060:落としどころ 一
泣き腫らした目で、蒼白な顔で、震える手で扉を押さえつけたまま、コズサ姫はこちらを凝視している。
「あの……あのですね、ここ、これは別にやましいことをしてるわけじゃあなくってですね、えーっとえーっと」
と、あたしが言い訳を始めるよりもずっと早く。
きっ、と姫様はレオニさんを睨みつけた。真っ青だった頬がカーッと朱に染まり、つややかな髪がふわぁと広がる。
「手を離せ、下郎ッ!!」
そして怒りに燃える目で壁の剣を取るや、スラリと抜き放った!
「おのれ、上官の目が無くなった途端のこの所業! 布にくるんで窓から投げ捨てようなどとッ」
「な、投げ捨て……違います決してそんな」
「問答無用じゃ、黙れーッ!!」
大上段から振り下ろされる長剣を、レオニさんは両手で白刃取りする。
あたしはもう声も出ない。
軽くはなさそうなその剣を、コズサ姫はグイと引き戻した。レオニさんもパッと退き、寝台の向こうに回って避難する。
小っちゃい体のどこからそんな力が湧いて出るのか、姫様は怒りの表情で剣を振り回し、叫んだ。
「そこへ直れ、今度こそ手討ちにしてくれるッ!」
「ち……違います! 違うんです!」
あたしはポカンと口を開け、その場に立ち尽くしていた。「素ッ首刎ねてくれるわ!」とコズサ姫が叫べば、「ですから誤解なのです!」とレオニさんも叫び返す。
いつのまにか窓枠に戻ったポッポちゃんは、我関せずで「くるっぽー」とまた鳴いた。
そして光に翼をきらめかせ、パタパタ羽ばたいて飛んでいく。
「逃げるな大人しくせよ神妙にせぇーーーッッ!!」
「そんなご無体な! サトコさん、姫様の誤解を! 解いてください!!」
さんさんと降りそそぐ朝日の中、あたしはほとんど呆然と目の前の光景を見つめていた。
なんか……なんかさあ。
どうしてこうなっちゃうんでしょうか、この人たち……?
「ぐすっ、うぅ……ぐすっ」
厨房の作業台に突っ伏して、コズサ姫が咽び泣いている。
「ううぅ……ひっく……ぐすっ、うぅ。うぅぅ」
「姫様ったらー、いつまで泣いてらっしゃるんです?」
コジマくんに声をかけられても、ただしゃくりあげるばかり。数時間前の自分を見ているようで、正直なんとも言えない気持ちになる。
「お気持ちはわかりますよ? でもしょーがないじゃないですか。生きてりゃ色んな悩み苦しみがあるものです。程度の差こそあれ、どんな人間だって変わりません」
「ぐすっ……うぅ。うぅっ……」
「皆それぞれ悩みながらも、涙を拭って生きていくんです。生きてさえいればまた楽しいことだってあるんですから。絶望して泣き暮らすには早すぎます。
それにね、レオニさんのことを勘違いして剣なんか振り回して恥ずかしかった、ってゆーのもわかりますけど。誰も姫様のこと『うわぁー』なんて思いませんから! だから元気出してくださいよ、ねっ?」
するとコズサ姫、ちょっとだけ顔を上げた。
大きな瞳に涙が溜まっている。
その可愛らしい御顔をくしゃくしゃっと歪め、姫様はまた作業台に突っ伏した。
「うわぁぁぁぁーーーーん!!」
「ふわぁー……」
「んもーサトコさん、こんな時にあくびとか! シャキッとして下さいよ、もー」
コジマくんはそう言うけれど、時刻はそろそろ午前十時。
正直ものすごく眠い。
「だってしょうがないじゃない、二時半起きなのよあたし……しかもただ起きてただけじゃないのよ、あんなことやこんなことがあって、もういっぱいいっぱいよ……」
「それがどーしたというんです。若さで乗り切れるでしょ」
さっきまで人の寝床でグースカ寝てた子が何を言うのやら。
レオニさんがあたしを窓から投げ捨てようとした──という誤解が解けたのは、ついさっき。
ポッポちゃんから騒ぎを聞いたコジマくんが駆けつけて、何とかその場がおさまった。あー良かったと一安心したところであたしは自室に戻り、今度こそ一眠りしたかったんだけど……一人になりたくなかったのか、コズサ姫がついてきちゃったのだ。
「眠っていらしたらどうですか」
レオニさんはそう言ってくれた。
だけど、ねぇ。
泣いてる姫様をほっといて自分だけスヤスヤ眠れるかというと、ちょっと出来ない。気分的に。
こうなってはもう、腰を据えて働くより他に選択肢はないのである。
あたしは残りのピタパンに絞った布巾をかぶせ、まだ温かいままの石窯の中に入れた。コロッケ作ろう、そうしよう。
