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061:落としどころ 二

 皆それぞれ手を止めて、魔法使いの弟子に目を向けた。


「僕は正直あの人苦手ですけどね。あんまりこちらに歩み寄ってくれないし、肝心なことも中々言ってくれないし、それこそもっと素直になりゃいいのにって思うこともしばしばです!

 でもね。

 あの人、ただ無愛想なだけじゃないんですよ。冷静なんです。自分の心と魂の置き所を決めてるんです。落としどころを決めてるんです。

 だから強い──だからぶれないんです」


 コジマくんが真面目に喋っている。

 それも、なにやら難しいことを。


「そうかもねぇ……」


 小鍋でお芋を茹でながら、あたしは息をついた。


「よく『芯の通った人』って言い方するじゃない。でもアルゴさんの芯ほど固くて強いのって、そうそう無いんじゃないかしら」

「芯ってゆーより鉄パイプですよ。いーえ鉄筋コンクリートですよあれはっ」

「ねえ、なんで鉄筋コンクリートとか知っ」

「しかしその強さもですね、どこから来てるのかとゆーと『己が魂の正しい認識』ですからね。あの人は自分のことをよくわかってる。だから自分の心に折り合いをつけられるんですよ」


 アルゴさんの意思は誰にも曲げられない。

 コズサ姫でさえ、覆すことはできなかった。

 だってねぇ……あんなに泣いてたのに。普通なら(ほだ)されてしまうところなのに──でもあの人は振り切った。

 心に折り合いをつけた、結果なんだろうか。


「ですからねぇ、皆さんも御自分の心と向き合って正直になりゃいいんです。僕ら相手に何を遠慮することがありますか!

 ねぇ、レオニさん。心を取り繕って生きてくなんてって人には言うくせに」

「!」

「姫様もですよ。レオニさんに斬りかかるくらいなら席を外させりゃいいんです。

 いえね、隊長さんの寝床で隊長さんの毛布にくるまって一人で泣きながら寝たいって仰っても、誰も『うわぁー』とか思いませんから」

「!!」

「サトコさんだって、いつまでも後ろを振り返ってないで前を見ましょーよ。過去のダメだった点を指折り数えたところで、時間は巻き戻せないんです。そうでしょ? 違います?」

「ちょ、なんであたしまで槍玉に挙げるのよ!」


 見ればレオニさんもコズサ姫も目を見開き、耳まで真っ赤になって固まっている。

 いつにもまして弁舌冴え渡るコジマくんは刻んだ玉ねぎをフライパンに移し、イイ音で炒めながら鼻歌を歌いはじめた。……よくよく聴くと、この歌はアレだ。

 ネト河渡しで聴いた、あの舟歌だ。

 

