064:裏参道 二
もしも西の大王がぜんぶ知っているとしたら。知っていて、見て見ぬふりをしてるとしたら。
アルゴさんは決して、許さない。
──あたしはごくりと息を飲んだ。ごろごろと想像が転がり出す。
ちょっと、なんか怖いんですけど。
あの秘密の会議で、マーロウさんのお兄さんについて皆どう言ってたっけ。
都を出て、どうやら呼び戻されたらしい──って言ってなかったっけ。
とっくに引退してひっそり暮らしていた大魔法使いが、わざわざ呼び出しに応じる相手と言ったら──それってやっぱり身分の高い人、でもって親密な相手ってことなるんじゃない?
その呼び出しに応じてマーロウさんのお兄さんは都へ戻り、時を同じくしてコズサ姫が箪笥の通路を通って……
偶然だとは思えない。何か思惑があるとしか思えない。
やだちょっと、もしかしたらこれは、見て見ぬふりどころの騒ぎじゃないんじゃないの?
こうなるともう、もっと悪い事態だって考えられる。偽コジマ、ネト河での襲撃、杉並木の猿、境界に現れた鴉──裏で糸を引いてるのが、もしも、もしも……
と一瞬でそこまで考えて、あたしは心の中でぶんぶんかぶりを振った。
いやーいやいや、いくら何でも想像が暗すぎる。
怖すぎるでしょ。
誰を斬りに行ったの、アルゴさん。
「でも……でも普通、助けてくれると思うんですよね。いくら会ったことないって言っても自分のお嫁さんになる相手なんだし、知ってて放っておくなんて。それにえーっと、えーっと……すごく優しい人らしいじゃないですか」
そう、もう少し希望的観測を持ったっていいと思うのよ。
だってほら、誰が悪者だとかハッキリわかってるわけじゃないんだし、それに姫様にかかった魔法は『悪意なき魔法』なんだから。
ってことは、鴉の裏にいる悪い魔法使いはきっと別の誰かなのよ。マーロウさんのお兄さんとも、西の大王とも関係のない別の誰か。
そうよそうよ、きっとそうよ。
「えーっとなんだっけ、季節の移り変わりに思いをはせるような、人類皆平等みたいな、ちょっと聞いただけでもイイ感じの人ですよね。そんな人が自分の許嫁のピンチを見て見ぬふりなんて、きっとしないと思うんですよね。
だからやっぱり何にも知らないんだわ、姫様が今どんな姿をしているか、どんな大変なことがあったのか、きっと何にも」
「ねーサトコさん。それって結局、知っててほしいのか知らずにいてほしいのか、どっちなんです?」
こちらを向いたコジマくんのじっとりした視線に、怖い想像が中断される。
えーとえーと、と視線を彷徨わせ、あたしはやっと一言だけ口にした。
「わ……わかんない」
「えーっ」
呆れ顔のコジマくん、はあー、と溜息をついた。
「さっきから何言ってるんですか、サトコさん。そもそも『西の大王がエードの事情を御存知かも』とゆーその前提がおかしいです。そんなことあるハズないじゃないですか」
「そ……そうよね」
「それにもし御存知であったとしても、助け舟を出すかどうかにお人柄なんてカンケーないですよ。優れた御方であれ、あるいは僕のようにやるときはやる冷酷無慈悲な御方であれ、助けてくれる時はくれるし放っとく時は放っとくもんです」
「そ……そうなの?」
「あったりまえじゃないですか! 重要なのはメンツですよ、国として王としてメンツが立つかどうか。これがすべてです。まーでも僕のお師匠様が最大級の賛辞を送った御方ですからね、素晴らしい人物であることに間違いはないでしょうけど」
「平等に恩寵を授け、罪は赦し、俗世の煩わずらいごととは一線を画す、“王の中の王”……どのような人物なのでしょうね」
レオニさんがぽつりと呟いた。
その口許に、微笑みはなく。
「まるで、幻のようですね」
