四
「殿下、お召しによりまかり越しました。」
王妃の寝室でこびとは膝を折った。
「よく来てくれました。今宵もそなたの黙劇を見せておくれ。」
王妃の凛とした声が響く。
「かしこまりました。」
顔を上げた彼は、王妃の頬に涙の後を見とめた。
「殿下……。」
「何でもありませぬ。さあ。」
王妃に促され、楽士たちの演奏に合わせて彼は見事な黙劇を演じて見せた。
「今宵も見事でした。」
王妃はねぎらいの言葉と共に右手をこびとに差し出す。
「勿体のうございます。」
こびとは臣下の礼を以ってその手に口づけする。王妃からは何とも言えぬよい香りが漂ってくる。どこか異国から取り寄せた香水だろうか。
ふと顔を上げると、王妃の眼に涙が光っていた。
「他の者は下がってよい。」
「承知仕りました。では、おやすみなされませ。」
王妃の言葉で楽士たちは退出した。
楽士たちが去ると、王妃は寝室の椅子に腰を下ろした。
「殿下、御無礼とは存じますが、何か心に思うところがあるのか、お訊ねしてもよろしゅうございましょうか。」
こびとが跪いたまま言った。
「そなたにならば話してもよいかもしれませぬ。そなたならば、他のものに漏らすこともありますまい。」
王妃は寂しげな声で言った。
「勿体ないお言葉でござります。私でよろしければお話し下さりませ。他言はいたしませぬ。」
王妃は話し始めた。
「私の生まれた国はここから北に山二つばかり越えた小さな王国です。父王は私が幼い時にみまかり、王位は私の弟が継ぎました。しかし幼い弟に王の職務が務まるはずもなく、叔父が摂政として政務を見ておりました。」
「されど叔父は野心を持ち、父王亡き後失意の人であった母に近付き、母を己が妃としてしまいました。さらに王位にあった弟を取り込み、権勢をほしいままにしたのです。そして、長じて己に堂々と意見してくる私が疎ましゅうなったのでしょう、私をこの国の王に嫁がせる、と言いだしたのです。」
こびとは王妃の思いのほか恵まれない生い立ちに驚いた。
「後添い、とは聞いておりましたが、嫁してみると陛下は私より三〇も年長、おまけに私のほかに幾人も側室をお持ちであらせられます。陛下はこのような小娘にはお心を傾けて下さりませぬ……。」
耐えきれず、王妃はすすり泣く。
「あの叔父のことです、おそらく今を我が世と栄えるこの国と好を結び、さらに厄介払いもできれば、と一石二鳥を狙って嫁がせたのでございましょう。」
「殿下……。」
気づくと彼も涙を流していた。
「私のために泣いてくれるのですか。」
王妃は涙を流しながら彼に微笑んだ。
しばしの沈黙の後、王妃が再び口を開いた。
「陛下は私を女として見ては下さりませぬ。初夜の契りの後はお召しもなく。それも女の我が身としては辛きこと。そなたに言うても詮ないことでしょうが。」
王妃は寂しそうな眼で真っ暗な窓を見やった。
「殿下、私の拙い芸がわずかでも殿下のお心を安んじられるのでしたら、いつでもお召し下さりませ。」
彼は深々と礼をした。
「今日のところはこれにて御免仕ります。」
「引き止めて相すまぬ。」
「殿下におかせられましては、お心安らかに御寝あらせられまするよう。」
こびとは再拝すると、王妃の寝室を辞した。
夜遅くにお召しのあった日は、自宅には帰らず、王宮内に与えられた私室で休むことになっている。彼は廊下をいくつも渡り、自室に戻った。
その時になって、初めて彼は自分が涙を流していたことに気付いた。母が死んでから今まで、どれほど虐げられ、蔑まれようとも、どれほど師匠の仕込みが厳しかろうと、涙を流したことはなかった。泣くことは敗北だと思い続けてきた。母が死んだとき、もう一生分涙を流した、と思っていた。そんな彼が、王妃の境遇に同情して涙を流していた。
(俺は同情などという感情は持っていないはずだ。)
彼はそう思った。だがその思いとは裏腹に、彼の胸には、寂しく笑う王妃の顔が焼き付いていた。
(どうしてしまったのだ。)
王妃の話を聞いて幾日か経ったが、彼の心は王妃に捉われて離れない。
(俺は同情とか、そんな感情は捨て去ったはずだ。皆に虐げられ、蔑まれて生きたあの日々、師匠の激しいしごき、そんな中で感情というものは捨ててしまったはずだ。それなのになぜだ。)
その夜もまた、王妃のお召しを受けていた。