082:あの日あの夜 一
それはあの日、あの夜のこと。
『魔法使いハーロウはな、エードの姫をくびり殺すつもりでいたのよ』
ブーランジェリー松尾がこの世界にトリップし、アルゴさんと喧嘩したコズサ姫が自室の箪笥にお籠りになった、あの夜のこと。
「えーっと……なんで?」
『どんな姫が来るのか見てやろうとしたのよ──“龍の通路”が開いたからな。ちょっとした悪戯心というやつだ。
通路を抜けて姫の寝所に出向き、エードの連中の度肝を抜いてやれば面白い。とくにマーロウのやつに吠え面かかせてやれば、ハーロウの寿命は百年以上伸びるだろう。
な、いい考えだろう?』
なんであたしに同意を求めんのよ、この鴉は……「何言ってんの」くらい言いたいけれど、ここは我慢だ。
あたしのミッションは姫様にかけられた魔法を解く鍵を、コイツの話から引き出すことなんだから。
『こちらから行くつもりであったからな、まさかあんなところで姫に出くわすとは思わなかった。あれはたしか西の都の、御所の近くの池の畔だ』
「つまり、そこが通路の出口で……じゃあやっぱり姫様は、箪笥を抜けて西の都に行ったんだ」
『だが姫は“箪笥の向こうから悪い魔法使いがやってきた”と言ったんだろう? マーロウや、エード国王や、おまえたちに』
あたしが小さく頷くと鴉はガアガア笑ってみせた。
『それはそれは。祖父顔負けのとんだ狸だな、あの姫は』
さて、あの日あの夜。
東に明るい月が出ていた。
都の名もない池の淵、老魔法使いが目にしたのは世にも美しい人影だった──はて池の精か月の精か、人に非ざる幽鬼の類であろう。関わればろくなことにはなるまい、くわばらくわばら。
そう思って道を変えようとした矢先に声を掛けられ、ハーロウさんは立ち止まった。
「そなた、魔法使いか」
──なんと美しい声だろう。
「魔法使いなれば存じておろう。ここは何処じゃ」
ふむ、とハーロウさんは考える。
この声、この物言い、幽鬼ではなく生身の娘だ。それも高貴の育ちに違いない。
いくら月の明るい夜だって、こんな時間に高貴の姫が独り歩きは無いだろう。となればこの美しい何処ぞの姫は、“龍の通路”を抜けてやってきたのだ──さて、いったいどこから?
だけど一を知れば十を理解する大魔法使い、瞬き一つで正解に辿り着いた。
「都は初めてかね、エードの姫よ」
そしてニヤリと笑って凄んでみせた。
「なるほど噂にたがわぬ美しい姫だ。
歳は十八、名はコズサ。マーロウのやつがおんば日傘で育てたのであろう。玉の肌には瑕ひとつなく、眸は夜空の星の如く、か……絵姿が似ても似つかぬ出来なのも頷ける。おまえを正しく描ける絵描きはおらんだろう」
すると月下に佇む美しい人影は、きゅっと唇を引き結ぶ。
「なんぞ企みでもあるや。西の魔法使いよ」
ああ、とあたしは息をついた。
姫様らしいというか何というか……目に浮かぶようだ。背筋をぴんと伸ばし、視線を老魔法使いにしっかり据えて。ぶれることなく、まっすぐに。
すると鴉は「やれやれ」とばかりに首を振る。
『とんだ食わせ者だぞあの姫は。二言三言交わしただけで、ハーロウの正体と立場を悟りおった。
にやりと笑ったかと思えば“そなた大王様ゆかりの魔法使いじゃな、この場でわらわを出迎えたのをまさか偶然とは申すまい”と、こうだ』
「そりゃまあ……わかるんじゃないの? マーロウさんからちょっとくらい聞いてたかもしれないし、ハーロウさんのこと」
『そうだそうだ、マーロウの血縁だということもすぐ見抜きおってな。“兄じじ”などと呼びはじめ、止せと言っても平気のへいざだ。
度胸があるし勘も鋭い。おまえの鈍さをわけてやれ、パン屋の娘よ』
なっ。
カチンと来て顔をしかめると、鴉は声を上げて笑いだす。ガア、ガア、ガアァ──
『おお、睨まれたぞ。そうかそうか、しゃくにさわったか。
だがその方が楽に生きられる。鈍いことを悪いことと断じるのは、愚か者のすることだ』
「え、それもしかしてフォローなの。ねえ」
失礼な鴉はおいといて。
さてコズサ姫に正体を看破されたハーロウさん、やってきたエードの姫に興味が湧いた。命を奪うだけならいつでもできる、ならば少しお喋りでもしてみよう──と、そう考えたらしいけど。
『当代随一の高貴の姫と言っても一皮剥けばただの小娘だ。つんと澄ましたその顔を崩してやればスカッとするだろう。
だからハーロウは単刀直入にこう言ったのだ──“姫よ、おまえの首をもらいたい”とな』
「……うーわあ」
『おお、また睨んだな。姫がおまえのような娘なら、脅し甲斐もあろうになあ!』
そりゃーたしかに、あたしだったらすぐに泣かされているだろう。
でもコズサ姫は、そんなことでビビるような人ではない。
内心はともかく気高い佇まいを崩すことは決してない。目の前にいるのを敵と思えば尚更だ。
その時も姫様は片眉をわずかに動かしただけで、たった一言訊ねたそうだ。
「大王様がわらわの首をご所望なさるのか?」
魔法使いは答えない。
月明かりの下、そのまま二人は静かに睨み合い──
ニッと笑い、先に沈黙を破ったのはコズサ姫。
「なんじゃ取らぬのか。大王様が直々に欲しいと仰せなら、出し惜しみなどせぬものを」
