097:父娘 一
走馬灯の始まりは、大きな産声。
──ふにゃあぁぁ、ふぎゃあ、ふにゃあぁぁ──
手持ちビデオのように映像が揺れる。
頭がクラクラして、オエッとなりそう。
産声に呼ばれ、あたしはセピア色の廊下を大急ぎで駆け抜けた。突き当たりに現れたのは観音開きの扉。思わずギョッとして身構える。
うわっこの扉……見覚えがある。
アルゴさんと一緒に鬼の屋敷を彷徨い、あたしたちはこれと同じ扉の奥で……
「旦那様、お元気な姫でございますよ!」
──だけど開け放たれた部屋の中には、喜びと生命が満ちていた。
大写しになったのは死せる女ではなく、生まれて間もない小さな赤ちゃん。まだ目も開いてないような、ホントに生まれたてホヤホヤの。
柔らかなおくるみに包まれて赤ちゃんは産声を上げる。
おお、と感嘆の声をあげ、おっかなびっくり抱っこして……だけど、すぐに産婆さんが連れていってしまった。「殿方は禁制でございますよ」という苦笑いつきで。
「……どうなってんの?」
あたしはぼそりと呟いた。
これ、普通のホームビデオじゃない。おかしい。あたしの腕は今たしかに、赤ちゃんの重みを感じたのだ。「くにゃり」と柔らかい感触までも。
まあそもそも“鬼の眼”からして普通じゃないし、普通じゃないこと続きで今さらなにビビッてんのって話だけど……でもいったい、なんなんだろうこれ。
体験型なの?
──と、首を傾げるうちに映像が切り替わった。
赤ん坊はあっという間に成長し、よちよち歩くようになっていた。
「あんよが上手」の声にニコッと笑い、おぼつかない足取りでやってくる。あたしは両手を伸ばして抱き上げて……実際はあたしじゃなくて撮影者、つまりこの屋敷の“旦那様”がそうしたんだけど。
抱き上げられてきゃっきゃと笑う、その重みにあたしは驚き目を瞠る。
今「ずしっ」てなった……えぇぇ、子どもってこんなに重くなるものなんだ! さっきと全然違うじゃない。
驚いているうちに、またも場面が切り替わった。
次は可愛らしく着飾った三歳くらいの女の子。
せっかく晴れ着でおめかししてるのに、彼女はめそめそ泣いていた。「どうしたの」と声をかける前にこっちを見上げ、くしゃくしゃっと顔を歪める。
そして小さな唇を動かした。
「おはなのかざり、こわれてしまいました」
……喋った……!
それは当たり前のことのはずなのに、想像以上の衝撃で。
だってさっきまで赤ちゃんだったじゃない。
それがまあーこんな、いつのまにかお喋りが上手になっちゃって……なにこれすっごい可愛くない?
完全に『親戚のおばちゃん』と化したあたし、口元は緩むし目尻は下がる。この顔、ちょっと人には見せられない。
そんなあたしに抗議するように、彼女は目に涙をたっぷり溜めて訴えた。
「ととさま、まほうでなおして」
「髪飾りを直すのは魔法使いではない。細工物の職人じゃ」
「でもあれがよかったの」
なんでも晴れ着で集まった他の子たちとはしゃいでいるうちに、お気に入りの髪飾りが壊れてしまったらしい。
女の子はぐすぐす鼻を鳴らす。柔らかな髪をよしよしと撫でたら「わーっ」と泣き出した。
大人にとっては小さなことでも、本人にとっては一大事。
泣きやみそうにない女の子に“ととさま”は溜息まじりだ。
「しょうのない子じゃ……目も鼻も真っ赤ではないか。これから初めて御所へ参るというに」
「えらいまほうつかいさまに、おこられる……?」
「ハーロウどのは怒りはせぬよ。今日はそなたの三つのお祝いじゃ。きっと祝福を授けてくれようぞ」
へえーなるほど。
きっと七五三みたいなもんだろう。
神社に行ってお祓いしてもらうように、御所に行って偉い魔法使いの祝福を授かると──で、それをやってるのがハーロウさん。
ハーロウさんは相変わらず小っちゃくて、しかめっ面で、やっぱりしわくちゃのおじいさんだった。
