059:役立たず 二
「なんという……なんという浅ましい夢を!」
あたしは後悔していた。
カーテンの中で、窓枠に止まったポッポちゃんを凝視しながら。
ああ、なんでよりにもよってこんなところに隠れてしまったんだ。
「言わなくてもわかるなどと……目を見ればわかるなどと……なんという自惚れ、なんたる思い上がり……」
あたしがするべきだったのは隅っこに飛び退いて隠れることじゃない。
大急ぎで部屋から走り出ることだったのだ。
コジマくんの「目覚めた時に誰に居てほしいと思います!?」という耳触りのいい言葉に乗せられて来てしまったけど、やっぱり自然に目が覚めるまでそっとしておくべきだったのだ。
「夢とはいえ、あまりにも……酷すぎるッ……」
だって目覚めた瞬間に「うわー!」ってアレじゃない、見たくもない夢を見て絶叫するなんて、数時間前のあたしと完全に一致してるじゃない。
こーゆー時は一人にさせてあげるべきなのだ。内省の時間が必要なのだ。
ダメだダメなのだ邪魔したら!
「御手討ちになっても構わないなど、近衛士ともあろう者が何たる言い草……!」
レオニさんは正座したまま自責の言葉を繰り返す。そして、
「きっ、消えてしまいたい!」
と短く叫んで寝台に突っ伏した。
──まずい。膠着状態だ。
あたしは目だけを動かして、レオニさんの姿を確認した。それから窓枠に止まったままのポッポちゃんを確認した。
普段なら有り得ないことだけど、レオニさんはまだあたしに気づいていない。カーテンから生える二本の足に気づいていない。だってそうでしょ、気づいてたらこんなに取り乱すわけないんだから。
ああーまずい。
非常にまずい。
どうしよう、あーどうしよう。めくるめく嫌な予感に打ち震えていたそのときだった。
「くるくる。くるっぽー」
……ほらぁ。やっぱりねーーー!!
あたしはカーテンの中でよろめき、レオニさんはハッと顔を上げ、ポッポちゃんは素知らぬ顔でくるくると喉を鳴らす。
気づいてしまった。
気づかれてしまった。
視線が! 視線が痛い!!
「……サトコさん?」
「………………ハイ」
「き……聞いて……ましたよね」
びくびくしながら、あたしはカーテンから顔を出した。
レオニさんは正座のままだ。
あたしを見て「す、すいません」と口ごもり、また顔を両手で覆ってしまった。耳まで真っ赤になりながら。
そして指の隙間からチラッチラッとこっちを見る。
「あ! えーっと。あたし、大丈夫ですから!」
できるだけ何でもないような感じで、あたしはカーテンの中から声をかけた。聞いてました、ええ聞いてましたバッチリと──なんてことは、おくびにも出さず。
ポッポちゃんはというと、知らんぷりでポッポポッポと歩き回っている。
なんて無慈悲なんだろう。
飼い主に似たんだろうか。あるいは飼い主が鳩に似たんだろうか。
「えーっとえっと、あのですね、コジマくんに言われてちょっと様子を見に来ただけで」
そうですか……と返ってきた声は、とっても小さい。
「だからその、気にしないでください。レオニさんがどんな夢見たとか全然知りませんし、『うわー』って言いたくなるような夢なら今朝あたしも見ちゃったし、そーゆーことって誰にでもあると思うんです、昔の自分を消しちゃいたくなるような恥ずかしいことって」
「昔の……自分、ですか」
「そうそういやホントあたしも人のこと言えないんです! だって今朝見た夢なんてホント酷くって、別に後悔してるとかそーゆーんじゃないですけど若気の至りってゆーのかしら、元彼の家にホイホイ遊びに行ったときの夢で」
「も……もとかれ、とは?」
「え──あ!? ななな何でも、何でもな」
「もとかれとは何ですか、サトコさん」
レオニさんは顔を覆っていた両手を外し、自分の膝の上に置いた。
目に悲壮感が漂っている。
──やってしまった。
出してはマズイ話を出してしまった。勢い余って、しなくてもいい話を口走ってしまった。
それを本能的に理解して、あたしはアワアワと視線を泳がせた。
「もとかれと言うのは」
絞り出すような声で、レオニさんは膝の上の手をグッと拳に握る。
あたしはギュッと、カーテンの端っこを握りしめる。
「かれし、のことですか」
「あ、えーっとその、彼氏だった人……のことですけど今は全然関係なくって」
「手を、つないだという」
「そ、そそ、そんな、昔のことです、大昔のことです、一年近く前の」
「ほんの一年前にサトコさんはその人と手をつないだと言うんですね!?」
手くらいつないだって減りませんからーっ!
