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072:龍の通路(みち) 三

 おじいちゃんの石窯の底で、あたしは途方に暮れていた。


「……どうしよう」


 はたして『石窯の底』で合ってるかどうかもわからない──何とも言えない、変な場所。

 まず高さがある。そして暗い。

 洞窟のようでもあり、宇宙のようでもある。もちろん宇宙なんか行ったこと無いから、どうしてそう思ったのかはわからない。


「夢なら覚めてよ……」


 そりゃあここは異世界だし、魔法使いがいて龍がいて鬼まで出てくるようなところなんだから、石窯の中に謎の異空間があったっておかしくは無いだろう。たぶん。

 それに考えようによっては、迫りくる危機からこの謎空間に避難できたわけで……このまま朝までじっとしてれば、あの闇の獣のことも霊廟の鬼のことも、きれいさっぱり解決してるかもしれないわけで。


 ……だめだ、そんな前向きな考えにはなれない。とてもじゃないけど。


「姫様ぁ……」


 だってあたしは今、一人なんだから。コズサ姫と一緒にいなきゃいけなかったのに、はぐれてしまった。

 これが普通の街中なら、わかるところまで戻って待ってればいいのかもしれない。

 でも、わかるところって何処よ?


「……どうすりゃいいのよぉ」


 あたしは座り込んだまま視線を上に向けた。

 どすんと落ちたからには上の方に「入口」があってもよさそうなのに、何も見えない。

 あたりは真っ暗で光は無く、鬼の眼もすっかり大人しくなって胸元にぶらさがっている。なのに自分の手や足は妙にくっきり見えるのだ。

 まるであたし自身が発光してるみたいに──そんなハズはないのだけれど。


「──変なところに来ちゃった」


 あたしがぺたんとお尻をついているのは曲がりくねった一本道だった。

 暗闇の中、鮮やかに浮かぶ一本道──しかも奇妙なことに、ゆっくりと動いている。脈打つように。寝息を立てるように。まるで大きな生き物の上に座っているみたい。

 ──ぶる、と震えがきてあたしは自分の体を腕で抱いた。

 ここはいったい何なんだろう。どうすれば出られるの。こういう状況に強そうなのはコジマくんだけど、あの子ならどうするだろう。


「そうだ。コジマくんのリュック……」


 あたしは魔法のリュックを背中から下ろした。

 ここから色々出してたよね……裁縫箱とか、洗面器とか、さっきは包帯や薬も出てきたし。

 これはもう四次元につながってるとしか思えない。体ごとすっぽり入れば、どこかにあるスペアのリュック経由でこの謎空間から出られるかも。

 やってみよう。試すだけの価値はある。


 一縷の望みをかけ、あたしはリュックに頭を突っ込んだ。突っ込んで──


「だめだ」


 ──すぐに顔を出した。


「なによもう……全然普通のリュックじゃない」


 魔法使いが使えば魔法のリュックでも、普通の人間が使えば普通のリュックにしかならないのかしら。

 しかも頭を突っ込んで見つけたのは、四次元空間でもなきゃスペアリュックの出口でもなかった。なんと、あたしが食べそびれた二つ目のピタパンが出てきたのだ。


「このまま一生出られないのかな……」


 呟きは謎空間に吸い込まれ、あたしはピタパンを手にがっくりと肩を落とした。

 自力で出られないんなら救助を待つしかない。

 ……だけど誰も来なかったら?

 だってあたしは所詮ポッと出の異世界人のパン屋だし、みんなは当然コズサ姫のことを最優先に動くだろうし……あたしのことは、きっと後回し。

 きっと誰も来てくれない。


「ヒドイ」


 あたしは自己嫌悪に息をついた。

 ……ヒドイのはあたしだ。

 みんな必死なのに、何度も助けられてるのに、疑うようなこと考えて。結局いつだって自分の心配ばかりして──だめだ、だめだめ、こんなんじゃ。

 ぶんぶんと首を横に振り、あたしは手の甲で涙をぬぐった。

 なんとかなる。絶対なんとかなる……きっと皆にまた会える。家にだってちゃんと帰れる。

 信じなくちゃ。信じて待つしかできないんだから。せめて顔を上げて──


「ヒッ」


 と息を飲んだ。

 コジマくんのリュックに何かがへばりついている──何かニョロニョロしたもの。細いの太いの、長いの短いの。ああこれ、もしかして、蛇……


「わあぁぁぁぁ」


 あたしは変な声を上げながら、リュックを「ぽーん!」と放り投げた。まとわりついていた蛇たちは凄い速さでニョロニョロ動き、一匹だけ残してどこかへ消えていく。

 あぁぁぁ無理。

 ほんと無理。

 蛇は無理!