なにやらむにゃむにゃ呪文を唱え、集まった三歳児におまじないを施していく。機嫌の悪そうな顔つきにビビっているのか、子どもたちも静かなものだ。
そして儀式が一通り済んでのお祝いの席。
ハーロウさんはあたしを──“ととさま”を呼び出して耳打ちした。
「悪いことは言わん。おまえの娘、さっさと嫁に出せ」
「ハーロウどの、突然なにを。吾が娘は三つになったばかり」
「嫁に出さぬなら里子に出せ。御所には出仕させるなよ。理由はおれにもまだわからん、ただそうせぬ方が娘御のためだ」
そういう卦が出た──と、ハーロウさんは言った。
だけど“ととさま”は娘を手放すことができなかった。
そりゃそうだ。
だって可愛いんだもん。
ぴーぴー泣いてばかりだったのが、笑うようになって、歩くようになって、走るようになって、「ととさま、ととさま」って甘えてくるんだもん。
もう少し。もう少し。
御所に出仕させなければ、それでいい。
何もしなくても自然と年頃を迎えてしまうのだ。その時に良縁を見つけて娶せてやればいい。
そう思っていたのに。
セピア色の景色の中で、彼女はどんどん大きくなる。
きれいになる。
幼子から少女へ、少女から大人へ。
そりゃ時には生意気言うようにもなったけど、それでもやっぱり可愛いくて……見た目の可愛さなんてものは、とうに超越している。姿かたちの話じゃないのだ。
もはや理屈抜き。
この子が幸せであればそれでいい。
病気するなよ、怪我するなよ、いい友を持てよ、伴侶に恵まれろよ。
御大尽でなくていい、おまえを大切にしてくれる男と添えれば、それでいい──分不相応を望んだことなど一度としてなかったのに。
「わたくし、御所に上がります」
三つのときの託宣を、忘れたことはなかったのに。
「御所にて奉公しとう存じます。もう子どもでは御座いませぬゆえ」
両手をついて、頭を下げて、彼女はそう言った。
大切に、大切に育ててきた。心のままに伸び伸びと──それが裏目に出たとは思いたくない。
ただ彼女は、父親が思うよりずっと色んなことを考えていた。
「この家には男子がおりませぬ。ととさまの後は、わたくしがこの家の女主人です。嫁に行くつもりは御座いませぬ」
「何を言い出す。わしはおまえに家を継げなど、これまで一言も」
「わたくしは継ぎたいのです。わが家も昔は魔法で大王様にお仕えし、ときには后を出したこともあるとか……いえ、今からそうなろうということでは御座いませぬ。
ただ、このまま嫁に出てしまえばこの家はそれっきり。わたくしはそれが悲しゅうてならぬのです」
「し、しかし……何もおまえが出仕しなくても。手立てはいくらでもあるのじゃ、婿を取るなどすればよい」
「ですがととさま。わたくしを嫁にという殿御はいらしても、この家の婿に、という話が一度でも有りましたか」
“ととさま”は言い返せなかった。
この家はとうの昔に傾いている。良家との縁組は望めない。まして婿養子など。
娘の前で口にしたことは一度としてないが、とうの昔に彼女はわかっていたのだ──そして覚悟を決めていた。
父が何にも知らぬ間に。
「ですから、わたくしは御所に上がるのです。このままじッとしていても道が拓けましょうや。御所にて一生懸命お勤めし、道を立てとう存じます」
婿を取ることも嫁に行くことも考えない、と娘は言い切った。
御所で働き、地盤を作り、しかるのちに養子を迎えたい──そう語った。
「……しかし、おまえの幸せは」
「ととさまの思う幸せがわたくしの幸せとは限りませぬ。ここでよそに嫁いだとしましても、心残りになるばかり」
そうまで言うのなら仕方あるまい──こうして、彼女は御所へ奉公に上がった。
これが息子であったなら。
あるいはハーロウさんの卦が無かったなら。
不安など微塵も無かっただろう。頼もしいことよと思いこそすれ、悩むことなど無かっただろう。ハラハラしながら送り出し、里帰りの日々を心待ちにする……そうして過ぎる幾年月。
父の心配とは裏腹に、彼女は生き生きと過ごしていた。
