094:がれきの鬼神 一
「姫様みなさんお待たせしました、魔法医の権威マーロウの唯一にして優秀な弟子コジマ!
ただいまーーー参! 上ッ!!」
「とおっ」と気合いたっぷりの掛け声ひとつ、夜空に紫の影が舞う。
巨大な龍の背から景気よく飛び降りたコジマくん、「すたっ!」とカッコよく着地を決めて、とんがり帽子を若干ナナメにかぶり直した。
曲がった樫の杖に白い鳩がチョコンととまる。
「僕が来たからにはもう安心! どこのどいつが相手だろうと、お見せしましょう八面六臂の大活躍! 迫りくる敵をちぎっては投げちぎっては投げ」
「おおぉコジマ、コジマよ無事であったか!」
「おかげさまで元気いっぱいです! 一時は獣まみれで圧死するかと思いましたけど、まーお師匠さまが来てくれましたから! 超強力な助っ人つれて、満を持しての再登場ですっ」
「助っ人?」
「さーこっからは形勢逆転、僕らのターンですよ! 敵は? どこです? あれ、魔物の大軍とかいないんですか?」
きょろきょろするコジマくんにあたしは声を張り上げた。
「なに言ってんの、そんなんいたら堪んないわよっ。ほらあいつ、あの燃えてるやつ!」
「げーっ、なにあれ人? 鬼? 誰!? わ、わ、隊長さんが血塗れで倒れてる! きゃーなんですかこの地獄絵図!!」
火だるまの鬼が怨々哭いた──地獄絵図、まさにその通り。
アルゴさんは衣服を真っ赤に染めてうずくまる。傍に寄り添うコズサ姫が「コジマ早う!」と声を上げ、魔法使いの弟子は一目散にすっとんで行った。「隊長さんだいじょーぶ!?」と叫びながら──
え、でも鬼は?
鬼はどーすんの!?
「だいじょーぶですよサトコさん、すごい助っ人つれてきたって言ったでしょ?」
──ごわあ──
『ぎゃァぁああァァ!!』
びょうびょうと風が唸りを上げ、鬼の絶叫が宵闇にこだました。纏った炎が風に煽られ、巨大な火柱へと変化する。
あたしは風圧に押されてたたらを踏み、咄嗟に差し出されたレオニさんの腕にしがみついた。
「コジマさん、助っ人というのはもしかして」
「見てのとおり、龍神です!」
枝わかれした大きな角。
口元に伸びる固い髭。
あたしの頭よりも大きな目玉が炯々と光り、地上を睨んだ。うねる巨体は金色に輝いて、上空にぐるぐる渦を描く。
風を起こす。
雲を呼ぶ!
「ファタルの龍とあの鬼は因縁浅からぬ間柄、しかも縄張りを荒らされておかんむりです! そりゃもーめちゃくちゃ怒ってますよ。怒りのあまり僕を背中に乗せて西の都まで飛んじゃうくらいには。
こうなったらもう下手に手を出さない方がいいでしょう。あ、サトコさんリュックちょーだい!」
「う……うん!」
狩りの城で、あの湖の畔で、どんないきさつがあったのだろう。
コジマくんとマーロウさん、そして巨大なファタルの龍。
リュックを下ろしてコジマくんに放ると、小さな龍があたしの肩にしゅるりと上がった。螺旋を描いて降臨する金色の龍を、きゅーきゅー鳴いて呼んでいる。
『あああ、あああ……あの時と、あの時と同じじゃぁァ』
火柱が轟々と燃え盛る。
龍は渡り廊下の屋根に前脚をかけ、ぐるりととぐろを巻いてその巨体を横たえた。
『若武者ァ、パン屋の小僧ォ、魔法使いィィ……あの時と、あの時と同じじゃァァ!!』
怨嗟の声が止まらない。
炎を揺らし、火の粉を風に散らしながら、鬼は叫び地を踏み鳴らす。
『あの時と! あの時と! あァァあの時とォォ』
火柱が舞い狂う。風に煽られ、強まる火勢にあたしたちは息を飲んだ。龍はじっと睨んだまま動かない──だけどその神通力は、たしかにあたしたちに味方していた。
だってほら、雨が降りだした。
何もかもを流す清めの雨が。
『邪魔をするなファタルの龍よ! ああァァさせぬ、させぬ、させぬぞォォォ……吾子の明日は吾子のものじゃ!! 奪わせはせぬ、奪わせはせぬ、奪わせはせぬぞぉォォ』
