080:竜巻山の魔法使い 二
「邪魔するなってことかしら……」
「そうなんじゃろうのォ。こうして仕切っておかねば手出しをされると思うとる」
「でも、姫様すぐそこにいるのに」
そこはこれまたメルヘンな、なんとも可愛らしい居間だった。
小さなテーブル、小さな椅子、小さな暖炉。
マーロウさんはとんがり帽子を外して胸に抱いている。そうしなければ天井にぶつかってしまうような、小さなおうち。
あたたかな光に満ちたその居間で、コズサ姫はこちらに背を向けて立っていた。
表情が見えないから胸がざわついて落ち着かない。マーロウさんが「泣いておられるかも」なんて言ってたから尚更だ。だけど小さな背中はまっすぐに伸びてるから……きっと大丈夫。
そう思いたい。
「まあー仕方ないから大人しく待っているとしようかの。
さ、座ろうかサトコちゃん……大丈夫大丈夫、心配することはあるまいよ。“あの日”ひいさまの御命を頂戴しなかった兄じゃ、エードの姫をこの場でどうこうしてくれようとは思っとらんのじゃろ」
「あの日って……」
「ひいさまが子どもにお成りになった“あの日”じゃよ──もちろん、万が一のことがあればワシとて黙っちゃおらん。そのままやられてくれるわけには行かんからのう。ふぉっふぉっふぉっ」
マーロウさんの暢気な声は、魔法の壁の向こう側には届かないのだろう。
外野をシャットアウトした空間でコズサ姫は誰かと対峙している。暖炉の前には小さな揺り椅子、そこに埋もれる小さな人影は──
「おーいたいた。あれが我が兄ハーロウじゃ」
「え、ちっ……」
ちっちゃ!
と思わず声に出しかけて、あたしは慌てて口を押えた。
──こびとのおじいさんがいる。
とんがり帽子に曲がった樫の杖、それにローブ……格好や持ち物はいわゆる魔法使いと同じだ。だけど、まあーびっくりするほど体が小さい。
揺り椅子に完全に埋まったその姿、コズサ姫より頭一つぶんは小さいだろうか。
まさにおとぎ話の住人、絵本の挿絵そのものだ。
「に……似てない兄弟なんですね」
「幼い頃は双子のようにソックリだったんじゃがのォー、年々違ってきてしもうたわい。足して二で割ればちょうどいいんじゃがのう」
ともかく手出しも口出しもできないんなら、しばらく外野を決め込むしかない。あたしとマーロウさんはお喋りをやめ、壁にもたれて腰を下ろした。
魔法のリュックは膝の間へ。すると小さな龍がチョコンと顔を出す。鴉がいなくなってホッとしたのか、こちらを見上げて「きゅー」と鳴こうとし──その時だった。
鈴のような声が耳に飛び込んだ。
「力を貸してくりゃれ、兄じじ」
あたしは龍の鼻先をむんずと掴んだ。
こっちの物音は聞こえないんだから、そんなことしなくていいんだけれど。
「勝手な呼び名をつけおって。まずはその兄じじというのをやめてもらおうか」
続いて聞こえる、低く不機嫌な声。
魔法の壁の向こうでは小人のおじいさん──改めハーロウさんが顔をしかめていた。
「おじじの兄なれば兄じじじゃ。何もおかしくはなかろう」
ギョロリと目を動かし、ハーロウさんは「けッ」と吐き捨てる。
その苦虫を噛み潰したような顔と言ったら……鴉の態度がアレなら飼い主の態度もコレ。あたしと小さな龍が縮み上がるには、この時点でもう充分。
おっかない顔の小さな老魔法使いに、コズサ姫は何か交渉を持ちかけているようだった。
「それで? 強情な姫よ、おまえの望みを叶えればエードがおれに何かしてくれるのか。ん?」
「父上からそれなりの謝礼があろうし、無ければわらわが個人的に礼をする。どうじゃ」
「ほう……一国一城の主にでもしてくれるのかね。それはそれは楽しみなことだ」
でも、姫様を子どもにしちゃったの、その人でしょ……?
