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066:搦め手

 夕陽が山門を照らし、長い影が伸びている。

 コズサ姫はあたしに一瞥をくれ、さっと身をひるがえした。その佇まいは『エードの一の姫』のもの。

 あたしが泣かせてしまった女の子の顔は、どこにもない。


「待たせて済まぬ。三年ぶりか、祭主どの」


 居並ぶ神職さんの中でもひときわ背の低いおじいさんが、下げていたままの頭をゆっくり上げた。


「ご健勝でおられまして、何よりでございます」

「姿は縮んでしまったがの」

「それも一時のことでございましょう」


 歩を進める姫様の後ろを守るように、レオニさんが続く。

 あたしはその背中をぼーっと眺めていた。

 神職さんの一人が「お腰のものを」と両手を上に向けて差出し、レオニさんは腰の長剣を外してその掌に乗せる。


「祭主どのは変わらぬようじゃな」

「目も耳も、弱うなり申しました。先代様の御側へ参るのも、もうじきで御座いましょう」

「そのようなことを申すな。長生きせよ。其の方はおじじよりもずっと年下ではないか」


「お預かり申します」と捧げ持たれたあの剣は、今朝コズサ姫が振り回したもの。そしてさっき、レオニさんがあたしに誓いを立てたもの。


 ああ……また丸腰だ。


 麻痺した頭の片隅でそう思った時には、皆山門をくぐって数歩先にいた。あちら側とこちら側に分かれてしまい、なんだか取り残されたような気分になる。

 あたしは足を止めたまま呆けた顔で、皆の──レオニさんの後姿を、ぼんやりと目で追い続けた。


「ねーねーサトコさん」


 こそこそ話しかけてくるコジマくんの声も、ぼんやりとしか聞こえない。


「ねーサトコさん、ねぇったら」

「うん……」

「さっきポッポちゃんから聞いたんですけどね」

「うん……」

「“楔”になんか言われたでしょ」


 ……

 ……

 …………


 ……はっ?


「え、なに?」


 何か言われたような気がしてそちらを向くと、コジマくんに腕をがしっと掴まれた。

 そのままぐいぐい引っ張られ、よろけながら山門をくぐる。


「言い直さないとダメかなあ。レオニさんになんか言われたでしょ」

「え、あ……うん」

「ぜーんぶ喋ってもらいますからね! なんて言われたのか、洗いざらいっ」


 あたしがぼけーっとしている間に、レオニさんたちはだいぶ先へと進んでいた。

 真っ赤に染まる境内に、杉の巨木が立ち並んでいる。

 表の参拝路へ繋がる小道には石畳が敷かれ、あたしはコジマくんに腕を掴まれたままそこを渡った。


「さーさー、白状してくださいっ。あの人なんて言ったんです?」


 魔法使いの弟子はひそひそと、耳打ちするように話しかけてくる。

 もちろん覚えてる。

 忘れるわけがない。


「えっと……えっとね。ずっとそばにいるって。いつでもあたしの味方だって」


 声に出した途端、頬がほんのり熱をおびた。まるで、そう──冷え切った指先を温かい掌で包まれたように。


「じゃなくて、その前」

「え? えーと……誰かがあたしのこと誤解しても、自分だけはちゃんとわかってるからって」


 気のせいか耳までじんわり熱くなる。

 やだあ……もう。


「そうじゃなくてぇ。その前ですよっ」

「あ、うん……誰かを傷つけようとしたんじゃないことは、わかってますって」

「その前!」

「……しょうがない人ですね、そんなんじゃいつか大事なものを失くしますよ」

「そーのーまーえー!」

「……姫様があたしを許さなくても自分なら許すだろうと思ってるんでしょ、誰かが許せばここにいられると思ってるんでしょ……」


 そこまで喋って、あたしは眉間にシワを寄せた。


「なんかあたし、言われたい放題じゃない?」


 いやいや間違ってることは一つも無いし、返す言葉も無い。責任の無い安全な立場からアレコレ言ったのは紛れもない事実なのだ。

 でもちょっと、ずいぶんな言われようじゃないですか。

 これじゃいくらなんでも人間のクズみたいだ──いや、実際クズなのかもしれないけれど。


 すると、コジマくんが「フン」と鼻で息をした。

 不機嫌な音にそちらを見ると、魔法使いの弟子はあたしの腕を引っ張ったまま、ジットリと横目でこちらを見て──


「そろそろ正気に戻ったらどうなんです?」


 ──と、言った。


「な……なによー。それじゃまるで、あたしが正気を失っ」

「失ってないとは言わせませんよ。目はうつろだし何言っても聞いてないしレオニさんを目で追ってるし。しかも姫様とトラブってぎくしゃくしたままだってゆーのに男の姿を眺めて心ここにあらずとか! そんなおかしなことったらないですよ、違います!?」