宮中であんなことがあった、こんなことがあった、その報告の中には旧知の人物もいたりして、“ととさま”の心配も少しずつ薄れていった。
御所の水が合っていたのだろう。
先の春には官位がひとつ上がったようだし、普通の女の幸せにおさまる器量ではなかったのだ。
これでいい。
そうだ、これでいい。
「ととさま、ハーロウさまが御隠居なさったとか」
そんな話が出たのは、御所に上がって何年目のことだろう。
「ハーロウどのが。しかし大王様は?」
「あの方なら御一人でもよかろう、などと仰って内緒のうちに籠ってしまわれました。ほほほ」
「然様か……なんたる思い切りの良さじゃ。大王様は即位されたばかり、まだまだお若く少年であらせられるというに」
「いいえ、ととさま」
そう言って左右に首を振った彼女の、ほんのり赤く染まった頬にあたしは見とれた。
「大王様は普通の少年では御座いませぬ。少年の体の中に、もっと違うものが棲んでいるように思うのです。お言葉のひとつひとつに、浮世の者とは違う何かを感じるのです……あの御方は、只人では御座いませぬ」
セピア色の景色の中、そこだけまるで花が咲いたよう。放っておいても時は過ぎ、いつの間にか大きくなってしまうのだ。
だけど夢見るような娘の様子に、“ととさま”は少しだけ顔をしかめた。
「……のう娘よ、まさかとは思うが」
別に大したことを言うつもりはまったく無かった。
ハーロウさんのように近しいならばいざ知らず、娘の立場はいち女官に過ぎぬのだ。年若いとはいえ王の中の王と、直に言葉を交わすのは余りに畏れ多いこと。
きっと立ち聞き、あるいは盗み聞きをしたのだろう。
だから「行儀の悪いことは慎むように」と、ほんの少しお小言を述べるつもりだったのだ。
「まさかとは思うがおまえ、大王様の」
「──いえ、なんでも」
だから彼女の顔色が変わったとき、“ととさま”の顔からも血の気が引いた。
「なんでも……なんでも御座いませぬ!」
視線を泳がせ、唇を引き結んで、彼女は声を震わせた。
突然の剣幕に驚き呆然とした父の顔から、目を逸らす。
その頬は白く。
唇は青ざめて。
有ってはならぬことが有ったのだ──あの薄紅色の頬は、夢見るような眼差しは、そういうことだったのだ。
でなけりゃこんな顔はしないだろう。
静かに諭すより他にない。
父に出来ることは、それしかない。
「……大王様はまもなく、エードから后を迎えるそうじゃ」
分不相応を望めば、つらいだけ。
どうにもできないこともある。
諦めることで手に入る幸せも、この世にはあるのだから。
「ずっとずっと以前から定められておる。おまえは女官として奉公するのだから、その姫の御世話を仰せつかることもあろう……ようく務めよ。粗相なきように」
か細い声で、娘は「はい」と頷いた。
それでも胸騒ぎはおさまらない。
隠居を決め込んだというハーロウさんの言葉が耳に蘇る。あれからもう何年経った。五年、十年、十五年、子どもが大人になるには充分だ。
だいじょうぶ、きっと何も起こらない。悪いことなんか何一つ。
今まで平穏に過ぎていたのだから。
そして次の里帰り──彼女は膨らんだおなかを隠すように、あるいは守るように現れた。
季節は折しも、春。
「なぜじゃ」
父は自問した。
「なぜじゃ!」
混乱し、娘に詰め寄った。
「なぜじゃ娘よ、なぜ黙っておった。無体をされたのか。違うのか。父親は何と言うておる!」
「ととさま、お許し下さいませ、お許し下さいませ」
「知らぬのか。大王様は御存知ないのか。おまえは、たった一人で……何故。何故じゃ。何故!!」
「どうかお許し下さいませ……ととさま、後生で御座いますッ」
彼女は頑なだった。
手をつき、頭を下げ、涙ながらに「お許し下さいませ」と繰り返した。
ただ、この子をここで産みたいと。子を産んだのちは御所を下がると。
そして十日余りのちに産気づいた。
難産だった。




