079:竜巻山の魔法使い 一
あたしはごくりと息を飲み、首筋から忍び込む冷気に小さく身震いした。
「ぶひゃあっ」
と可愛くないくしゃみを一つ、視線を巡らせる。
「マーロウさん、ここは」
「兄の島じゃよ」
はたして頭上には満天の星。マフラーみたいに首にまきついた小さな龍がきゅーきゅー騒いでいる。
金色の目玉の見つめる先には夜空を三角に塗りつぶす大きな影──富士山によく似たその形は『竜巻山』だ。
そういえばコジマくんが言ってたっけ。竜巻山にはお年寄りの大きな龍がいるんだって。
「我が兄ハーロウは強情で偏屈、一族の中でもとりわけ変わり者で通っておってのう。
そもそも我が一族の当主は代々の大王様をお育てし、その生涯を通じてお側に控えるのが習わしじゃ。ともに齢を重ね、お支えするのが第一の務目なんじゃが……あろうことかワシの兄は、今上大王の即位と同時に隠居を決め込んでしまってのう」
「へえー……でも今の大王って、成人したばかりで若いって」
「然様、まったくあの兄は薄情モンじゃわい。ワシはひいさまが御幾つになられようと、お側を離れるつもりはこれっぽっちもないがのぉー」
歩き出すマーロウさんの背中を追いかける。
富士山周辺の高原、それも湖の近くといえば日本でも昔からの別荘地だ。マーロウさんの兄ハーロウさんはセカンドライフの舞台をここに決め、悠々自適の一人暮らしを楽しんでいるそうだけど──
「もちろん別荘での隠居暮らしにも憧れるが、都会の便利な暮らしはどうにも捨てがたくてのぉ。
それに後継ぎもまだまだ経験不足じゃ、此度の窮地も一人で難儀しておるのでは話にならん。やれやれ後で迎えに」
「ぶひゃあっ」
可愛くないくしゃみで話を遮り、あたしはもう一度身震いした。
水辺はどこも寒いのう、風邪をひく前に兄の庵に入れてもらおうか──マーロウさんはそう言ってニコニコしてるけど、そうではない。くしゃみはともかく寒くて震えたわけじゃない。
これはひとえに、めちゃめちゃ緊張しているせいなのだ。
はあー……大丈夫なのかな、あたし。
エードの姫を子どもに変えた大魔法使い、ハーロウさん。
一連の騒動の発端はこの人だ。今その別荘にはどういうわけか、子どもにされた当の本人コズサ姫がいて……
ああー揉め事になったりしたらどうしよう。
だいたい「兄とは長いこと没交渉」ってマーロウさんは言っていた。仲が良ければ連絡を取り合うはずだし、強情とか偏屈とか薄情モン、なんて言葉は出ないはず。つまりこの兄弟は折り合いが悪いのだ。
……うえー、なんかすごく、心配……
ああどうか会ってその場で一触即発なんてことにはなりませんように。なんと言ってもこの世界で一、二を争う大魔法使い同士、喧嘩なんて始まったら最後どうなってしまうことか。
良くて「血で血を洗う」、悪けりゃ「天変地異」くらいなりかねない。
──なんてアレコレ心配しながら歩いていたら、前をゆくマーロウさんが急に立ち止まった。
どん、とその背に鼻先をぶつけ、あたしも立ち止まる。
「さあ、着いた。ここが兄の庵じゃよ」
後ろからそっと覗いてみると、そこには小さな木の扉。数歩下がって見上げれば、これまた小さな木のおうち。
窓から暖かな光をこぼす、丸みをおびたメルヘンチックなその姿は一言でいうとアレだ。
おとぎ話に出てくるこびとの家。
「そしてこれが我が兄、龍の洲でも並ぶものなき偉大な魔法使いハーロウの」
だけどメルヘンな雰囲気のその影に、不穏な生きものの気配がある。かわいい屋根の、かわいい扉の、その暗がりに。
巨きくて、黒くて、ツヤ光りする──
「“使い鴉”じゃ」
ガアー、ガァ、ガァァ──
『懲りずにまた来たかマーロウよ。帰れ帰れ、おれはおまえになぞ用はないわ!』
げっと呻いて、あたしは後ずさった。
マーロウさんの背中を盾にすると、小さな龍も慌ててリュックの中に潜り込む。鴉にビビる龍って情けない気もするけれど、ビビってるのはあたしも同じ。どうこう言えるような立場じゃない。
口が回らず噛みまくりながら、あたしは紫のローブの裾をひっぱった。
「ちょっ、ちょ、マーロウさん……! か、から、からす、なんで、なんでここに!?」
「大丈夫じゃよサトコちゃん、これはレオニくんに楔を打っていったのとは別モノじゃ。まあーここの門番みたいなもんかのう。
──さて“鴉”よ。
用が無いのはお互い様、ワシらはエードの姫をお迎えに参上しただけじゃ。さっさと通してくれんかの」
鴉はガアガア鳴きわめく。聞こえるのは鳥の声なのに、頭に届くときには言葉になって──やだ、あの時とまるっきり同じじゃない!
