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004:魔法使いの弟子

「じゃあサトコ、ちょっとひとっ走り行ってくるから。後、頼んだからね」


 そう言うと母は大きめの紙袋にジャムコッペを二十本近く入れて、出て行った。


「行ってらっしゃーい」


 あたしは店の扉が閉まるのを確認し──その途端なんだか気が抜けて、レジ台脇のちっちゃいパイプ椅子にへなへなと座りこんだ。

 つ、疲れた……

 きっと鏡を見たら頬がげっそりこけてるんじゃなかろうか。

 それくらい、近来まれにみる疲れ方をしてしまった。


 というのも。

 午前七時に店を開けたら、十分も経たずに店の外まで行列ができてしまったのだ!

 まずやってきたのは匂いにつられた近所の人。これだけで十人近く。この時点で店には入りきらない。

 そして、どこかに通勤途中と思しきおじさんたち。

 さらに近所の市場で働くおばさんたちがやってきて、その後には例のゴージャスなお城の兵隊さんたち──どうやら夜勤明けで交代してからの来店らしい──が、なんと二十人近く。焼きそばパンを皆して一個ずつ、お買い上げして行った。

 次々空になる商品棚があんなに恐ろしいものだとは……


「おかーさん、やばい、やばいよ」


 半ばパニック状態のあたしに、母は厨房で次のパンを焼きながら言い放った。


「うろたえるな! 値段はね、もう全部ワンコイン! 一個につき茶色のお金一枚!!」


 それが日本円でいくらなのか、材質は何なのか、あたしにはわからない。

 わからないけど、もうレジの中の日本円は用をなさない。あたしは空いたタッパーにパンの数と同じだけの硬貨を頂いては入れ、頂いては入れ……


「あ、ごめんなさい。大きいのしかなくて」


 と兵隊さんが銀色の硬貨を出したときも、あたしはプチパニック。


「お、お、大きいの……? あ、御釣りですよね。御釣り、御釣り……

 ……申し訳ございませんお客様、この銀色って、茶色のお金いくつ分でしょう……」


 なんて尋ねてしまう始末。

 ああー、恥ずかしい。あの兵隊さんがわりとイケメンだったぶん余計に恥ずかしい──なんてことを午前いっぱいやってたのだ。そりゃ疲れるに決まってる。


 ちらっと店の時計を見上げると、時刻はもうすぐ一時半。

 母が持って行ったジャムコッペは役所の皆さんのおやつになるんだろう。そして、きっとこーゆーのが『根回し』で『コミュニケーション』なのだろう。

 日本でも一番忙しいのは午前と昼前だったけど、ここでもそうなのかな。

 夕方頃にもう一波くるのかな──


 ちりん

 ちりん

 ちりりん──


「いらっしゃいませぇ」


 店のベルが鳴り、またお客さんが入ってくる。あたしは疲れた心と体に鞭打って、接客スマイルで立ち上がった。

 そう、お客様は神様なのだ。

 忙しいのは良いことなのだ。


「ふうん、ここが次元の歪みから来たっていうお店かー!」


 そのお客さんはSFチックな事を言いながらやってきた。あたしは思わず目を瞠る。

 ──来店したのは、金髪碧眼のすんごい美少年。

 まるで大昔の少女漫画だ。まつげバッサバサだし瞳の中に星が見えそう。可愛いうえに美しい。

 悔しいけれど、というか同じ土俵に乗ってすらいないけど、完敗だ……!


「話には聞いてたけど、ちっちゃいお店なんですねぇ」


 ふわっと巻いた金髪、くるっと大きな青い瞳、バラ色の頬──わー眩しい。ちょっと直視するのがつらいくらい。

 こちらのお客様に比べてあたしの顔の薄いことったら……


「品数はそんなにないんですねえ」


 見目麗しいお客様は商品棚を覗き込み、一つ一つじーっと見つめている。

 顔を近づけすぎて帽子をこつんとぶつけ「おっと」と呟き片手で直した。もう片方の手には曲がった樫の杖。羽織った衣装はくすんだ紫色のローブ。

 あたしは勇気を出して声をかけた。


「……あの、お客様」

「はい!」

「何かお探しでしょうか?」


 ああー違う、そうじゃない。

 魔法使いの方ですか、って聞きたかったのに!

