上げると、王妃の眼に涙が光っていた。

「他の者は下がってよい。」

「承知仕りました。では、おやすみなされませ。」

 王妃の言葉で楽士たちは退出した。

 楽士たちが去ると、王妃は寝室の椅子に腰を下ろした。

「殿下、御無礼とは存じますが、何か心に思うところがあるのか、お訊ねしてもよろしゅうございましょうか。」

 こびとが(ひざまず)いたまま言った。

「そなたにならば話してもよいかもしれませぬ。そなたならば、他のものに漏らすこともありますまい。」

 王妃は寂しげな声で言った。

「勿体ないお言葉でござります。(わたくし)でよろしければお話し下さりませ。他言はいたしませぬ。」

 王妃は話し始めた。


(わたくし)の生まれた国はここから北に山二つばかり越えた小さな王国です。父王は私が幼い時にみまかり、王位は私の弟が継ぎました。しかし幼い弟に王の職務が務まるはずもなく、叔父が摂政として政務を見ておりました。」

「されど叔父は野心を持ち、父王亡き後失意の人であった母に近付き、母を(おの)が妃としてしまいました。さらに王位にあった弟を取り込み、権勢をほしいままにしたのです。そして、長じて己に堂々と意見してくる私が(うと)ましゅうなったのでしょう、私をこの国の王に嫁がせる、と言いだしたのです。」

 こびとは王妃の思いのほか恵まれない生い立ちに驚いた。

「後添い、とは聞いておりましたが、()してみると陛下は私より三〇も年長、おまけに私のほかに幾人も側室をお持ちであらせられます。陛下はこのような小娘にはお心を傾けて下さりませぬ……。」

 耐えきれず、王妃はすすり泣く。

「あの叔父のことです、おそらく今を我が世と栄えるこの国と(よしみ)を結び、さらに厄介払いもできれば、と一石二鳥を狙って嫁がせたのでございましょう。」

「殿下……。」

 気づくと彼も涙を流していた。

「私のために泣いてくれるのですか。」

 王妃は涙を流しながら彼に微笑んだ。


 しばしの沈黙の後、王妃が再び口を開いた。

「陛下は私を女として見ては下さりませぬ。初夜の契りの後はお召しもなく。それも女の我が身としては辛きこと。そなたに言うても詮ないことでしょうが。」

 王妃は寂しそうな眼で真っ暗な窓を見やった。

「殿下、(わたくし)(つたな)い芸がわずかでも殿下のお心を安んじられるのでしたら、いつでもお召し下さりませ。」

 彼は深々と礼をした。

「今日のところはこれにて御免仕ります。」

「引き止めて相すまぬ。」

「殿下におかせられましては、お心安らかに御寝(ぎょしん)あらせられまするよう。」

 こびとは再拝すると、王妃の寝室を辞した。


 夜遅くにお召しのあった日は、自宅には帰らず、王宮内に与えられた私室で休むことになっている。彼は廊下をいくつも渡り、自室に戻った。

 その時になって、初めて彼は自分が涙を流していたことに気付いた。母が死んでから今まで、どれほど虐げられ、蔑まれようとも、どれほど師匠の仕込みが厳しかろうと、涙を流したことはなかった。泣くことは敗北だと思い続けてきた。母が死んだとき、もう一生分涙を流した、と思っていた。そんな彼が、王妃の境遇に同情して涙を流していた。

(俺は同情などという感情は持っていないはずだ。)

 彼はそう思った。だがその思いとは裏腹に、彼の胸には、寂しく笑う王妃の顔が焼き付いていた。


 (どうしてしまったのだ。)

 王妃の話を聞いて幾日か経ったが、彼の心は王妃に捉われて離れない。

(俺は同情とか、そんな感情は捨て去ったはずだ。皆に虐げられ、蔑まれて生きたあの日々、師匠の激しいしごき、そんな中で感情というものは捨ててしまったはずだ。それなのになぜだ。)

 その夜もまた、王妃のお召しを受けていた。


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