 なんで一匹残ってんのよー!!


「あ、あっちいって、あっちいって……」


 半泣きで上着を脱ぎ、ぶんぶん振り回す。

 謎空間に生き物がいる。あたし以外にも生きてるものがいる。

 それ自体は喜ばしいはずなんだけど、蛇だの虫だのは生理的に無理! 絶対無理! ふわふわした可愛いのじゃなきゃ、ちょっとほんとに無理!!


「離れて、お願い、離れてよぉぉ」


 追い払おうとする努力もむなしく、蛇はニョロニョロと動き回る。ついにはリュックの中に入ってしまった。


「うぅぅ」


 ──絶望だ。

 蛇入りリュックなんて、怖くて触れない。

 どうしよう。どうしよう、どうしよう……預かりものなのに。

 預かりものなのに!


「うわぁぁぁぁあぁぁ!!」


 ついにあたしは絶叫した。


「わあぁぁぁぁあぁぁ! なんなのよぉ、もおぉぉぉぉ!!」


 完全にパニック状態で。


「無理だって言ってるじゃん、蛇とか無理だって言ってるじゃん! うわあぁぁぁ!!」


 声は我慢しても止まらない。

 汗とか涙とかいろんなものが「ぶわっ」と噴き出る。

 あてつけのように上着を振り回してリュックを叩くと、蛇が驚いたように「きゅー」と鳴いた。蓋と本体の隙間からちょろりと顔を出し、金色の眼でこちらを伺っている。


「だいたい異世界とか何なのよ。地震があるたびにトリップするって何なのよ。わけがわかんないわよ。魔法もお姫様もそんなの関係なく暮らしてたのに、何度も何度も襲われて怖い目に遭って!!」


 蛇が鳴いたことへの驚きは、怒りのようなぐらぐらしたものに飲み込まれて消え失せた。

 誰もいないのをいいことに、あたしの口からは言葉が迸る。


「鴉とか楔とか鬼とか何なのよ。コジマくんは安請け合いばっかりするし、レオニさんはおかしくなっちゃうし、外は動物がウロウロしてるし、どうしてこんな目に遭うの!」


 心に積もって蓋をしていた良くない言葉が、溢れていく──誰にも聞かせられない。こんなこと。


「こんな変なところで、姫様とはぐれちゃって、出口もわかんないし助けだって来ないかもしれないし……う、ううっ……まだ十八なのにこのまま一人で死ぬかもしれないし、お、お、おじいちゃんの石窯があるってゆーからついてきたのに、パンを焼くどころの話じゃないじゃないのよぉぉ」


 言わないようにしてたのに。言っちゃダメだと思ってたのに。


「だいいち初めっからおかしかったのよ、無理矢理ついてくるように話を持ってって! そりゃたしかに……ぐすっ、あたしは状況に流されるタイプですけど! 剣を向けられてあれこれ言いくるめられて、こんな、こんな、こんなことになるって知ってたら、絶対ついて来なかったのに! なんでよ! もう!!」


 声に出したらいけないって思ってたのに。


「だいたいアルゴさんはどこ行ったのよ!」


 でも、もうだめ。


「完全に鬼に出し抜かれてるじゃない。姫様のこと、どうすんのよ!」


 止められない。


「あんな泣かせて! こんな大変な時に! ばっかじゃないの!!」


 喉が痛い。こんなに叫んだことなんて、今まで無かったから。


「姫様も姫様よ! どうしてあたしなんか連れてきたのよ。あたしなんかいなくても良かったじゃない、いっそのことアルゴさんと二人で」


 二人で──なに?


