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085:一路、西へ

 アルゴさんを迎えに西の都へ──ようやく話がまとまってホッとしたからだろうか。

 さっきまでわんわん泣いていたコズサ姫の顔色は、星明りの下でも少しは良くなったように見えた。


「しっかし兄じじめ、腹の立つ」


 そう言うとタオルでゴシゴシ顔をぬぐい、ティッシュで「ちん!」と鼻をかむ。その声音も少しずつ元気が戻っているように思えて、なんだかあたしもホッとした。


「言うに事欠いてわらわを嘘吐き呼ばわりじゃ。許せぬ。『皆を迎えに行きたい』がまっこと嘘であれば、言うたわらわがとんでもない悪党のようではないか」


 姫様は眉尻を上げ、唇をつんと尖らせる。するとそれを見た鴉がガアガア喚き立てた。


『一生の願いなどと大仰に言ったのがまずかったな。ハーロウは言葉というものに厳格なのだ』

「ふんっ、重箱の隅をつつくでもあるまいに。小事にかかずらえば大事を見失うのではないのか、違うのか?」

『小事大事とはまた別だ。

 魔法使いというのは、えてしてそういうものよ。言葉は一番簡単な魔法であり、一番簡単な呪いだからな』


 そういえば、コジマくんもそんなこと言ってたっけ……

 呪いという言葉にレオニさんの面影が脳裏をよぎる。あたしはばれないように小さく息をつき、ふわふわタオルとティッシュ箱をリュックに仕舞った。


 あたしたちはこれから、西の都に行く。

 案内人はハーロウさんの“使い鴉(カラス)”。

 小さい龍は鴉が怖いのか、さっさとリュックの中に隠れてしまった。隙間からチョコンと顔を出し、チラチラ竜巻山の方を気にしてたのは、玄祖父(ひいひいおじいさん)がいるせいだろう。行きたいとこ行っていいのよ、と言ったんだけど……結局ついて来るつもりみたい。

 さっきまでゴソゴソしてたのに、今じゃすっかり大人しい。きっと中で丸まって寝てしまったんだろう──なんたって腕時計の針はもうすぐ0時。

 良い子はとっくに寝る時間だ。


「魔法使いが皆同じなら、おじじやコジマも同じと申すか。あの二人が言葉の意味に厳しいとは到底思えぬがの」

『コジマ?──ああ、マーロウが世話しているとかいう、派手な顔した騒がしい小僧か』


 わいわい言い合う鴉と姫様の後をついていく。

 魔法で『近道』するのかと思ってたんだけど……西の都まで、まさかの歩き? それとも抜け道とかあるのかな。たとえばそう“龍の通路(みち)”のような。


『そいつらもハーロウと同じように言うはずだ。仮にも魔法使いであるならな』

「いーやっ、おじじは緩すぎるしコジマは大げさじゃ。だいたいあやつの“一生の願い”なら、わらわは少なくとも三(たび)は聞いておる」

『ほう三回。そりゃ多いな』

「三回くらい。別にいいと思いますけど」


 答えたタイミングは、ほぼ同時。

 コズサ姫はぱちりと瞬き、鴉は『何言ってんだ』とでも言いたげに振り返る。ガア、ガア、ガアア──


『何言ってんだ』

「あ、ほんとに言った」

『一生の願いが三つも四つもあってたまるものか』

「えー皆言うでしょそのくらい。一生のお願いだから体操着貸してとか、一生のお願いだから職員室一緒に来てとか」

『しょくいんしつ?』

「たいそうぎ?」

「まあとにかくですね、あたしがいた所じゃ“一生の願い”って口走っても、泣かされたりとかしないんです。普通はっ」


 するとコズサ姫は「そうじゃそうじゃそれが普通じゃ」と拳を握りしめて賛同し、鴉は『言葉の軽い世界もあったもんだ』と眉をひそめる。もちろん鳥に眉毛なんてあるわけないから、そう見えたってだけだけど。