──ごわあ──
龍の息吹が火柱を直撃した。
分厚い炎の衣が剥がれ、下から現れた姿にあたしはゾッと身震いした。
まるで、消し炭人形だ。
焦げた衣裳がボロボロ剥げ落ちて、残ったのは黒焦げの、やせ細った体の、手足だけが不気味に長く背中の曲がった──人に似た形の炭の塊。
ところどころ見える赤いのは血だろうか……ぬらぬらと桃色に光るのは、肉だろうか。
『ああ、ああああ、あぁァァ』
普通ならとっくに死んでるだろう。
苦悶の叫びを発すれど、意味のある言葉は出せぬだろう。
それでも黒焦げの鬼はぐるぐる回る。炭化した手足を振り回し、裂けた口からあぶくが流れ落ちる。
狂気じみたその姿から目を逸らせない。
この人は──とっくに人ではないけれど──こんなふうに死にたかったんだろうか。
そんなはずないだろうに。
だってこんな最期……むごすぎる。
『吾子や、吾子や、ああァァァ吾子やァァァァ』
鬼は断末魔の声を上げ、ぐるぐる回ったあと前のめりに「どう」と倒れた。
真っ黒焦げの四肢をばたつかせ、起き上がろうともがいて両手をつく。
だけどその手が砕けて、またすぐに倒れ込んだ。
肘をつけば肘が砕け、膝をつけば膝が砕け、燃え尽きた体が粉々に崩れていく。腕も、脚も、胸も、腰も、肩も、首も、頭も、角も。
吾子や吾子やと呼ぶ声だけがいつまでも尾をひいて──その上にしとしとと雨が降る。
「祭壇で焚かれるのは浄化の炎です。もとは呪いのためとはいえ、ね。
その火で焼かれた上に龍の息吹で祓われて、清めの雨に流されれば形を保つことは難しいでしょう」
アルゴさんの処置を続けながらコジマくんは言葉を続ける。
「ほんとは僕がカッコよく祓うつもりだったんだけどなあー!
颯爽と現れて姫様をピンチからお救いして、バッチリ決めようとしてたんですよ、ほんとーです! まーそれでも“なにか”の力を借りることにはなったでしょうけど──相手は鬼神をその身に降ろしているわけですから。ファタルの龍が来てくれなければ、ちょーっと手を焼いてたと思います。
しっかし火だるまになっても動けるほどの妄執って何でしょうねぇー……ま、そんだけ恨みつらみがあってこそ鬼にもなるんでしょーけれど」
塵となった鬼の体が、浄めの雨に溶けていく。玉砂利に染み込み、土へと吸い込まれ、跡形もなく。
しとしと。
しとしと。
聞こえるのはコジマくんのお喋りと雨の音。
他にはなんの音も──なんの声も。
鬼は消えたのだ。
「……終わったの……?」
小さな龍があたしの頬をぺろりと舐めた。ポッポちゃんがくるくると喉を鳴らす。
終わったんだ、きっと。
あんなに振り回されたのに驚くほどあっさりと、あっけなく。だけどなんだろう……もっとスッキリするのかと思ってた。ホッとするのかと思ってた。
しとしと。
しとしと。
雨はやさしく降り続く。
コズサ姫が羽織った衣を一枚脱いで、横たわるアルゴさんの体にかけた。
「ひいさま……」
「うん」
「御召し物が、汚れまする……」
「今さらじゃ」
「お風邪を……ひきまする」
「怪我人が何を言うておる」
レオニさんは只々、立ち尽くしていた。
手から短剣が滑り落ちて音を立てる──刃についた真っ赤な血は、雨に洗われてすぐ消えた。
「おぬしこそ、さぞや痛かろうに。もう黙っておれ」
「猿にやられた時の方が、余程苦しゅう御座いました……」
「黙っておれ。わらわがいいと言うまで」
覚えていませんように。
誰も、レオニさんに言いませんように。
雨に溶けたのは誰の血なのか──しでかしたのは誰なのか。
コズサ姫が顔を上げてこちらを見た。あたしは祈るような気持ちで、少し離れて眺めているしかできなくて。
「若いの」
ハッとレオニさんが顔を上げた。我に返り、膝をつく。