急に胸がざわついた。
幻のよう。
たしかにそうだ。マーロウさんが形容した『西の大王』──ちっとも人間らしくない。教会とかで神父さんの説教に出てくる神様かなんかの話みたい。
正直言って、まるでピンとこないのだ。
もしかして、右のほっぺを叩かれたら左のほっぺを差し出すような人なのかしら。
もし本当に誰にでも平等で、本当に『俗世の悩み』とか全然ないような人なら……文字通り、『誰でも同じ』なのかもしれない。西の大王にとっては。
お嫁に来るのがコズサ姫でも、他の誰かでも。
御世継を生むのがコズサ姫でも、他の誰かでも。
「で……でもほら、マーロウさんがちょっと話を盛ったのかもしれませんよ? なんたってコジマくんのお師匠様なんだし」
「あー! 今! サトコさんがひどいこと言ったー!」
「だって恩寵を授けとか罪は赦しとか、褒め言葉のチョイスがおかしいんだもん! そんな人この世にいるわけないじゃない、しかも年の功積んだおじいさんならともかく十五よ十五、だから西の大王だってきっと思ってるよりフツーの」
「どのような御方でも同じであろう」
聞こえたのは、いつもより抑えたコズサ姫の声。
そちらを横目で見ると、姫様はふいっと顔をそむけた。
「歳が御幾つでも、どのような御気性でも、如何様な御姿でも同じであろう。その御方が西の大王様であれば、その御方に嫁ぐだけのこと。それだけのことじゃ」
コズサ姫は白い指先で、二つ目のピタパンの端を小さくちぎった。目が合わないまま、それをポッポちゃんの方にヒョイと放る。
あたしは無言で眉をひそめた。
なんか──なに? 今のリアクションは。
思ったことをそのまま口にしてるのか。
でなきゃ、何かを誤魔化そうと話題を変えたのか。
あるいは、西の大王のことは聞きたくないし話したいとも思わない──そういうことなのか。
「ぜいたくは言わぬ。王の娘であるとは、然ういうことよ」
でも。それにしたって。
「子を抱く喜びだけは残されておる。それで充分じゃ」
誰でもいい、はあんまりなんじゃない?
「姫様──本心じゃないですよね。それ」
レオニさんが顔を上げた。
その隣で、コジマくんが口を開けて固まった。
「本心だったら、あんなに泣きませんよね。取り乱したりしませんよね……あんな姿、あたしたちの前で見せないでしょ。御宣下を聞いた時も。アルゴさんが寝込んでた時も。温泉で襲われた時も」
あたしはもう、知っている。
姫様の言葉は“建前”でしかないと、知っている。
「ねえもうやめましょうよ、心にもないこと言うの。
お嫁に行った先で赤ちゃんさえできればどんな相手でもいいなんて、違うでしょ。そんなはずないでしょ。なんで……なんでですか。どうして姫様、そんなことばっかり」
コズサ姫はあたしを見ない。
おなかの底で、ぐらぐらと何かが揺れる。首筋がすぅっと冷えてくる。
あたしは、怒ってるんだろうか。
だとしたら、いったい何に怒ってるんだろう。言葉をぶつけてどうしようっていうの。
「子どもの姿になったのだって、全然堪えてないんでしょ。だってそうじゃないですか、大人のままならお嫁に行かなきゃいけないんだもん……子どものままでいたいんでしょ、本当は。いつまでもずっと、この姿のままで」
「ならばどうせよと言うのじゃ!!」
──周りの空気が音を立てて凍った。
すごい勢いで、コズサ姫は残りのピタパンすべてをお口の中に詰め込んだ。さっと立ち上がり、こちらを見ることなく衣装の裾を翻す。
これ以上触らないで、とでも言うように。
「先に行く」
そしてそのまま、振り返ることなく階段を駆け上がっていった。
やってしまった……やってしまった。あたしは本当に、ばかだ。