『それでは問うがパン屋の娘よ、おまえの一生の願いはいくつある』

「え、あたし?」

『その様子じゃ五つも六つもあるんだろう?』

「なによー、そんなにありゃしないわよ。だいたい最後に“お願い”したのなんてそーとー前だし……小学校とか、中学校とか」


 それに内容だってとうに忘れてしまった。

 きっと大したことでは無かったはず──覚えていないくらいだもの。

 例えば教室で半分ふざけて手を合わせ「漫画貸して」だの「ゲーム貸して」だの、あるいはちょっと真面目に「ノート写させて」だの。せいぜいそんな程度のことだろう。


「ま、おかーさんには言われたけどね……そんなんで一生のお願い使っちゃったら勿体ないから、普通に頼めって」

『なるほど。おまえはボンヤリしているが、母親の方はマトモと見える』

「なっ」

「言いすぎじゃ鴉、わらわはサトコどのの味方をするぞ。兄じじも酷いがおぬしも酷い。意地悪じゃ」

『ハン、一生の願いなんてのは伝家の宝刀だ。“ここぞ”という時にしか抜かないものだ』

「うわー。それも言われたわ、おかーさんに……」


 当時のあたしは何と答えたやら、「それもそーだね」とか適当に返事をした気がする。


『良い母ではないか、パン屋の娘よ。せいぜい親孝行するんだな』

「しますよー言われなくたって」

『伝家の宝刀、振り回すなよ』

「振り回してないですよー、もうそんな歳じゃありませんっ」


 ──実際、あたしは「一生のお願い」と口走ることは無くなった。

 でもそれは偶々(たまたま)だ。

 大した願いがなかっただけ。ポリシーだとか信念だとか言葉の意味だとか、そんなちゃんとした考えが有ったわけじゃない。例えばそれは、受験というある意味人生の岐路においても同じで……


 ……そう、あれはたしか高校に入ったばかりの頃。


「松尾さんはさ、ここ以外どっか受験したの?」


 同じ中学から上がった子が少なくて、新しい友達もまだいなくって、ちょっと緊張しながら通学してた頃。

 休み時間といっても誰かとお喋りするでもなし、トイレを済ませて席に戻って、何となく時間を潰してた時のこと。

 ぼーっとしていたあたしは、となりの席から声をかけられたのだった。


「ううん、ここだけ。山野くんは?」

「私立も併願したけど第一志望はここだったんだ」

「そうなんだあ」


 なつかしいな。

 その時はとなりの男子を好きになるとか、ましてや付き合うとか別れるとか、挙句の果てに異世界トリップするだとか、そんなことはカケラも思っていなかった。

 今から思えばちょっと暢気すぎるくらいだった、三年前のあたし。どこにでもいるような初々しい高校一年生。

 そりゃあね、当時は当時で一生懸命だったけど……


「あたしは偶然受かったの。直前に見た参考書と同じ範囲が出たから、それでなんとか滑り込めたって感じ」


 あたしが入学したのは普通の公立。

 じつを言うと、受かるかどうか正直微妙だった。

 それなりに勉強は頑張ったけど、模試の判定はいつもB。受験はダメ元、受かればラッキー、ダメならお店に就職して働こう──そう思ってた。「君は必死さに欠ける」って進路指導の先生に言われたけれど、その通りすぎてぐうの音も出なかったものだ。

 それがなんとまあ、本番の数分前にかけたヤマが複数科目で当たってしまった。

 不合格だった人に申し訳ないくらい、受験当日のあたしはラッキーだった。


「すごいね松尾さん、持ってるタイプの人だ」

「ええー、何も持ってないって! ほんと偶然、偶然だから」


 そう言って笑い合ったんだっけ……今にして思えば「引きが強い」ってコジマくんに言われたのも、あながち間違ってないのかも。

 で、家に帰ってその話をしたら、おかーさんが大真面目な顔で言ったのだ。


「私のおかげだよ、それ」

「えー、なんで?」

「願掛けしたもん、“一生のお願いですからサトコを高校に行かせて下さい”って。

 だってほら中卒でパン屋なんかなってみなさいよ。あんたの性格じゃー朝から晩まで毎日毎日まじめ一筋に働いて、楽しいことなーんも知らないうちに年とっちゃうんだから」

「そ……そーお?」

「そおーよ」


 曰く、願書を出した日からほぼ毎日、地元のお寺だか神社だかにお参りしたとのこと。

 まあそれは配達ルートに近いから寄ってった、ってのが真相のようだけど。


「でもおじいちゃんは中卒だったじゃん」

「おじいちゃんはいいんだよ、あれで若い頃はさんざん遊んだっつってたから」

「それにおかーさん、“一生のお願い”あたしのことなんかで使っちゃって良かったの?」

「あんたのことで使わないでいつ使うってーの。アホなこと言ってないで、さっさと上行って宿題でもやってきちゃいな!」


 そう言うと、母は厨房からあたしを追い出したのだった──たぶんあれ、照れ隠しだったんだろうなあ。

 もちろん高校には行って良かったと思ってる。

 勉強面はパッとしなかったし、正直に言えば行くのが億劫な日だってあった。だけど行けばそれなりに楽しかったし、部活や行事もそこそこ楽しんだし、それに……そう、恋だってしたし。