 なに考えてんだろう、あたし。

 一瞬よぎった言葉に、頭っから冷水をかぶったように熱が引いていく──振り上げた拳をどこに下ろせばいいか、わからない。


「あたしなんか……連れてきたって、パン焼くくらいしか出来ないし。話聞いたって……何もできないし」


 そして結局、さっきの自己嫌悪が戻ってくるのだ。

 慰めの言葉なんてかけられない。かける言葉が無けりゃ黙っているべきだったのに、堪え性のないあたしは沈黙を守れなかった。

 余計なこと言ってこじれさせて。

 泣かせて。

 きちんと謝る前にはぐれてしまった。


「本当に……ひどい、役立たず……」


 カーテンごとぎゅっとされたのは、いつだっけ。

 今朝だっけ。

 あんまり色んなことがありすぎて、同じ日の出来事とは思えない──ずっとずっと前のことみたい。

「そんなこと言わないで」とあたしにささやいた唇で、レオニさんは何て言ったっけ。

「そんなことでは、いつか大切なものを失くしますよ」と、あたしを嗤ったんじゃなかったっけ。それは楔のせいだと知ってはいるけれど。


「ほんとに……その通りになっちゃった……」


 喚く気力も上着を振り回す元気も、もう何もない。

 がっくりと項垂れたあたしを、あの蛇が見つめている。


「ひとりぼっちになっちゃった」


 喉から唸るような音が漏れる。体を「く」の字に折って、あたしは座り込んだまま自分の体を腕で抱いた。

 前髪が地面をこすり、まぶたから落ちた涙の粒が転がってどこかに消えていく。


「あたし……ぐすっ……ひとりぼっちになっちゃった!」


 するとコジマくんのリュックの中で、あの蛇がまた「きゅー」と鳴いた──まるであたしを気遣うように。

 蛇のくせに。

「なによ」と呟いて顔を上げると、金色の目玉がこちらを向いている。リュックの中で小首をかしげ、「きゅっ」と短く鳴いてその蛇は──


 ────これ本当に蛇?


 ちょっと待って。

 そもそも蛇は鳴くような生き物だっけ。

 あたしの疑問を感じ取ったのか、そいつはそろそろとリュックの中から這い出てきた。にょろにょろと長い体。それを覆う鱗。金色の眼玉。


「……………………うそ」


 口の周りの固そうなひげ、小さな角。そして爪の生えた短い手足──そんな蛇、いない。


「あんた……龍なの?」


 乾いた声で呟き、あたしは目の前までやってきたその生き物を凝視した。

 龍のような生き物は、もう一度「きゅー」と鳴いた。あたしの言葉を肯定するように。

 じゃあ……じゃあ、コジマくんのリュックに大量に絡みついていたアレは、ぜんぶ龍なんだろうか。小さな小さな、子どもの龍。


「てことは、ここは」


 彼らの巣。


『天の龍の大暴れの跡は迷宮の如き通路(みち)となって、龍の眷属が棲み処としたそうです。人の身でそこに迷い込むと、元いた場所とは全然違うところへ連れてかれるんですって!』


 そんなことを言ってたのはコジマくんだ。

 あれはそう、ご機嫌を損ねてお部屋にこもったコズサ姫を、どうやってお外に連れ出すか。そんな話を皆でしていたとき。

 ここに伝わる『天の龍と地の龍』の話を聞いたとき。

 ──ぶる、と背筋に震えが走った。

 まさか。まさかね。


「姫様の箪笥じゃあるまいし」


 なんであたし、そんなとこにいるんだろう。どこにつながってるんだろう、この通路(みち)は。


「きゅー」


 と鳴いて、小さな龍が近寄ってくる。

 そーっと鼻先を近づけて、ふんふんと匂いを嗅ぎながら。


「……ごめんね、さっき。ぶったりして」


 だいじょうぶ。だいじょうぶ。これは蛇じゃない。

 蛇じゃないとわかった途端、不思議なもので可愛く見えるような気さえする。なんてゲンキンなのって自分でも呆れるけど……絶望感と孤独感が急に和らいだ。それこそ、劇的に。


「あのね、あんたのお仲間に助けてもらったのよ。二回も。もしかしたらお母さんやお父さんや、兄弟かもしれないわよね」


 あたしの周りを嗅ぎまわっていた小さな龍は、どうやら一つだけ余っていたピタパンに狙いをつけたようだった。ねだるように「じーっ」とこちらを見る。

 湖にいた大きいのにも御供えしたんだから、小さいのだって食べるだろう。

 包みを取って「どうぞ」と差し出そうとして──視線を感じ、あたしは顔を上げた。


「あ、ごめん。一つしかないの」


 さっき上着を振り回して追い散らした他の龍たちが、こちらを遠巻きに見つめている。


「もっとあれば良かったんだけど……」


 そう言ってあたりを見回す。

 見回したってあるはずないんだけど──でもあそこに落ちてるの、パンじゃない?


