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063:裏参道 一

 そして今。


「はあ、はあ、はあ……」


 あたしの呼吸は乱れていた。


「はあ、はあ……も、ダメ……レオニさぁぁん」


 喘ぐような息の下から名前を呼ぶと、少し心配そうな瞳があたしの顔を覗き込む。


「無理しないで、サトコさん」

「でも、ああ……でも……」


 息が苦しい。指の先が痺れるよう。頭が痛い。脇腹も痛い。動悸がする。

 あたしはついに、がっくりとその場に膝をついた。


「あたし……う、運動不足でっ……」

「情けないなーもー。とてもティーンとは思えません!」


 ティーンて死語じゃないの?

 と額の汗をぬぐって視線を傾けると、足取りも軽やかなコジマくんが少し上の方からこちらを見下ろしている。

 あたしはよろよろと顔を上げ、足元から遥か上へと続く石の階段を見上げた。

 両側で緑の木々が、ざわざわと枝葉を揺らしている。


「だってこれ……これ、全部で何段……あるのよぉ」

「七百段ですよ」

「なっ……!?」


 絶句し、同時に目の前が暗くなる。

 すると絶望に打ちひしがれるあたしの前に、ぴょんぴょん跳ねるようにしてコズサ姫が階段を下りてきた。


「これ若いの。表の参道を使うわけにはいかぬのかや?」


 そう、この長い長い階段は『ファタル霊廟の裏参道』なのだ。

 乗ってきた自転車と馬ははるか下の方、階段の一番下で大人しく待っている。ああ、表の参道ならなあ……馬車が通れるほど広くて緩やかな道らしいんだけど。

 山の傾斜そのままの急な石段では、がんばって自力で上がるしかない。


「表の参道はあの杉並木から分かれ道になっているのであろ? それほど離れているものかえ?」


 小首をかしげるコズサ姫に、今日は珍しく帯剣しているレオニさんが苦笑いで答える。


「峠を一つ、またぐほどの距離があるのです。狩りの城からでは日が暮れてしまいますよ」


 ふうんと一つ鼻先で返事をし、コズサ姫はまた跳ねるように階段を駆け上っていった。

 この姫様、さっきからこうして上ったり下りたりを繰り返しているのだ。

 初めのうちは三歩後ろにくっついて上り下りしていたレオニさんも、追いかけるのは諦めたらしい。今はあたしの数歩前に立ち、姫様に視線を配りつつも時々こちらを振り返って、気にかけてくれている。