別モノと言われたって怖いもんは怖い!
『取り込み中だよ。どうしても待つってんなら外だ、外。
知ってるだろう? 魔法使いハーロウは他人を家に入れない主義だ──おっと姫は別だぜ。中から勝手に出てきたんだ、うちの暖炉の中からな。叩き出してやっても良かったが、外で話なんかしたらこちらが寒くて堪らんのでな』
「ワシらも寒くて凍えそうじゃよ、せめて扉の内側に入れてくれんかの。なにも居間に通してお茶を出せとは言わんが、ワシはともかくサトコちゃんがほれ、風邪をひいては……ほれサトコちゃん」
「へ?」
「ほれ」
「へ……ぶ、ぶひゃあっ」
あたしがくしゃみをしてみせると、マーロウさんはにっこり笑い鴉は不満げにガアと鳴く。
『下手な芝居には興味ないぜ。
やいマーロウ、よく聞けよ。ハーロウとあの姫はこれからだいじな話がある。邪魔をされては困るんだ』
「邪魔などせぬよ、大人しくしていよう」
『おまえだけじゃない。異界から来たパン屋の小娘もだ』
「へ!? あの、えーっと、あたしは……」
ガァ、ガァ、ガアァ──
『松尾シゲルの孫娘、サトコだろ? 名前なんぞ知りたいわけじゃない、おれが言いたいのは“静かにしてろ”、これだけだ』
「し、してます! してます!」
こくこく頷くと鴉はバサバサ羽ばたいた。
鳥に職業氏名を言いあてられ、あたしはぽかんとするばかり。するとマーロウさんがこそこそ囁いた。
「人当たりの悪い兄でのぉー……誰か来るたびにこうして追い返そうとするんじゃよ。なあに入る前の“お約束”のようなもんじゃ、気にすることはない。ふぉっふぉっふぉっ」
そして音もなく扉が開く──何て答えようか迷っているうちに。
……覚悟を決めなくちゃ。
橙の光が中からこぼれ、あたしはひとつ息を飲んで魔法のリュックを背負い直した。小さい龍が隙間からちょこんと顔を出し、威嚇するように鴉がもう一度「ガア」と鳴く。
ビビってる場合じゃない。
しっかりしなくっちゃ。
あたしは意を決して腰をかがめ、マーロウさんに続いて扉をくぐり──「あっ」と声を上げた。
「姫様」
すっと伸びた背筋。艶やかな黒髪。華奢なのに決して折れない後姿。
衣裳が汚れてる。裾に土。怪我した時についた血も。
ところどころ煤けたように黒いのは、きっとあの小さい暖炉から出てきたせいだ。お店のオーブンが“龍の通路”と繋がったように、あの暖炉も繋がってしまったのだろう。
胸が高鳴り、心臓のあたりを拳で押さえる。
姫様だ。
姫様だ。
姫様だ!
気づけばあたしは短い距離を駆けていた──マーロウさんの横をすり抜け、小さな後姿へと。そして、
ばいんっ
と見えない何かに跳ね返された。
「あだっ」
「ほぉ、わざわざ仕切りを用意するとは念入りじゃのう」
「仕切り……?」
そっと手を伸ばすと、見えない魔法の壁に指が触る。
分厚いゴムの幕みたいな、すごい弾力だ──エード城の守りの魔法よりも、ファタル神域の『境界』よりも、もっとずっと頑丈で強固な“仕切り”。
あたしとコズサ姫は、見えない魔法の壁で隔てられていた。