──とは、ちょっと言えなかった。
というのも、レオニさんが「くッ」と歯を食いしばりながら、あたしから視線を外したから。
「夢とはいえ、自分はもっと大それたことを……夢は己の欲望を映すものと聞き及びます。自分の欲望の浅ましさが、そんな欲望を持つ自分が、恥ずかしい……サトコさんっ!」
「は、はいっ!」
「罰して下さい!!」
「はいっ!?」
物凄い混乱っぷりだ。
や、あたしが『元彼』なんて口走ったせいかもしれないし、魂にバッチリ刺さってる楔のせいかもしれないし──でもとにかく、フォローしなくてはならないわけで。
「いやー……いやいやいや、気にしすぎですって! だってほら夢なんですから。変な夢くらい誰でも見ますし、特に疲れてたりすると訳のわからないこととか言っちゃったりしますし、それと同じですよ」
「同じ……でしょうか」
「そーそー同じ、同じです! だって何だかんだで何も無かったんだし、そもそも未遂で済んだんだし、よく言うじゃないですか『罪を憎んで人を憎まず』って。
だから……
だから大丈夫、あたしレオニさんのこと嫌いになったりとかしないですから!」
だって悪いのはレオニさんじゃないもの、鴉だもの。
大丈夫──ほら、向かい合って話せてる。
だからね、もう怖いとか思ってないから。
「……サトコさん」
レオニさんの声は、少し震えていた。呼びかけられて、返事をしようとして、あたしは気がついた。
こちらを見つめるレオニさんの顔から血の気が引いている。
「まさかとは思うんですが──自分は何か、嫌われるようなことをあなたに」
あたしの顔からも血の気が引いた。
「し──してない、してないっ、してませんよっ!?」
「……」
「ほんとほんと、本当にっ!!」
あああああ!! あたしの口!! ばかっ、ばかっ、ばかーーー!!
「本当に……そうならいいんですが」
浮かぬ顔で、掠れた声で、レオニさんは呟いた。
そして朝日が差し込む窓辺に目を向けた。
「自分はたしか夜警をしていたはずなんですが……今、朝ですよね」
それにこの辺りが、と言って後頭部に手をやる。アルゴさんが魔法使いの杖でぶっ叩いたところだ。
「この辺りがですね……この辺りとは言わず、体のアチコチがとても痛いのですが、これはいったい」
「いえあのね、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜぇぇんぶ鴉のせいなんです!」
「鴉の?」
「そう──そうそう、鴉のせいで倒れたんです! 後ろに、ゴツンって!!」
ほら鴉の呪詛の文句覚えてるでしょ、ずいぶんやらしい感じだったじゃないですか、それを直接聞いちゃったから変な夢を見るんだってコジマくんが言ってたんですよ、だから何にも心配いらないんです気にすることないんですホントホント本当に!
──もうやだどっかに隠れたい、隠れてるけど!