 それにしたって、なんて身軽。

 カモシカのよう。

 ああ、この違いは……いったい、なに……


「ほーらぁ、がんばりましょーよサトコさん! 登らないと着かないし、下らなきゃ帰れないんですから。そんな嫌そうな顔してないでほら立って、がんばって!」

「なんかもう……あたし、この階段で遭難できそうなんですけど……」

「情けないなあ、荷物ぜんぶ僕に持たせてるくせにー。若いんだからヒョイヒョイいけるでしょ、いけるいける! それにいざとなったらレオニさんがおぶってくれますって」

「な……なな、なに言ってんのよ、自分で歩くわよっ」


 先の方でコズサ姫が立ち止まり、こっちを見て手を振った。両手を口の横にあて、あたしたちに向かって何か言っている──「早うこちらへ」だって。

 そのまま立ち止まって待ってくれてるってことは、もしかしてベンチでもあるのかしら。

 や、休みたい。

 座りたい。

 あたしは気力を振り絞り、一段、また一段と這うように登り始めた。


「だいたいコジマくん、情けないとか言うけどねぇ……あたし狩りの城からここまで、ずーっと自転車漕いできたのよ? ずーっと登り坂だったのよ?」

「えぇーあんなん坂のうちに入りませんよっ」

「しかも夜も明けないうちから働いて色々あって、へっとへとに疲れてるところに姫様乗せて二人乗りで……」

「お昼寝いーっぱいしたじゃないですかっ」


 たしかにしましたけどぉ……

 するとコジマくん、不満そうに言葉を続けた。


「いーじゃないですか僕なんかレオニさんと馬で相乗りですよ? 僕だって姫様と自転車乗りたかったのに、いったい何が楽しくて……あああー! しかも! 帰りもだっ!」

「しょうがないじゃない、一番乗り慣れてるのあたしなんだから……」

「そうですよ。自分と相乗りでは面白くないでしょうが、我慢してください」


 コジマくんは「ぶー」と口を尖らせる。そしたらレオニさん、笑いながら付け加えた。


「それに我慢しているのは自分も同じですからね、コジマさん」

「あーっ今! 今!! レオニさんがひどいこと言ったー!!」


 そよぐ風が、あたしたちの髪を揺らす。

 傾きゆく日の光があたりを金色に染める。

 コズサ姫は階段の踊り場で待っていた。木のベンチに腰かけて足をプラプラ揺らし、あたしたちが辿り着くと開口一番、「何か食べたい」と仰った。


「おなか空いちゃいますよねぇ、ちょうどいいからピタパン食べちゃいましょうよ。御供えするぶんは別にわけてありますから、ほら皆さんどうぞ受け取って! はいサトコさん水筒、まずは水分補給を忘れずにっ」

「あ、ああ……ありがとお……」


 コジマくんは魔法のリュックからあれやこれやとお店を広げ、姫様はおやつのピタパンにかぶりついている。もぐもぐしながら目をきらっと光らせ、「美味い!」と一言仰せになった。


「ぴたぱんと申したか。この素朴な味わい、挟んだころっけの芋の甘みとよく合うてまことに素晴ら」

「ぉぉおーいしーい! どんなおかずでもマッチしそうなシンプルなお味、塩辛いのから甘辛いのまでオールマイティーにいけそうで、食感がもちっとしてるからお腹にも溜まりますし、それにこの形! おかずを挟み込むからお手々が汚れません。理に適ってるってこーゆーことですよねっ、まさに携帯食の鏡!」


 良かった、どうやら好評だ。

 皆おなかがすいていたのか、それぞれ二つ目に手を伸ばす。昨日は「滝を見ながらお弁当」という話だったけど、食べたい時が美味い時。どこで食べたっていいだろう。


 ──そんなことを考えていると、姫様がぽつりと呟いた。


「アルゴのやつも食べたかのう」


 独り言のように。どこか遠くを見るように。


 時刻はもうすぐ五時近い。

 馬で飛ばしまくっているだろうあの人は、いったいどこまでたどり着いたのか──もう、ネト河を越えただろうか。

 すると頭上にパサパサと羽音が響いた。


「あ、ポッポちゃん」


 舞い降りたのは白い鳩。コズサ姫の参拝を霊廟へと先触れし、まさに今戻ってきたのだ。

 ポッポちゃんはコジマくんの肩にちょこんと止まり、パンを一片ちぎってもらって早速つつきはじめる。

 あたしは上へ上へと伸びる階段に目をやった。

 全部で七百段──一番てっぺんは、まだ見えない。


「あたし、ちゃんと辿り着けるかしら……」


 そもそも先代様は、ファタル連山の最高地点に霊廟を構えたかったそうだけど。

 美しい御来光を目の当たりにし、あまりのありがたさに手を合わせたという思い出の場所。つまり、あたしたちがへばりついてる斜面を登りつめた、その山頂だ。


「いやー山頂じゃなくて良かったですねサトコさん! もしこの山のてっぺんだったら確実に遭難してますよ、僕じゃなくてサトコさんがですけど。お師匠様が強硬に反対したおかげです、『山頂にこだわらずとも天下泰平を見届けることはできましょう』と申し上げて、どうにか翻意して頂いたんですって!」


 天下泰平ねぇ。

 先代様が目指したのは、兵士の血ではなく王家の人間の血による平和。

 その志を今の上様が受け継ぎ、コズサ姫が実現する。生まれる前に決められた、西の大王との婚姻によって。


「どんな人なのかしらね、西の大王って」


 コジマくんの軽口を聞き流し、あたしはピタパンをもぐもぐしながら何の気なしに呟いた。


「あー僕聞いたことあります! それはそれは慈悲深い、お優しい御気性だそうですよ。成人されたばかりでいらっしゃるのに、人間的にたいそう出来た御方なんですって!」

「へー。成人っていくつなの?」

「十五ですよ」


 十五!