「よう戻った……よう頑張った」
レオニさんは深々と頭を垂れた。返事をしなかったのは──しなかったのではなく、きっと出来なかったのだ。
だけどコズサ姫はそれを責めない。
「皆、此度はよう頑張った。アルゴも、コジマも、若いのも、サトコどのも……皆、本当によう頑張った。有難う」
誰のことも姫様は責めなかった。
糸のような雨の中を立ち上がり、金色の龍の前に跪く。
「ファタルの主よ。エードの一の姫コズサ、心より礼を申す。また、かの地を騒がせたこと心よりお詫び申す」
のそりのそりと、龍が屋根から下りてきた。大きな鼻先をコズサ姫に近づけ、ふーっと息をかける。
それは“赦す”という意思表示なのだろう。
姫様はホッとしたようにもう一度頭を下げ、それから立ち上がって笑ってみせた。
「……さ、後は皆で帰るだけじゃ! コジマの荷物にブーランジェリー松尾のパンがあるからの、それを食べて元気を出そう。龍神にも召し上がって頂かねば」
「でも姫様、隊長さんしばらく動かせませんよ? もーちょっとお待ち頂ければお師匠様が来ると思うんですけどね、あの人も都に来てますから」
「ほう、おじじが?」
「なんでも政治的に込み入った話があるから、偉い人同士でナシつけるとか……や、こんな時間だし明日にしたらって僕言ったんですけどね? そしたらなんだか知りませんけど『物事にはタイミングというものがあるのじゃ、ふぉっふぉっふぉ』ですって」
するとコズサ姫はむっとしたように口を尖らせた。
「コッチを後回しにするほどの大事とな。なんとゆーことじゃ!」とほっぺを膨らませる。それがどうにも可愛くて、あたしの口元はやっと少しだけ緩んだ。
ああそうだ、この空気。
みんなでわいわい言い合ってるこの感じが、すごく好き。
安心する。
ホッとする。
あたしたちはまたこんな風に過ごせるんだ。つらかった今日という日を終わらせて、明日からまた新しく。
「ねえ、レオニさん」
レオニさんはまだ跪いたままだった。隣にしゃがみこむと、目が合った。
「さっき、ありがとうございました。弓……ひとりじゃ上手くできなかったから。一緒に引いてくれなかったら、あたしきっとやられてました。あの鬼に」
するとバサバサ羽音がして、霧雨の中をポッポちゃんが飛んできた。レオニさんの肩に乗り、あたしの肩にいる小さな龍をじっと見つめている。
あたしとレオニさんもしばらく見つめ合い──やがてレオニさんはゆっくり立ち上がり、あたしに手を差し出した。
「サトコさん……指、見せて下さい」
雨に濡れたその手をとって立ち上がれば、レオニさんはあたしの指を自分の指でなぞりながら目を伏せる。
「……手袋も無かったのに強く引いてしまいました。鬼があなたを痛めつけるなんて言うもんだから、無我夢中で──痛かったですよね?」
「や、そんな。全然へーき、気づきませんでした。あたしも必死だったから」
「自分も必死でした。確かに霊廟にいたはずが気づけばここに居て、何がなんだかわからぬうちに──あっごめんなさい、少し切れてる!」
「や、や、ほんとに平気ですってば。寝て起きたらすぐに治っちゃいますってば」
「ちょっとそこふたりー、イチャつくんなら見えない場所で! 怪我してるんならこっち来て!」
顔を見合わせて、あたしたちは少し笑った。
コズサ姫も、横たわるアルゴさんも、その表情は穏やかだ。
ただひとりコジマくんだけが忙しい──ほら隊長さんジッとして、傷診せて……あーあーザックリいっちゃってる。でも大丈夫、こんくらいなら明日明後日には元気に動き回れますよ。もとのバイタリティに僕の魔法で下駄履かせときますからね、姫様も御安心なすって下さい。ほら、痛いの痛いのとんでけー!
──その声に混じって、かすかな泣き声が耳をかすめた。
……ふにゃあ……