 とにかくあたしが高校に通えたのは、なけなしの実力と多少の運と、おかーさんの“一生のお願い”のおかげだったのだ。「受かりたいには違いないけど、受からなくても進路は決まってるし」という娘のヌルい考えを、わかっていたのかいないのか……きっとお見通しだったに違いない。


 ここぞという時に抜く、伝家の宝刀かあ。


 あたしにはきっと、まだその時が来ていないのだ。あるいは来たことに気づかずスルーしちゃったか。

 それは「さほど必死になることがないからだ」と思えば悲しいけれど、「そのくらい何事もなく平和なのだ」と思えば喜ばしいような気も──いや、龍の洲(こっち)に来てからはカケラも平和じゃないけれど。


 そのすべてのきっかけたるコズサ姫は、コジマくんがいかに大げさにものを言うか、こんこんと鴉に説いている。曰く、


「わらわがおじい様に頂いた前掛けを下げ渡したときなど、とくに酷くての。

 なんということなき薄桃色を『天女が頬を赤らめたるがごとき優しさ艶やかさ美しさを備えたこの世のものとも思えぬ麗しき彩雲の色』と申しておった。あんなにもスラスラと飾り言葉の出る者、そうはおるまい!」


 だって。

 前掛けってのはあれだ、うちの厨房でもつけていたピンクのフリフリエプロンのことだろう。朝五時に勝手にシャッター開けて入ってきて、おかーさんにそっこー突っ込まれてたっけ。なんだかそれさえもなつかしい……


「あ、そういえば」


 あたしはふと思い出し、さっき締めたリュックの紐をまた解いた。

 中から「きゅっ」と驚いたような声がする。寝ぼけ眼の小さな龍に「寝てていいのよ」と声をかけると、すぐにくるんと丸まった。

 そりゃ眠いよね。まだ小っちゃいもん。


「パン食べますか、姫様。あたしここに来る前お店に寄ったんです。偶々ですけど」

「パン! 食べるッ」

「あ、よかった。えーっと何があったかな……たしかメロンパンもあったはず」

「メロンパン!」

「丸かじりできますよ」

「するッ」

『エードの姫の好物か。おれにもくれ』

「絶対いやじゃ」

『チッ』

「まだ一回しか食べてないですもんねえ、しかもわけっこで四分の一ずつ」


 そうそう、エード城の美しい中庭。あそこで一緒にお茶をしたんだ。

 木々が枝を伸ばし花々が咲き誇るあの庭のあずまやで、コズサ姫とマーロウさんとあたしの三人。きれいな茶器に美味しいお茶、最後に残ったメロンパンのひとかけらを、姫様は丁寧に紙袋に戻して──取っといて後で食べるのかな、考えることはお姫様も庶民も同じだな、なんて思って嬉しくなったんだ。

 忘れてない。

 覚えてる。

 思い返せばあたしはきっと、あの時からこの姫様が好きなのだ。


「うん。そうであったな」


 コズサ姫もきっとその時のことを思いだしたのだろう。目を伏せて微笑んだ。


「アルゴのやつもメロンパンを気に入ったようじゃった。『とくに上の部分がよう御座いますな』と申してな」

「え」

「だから食べるのは後にする。誰ひとり欠けることなく、狩りの城に戻ってからじゃ」


 そうだったんだ──あの最後の一欠けは、あの人が食べたんだ。

 その事実があたしの胸にぐっと迫るその前に、姫様はぱっと笑顔になった。


「その方が、いっそう美味いと思えよう」


 はい、とあたしも微笑んだ。

 だけど水を差すように鴉が鳴いた。


『着いたぞ』


 ガアア、ガア、ガアア──


『おまえたちの探し人は、ここにいる』




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