 あたしの勇気は不発に終わったものの、その眩しいお客様はくるっとこちらを向いてにっこり微笑んだ。


「はい。僕、アンパン食べに来ました。お師匠様がわけてくれなかったので」

「……え、もしかしてマーロウさんの」

「はい。魔法医の権威マーロウの唯一の弟子、コジマです!」


 きらめく笑顔で名乗り、お客様は──コジマさんはぺこっ、と頭を下げた。とんがり帽子がぽてっと床に落ちる。コジマさんは「あっいけない」と言って被り直した。


「アンパン、さっき全部はけちゃって……いま次を焼いてるんですよ。良かったらそこのイートインでお待ち下さい、あと五分くらいなんで」

「うわーじゃあ焼きたて食べれるんですか? やったーわーい!」


 コジマさんはわーいと両手を上げて喜びながら、今度は杖を落っことす。


「お師匠様がですねえ、もうなにかにつけ言うんですよ。『タカコさんのアンパン食べたいのぉー、また次元が歪まないかのぉー』って。それで昨日久々に歪んだなっと思ったらすっ飛んで行っちゃって。で、帰ってきたと思ったら一人で何か食べてるんです。何かって聞いたら『アンパンじゃ』って。当然くれると思いますよね? いや、半分寄越せなんてつもりはないですよ、一口下さいって言ったんです。そしたらあの人何て言ったと思います? 背中に隠して『嫌じゃ』ですって! 大人げないってゆーんですかねえ、普通一口くらいくれますよねえ、お師匠様ってあれで案外がめついんですよ今朝だって──」

「あ、すいませんタイマー鳴ったんでオーブン開けてきます」

「あっはーい」


 よく喋る子だなあ、と思いながらあたしは厨房に入った。

 オーブンを開けて焼きたてのアンパンを取り出し、トレーに移す。メロンパンも追加で焼き上がった。

 よし、次はバゲットだ。

 パリパリの皮が美味しいバゲット、これだけは他のものとは一緒に焼けない。熱い蒸気をオーブンの中いっぱいにして焼き上げなくちゃ、この食感は出せないのだ──以上、母からの受け売り。

 あたしは発酵室からバゲット生地を出し、オーブンに入れてしっかり蓋をした。


 ちりん

 ちりん

 ちりりん──


「はーい、いらっしゃ……」

「いらっしゃいませぇーっ!!」


 あたしは厨房の中でずっこけそうになった。

 慌てて売り場に戻ると、なぜかコジマさんがレジ台に立って接客を始めている。

 ちょっとー、なにやってんのこの美少年!


「いらっしゃいませーお客様、今アンパン焼けるとこですからねぇ、ごゆっくりご覧くださーい。色々ありますからね、見てってくださいねえ。おすすめ? ありますよーそこのそれです四角いの。何でしたっけ?」


 と、コジマさんはあたしの方を振り返る。


「……食パンですけど」

「そうそう食パン! ふわっふわで美味しいんですよー僕も今朝食べたんですけどね、そのままでもふんわり美味しいし、ちょっと焼いてあげるとこれがまた香ばしくって! ほーんと幸せな食感なんですからあ。奥様、こちらのパン屋は初めてで? あぁーそれでしたらもう最初はやっぱりこれ、食パンですよ。パンの中のパン! ご飯炊く手間を考えたら、朝これがあるとすっごい助かりますよぉ。ほんとおすすめ、一押しです!」


 あたしはあっけにとられて、ぽかんと聞き入ってしまった。

 ついさっきご来店の奥様は「じゃあせっかくだし」と食パンを手に取る。あたしは慌ててレジに立ち、受け取って紙袋に入れた。


「ありがとうございましたあー」

「またのご来店お待ちしてまーっす!」


 語尾に星でもつきそうな勢いで、コジマさんもぺこっと頭を下げる。とんがり帽子がまた落ちた。

 ──なんか、変わった人が来てしまった。

 これは早いところアンパンをお買い上げいただいて、お持ち帰りいただく方がいいんじゃなかろうか。


「あの……ちょっとお待ちくだいね、アンパン焼けましたから」

「あっ、はいはい! いいんですよ急がなくて、パン屋さんって忙しいんでしょ?」

「えっ? ええ、まあ……」

「大丈夫ですよ僕忙しくないですから! 他の作業してる間、店番してます。それとも何か手伝いましょうか、僕これでも魔法使いなんで!」

「えっ、いや、ほんとイイです! 座っててください」


 えー遠慮しなくてもー、という声を半ば振り切るように厨房へ。

 うう、やだなあ。

 あーゆー変わった人に限って常連になったりするんだよねえ……早くアンパン渡してお帰りいただこう。

 母が戻るまでブーランジェリー松尾を守れるのは、あたしだけなのだ。


「お待たせしました、アンパンとメロンパン焼きたてでーす」


 トレイを両手に抱えて売り場に戻ると、コジマさんは待ってましたとばかりに立ち上がる。


「うわああー、ツヤツヤですね! まあなんて可愛らしい!」


 美味しそう、じゃなくて可愛らしい、なんだ……

 アンパンを一つトングで掴み、紙袋に入れる。ちらっと視線を感じて様子を伺うと、きらっきらの目がこっちを見つめていた。

 ……ううう、なんかやりづらい。

 なるべく視線を合わせないように、あたしは紙袋をコジマさんにお渡した。


「アンパン一つお持ち帰りですね、どうもありがとうござ」

「わーい焼きたてあったかーい、いただきまーす!」


 ぱくっ。

 という擬音と一緒に、変な美少年はアンパンを頬張った。

 お……お持ち帰りしてほしかった!