 年下らしいとは聞いていたけど、三つも下だとは──そうか、龍の洲(ここ)は十五で成人だったのか。

 なんだかちっともピンとこない。

 何にピンとこないかって、自分とコズサ姫がとっくに成人だったってこと。そりゃまあ姫様は子どもの御姿だし、あたしはぬるま湯育ちだし……いちおう、社会人ではあるけれど。


「そういえば、典医どのは拝謁されたことがあるそうですね。西の大王に」


 口を半分開けて感心していると、レオニさんも思い出したように口を開いた。その足元にポッポちゃんがトコトコと近づいていく。パンの欠片がほしくておねだりしてるんだろうか。

 それを眺めながら「へぇー」と溜息。そして、これまた何の気なしにあたしは呟いた。


「姫様は会ったことあるんですか?」

「ない」


 短く答え、コズサ姫は大口でピタパンにかじりつく。

 ないんだ──やっぱり。そんな気はしていた。


「お師匠様がお目にかかった時は御簾越しだったようなんですけどね。

 じかにお言葉を頂いたのかどうか知りませんけど、なんでも『季節の移ろいを愛で、天より落つる雨の一粒にも御心を寄せられるような御方でのぉ。どのような相手にも平等に恩寵を授け、罪は赦し、俗世の(わずら)いごととは一線を画しておられる、まあ“王の中の王”と称されるに、まっことふさわしいと申せようのう、ふぉっふぉっふぉっ』てな具合だそーですよ」


 レオニさんがちぎったパンのカケラを、ポッポちゃんがつついている。あたしからも一片おすそ分け。足元に落とすと、くるくる喉を鳴らしてこちらに寄ってきた。


「なんかすごいのねえ……マーロウさんベタ褒めじゃない」

「まー僕のお師匠様は誰を評する時も基本ベタ褒めですけどねっ。でも今上大王だけでなく歴代の西の大王は、みんなこんな感じの鷹揚な方々だそーですよ」

「ふーん、そうなんだ」


 すると、魔法使いの弟子は得意気に胸を張った。


「なんといっても僕のお師匠様は超々名門の出身ですからね。古より西の大王家にお仕えし、幼少期の教育を代々任されてきたほどの由緒ある一族なんです! いくらお師匠様が都から出て長いとはいえ、もとの主君のお人柄について伝え聞くところもあるでしょうし」

「へえー……そうなんだ」

「今の大王だってそうですよ。エードのコズサ姫をお育てしたのが僕のお師匠様なら、西の大王をお育てしたのはお師匠様の実のお兄さんなんですから!」

「へえー……えっ? え、うそ、そうなの!?」


 あたしは思わず身を乗り出して食いついた。そうですけど? とコジマくんは首を傾げる。レオニさんも。

 ──ああそうだ、この二人は知らないんだっけ。

 コズサ姫を子どもに変えた魔法使い。それはマーロウさんのお兄さんらしい、ということ。


「だったら……だったら、マーロウさんのお兄さんと西の大王は今でも交流があるのよね、きっと」

「まーそうなんじゃないですか?」

「ってことは、西の大王は自分の許嫁が子どもの姿になっちゃったのを、知ってるかもしれないのよね」


 するとコジマくんとレオニさん、またしてもそろって首を傾げた。

 よっぽど突飛な発言に聞こえたんだろうけれど。

 コジマくんなんか「なに言ってんですか」と言わんばかり。


「なに言ってんですか」

「あ、ほんとに言った」

「もしお師匠様とそのお兄さんが双子のように仲が良かったとしても言いやしないですって、そんなこと。だいいち国家機密なんですから」


 コジマくんの発言を受け、レオニさんも口を開く。

 あたしの方を見ながら。

 普段よりも、いくぶん慎重に。


「……コジマさんが言うとおり、エードから知らせるということはまず無いでしょう。つつがなくお輿入れが成るために、障害となるようなことは伏せるはずですから」


 あたしはちらっと、横目でコズサ姫を見た。もぐもぐと大人しく、食事に集中してらっしゃる。

 ねぇ、姫様。

 聞いているのかいないのか、それとも知らんぷりをしてるのか、わかりませんけれど。


「ただ、仮にすべてをご存知だとして……それで何の助け舟も出さずにいるとしたら」


 あたしは姫様からレオニさんの方へと、視線を戻した。

 するとレオニさんは一旦言葉を切り──わずかに間をおいてこう続けた。

 いつもよりもずっと慎重に。

 いつもよりもずっと厳しい声で。


「隊長は、決して許さないでしょうね」


 誰かが息を飲む、音がした。




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