067:つるぎの舞 一
本堂の奥の扉をくぐった先には、渡り廊下が伸びていた。
黄金色の残照は山の端を黒く縁取り、空にはぽつりぽつりと星明りが灯っている。
首から下げた鬼の眼も淡く光りはじめ、それを指先で触りながらあたしは呟いた。
「なんかすっかり暗くなっちゃったね、コジマくん……」
「しょーがないですよ、出足が遅かったから」
祭主さんの先導の後にコズサ姫、その背を守るようにレオニさん、そして数人の神職さん。
あたしとコジマくんはその二、三歩後ろをヒソヒソ喋りながらついていく。
「けっこう遠いのね、奥の院……」
「初めてだからそう思うんです、知ってりゃどうってこたーありません」
「それにしたって長くない? この廊下」
「そりゃそうですよー。例大祭の時はこの廊下に観覧席を設けて、すぐそこの広場で流鏑馬を披露するんですから」
視線をそのまま横にずらせば魔法使いの弟子が言うとおり、渡り廊下に沿って広い庭が整えられていた。
そっか……ここなんだ。
三年前、ここでアルゴさんはコズサ姫を守ったんだ。飛んでくる矢から身を呈して。
姫様、思い出してるんだろな。
思い出さないはずが無い。
あの人のことを考えないはずが無い。
前を向いたまま、よそ見もせずに、それでもきっとあの人のことを考えてる。
「なんといっても神事ですから。本堂で参拝者全員お祓いして、身を清めた後こちらに移動するんですけどね。普通の人が足を踏み入れていいのはここまでなんです。奥の院に入れるのはエード王家とその側近の方々だけで、ヒラの近衛士や普通の御役人なんかはここでお留守番するんですよ。息をひそめて、じーっとね」
三年前の例大祭。
その話を聞いたのが、何日前だったっけ……馬車の荷台で、お団子食べながら聞いたんだっけ。
まさかこんなことになるなんて、その時はカケラも思わなかった。
姫様のことも。アルゴさんのことも。それから、レオニさんのことも。
「あたしなんかが入っていいのかしら、奥の院……」
だってあたしは家族でも側近でも、ましてやこの世界の人間ですらない。
しいて言えば『コズサ姫の御友人』ということになるんだろうけど、そもそも姫様にまだ謝っていないのだ。タイミングを逃したまま、ここまで来てしまった。
許してもらえるかどうかも、正直わからない。
『御友人』と言ってもらえるかどうかも。
「ここまで来といて何言ってんの、サトコさん。だいじょぶですよぉー奥の院に入るなってゆーんなら、さっきの扉で締め出しくらってますって」
「でも、大事な場所なんでしょ? コジマくんは入ったことあるの?」
「無いですけど」
なんだ、無いんじゃん。
「そんなちっちゃいことで悩んだってしょうがないですよ。それよりね、僕としては狩りの城に戻れるのが何時なのか、それが気になります」
「それこそちっちゃいことじゃない」
「あのねぇ、僕らは厨房担当なんですよっ。御夕食をどうするか気になりません? 戻ってから作るんじゃ大変すぎるし、霊廟でご馳走になれれば助かるんだけどなー。だいたい帰り道はどーしましょう、真っ暗な中自転車漕ぐの怖くないですか? 僕代わりましょうか?」
すると、前を往くレオニさんが一瞬こちらを振り向いた。思わずびくっと足が止まる。
いや別に、本当の本当にビビってるわけじゃないんだけど──ほらやっぱり、さっきのこともあるし朝のこともあるし、何となくこう身構えてしまうというか。
何も無かったときと同じようにしたいのは、山々なんだけど。
「今のは大丈夫ですよ、サトコさん」
小さく袖を引かれてそちらを見ると、コジマくんが小さく耳打ちしてきた。
「ようするに二人きりにならなきゃいいんです、楔はあなたを籠絡しようとしてるんですから。てことは、何か仕掛けてくるなら二人の時、でしょ? つまり僕ら他人の目があるときは楔は顔を出しません。いつも通り『真面目な近衛士のレオニさん』です」
「う……うん。コジマくんを信じるわ。でもなんでわかるの?」
「そりゃーなんといっても、僕は大魔法使いマーロウの唯一の弟子ですからね。ダメそうかイケそうかくらいわかりますって。どーんと大船に乗ったつもりで信頼してくださいよ」
そう言ってとんがり帽子を揺らし、胸を張る。
はあー、この自信満々ぶりがうらやましい。
あたしの自己評価はべつに高くも低くもないけれど……いや、今はだいぶ低いかもだけど……これだけ自信に満ち溢れていれば人生楽しいだろう。
まあ、コジマくんのようになりたいかどうかは別として。
「ですからねー、僕がばっちりサトコさんを守ってあげますよ。だいじょーぶ、任せて下さい! ちゃんと早起きして厨房行きますし、お風呂だって見張っててあげますし、トイレにもついてってあげますから」
「うん、ありがとう……全然うれしくないわ」
「なにゆってんですかーここ感謝するところですよ? 寝室、お風呂、厨房と襲撃されて残ってるのはトイレくらいじゃないですか。それともなんですか、サトコさんはトイレで襲われたいんですか!?」
「ちょ、声大きい! しーっ」
やめてよこんな神聖な場所でトイレ連呼とかあ。だいたい厨房はともかく、寝室とお風呂で襲ってきたのはレオニさんじゃないんだし──