「ぉおおいしーい!!」


 きらっきらの目をさらに輝かせ、バラ色ほっぺをさらに赤くして、『ムッハー!』とか言い出しそうな勢いで、コジマさんはアンパンをぱくついている。

 あたしはがくりと肩を落とすばかり。


「おおおいしーい、これほんとすっごい美味しいですね! 僕こんなん初めてです、お師匠様がわけてくれないわけですよー。ああもうたまんない、もう一個ください」

「……ど、どうぞ」

「わーいありがとうございます、うふふ嬉しい、うふふふー。十五年待つのもわかるなあ、独り占めしたくなるのもわかるなあ、これサトコさんが作ったんですか?」

「あ、いえ。それは母が……ってぇええ、あたしの名前!?」


 コジマさんはうっとり夢見るような眼差しで『はふぅ』と息をつく。

 そして二つ目をかじる前にこっちを見た──そこはかとなく、小ばかにしたような顔つきで。


「やだなあ、僕、魔法使いですよ。

 あなたがパン屋の娘松尾サトコ十八歳好きな食べ物は胡瓜のぬか漬け苦手な食べ物は魚肉の練り物彼氏いない暦は年齢と同じじゃないけれど実質的に清らかな乙女だってことくらい、言われなくても知ってますってばー」

「な、な、なんでそんな……」

「魔法ですよ、ま・ほ・う」


 コジマさんはニヤリと笑い、二つ目のアンパンにかじりついた。

 こ、こいつ……

 悪い美少年だ!!


「ああーほんと美味しいなあー、こんなのが自分で作れたらなあー」


 はふう、とコジマさんはまた息をつく。

 あたしはもう何が何だか、恥ずかしいような腹が立つような、でも一応お客様だしマーロウさんのお弟子さんだし、とにかく頭の中がごちゃごちゃで、その場に固まっていた。

 コジマさんはあっというまに二つ目も平らげ、タッパーにちゃりんちゃりーんと小銭を落とす。そして『ハッ!』としたように、こちらを向いた。

 瞳の中の星がキラッと瞬く。

 いやーな予感に打ち震えるあたしに、悪い美少年はこう言った。


「そうだ! いいこと思いついちゃった!」


 うわぁぁ、やめてぇぇ。

 顔中が引きつり、思わず一歩、後ずさる。


「僕、このお店で働きます!!」

「ぜ……ぜったい嫌っ」

「なんで!? パン屋さん忙しいんでしょ僕手伝いますよ、お給料安くていいですから!」

「時給の問題じゃなくて! ダメ、ダメ、ぜったいにダメ!」


 ずい、ずい、とコジマさんはあたしに詰め寄ってくる。

 押されたあたしは一歩、二歩、と後ずさる。


「だいたい、あなたマーロウさんのお弟子さんなんでしょ? そんな勝手にバイト決めたりしたらマズイんじゃないですかっ!?」

「いーんです、お師匠様だってアンパンのためと言えばわかってくれます!」

「そんな無茶苦茶な」

「いーえっ、僕もう決めました! ここでパン作りを学べば今後の魔法の修行にも役立つはずです! 雇ってもらうまで動きませんよ、僕だって男です、一度決めたら貫き通すのが……」


 ちりん

 ちりん

 ちりりん──


 店のベルが鳴り、あたしたちは同時にそちらを振り向いた。


「……なにやってんの? あんたたち」

「お……おかーさん!」


 取っ組み合いでも始めそうなあたしたちを見て、母は怪訝な表情のまま店の入り口で立ち尽くしている。

 コジマさんはキラーン! と瞳を輝かせ、母の方にバッと飛んでいった。


「松尾タカコさんですねっ!」

「え? はあ……」

「僕、魔法使いマーロウの弟子、コジマです!」

「はあ」

「お願いがあります! 僕を……僕を……」


 コジマさんはがしっ、と母の手を両手で握る。

 うっ、と母の顔が引きつった。引いてる、めっちゃ引いてる……

 しかしこの変な美少年はそんなこと気にせず、勢いよく言い切った。


「僕を! この店で! 雇ってください!!」

「は……はあ?」

「やったーっ!! 早速お師匠様に報告してきます!!」


 えーっ!?


 母も、あたしも、目が点だった。

 コジマさんは小躍りしながら猛スピードで店を飛び出して行く。

 彼の去った後には、呆然としたままの母とあたし──そして忘れ物の魔法の杖が、残されていたのだった……




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