レオニさんは汗ダラダラで一気に捲し立てるあたしを、訝しげに見つめていた。
それからふっと視線を逸らし、自分の向かいにあるもう一つの寝台を見た。
その上に置いてある、きちんとたたまれた毛布を見た。
それから何もかかってない壁のフックを見て、窓枠に大人しく止まったポッポちゃんを見て、朝の光に輝く真っ白な羽根を見た。
「サトコさん」
そしてもう一度あたしに視線を戻し、呟いた。まだ正座のまま。
「泣いたんですね」
あたしは──
答えられなかった。
そうです、とも。
違います、とも。
「まぶたが腫れてる」
あたしは俯いて顔を隠し、カーテンをしっかり握り直した。
だってほら、そうだって言っちゃったら──説明しなきゃいけないじゃない。
さっきあったこと。
泣いた理由。
誤魔化せないじゃない。
「隊長の剣がありませんね。マントも」
「……」
「討って出ると決めたんですね」
「……やっぱり、すぐわかるんですね。レオニさん」
「いつかはそうすると思ってましたから」
そう言うと、レオニさんはようやく正座を崩した。
「ですが自分が寝ている間にと思うと……ふがいない。本当に、情けないです」
「……」
「それも、あんな夢を見ている間に」
でもレオニさんは悪くないです──あたしはそう答えたけど。
その声は小さくて、掠れてて、震えてて、届いたかどうかはわからない。
寝台から下りて窓際に寄り、レオニさんは魔法使いの鳩に指を伸ばした。ポッポちゃんは素直にその指に乗り、それから肩へと移動する。
ポッポちゃんを肩に乗せ、レオニさんはカーテンにくるまったままのあたしに声をかけた。「聞かせてもらえますか」と。
「……あたし、見送ったんです。アルゴさんを」
促され、あたしは話しはじめた。
「内緒で出発しようとしてたんです。姫様には言わずに。それであたし、せめて寝顔でも見てったらって言ったんですけど……」
話しながらあたしは気付いていた。
レオニさんが聞きたい話は、これじゃない。聞きたいのは、出てったアルゴさんがどう動くかとか、そういう部分だ。
つまりエードに戻ってマーロウさんや上様と話し合うつもりだとか、その足で西の都に行って悪いやつを斬るつもりなんだとか──そういうこと。
「見たら、行けなくなるからって……でも姫様は気付いてて」
わかってるんだけど。そしてあたしは、それをレオニさんに伝えなくちゃいけないんだけど。
あたしはカーテンの裾を握り直し、もう一度しっかりくるまった。
顔を隠さなきゃ……でないと見られてしまう。
目が真っ赤になったのを、まぶたが腫れて重いのを、性懲りも無く滲んでくる涙を、見られてしまう。
「すっごい泣いてました。怒ってました。あたし言ったんです、連れてってあげて、って。でも……アルゴさんは駄目だって。『お連れしたところでどうなる』って。
あたし、何にもできなかった。
無理ですよ。できるわけないじゃない。今までの十年間を無かったことにして生きていくなんて、できるわけないじゃない!
だから、姫様が……ぐすっ……ずーっと泣いてて、さっきまで。あたし気が利いたこと、何にも言えなくて……ほんともう役立たず」
突然、強い力があたしの体を引き寄せた。
カーテンごと。
「違います」
あたしの体にまわされたレオニさんの腕は、あたしを一発で黙らせる。
「それは違います、サトコさん」
そして、ぎゅう、と力が込められた。
こ、これは──これはいわゆる、抱擁というやつなのでは……!?
ばくばくと心臓が音を立てる。うるさいほどに。
抱きしめられてしまった。
ギューってされてしまった。
どどどうしよう、どうすれば、どうしましょう!?
泣けばいいの?
ドキドキすればいいの?
それとも逞しい胸に身を預けてなすがままにしてればいいの? それって大丈夫なの?
ああ──あああ、助けて! 誰か助けてーー!!
「サトコさんがいてくれて良かった。役立たずなんかじゃない。あなたがいなければ、もっとつらかった。自分も、隊長も、姫様も、みんな。
だから──だからそんなこと、言わないで」
そして一層その腕に力が込められて。
「ちょ、苦しいですレオニさ」
ガチャッ
あたしが「グエッ」となるのとドアノブを回すような音がしたのは、ほぼ同時。直後あたしは逞しい腕とカーテンから解放され──
そして見た。
「おぬしらは……いったい、何を……」
部屋の入口に立ち尽くす小さな人影。
泣き顔すら可憐なコズサ姫が、あたしたちを呆然と見つめていた。