ハラハラ見守るあたしの前で、ハーロウさんはコズサ姫を睨みつける。だけど姫様は動じない。あくまでも落ち着いた声で、言い返した。
「よう言うの、城など望んでおらぬくせに。人が望むような謝礼や褒美は、そなたには無用の長物であろ?」
「わかっているならお引き取り願おうか。おれは老いぼれだし、そもそもエードとは無関係の人間だ。そちらの揉め事に顔を出して、厄介ごとに巻き込まれては堪らない」
「無関係とな」
「ああ、無関係だ」
「わらわを魔法で子どもにして、それでも無関係じゃと申すのか。兄じじよ」
対する大魔法使いはしぶい顔。肘掛けに手を置き、頬杖をつく。
「知っているぞ姫よ」
そして大きな目玉でギョロリと睨みつけた。
「ファタルに鬼が出たそうだな。都に開いた“通路”を通り、おまえのところへ。逃げ惑ううちに散り散りになり、おまえは別の“通路”からここに辿り着いた──と。
どうせその鬼に絡んだ話だろう、おまえの頼みというのは」
なんで知ってんの、と呟くと「魔法使いじゃからのう」とマーロウさん。
小さな龍は縮み上がるのに飽きたのか、あたしの膝からシュルリと離れていった。壁に小さな前脚をつき一生懸命背伸びして、窓の外を見ようと頑張っている。
「ようわかっておるの。さすが兄じじ、話が早い」
「ずいぶん暴れているようだがな、鬼退治だったらおれはやらんぞ」
「もとよりそのような無理は申さぬ、しかし」
「当たり前だ、そんなことはマーロウあたりがやればよい。
何時だったかあいつ同じ鬼を封じているだろう。奴もたいがい老いぼれだが、いわゆる昔取った杵柄というやつで」
「ほんの少し!
ほんの少しでよいのじゃ、力を貸してくれぬか兄じじよ。ほんの少しだけ──コズサの一生の願いじゃ」
するとハーロウさん、「ふん」と鼻先で嗤いとばした。
「一生の願いだと?」
不機嫌な声音に、外を眺めていた小さな龍が振り返る。
「そのような強い言葉、簡単に口にするな。よく考えろエードの姫よ」
「考えた末に申しておる」
「なるほど。悩み抜き考え抜いた末の、真実の言葉というのだな。それが叶えばおまえは満足、憂いも嘆きもすべて消え去ると」
「……」
「ならば聞かせてみるがいい。魔法使いハーロウの助力を乞うにふさわしい願いかどうか、判断してやろう」
じっと目を向けた魔法の壁の向こう側、二人の空気が変わったのがわかるのだろうか。龍は身構えるようにして動かない。
あたしも息をひそめて固まっていた。コズサ姫の一生の願い──いったい、なんだろう。
少しの間をおき、姫様は口を開いた。
「……わらわの供連れを四人、探したい」
心なしか、さっきよりも固い声で。
マーロウさんがかすかに息をついた。「ふっ……」と遠慮がちに、隣にいるあたしにも聞こえるかどうかの、小さな溜息。
「我が供連れは四人、鬼に追われてはぐれたきりじゃ。
居どころはわかっておる。一人は西の都、一人は『狩りの城』、もう一人は我が祖父の霊廟、そして“龍の通路”にもう一人……迎えに行きたい。無事を確かめたい」
がっちがちに身構えていたあたしも息をついた。肩からふーっと力が抜ける。
なんか……なんだろう。
もっとすごい願いがくるかと思ったら、コズサ姫の望みはとってもささやかで──あたしがそう思うのは既にマーロウさんと合流して、皆の無事を知ってるせいかもしれないけれど。
小さな龍はというとまた窓に向かい、竜巻山を眺めはじめた。まだまだ小さいから飽きっぽいんだろう。
「そんなことはおれがせずとも誰かがやるだろう。それこそマーロウあたりがな」
「……おじじではダメなのじゃ、わらわに留守番せよと申すゆえ」
「つまりエードの姫自らが迎えに行きたいと」
「然様」
「なるほどな──助けてやらぬわけでもないが」
「まことかッ」
魔法の壁の向こう側、ハーロウさんが揺り椅子を揺らす。
あたしの口からは「は?」と空気が漏れた。
え……いいの? こんなにあっさり、交渉が済んじゃって。
「さあ言うてみろ。まずは何奴を迎えに行く」
「では、それでは一番初めは“龍の通路”じゃ、まずはそちらへ」
「ああ、パン屋の娘か」
さすがじゃ兄じじ、よう知っておるの──姫様の声がホッとしたように和らいだ。
老魔法使いは相変わらず渋い表情。
大きな目玉でジロリとコズサ姫を一瞥する。
そして足元から頭のてっぺんまでくまなく見つめ、溜息とともに言葉を吐いた。
「一生の願いと、そう言ったな」
まるで切り捨てるように。
「それが本音であれば、魔法は綻ぶはずなのだ──偽っておるな、エードの姫よ」