 ──星空映すネト河に 抱かれて流れる木の葉舟 誰も許さぬ泥の舟──


 あたしは小鍋のお湯を払い、ボウルにお芋を移しながら思い返していた。

 数時間前、まだ闇夜に昏い厨房で垣間見た、アルゴさんの激情を思い出していた。

 決してぶれないはずの強い人が、大揺れに揺れたあの姿を。


「姫様もちゃんとわかっておられるんでしょ、本当は。隊長さんがここを出てったのは理由があってのことなんだって。

 そりゃあね、今までこんなことは無かったから『裏切られた』ってお思いになるのも無理はないと思いますけど。

 でも男が一度決めたことなんです。それも、あれだけ頑固で譲らない人が決めたことなんです。戻ってくるのを待つしかないですよ、こうなったら」

「……」

「ほーらぁ、そんな御顔なさってちゃ美人が台無しです!」

「……わらわは」


 俯き気味に、コズサ姫の唇から言葉がこぼれた。


「あやつが戻らなかったらと思うと、怖い」


 ボウルのお芋を木べらで潰しながら、あたしは耳を傾けた。コジマくんが炒めた玉葱も合わせて、塩や胡椒なんかで味をつける。ソースが無いから、ちょっと濃い目に。


「エードへ戻り、さらに西へと参るのであろう。剣を佩いて行くというのは、そういうことじゃ。

 誰ぞを斬るつもりかは知らぬが、首魁は名のある、身分のある者であろう。エードの姫が西の大王に嫁いで困るのは民草ではないからの」


 あたしはわずかの驚きとともに、顔を上げた。

 ……誰も伝えていない。アルゴさんが西の都で悪いやつを斬るのだと、誰も姫様に伝えていないのに。


「そういう者が何の備えもなしに、ただ漫然とあやつを待つであろうか。答えは否じゃ。

 もちろん、信じておらぬわけでは無い。

 だが、もしもあれが最後であったらと思うと……怖い。このあたりが」


 呟いて、コズサ姫は小さな拳を胸に当てた。


「苦しゅうなる」


 ぽつりと。

 不安げに。

 眉をひそめ、真っ赤な目元を潤ませて。

 誰も言葉を挟めない。だから、自分の作業をするしかない。のんきなのは鼻歌まじりに揚げ鍋を用意するコジマくんだけ。

 ああ……だけど。


 ──ひいさまを頼み参らせるぞ、サトコどの──


 ただの挨拶だったかもしれない。

 それでも託されたのはあたしなのだ。

 あの人の苦悩を目の当たりにし、一番大切なものを託された。


「ねぇ姫様……行ってみませんか。先代の上様の霊廟」


 だったら黙ってちゃいけない。

 悲しみの淵から下がらせなくちゃいけない。たとえ一歩でも。


「無事に帰ってくるようにお祈りしましょうよ。今作ってるやつ、御供え物で持って行きましょうよ」


 そうですね、とレオニさんも相槌を打つ。


「隊長は元々、先代様の近習であったと聞いています。武運を祈りましょう。先代様の御霊(みたま)が、かならずやお守りくださいます」


 するとコジマくんも丸椅子に腰掛けて話に乗ってきた。混ぜ合わせたコロッケの種を丸めて、バットに並べながら。

 それがまあ、妙に早い。


「そうですよー姫様、自転車で行きましょうよ。サトコさんもいるんですし、ご利益はバッチリです!」

「えっ、なんであたし?」

「サトコさんはね、引きが強いんですよ。別の次元からやって来た一介のパン屋のお嬢さんが、この龍の洲を統べようという国の姫君と、こうして親しくなり旅行までしてるんです。これを引きが強いと言わずして何と言いますか」


 丸めた種がどんどん出来上がる。あたしはさらにバットを並べ、それぞれに小麦粉と溶き卵と、それからパン粉を広げた。

 そういえばあたしが店の手伝いを始めたころ、「助手がいると助かるわー」っておかーさんが繰り返し言ってたっけ。今日のコジマくんは間違いなく、優秀な助手だ。


「なんたって龍神を呼ぶくらいですからね。

 溢れんばかりの魔法の才を誇るこの僕と、出所不明な引きの強さを持つサトコさんと、先代様の御孫君である姫様と、ついでに普通の近衛士であるレオニさんと、四人で神頼みすればバッチリです。

 そう、隊長さんの行く手にどんな艱難辛苦が待ち受けていようとも!

