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087:鬼のすみか 二

 離れなきゃ。

 隠れなきゃ。

 でもどこに?


「サトコさんは何処ですか」


 どこに逃げればいいの? いったいどこに身を隠せって?


「もう一度聞きます。サトコさんを何処にやったのですか」

「訊けば答えると思うてか!」

「──ならば己で探すまでのこと」


 炭を塗りこめたような闇の中、あたしは必死で足を動かした。砂利に足をとられて転びかけ、ぎょっと目を剥いて息を飲む。

 足元にもやもやと黒い何かが迫っている。振り向けばそれは、明らかにレオニさんの周りに立ち込めていて──

  これはあれだ、霊廟の舞台を取り囲んだアレと同じものだ!


「ならぬ! 待ておぬし、待てッ」

「どこです? サトコさん」

「待てと申すにッ」


 闇を纏って“楔”があたしを追ってくる。コズサ姫には目もくれず。

 表の門は閉じている。外に逃げることはできない──だったら庭を走り抜け、敷地の奥へと進むしかない!


「う……」


 砂利に足が取られて走りづらい。よろめきながら奥へ奥へ、あたしは走った。

 もう、もう、もういやだ……!

 心の中に泣きごとが漏れ、視界にじわりと涙がにじむ。にじんだ視界のその先で「ぎぎい」と何かが軋んで開いた。

 手の甲で涙をぬぐい、目を凝らす──音をたてたのは屋敷の扉だ。

 炭色の闇の奥で、ぽっかりと暗い口を開けている。

「こっちにおいで」と誘うように。


「サトコさん、何処です? 答えて下さい!」

「待てというに! 止まらぬか、このッ」


 目隠し魔法で見えないはずなのに、レオニさんの目線は正確にあたしの位置を射抜いていた。「ひっ」と息を飲めば一歩一歩、近づいてくる。

 こうなったらもう行くしかない。

 真暗な口の中へ、あたしは一目散に駆け込んだ。そして、


 ──……バタン


 一瞬で扉が閉まり、あたしは鬼のすみかに飲み込まれた。









 がむしゃらに走るあたしの耳に、風に乗って何かが聞こえる。


 ……ふにゃあ、ふにゃあ、ふにゃあ……


 どこかで何かが鳴いている──弱くて小さい生き物の声。

 だけどそれは耳をわずかに掠めただけで、何の慰めにもならなかった。


「うう……ぐすっ」


 真暗な屋敷の中をあたしは駆け抜けた。

 目からは涙、唇からは唸り声。

 廊下を過ぎ、角を曲がり、壁や柱にあちこちぶつけながら、めちゃくちゃに走り続けた。


「ぐすっ……ううっ……!」


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 レオニさんがおかしくなっちゃった。

 完全に“楔”になっちゃった。

 捕まったら、もうおしまいだ。具体的にどうなるのか、何をされるかなんて考えたくない。

 不幸な目に遭うのだけは間違いないだろう。

 もう二度と笑顔にはなれないような、おかーさんに顔向けできないような、それこそ誰にも会えなくなるような、そんな目に遭わされるに違いない──そう思った瞬間何かにつまずき、盛大につんのめる。


 びたーん! 


 とイイ音がして、あたしはその場に倒れ込んだ。


「ううう」


 もう、もう、もう……限界だ。

 顔から転んで起き上がれず、あまりの惨めさにあたしは泣いた。

 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

 数時間前、最後に見た時のレオニさんは、確かにエードの近衛士の精鋭だったのに。

 あたしたちを鬼から逃がすために必死になってくれたのに。


「レオニさんが楔になっちゃったぁぁ……」


 コジマくんはなんて言ったっけ──術者を何とかするしかない、って言わなかったっけ。

 マーロウさんはなんて言ったっけ──鬼を説得する、って言わなかったっけ。

 そうすればどうにかなるって。

 レオニさんは元に戻るって。


「でも……間に合わなかったじゃないのよぉ!」


 あたしは四つん這いでさめざめと泣いた。

 いっそのこと捕まってしまえばいいのかも……そんな考えがふとよぎる。

 表に出て「ここにいます」と声を上げ「もう一人探したいから一緒に来て」って言えば、普通に協力してくれるかもしれない。

 だいたい、此処まで来たのはあたしじゃなくて姫様のためなのだ。それなのに見つけたのはレオニさんで、姫様は表に置き去りなんて本末転倒もはなはだしい。

 だったら本来の目的を達成するまで、ちょっと我慢して楔と一緒にいるくらい……


 ──だめだ、悲惨な未来しか見えない。


 服の胸元から“鬼の眼”がころんと転がり出る。

 マーロウさん……わかってんのよね、この事態を。あたしはぐすっと鼻を鳴らし、白く淡く光る小さな石に、恨みがましく呟いた。


「何とかしてよ……」


 すると鬼の眼が一瞬ぴかっと光を増した。


「え」


 それからふっと宙に浮き、ぐいっとあたしの体ををひっぱった!