「……ふん、大した姫よ。大王の名を出されたとあってはな」
「つまりこれは、そなた一人の謀──なるほどのう」
あたしは「ふーっ」と息をつき、ついでにズボンの膝辺りでゴシゴシと手汗を拭った。その場にいたわけでもないのに、なんだか緊張してしまう。
鴉はガアガアと騒がしく、“その時”のことをこう語る。
『脅かしてやろうと思ったのに、泣きもしなければ震えもせん。立派といえば立派だが、もうちょっと可愛げが欲しいと思わんかね。なあ、パン屋の娘よ』
だからなんであたしに同意を求めるのよ、この鴉は。
眉をひそめると何かがあたしの袖をひっぱった。小さな龍だ。咥えた裾から口を離し、気を抜くなとばかりに「きゅー」と鳴く。
……そうだそうだ、話の核心はきっとここから。
どうしてコズサ姫は子どもの姿になったのか、余すことなく聞き出さなくては。
「えーっと……でもハーロウさんが姫様を殺そうとしてたのは、脅しじゃなくて本当なんでしょ?」
『もちろんだとも。でなけりゃあそこで出会うこともない』
それは嘘ではないんだろう──だけどその時、ハーロウさんは気づいていた。
誇り高い姫の目もとが、わずかに腫れて赤いこと。
唇からもれる吐息が、かすかに震えて揺れること。
「死ぬのは怖くないというのかね。それでは何故泣いておったのだ」
そして興味を惹かれたのだ。
「おまえのような胆の据わった姫が何を理由に泣いていた。それはなすすべなく命を取られるよりもつらいことなのか」
「泣いてなど──そなたの気のせいであろう」
魔法使いの不躾な質問に、コズサ姫の視線はわずかに揺れてさまよった。御顔をしかめ、そのままぷいとそっぽを向き──
それが意地悪な魔法使いの野次馬根性に火をつけた。
知りたい。
この姫の泣いた理由が。
こうなったら何としてでも突き止めてやろう。でなけりゃ気になって仕方がない。
「ほうほうなるほど、泣いていると見えたのはこのハーロウの気のせいか。そのわりには目のふちも鼻の先も赤くなっているが、これはどうしたことなのだ」
「な……なんでもよかろう、其の方には関わりなきことじゃ!」
からかうようなその口調に、姫はしかめっ面のままモゴモゴと何か言い淀む。
ますます興味を惹かれたハーロウさん、ニヤリと笑ってもう一歩踏み込んだ。
「ふむ、その顔を見ればだいたいわかるぞ。人には明かせぬ恥ずかしい理由があるとみたが」
「そのようなもの……!」
「なあにここには誰もおらぬ、こそっと打ち明けてみればよい。おれとおまえとの秘密にしてやろう」
「なにが秘密じゃッ。いい加減にせよ魔法使い、もしもわらわが泣いたとて、おぬしに打ち明けるような理由などこれっぽちもありはせぬわ!」
……そりゃあねえ、誰が相手でも言いたくなんかないだろう。
だって子どもみたいなやきもち焼いてアルゴさんと喧嘩して──というか一方的にわーわー言って、自室の箪笥に引き篭もって拗ねてたなんて。そんなの恥ずかしいに決まってる。
はたしてハーロウさんは、コズサ姫の顔色からどのくらい真実を汲み取ったのやら。
あたしには計り知れないけれど、追及の手を緩めることだけは無かったようで。
「おかしな姫よ。死ぬのは怖くないと言うくせに、泣いた理由はムキになって話そうとせぬ。よっぽど人には言えぬことに違いない」
「なんとでも申せ! 命よりも名誉を重んじるのがエード王家の家訓なるぞッ」
「なるほどそうか、泣いた理由は名誉に関わることなのか。そうなんだな? どうなのだ、ん?……関わるんだな、顔が真っ赤だ。普通の娘ならば真っ青になるところだろうに。
なあ姫よ。恐ろしくはないのかね。ここで成すすべなく命を取られること、口惜しいとは思わんのかね」
ハーロウさんはニヤニヤと、挑発するように言葉を続ける。
うーん……人が悪いというか何というか、その時の姫様の胸中は察するにあまりある。あたしだったら早々に泣かされていることだろう。
「エードが天下を統べたとはいえ、たった数十年。輿入れ前におまえが死ねば他国の王たちはさぞかし喜ぶであろうなあ。
おお可哀想にエードの姫よ!
おまえは何も成さずに命を散らすのだ。ここで今、虫けらのように!」
するとコズサ姫が顔を上げた。何を言い返してくるのかと、ハーロウさんは期待半分で待ち構える。
「……それでは問うが、兄じじよ」
「おう、なんだ」
「わらわが悔しがれば其の方は嬉しいのか」
「少しはな」
「わらわの死んで龍の洲が戦の世になれば愉快じゃと、そう申すのか。エードの姫が無念のうちにのた打ち回って死ねばせいせいすると、そういうことか」
「ま、何とでも思えばよい」
「ならばよう聞きや西の魔法使い」
その時、姫の姿は平静であったという。嘲るような言葉に激昂するでもなく、嘆くでもなく。
「エードの姫が死んだ。下手人は誰であるか。剛の者か、高貴の者か、魔法使いか──そのようなことは瑣末事じゃ。
わらわには忠実なる臣下が居る。誰が相手であれ斬り伏せるつわものじゃ」
そして高々と言い放った。よく通る、美しい声で。
「我が無念はその者の手で、必ずや晴らされよう。ゆえに口惜しいことなど何も無い!」