 海にあっては海が割れ、雨風吹いては雲が裂け、全ての災いは消え去り、必ずや道は拓け、その頭上にさんさんと光が射すことでしょう!」

「んもう、大げさねえー」


 ほんとですーっ、とコジマくんは頬を膨らませ、レオニさんが「ははは」と笑う。

 さあ、あとは衣をつけて揚げていけば出来上がり。揚げるのはコジマくんにお任せしよう、あたしは寝不足すぎて手元が危ないし。

 実際さっきから頭がぐわんぐわんする。

 若さで乗り切れるレベルを、とうに超えてしまったのは間違いない。


「ころっけと申したか」


 コズサ姫が俯き気味だったお顔を少し上げた。あたしは作業の手を止め、そちらをそっと窺った。


「わらわもやる」


 その声は、先ほどよりもシッカリしていて。


「あやつのことで霊廟に参るのなら、わらわが供物を用意せねば……おじい様もお喜びになろう。龍神にも、昨日の礼をせねばなるまい」


 そう言って手を伸ばすと、さっそくコジマくんが世話を焼き始めた。

 でしたら姫様お袖めくりましょうねぇ、たすき掛けにしますからチョットお待ちくださいねぇ、エプロンありますから着けましょうねぇ。

 あたしはそれを聞きながら、ほっとした気分で一つ息をついた。良かった……ずーっと泣いてちゃ、つらいから。

 そしたら、ふと視線を感じて──


「サトコさん」


 レオニさんと目が合った。


「良かった。あなたがいてくれて」


 そう言って、やわらかく笑う。

 あたしは曖昧に微笑み返し、またコズサ姫の方に視線を戻した。


 ──それから、あたしたちは協力してコロッケを作った。

 姫様は肘の方までべたべたに汚しながら衣をつけ、それをコジマくんがきつね色になるまで揚げる。

 その間レオニさんがキャベツを千切りしてくれたんだけど、あんまり上手くなくて、ちょっと笑った。


「剣の扱いには長けておるのにのう」


 そう言って「わらわも」とやりたがった姫様は、もっと下手っぴぃだったわけだけど。

 できあがったおかずをピタパンに詰めて布にくるむ。

 出来上がりはぜんぶで十五個。


 ……の、はずだった。


「十四個あれば一人あたり二つ、龍神に三つ、霊廟に三つでちょうどいいですね」


 そう言ったコジマくんの声を、あたしはよく聞いていなかった。

 だって眠すぎて。

 その時あたしは厨房の作業台に突っ伏して、ウトウトと夢の世界に足を突っ込んでいた。



 そして──



 いつのまにやら自室の寝台に運ばれたあたしは、なんと四時間ものあいだ眠りこけた。

 起こさずにいてくれた皆の優しさが胸に沁みる。

 コック服と靴は脱がされて、それぞれ壁のフックと寝台の足元に。誰が世話を焼いてくれたんだろう、優しいなあ……なんて考えた途端、


「うわぁぁぁーーー!!」


 と叫んでしまったけれど──コジマくんが「なーにパニクってんですか。僕ですよ僕!」って言ってたから、それを信じるしかないだろう。うん。

 ううー。


 その日二度目の恥ずかしい目覚めを経て、午後三時。

 体内時計はもうしっちゃかめっちゃか。頭は重いし、体はだるい。

 それでも昼下がりの光きらめく湖畔に立つと、何となく心が洗われるような気持ちがして。


 ──魔法使いコジマが大いなる湖の主に畏み申す──


 ピタパンの包みを漆塗りの御櫃に乗せ、コズサ姫がそっと湖に浮かべた。

 御供え物は小さな手を離れ、波に揺られながら少しずつ遠ざかっていく。


 ──エードの一の姫 名をコズサ パン屋の娘 名を松尾サトコ ついでながらエードの近衛士 名はレオニ──


 黒い御櫃が豆粒のように小さくなっていく。

 ああ、もう少しで見えなくなる……そう思った時。


 ぽちゃん


 と小さな飛沫(しぶき)が上がった。

 御供え物は、もう見えない。

 波間に沈んだのだろうか。


 ──これより心願叶えんと祖先の霊に参る由 守りたまえ導きたまえと聞し召せ──


 コズサ姫は両手を合わせ、静かに頭を垂れた。後ろに控えるあたしたちも、それにならった。

 風がザァッと木立を揺らす。

 湖面が光を跳ね返し、それが瞼を刺して──目を閉じていても、すごく眩しい。

 合図を受け取ったように姫様はすっと御顔を上げた。


「往こうぞ。我が祖父のもとへ」


 こうして、あたしたちは湖の龍に御供え物をした。

 それから自転車と馬にそれぞれ相乗りで、湖沿いの道をファタルの霊廟へと走り出した。




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