九
凱旋以来、王は毎夜のように王妃を召された。王妃も以前とは全く違う優しく親しげな王の態度に戸惑いながらも、心を許すようになっていった。
こびとは宮廷内で顔を合わせるたびに、王妃の心変わりを敏感に感じていた。もちろん、うわべは王妃の態度に何の変化もなかった。人に知られてはならない関係ゆえに、人目のあるところで王妃が彼に親しげな態度を取ることはもともと一切なかった。さらに、国王凱旋以来、王妃自身の申し出通り、個人的接触は互いに控えていた。
だが、こびとには分かった。かつて王妃が自分にだけ見せてくれていた優しげな眼差しがほとんど消え、代わりにどこかよそよそしく、また時に赦しを乞うかのような眼差しが向けられるようになったことを感じていた。
何が起こったのか、聡明なこびとには充分に察しがついた。宮廷内では、凱旋以来、王妃が王に召されていることはよく噂に上っていた。廷臣たちは皆、王と王妃とが仲睦まじいのはこの上もなく喜ばしいこと、と噂し合っていた。
彼は悟った。
(俺は、あのお方に棄てられたのだ。)
突然、彼の眼前が真っ暗になった。
(あのお方が、俺を誰よりも愛していると言って下されたあのお方が、俺を唯一愛する人と言って下されたあのお方が、俺を棄てられたのだ。)
とても信ずる気にはなれなかった。王妃との愛の日々、語らい、全てが幻だったのか。数々の愛の言葉はすべて偽りだったのか。自分は所詮、王の留守中の単なる慰みでしかなかったのか。
奇しくも、その五日ばかり後、戦勝を祝う晩餐会が開かれることが告知され、彼も宮廷道化師として、自慢の芸をそこで披露することを命ぜられたのだ。
その夜、彼は家に帰ると、飾られた調度品を手当たり次第に投げつけ、叩き壊し、衣装を床に放り出した。
(俺は……俺は……俺は……棄てられたのだ……。裏切られたのだ……。あの数々の愛の言葉は、全て偽りだったのだ……。あのお方と過ごした時も、全て偽りだったのだ……。あのお方に捧げた心も、時も、全てが偽りだったのだ……。全てが無駄だったのだ……。)
彼の眼から、涙は出てこなかった。その代り、灯りのない彼の部屋と同じように、彼の心の中にも漆黒の大きな淵が顔を覗かせていた。
開け放たれた窓からは、いつかと同じようにどこからか薔薇の香りが漂ってくる。
その夜は王からのお召しはなかった。王と幾人もの側室との食事を済ませ、自身の居室に戻った王妃の胸に、急になにか大きな塊が込み上げてきた。その塊は、涙となって王妃の両の眼から溢れだした。
「おおおおお……。」
涙は後から後から溢れだし、もう止まらなかった。
「おお……。私は……。私は……いったい何をしたのでしょうか……。」
王妃の眼には、今日の昼間に見た、こびとの鋭い眼差しが焼き付いていた。
「そなたは……私のことなど……全て……見通しているのでしょう……。この愚かな私を……。罪深き私を……。卑しい裏切り者を……。」
堪えきれず、王妃は絨毯の上に蹲って泣き続けた。
王妃は激しくすすり泣きながら、窓を開いて天を仰ぐ。
「今さら、赦しなど乞えましょうか……。」
窓の桟に涙がこぼれ落ちる。
「ああ……。私はそなたになんと言って詫びればよいのでしょう……。いかような詫びの言葉も、この罪には、この裏切りの前には無意味でしょう……。」
王妃の部屋にも、そこはかとない薔薇の香りが漂っていた。