「ち、ちがく」

「こーゆー時ってケンカした相手のこと気にするもんでしょ!? しかも今回は明らかにサトコさんに非があるんですよ。ほんとーなら姫様のお膝にすがり『ごめんなさい私が愚かでした』と地べたに這いつくばって許しを乞う場面ですよ!? それがなんですかもー『彼はいつでもあたしの味方なの、ポッ』って恥じらったりなんかして! しかも! ケチョンケチョンにけなされてるってゆーのに!」

「自分だってケチョンケチョンにけなしてるじゃないのよ! 今!」


 コジマくんの肩に乗ったポッポちゃんがくるくると喉を鳴らす。

 両側を杉の巨木が並ぶ、表の参道が姿を見せる。

 小道の終点には背の高い鐘楼。そこを左に回り込んで視線をぐるりと巡らせば、広い道の先の方にレオニさんたちが──いた。その背中はまだ遠い。


「だいたいね、レオニさんがそんなこと言うと思います? サトコさんは考えが甘くてダメダメで救いようがなくてみんなに嫌われるような人だからどうしようもない、だなんて!」

「ヒ、ヒドイ。いくらなんでもヒドイ」

「でも自分だけはあなたのことわかってるし見捨てないから安心してね、だなんて! そんなこと言われてね、『素敵……』だなんてヨロメいてるよーじゃダメなんですよっ。そーゆー男は一緒にいてもいずれ暴力や暴言で女性を支配しようとするんです! でしょ!?」

「ちょっ……そんな人じゃないわよレオニさんは!」


 思わず噛みつくと、魔法使いの弟子は「ふん」と鼻息荒く両手を腰に当てた。


「そう、そのとおり」


 解放された腕をさすりながら、あたしは気がついた。

 コジマくんはあたしの腕を引っ張りながら、微妙に距離を調整していたのだ──あたしたちの話が、レオニさんの耳に入らぬように。


「気づくべきだったのは『彼だけはあたしのことわかってくれるんだわ』ではなく、『なんで急にキャラ変わってんの』ってことです。結果には必ず原因があるもんです。この場合は“楔”ですよ」


 くさび、とあたしは繰り返した。声は掠れたように口の中に留まる。


「レオニさんは女性に酷いこと言うような人じゃありません。例え本当にそう思っていても、例えそれが正しくても、グッと心の中に押し込めるタイプです。

 サトコさんをケチョンケチョンにこき下ろしたのは楔のせいですよ。物理的にモノにできなかったから、心理的にモノにしようという搦め手です」

「モノにって。だって昨日……じゃなくて今朝、この夜は過ぎたからもう大丈夫って」

「思ってたよりも深いとこまで刺さっちゃったんでしょ。

 まー楔がサトコさんに執着してくれたぶん姫様の安全は保障されてるとも言えますからね、僕としては安心な面もあるんですけど。ただねーサトコさんがこのまま不幸になるのを良しとするほど冷徹にもなれないってゆーか。だって嫌でしょ? おまえはダメ人間だからオレが面倒見てやる、なんてそんな関係。それに僕だって、レオニさんに元に戻ってほしいですし。

 いやーホント危なかったですよサトコさん、よかったですねぇ正気に戻って。僕のおかげですからね、あとで手捏ねの指導お願いしますよ! マンツーマンで!」

「うん、わかった。じゃあ戻ったら……え、パンの話?」

「パン以外何を捏ねるんですか! あーもーダメだこりゃ!」


 日没直前の西日が目に刺さる。

 頭がくらくらするのは泣いたせいだろうか。それともコジマくんがズバズバ指摘する“楔”の話が、理解の範疇を越えたせいなのか。


「そうよね……そうよね。よくよく考えればレオニさんがあたしに酷いこと言うはずないんだわ」


 あの時はよくわからなかったけど、違和感はたしかにあったのだ。

 剣に誓いを立てたレオニさんと、目が合わないような感じがあったのだ。一方通行な感じがあったのだ。


「うわあーそれはそれでまたすごい自信ですね。僕ちょっとビックリなんですけど」

「な、なにようー今コジマくんが言ってたのよ、レオニさんはあんまり人の悪いところあげつらうような人じゃないじゃないって。あたしだってそんなこと知ってるし、だからえーと……おかしいなって思ったのっ」

「嘘だぁー心をポッキリ折られて洗脳されそうになってたくせにっ」

「されてないされてない、まだされてないわよー!」


 でもそうしたら。

 あの言葉のどこからどこまでが本当だったんだろう。

 跪く騎士のポーズ、剣の(つば)を打ち鳴らす音、どこからどこまでがレオニさんの本心だったんだろう。

 どこからどこまでが、楔のせいだったんだろう。


「それにね、サトコさんが盛大にぶちまける前からなーんか変だったんですよ。西の大王のことを幻扱いしたりね」


 姫様の背中を押せるのはあたしだけ、っていうあの言葉も。


「そんな軽率な発言、普通ならあの人しないですよ。絶対に。隊長さんだって言ってたじゃないですか『慎重な男だ』って」


 はーやれやれ、とコジマくんは首を左右に振る。


「じゃあ……じゃあ、レオニさんのことは疑ってかからなきゃいけないの?」


 あたしがそう呟くと、横目でちらっとあたしを見た。それから視線を前の方に──コズサ姫と、レオニさんと、神職さんたちの方にやる。


「この先何を言われても……信じちゃいけないの?