そう言おうとした時、あたしの前を往く神職さんが足を止めた。
その前の人も。レオニさんも。コズサ姫も。祭主さんも。
その前には観音開きの扉があった。
「これより先が奥の院で御座います」
神職さんが渡り廊下の両側に整列する。
そして扉が開いた。
ぎぎいと蝶番が軋み、不思議な冷気に体が包まれる。
轟きが耳を打つ。
どうどう どうどう
──滝だ。
すごいと呟いた自分の声さえ、耳に届かない。
そこはファタル霊廟、奥の院。
正方形の檜舞台は眼前に滝壺を臨み、霧のような水しぶきで床はしっとりと濡れている。屋根を支える柱のそばではそれぞれ松明が焚かれ、ゆらゆらと影が揺れた。
その舞台の入口に、あたしたちは立っていた。
目の前には、大きな滝──残照に飛沫を煌めかせ、眼前の滝壺へと流れ落ちている。
どうどう どうどう
滝の両側には岩壁がそびえていた──その下の方に目をやると、霊廟の山門を少し小さくしたような外観の、立派な祠がある。
おそらく中は自然の洞窟で、この霊廟の御神体を祀っているのだろう。
つまり、先代様はあそこに眠っているのだ。
唸りを上げて渦を巻く滝壺の傍で。
かつてあたしのおじいちゃんやマーロウさんと一緒に『鬼退治』をしたという、この場所で。
どうどう どうどう
「コジマ」
コズサ姫の声も瀑声にかき消され、よく聞こえない。
それでも魔法使いの弟子は「あ、はいはい」と答え、魔法のリュックの紐を解く。そして御供え物を──コロッケを挟んだピタパンを取り出した。しかも、お盆に乗せた状態で。
「どうぞ、お納め下さい。
こちらピタパンという食べ物でして、松尾サトコさんとゆーこちらのパン職人の指導監督のもと、コズサ姫御自ら御手を動かしてお作りなすったものになります。サトコさんは先代様の御友人松尾シゲルさんの孫娘、年もちょうど姫様と同じ十八歳、ちょっと抜けてる部分はありますけれど基本的に素直で働き者でマジメなお嬢さんです。職人としてもそこそこ良いセンいってるんじゃないですかね! あ、そうそう中に挟まってるのはコロッケなる名称のお芋の揚げ物でして、これまたサトコさんの指導のもと、ほとんど僕と姫様で」
「それでは、ご着席下さいませ」
轟音にも負けないコジマくんのお喋りを遮って、祭主さんが着座を促した。
用意された簡素な席に、まずはコズサ姫が腰を下ろす。コジマくん、あたし、そしてレオニさんは、その後ろで横一列に。
コジマくんがうやうやしく取り出したお盆を、神職さんの一人がこれまたうやうやしく捧げ持つ。
「本日はコズサ姫が御参詣下さいましたゆえ、神楽を奉納いたします」
お盆を抱えた神職さんはしずしずと舞台を下り、先代様の祠の前の、自然の岩を削ったような祭壇に御供え物を安置した。
出来立てでなくてごめんなさい、先代様。せっかく久しぶりのパンなのに。
「三年振りで御座いますから、さぞやお喜びになられることでしょう」
あたしたちの前に座ったコズサ姫が小さく頷く。祭主さんは深く一礼すると舞台の端に一旦下がった。舞の準備をするのだろう。
──それまで神職さんに囲まれていたあたしたちは、その一瞬だけ四人に戻った。
今だったら、姫様に話しかけられるだろうか。
ごめんなさいを聞いてもらえるだろうか。
でも、ダメだ。
ここは霊廟の奥の院、そして姫様は公人なのだ。一般人が普通にお墓参りするのとは訳が違う。
私語と私情で場を乱すわけにいかない。
どうどう どうどう
静寂の中、水の落ちる音だけが鼓膜に響く。あたしは膝の上でぎゅっと拳を握り、背を丸めて息をついた。
「サトコさん」
そのかすかな声を耳が拾えたのは、なぜだったのか。
「道、覚えてますね」
俯いた視線を上げて隣を見ると、レオニさんはまっすぐ顔を上げて岩壁の方を見据えていた。
そしてあたしの方を向かぬまま囁いた。
「来た道をまっすぐ戻り、本堂を出てからは鐘楼をまわり込んで右、小さな橋を渡ればすぐに裏の山門です」
「……え?」
「もう日が落ちましたから、足元には気をつけて。あの石段を転げ落ちたら大変ですから」
なんで、そんなこと急に──まるで、一人で帰れるかどうか確かめるみたいに。
訊ねようとした声は水の音にかき消される。
どうどう どうどう
黄金色だった残照は紫に変わり、水しぶきが星明りを映して煌めいている。
レオニさんの視線の先に、あたしも目をやった。
ピタパンを捧げられた先代様の祠がある。あたりはいっそう暗くなり、松明の炎も手伝って、舞台の外の様子はいまひとつわからない。
わからないなりに目を凝らせば、先代様の祠の隣に小さな洞窟があるのに気がついた。入口には格子の戸が嵌っている。前にあるのは小さな祭壇なのだろう──でも今は、何も供えられていない。
どうどう どうどう
ぼんやりとそちらを眺めながら、あたしは胸元で鬼の眼がぴかぴか光っているのに気がついた。いつもより妙に眩しい感じがして、服の中にしまう。
そこに神職さんたちが戻ってきた。仮面をつけ、剣を手にしているのは祭主さんだろうか。
コズサ姫が静かに礼をする。
それにならって、あたしたちも頭を下げた。
そして神楽がはじまった。