「……まさか、ねえ」


 ゆっくり動く一本道の上、少し離れた場所に落ちてる丸いもの。あれ、どう見てもパンだよね……

 あたしはコジマくんのリュックを胸にかかえ、そろそろと立ち上がった。

 大河のごとくゆるやかに曲がり、時々盛り上がってはうねる道を恐々と歩く。後ろから小さな龍たちがちょろちょろとついてきた。

 少し歩いてあたしは足を止め──


「ははは」


 唇から洩れたのは乾いた笑いだった。


「こんなところに」


 目の前にはパンがある──まあるく焼けた、プチフランス。不思議なことにまだほかほかと温かい。

 謎空間の道の上、まるでいつか見た夢のように。


「数え間違いじゃなかったんだ……」


 振り返ると、小さな龍たちは一斉にざわめきはじめた。きゅーきゅー、きゅーきゅー、親鳥に食事をねだるヒナみたい。

 食べそびれたコロッケ入りのピタパンと、ようやく見つけたプチフランス。二つ並べて通路(みち)に置くと、集まってふんふんと匂いを嗅ぎはじめる。


「あのね、これ皆でわけるのよ。取り合わないでね」


 一匹が顔を上げて「きゅっ」と返事をする。

 ああ、本当に龍で良かった。蛇だったらきっと意思疎通はできないだろう。


「たぶん近くにピタパンも落ちてると思うの。半分に割る前の、こんくらいの丸いやつ。おかず挟んでなくて悪いんだけど、それも皆で」


 そこまで言った時だった。

 地鳴りのような音が、耳を打った。


 ……ごごごごごごごご……


 思わずその場にしゃがみこむ。

 揺れる。

 揺れる。

『道』が揺れる。

 まるで暴れる大きな生き物の、その背の上にいるような──だめだ、立っていられない!!


「うそ、これ……地震!?」


 あの日、あの夜の地震みたい。龍の洲(ここ)にトリップした、あの時の!

 小さな龍たちは蜘蛛の子を散らすように何処かへ逃げて行った。まさか、この謎空間からまたトリップするんだろうか。

 何処へ……日本へ?


 うそでしょう!?


「だめ……だめだめ、あたしまだ戻れない!」


 あたしは叫び、立ち上がった。

 ここが夢と同じなら、あたしが見た夢と同じなら、どこかに出口が開いてるはず。

 揺れがおさまる前に見つけなきゃ。

 出口をくぐって、ここから出なきゃ。

 走れ。

 走れ。

 走れサトコ、もっと早く!!


「あった!」


 揺れる道の向こう、豆電球ほどの光が見えた。

 そうだ、いつか見た夢とまったく同じ。あそこを目指して走ればいい。

 ほら、光がだんだん大きくなる。

 強くなる。

 ぽっかりと口を開け、ここをくぐれと言うように。

 あたしは無我夢中でそこを目指した。

 小さな窓みたいにぽっかり開いた、これが出口。手をかけ、足をかけ、頭をつっこみ、肩をねじ込む。固くて狭い場所を通り抜けると、暗がりに慣れた目に光が刺さる。


 ──うっすら目を開くと、また乾いた笑いが漏れた。


「ははは」


 合ってた。やっぱりそうだ、出口だった。だってそこは。潜り抜けたその先は──よく知ってる場所だったから。


「ははは。……ただいま」


 もちろん、そこに居る人も。


「……サトコ? 何やってんの、あんた」


 そう。

 龍の通路(みち)があたしを運んだのは、何日か前に出発したあたしの家──ブーランジェリー松尾の厨房だった。

 目の前にはおかーさん。オーブンの扉を開けて眉間にシワを寄せ、目を白黒させている。

 働き者で、腕のいい職人で、怒るとおっかないあたしの母。


 ほとんど泣き笑いで、あたしは言った。


「ただいま……おかーさん!」




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