「え、ちょ──ぐえっ」


 それがけっこう強い力で、ぶら下げてた紐ごと引っ張るものだから首つり状態だ。

 あたしが四つん這いの体勢から抜け出すやいなや、白い石は「ひゅん!」と音を立てて動き出す。ちょ、待っ……紐、絡まったままなんですけど!


「く、苦しっ、苦しいって、げほっ」


 腰を上げれば「ぐい」と引き、立ち上がればまた「ぐい」と引く。あたしは首と紐の間に手で隙間を作り、よろめきながら鬼の眼を追いはじめた。

 首から外した方がいいのかも──いや、だめだ。あっと言う間に飛んでっちゃいそうで怖くてできない。

 そもそもコジマくんからの借り物だし、それにこれさえあれば、少なくともマーロウさんとは繋がってられるはず。

 失くすわけには絶対いかない。

 今のあたしにとって、この石は生命線そのものなんだから。


「待って! 待ってったら……けほっ」


 炭色の屋敷の中を照らしながら、鬼の眼がぎゅんぎゅん飛んでいく。あたしを導くように、というには少しばかり乱暴なスピードで。

 遠慮なしだ。

 必死になってあたしも走った。木の廊下をまっすぐ。ざらついた塗り壁に沿って。やがて暗い廊下の突き当りで鬼の眼は止まり──

 ただの石に戻って、また紐からぶら下がった。

 ぜえはあと肩で息をして手の甲で汗をぬぐい、あたしは顔を上げた。


 ──目の前に、両開きの扉がある。


「……ここに連れてきたかったの?」


 もしも鬼の眼が生きものなら、こくこく頷いていたかもしれない。背中のリュックで寝ている小さい龍みたいに。

 さっきの表門に続き、またこの展開だ……あたしはごくりと息を飲んだ。


 開けるべきか。開けざるべきか。


 たとえばこれが道迷いなら、動くべきではないだろう。

 じっとその場にとどまって、誰かが来るのを待つべきだ。あるいは、わかるところまで戻るべきだ。戻ってコズサ姫と落ち合って──でも、今はそうじゃない。

 姫様のところには戻りたい。一緒にいなきゃ、ってそう思う。

 だけど表には楔がいる。

 あいつが纏った暗闇に呑まれたら一貫の終わりだ。

 それに姫様はあたしに目隠し魔法をかけ、逃がしてくれたのだ。「身を隠せ」とそう言って。


 ──開けよう。


 じっとしてたって何も始まらない。ここは「えいや!」と一気にやるべきだ。

 それに肌身離さず持っていた魔法のアイテムが連れてきた場所だもの、悪い結果にはならないはず。そう信じたい。

 あたしは決意を固め、木彫りの装飾に縁どられた取っ手に指をかけた。そして思い切りスパァーン! と開き、


「動くな」


 そのまま凍りついた。


 あたしの鼻先スレスレに、刃物がある。

 冷たい刀身を“鬼の眼”が照らし、ぎらりと光る。


 そ、そうよ。そうよね。


 そもそも生きてる人間は出てこない、と無意識に考えていたことがおかしいのだ。

 鬼だの龍だの魔法使いだの怪現象だの、そういうものに慣れ過ぎたのだ。

 こんだけ大きい屋敷に誰もいないはずがない。あんな勢いよく走り回って、見つからないわけがない。

 今のあたしは不法侵入の不審者そのもの、まともな人なら当然警戒するだろうし、こ、こ、今度という今度こそ、き、斬ら、斬られ……


「た、たた、たた助け」


 あたしは固く目をつぶり、ぎゅっと身を縮めた。

 頭のてっぺんから唐竹割りか、肩から斜めに袈裟掛けか、あるいはそのまま突かれるか、とにかく痛い目に遭って死ぬのを覚悟した──のだけれど。


「騒ぐな」

「ひッ!」

「心を落ち着けて顔を上げよ」


 だけど、いつまで経っても、剣はあたしの肉を裂くことも骨を砕くこともなかった。

 恐る恐る片目を開けて様子を伺う。

 白刃を鞘に納め、その人は一歩前に出た。あたしは小刻みに震えながら顔を上げ──


「あ」

「剣を向けて済まなかった、サトコどの」

「あ、あ、あああ」


 その瞬間プツンと音を立てたのは、緊張の糸、ってやつだろう。

 あたしはへなへなとその場に座り込み、やっとのことで、その人の名を口にした。


「アルゴさん……!」


 うむ、とその人は頷いた。




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