 レオニさんの本心から出た言葉じゃなくて、楔に言わされてるんだって──疑ってかからなくちゃ、いけないの?」


 そう、どんな素敵なことを言われても──だって“何もしない”はずなんだから。レオニさんは。

 アルゴさんが言ってたじゃない。

 レオニさんは、あたしを龍の(しま)に繋ぎとめるようなことは決してしない。いつか日本に戻るあたしを、慮って。

 それほど慎重な人なのだと。


「あのね、サトコさん」


 皆の背の先に、大きな拝殿が見える。造りや構えから、あれが本堂なのだと言われなくてもわかる。

 あたしは重い足取りでそちらに向かって体を動かした。


「いろいろ心配事はあるかと思いますよ? でもまーなんとかなりますって」

「なによ……ずいぶん楽観的じゃない」


 コジマくんの肩に乗ってたはずのポッポちゃんが見当たらない。袖に潜ったのか、それともどこかへ羽ばたいていったのか。

 本堂の中は鳩禁止なのかもしれない。


「よーく考えてもみて下さい。

 こちらに眠っておられるのを何方(どなた)と心得るんです? 恐れ多くも先代の上様でいらっしゃいますよ。何と言いましてもね、先代様は姫様のおじいさまなんです。かわいい孫が三年ぶりに、しかも手作りのお土産持って遊びに来たんですから、それはそれはお喜びになるでしょう。生きておいでならニヤニヤニヤニヤと相好を崩し、『あれ食べなさいこれ食べなさい』とご馳走責めにして、『何でも欲しいもの言って』と玩具やらお菓子やら買い与え、帰りには『これ他の人には内緒ね』ってお小遣い渡しちゃうような、そんな御方です。キレると物凄いって話ですけど」


 大きな屋根を、太い柱が何本も支えている。壁の無い本堂の前にコズサ姫は佇んでいた。レオニさんと神職さんを従えたまま、紫に変わる空を見上げている。

 それからチラッとこちらを振り返った。


 待ってくれてる──待ってくれてるんだよね、きっと。


「ですからねっ! 先代様は既にお亡くなり遊ばして長いですけど、だいじな孫娘のちょっとした我がままくらい今でも聞いて下さいますよ、それが例え非常に個人的なことでもねっ」


 胸がぐっと熱くなり、それからぎゅっと苦しくなる。

 先代様は叶えてくれるだろうか……コズサ姫の我がまま。心からの願い。


「それにもしかしたら、ついでのついでにサトコさんのお願いも聞いて下さるかもしれませんよ」

「え……なんで?」

「そりゃーなんと言っても、サトコさんは先代様の御友人の孫娘であり、孫娘の友人でもありますから。『でもそれってほとんど他人じゃない』って思うかもしれませんけど、縁の深さは折り紙つきです。世代を隔てて同じ土地を旅するような付き合いしてるんですから。でしょ?」


 そーお? と首を傾げると、コジマくんは「そーですっ」と胸を張った。


「僕らに出来るのは祈ることくらいです。祈りましょうよ。隊長さんが悪いやつをやっつけて、楔をキレーに引っこ抜いて、あとは僕がちょちょっと『あれは夢ーぜんぶ夢ー』って言い聞かせりゃーレオニさんは元通り、笑顔の爽やかな好青年なんですから。姫様の御姿だって元通り、つつがなく御輿入れが成ってめでたく天下泰平です!

 ほら、そうなるように祈りましょう」

「……そんな都合よくいくわけ」

「んもーどの口が言うんですか、二度も龍神を呼んだ人が!」


 拝殿の大屋根を支える何本もの柱を縫って、西日が射す。向こうの山の端に太陽が姿を隠していく。

 あたしたちはようやく皆に追いついた。

 やはり待っていてくれたのだろう。あたしたちが拝殿に到着すると、神職さんたちが頭を下げた。

 あと少し。

 もう少し。

 そして今──静寂の中、日が沈んだ。


「それではこれより、奥の院へ参ります」


 祭主さんが厳かに告げ、あたしたちは後に従った。


 もしもこの霊廟が、普通の神社やお寺のように一般人の願いも聞いてくれるなら──あたしは何を祈ろう。

 姫様はあの人のことを祈るのだろう。だったら、あたしは……


「……サトコさん」


 あたしの名を呼ぶこの人のことを、祈っても良いのだろうか。

 姫様とぎくしゃくしたままなのにそう思うのは、まだ正気を失くしてるってことなのかな。

 ああダメだ……自分の本心さえ、今はよくわからない。


「日が沈みましたね」


 でも……それでも。


 お願いです、先代様。


 レオニさんの魂に刺さった楔が、どうかこれ以上──悪さをしませんように。




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