まずはパン粉から。固くなったパンとおろし金を準備していると、お芋をザルに拾い集めながら、コジマくんがこそこそと耳打ちしてきた。
「そーいやサトコさん、レオニさんとは話し合えたんですか? ちゃんと和解しました?」
「えっ!? あ、うん。それはえーっと、だ、大丈夫よ。レオニさんちゃんとわかってたもの、アルゴさんが討って出るって決め」
「そーじゃなくてぇ。
ま、その真っ赤な顔見ればだいたいわかりますけどね。いえいえ別に、僕は何にも言うつもりはないですよ。青春って眩しいなーって思うくらいで。それにほら、何だかんだ言ったってレオニさんは佳い男ですし──」
「おぬしが悪いッ」
ちょっと捨て鉢な声が聞こえ、あたしたちはチラっとそちらを向いた。
ぐいと涙を拭き、コズサ姫が立ち上がる。それがまあお父さんそっくりの仁王立ちで。
その視線の先にレオニさん。
石窯の脇に薪を積み上げてるのをビシッと指差し、姫様はぶすーっとした顔で仰った。
「そこに座れッ」
はぁ、と答えてレオニさんはコズサ姫の御前に正座する。
東洋的なこの座り方がすっかり板についちゃってるのは、何故なんだろう。
「君子は李下に冠を正さずという」
あらら八つ当たりしてる。
レオニさん頑張って、と心の中でエールを送り、あたしたちはそれぞれの作業に戻った。
固くなったパンをガリガリ削る。フードプロセッサーが恋しいなあ。
「そもそもあの騒ぎになったのは、其の方が疑わしき行いをしたからじゃ。あのように人を簀巻きにして窓際に立っておれば、すわ投げ捨てんと思われるのも当然であろうッ」
「はぁ……あの、そうでしょうか」
「そうじゃ。忘れもせぬ、十三の頃であったか……わらわの命を取らんと城内に忍び入った不届者がおっての、下働きの者に紛れ後ろから小刀でわらわを狙うたことがあったのじゃ。その時アルゴのやつがこう──」
姫様は裾の長い羽織ものから袖を抜いた。
そしてジャガイモをたわしで擦っていたコジマくんの背後に忍び寄り、頭っからばさーっと掛ける。
「いやーっ姫様! 何なさるんです!?」
「まあジッとしておれ──アルゴのやつがこう、その賊を布でくるんで窓から堀へと放り投げたのじゃ。
何やら騒がしいと振り向いて見れば、窓から足がニョキッと生えておる。『如何した』と問えば『何でも御座いませぬ』と涼しい顔で、そのまま下へ投げ捨てよった」
「おそろしいものを御目に入れぬようにとの、隊長の配慮では」
「投げ捨てたのはシッカリ目に入ったがの。そこがあやつの雑な部分じゃ」
「姫様ぁ、僕いつまでジッとしてればいいんです?」
「ふわぁー……」
パンを削り終え、あたしはあくびを一つ噛み殺した。単純作業で眠気がつのる。
さあ、次はお芋の皮剥き。ぼーっとして指を切らないように気をつけないと。
「だからの、先ほどおぬしがサトコどのをくるんでるのを見た途端、『救けなくては』とわらわが思うたのは当然の成り行きといえよう。
おぬしは近衛士、そして仕官した当時からアルゴのやつが目を掛け育てておったのを知っておる。つまりは頭にクソがつくほど真面目ということじゃ。新参のサトコどのに不審を抱いておったとして、おかしくはない。事実おぬしとサトコどのの距離は不自然に近い!」
「ぷふっ!」
「コジマさん、笑わないでください」
「斯様に距離が近いのはどういったことか、これはひとえにサトコどのを何かの刺客と疑い、その企みを潰えさせんと機会を窺っているに相違あるまい。わらわはそのように考えた。そうしたら先ほどのアレじゃ。見た途端、かーっと頭に血が上っての」
姫様はそうやってご説明なさるけど──
「思わず壁の剣を取った、というわけじゃ」
それは確かに嘘ではない。けれど必ずしも本当ではない。
ならば単純な八つ当たりなのかというと、そうでもなくて。
「そうしたらおぬし、サトコどのを害するつもりは無いと申すではないか」
「はい」
「であれば、何をしておった」
「はっ?」
「サトコどのをくるんで抱えて、何をしておったのかと訊いておる!」
レオニさんは「それは」と言いかけて頬を染め、姫様の上着から解放されたコジマくんは、もー我慢できないといった様子で大笑い。
あたしは──ええ、まあ、自分のことですけど──ごめんなさいレオニさん、あたしの口からは上手くご説明できません!
ここは黙ってやりすごそう。なんといっても、沈黙は金なのだ。
すると姫様「まあよい」と仰った。ちょっぴり唇を尖らせ、恥ずかしそうに目を伏せながら。
「剣を振り回したわらわが言うのもおかしいが、誰にも怪我が無くて幸いであった」
……ようするに。
寂しかったんだよね。アルゴさんがいなくなっちゃって、眠ってもすぐに目が冴えちゃって、どうしようもなくて近衛士部屋に来たんだよね。
あたしたちがあの場にいなかったら、そのままアルゴさんの寝台に横になって頭っから毛布を被り、泣きながらもう一度眠ったのだろう。
姫様自身がそうするつもりだったかなんて、もちろん知らないけど──
「おぬしがサトコどのに何もせぬというのなら、それでよいのじゃ」
そしたらあたしとレオニさんがカーテン越しに、だ、だ、抱き合ってて、そりゃーそんなん見ちゃったら頭に血が上るのもしょーがないと思うのだ。姫様、ごめんなさい。
「ですってレオニさん。コズサ姫がこのように仰せなんです、何もしちゃダメですよっ」
「心外な! 自分は元々何かしようなどという気はありませんっ」
心の中でコズサ姫に懺悔して、お芋を小鍋に入れて火のついたかまどにかける。
あたしは皆にばれないように、ほうっと息をついた。
カーテン越しに感じた力強い腕、抱き寄せられた胸……ああ、やだぁ。思い出すと頭がくらくらして、目の前が真っ白に……
……かくんっ、と身体が傾いでハッと我に返る。
おぉいけない、いけない。今、立ったまま寝そうになった!
「またまた、何もする気はないだなんてぇ。無理は良くないですよーレオニさん」
皆に背を向けたあたしの向こうで、コジマくんが玉ねぎを刻みながら茶々をいれている。
「僕ねぇ常々思ってるんです。皆もっと素直になれば、もっとずっと幸せに生きていけるのになーって。しんどくないですか? 我慢してるの。
いや別にね、思う存分好きなようにサトコさんのこと扱っていいですよーとか、そーゆー意味じゃないですよ。
自分を押さえて生きてくのつらくないですか? って意味ですよ。そりゃーね、行動に移したら社会的に死ぬかもしれませんからそこは慎重になった方がいいでしょうけど。
でもねー僕が思うに、皆さんその辺りをわかってらっしゃらない!」
「わかっておらぬと申すか。どのような意味じゃ」
問い返し、コズサ姫は丸椅子を引いて腰掛ける。
振り返ってそちらを見ると、ようやく正座から解放されたレオニさんと目が合った。
思わず苦笑いで「おつかれさまです」と声をかけると、あちらも苦笑い。「足がしびれました」と言いながら膝を払う。
「つまりですね、姫様。僕けっこう大事な話してますからね。よーっく聞いてくださいよ」
「言われずとも聞いておる」
手を洗ったレオニさんが「何か手伝いますか」と訊いてくる──けど、今は特にやってもらうことも見当たらない。
そうねぇ、衣につかう卵でも溶いといてもらおうかしら。
あたしたちがそうしてる間にも、コジマくんはコズサ姫相手になにやら熱く語っている。
「よーするにですね、自分の心をきちんと把握して自覚することです」
「把握、とな」
「自分の心が、魂が、何を求めているかってことですよ。それは手に入らないものかもしれない。求めることは許されない、そういった類のものかもしれない。
でもね、求めている自分の心を殺すことはないんです。素直になればいいんです。求めてやまない自分の心を、しっかり自覚することです。
どのように行動するかは、その後の話ですよ。欲望に忠実になるも良し、現実と向き合って生きるも良し、でもまずはその本心がどこにあるか、それを把握しないことには対策だって練れないじゃないですか。
落としどころだって見つからないじゃないですか。
それをきちんとわかってるのはですねぇ──」
「……」
「隊長さんですよ」
しん、と水を打ったように厨房が静まり返った。




