057:次の一手
「残念でしたねーレオニさんじゃなくて!」
魔法使いの弟子はそう言って口を尖らせた。よくよく見ると負のオーラみたいなのが「ずおぉぉぉ」って全身にまとわりついている、ような気がする。
あたしはまたしても寝台にベッタリうつぶせて、もごもごと呟いた。
「べ……別に残念がってなんかいないわよう」
「いーえっ『げっ』って顔してましたー」
「『げっ』くらい思ったかもしれないけど」
「ほらやっぱり! 思ったんじゃないですかぁ」
「思ったけどそれはコジマくんが嫌なわけじゃなくて……あ、そうだぁ。相談しようと思ってたのよ、コジマくんに」
なんです? と魔法使いの弟子は首を傾げる。
「あのね、ピタパンのおかず無くなっちゃったの。また何か作らなきゃいけないんだけど……」
言いながらふわぁーとあくびが出る。
しょうがない、疲れてるんだから。
「なんか何にも思いつかなくて……今お肉もお魚も無いんだよね、たしか」
「端っこにお芋がゴロゴロしてましたよ」
ああ、あのジャガイモっぽいやつね……
ジャガイモかぁー、と重たい頭の中をかき混ぜてレシピを引っ張り出す。
ピタパンでしょ。お芋でしょ。そうねぇ……
「じゃあコロッケでも揚げようかしら……」
「えー、そんなボケーっとした状態で揚げ物なんて危ないですよ。休んでからでいいじゃないですかぁ」
コジマくんにしてはマトモなこと言うじゃない、と横目でそちらを見る。
ずっしり重たいまぶたの隙間から見えるその姿は──あら、心なしか普段よりヨレッとしているような。
ふわふわの金髪は乱れ、のっけたとんがり帽子はズレている。紫のローブの袖をたすき掛けにしてるけど、それも何だかぐしゃぐしゃだし。目の下には、真っ黒な隈まで出来ちゃって……美少年が台無しだ。
ま、台無しなのは今に限ったことじゃないけれど。
「自分だってなんだかヨレヨレじゃない……」
「だって今の今までずーっと楔と闘ってたんだもん。僕もーダメ、ヘトヘトですよ」
楔と聞いてあたしはガバッと跳ね起きた。眠気が一瞬で吹っ飛び、霧消する。
「抜けたの!?」
「抜けませんでしたよ」
「えぇぇ」
無慈悲な宣告にあたしはまた寝台に倒れ込んだ。
抜けなかった、だって。
頭がくらくらする。
「う……嘘でしょお……」
「そんなこの世の終わりみたいな顔しちゃってぇ。もうあの夜は過ぎたんです。また襲ってくるってことはありませんよ。呪詛は未完成、そもそも人違いですしね」
「うーん」と大きく伸びをして、コジマくんはどさっと寝台の端に腰掛ける。
あたしはというと枕に顔を埋めながら、楔が抜けなかった衝撃を噛みしめていた。レオニさん……大丈夫なんだろうか。今、どうしているんだろう。
「とりあえずね、近衛士部屋に寝かせてあります。魂取り出してこねくり回したから少しは休ませてやらないと……あ、何ですかその目!『まさかあのおばさんの時みたいに水ぶっかけたりお湯ぶっかけたりしたんじゃないでしょーねっ』て感じのその目!」
「……あたしまだ何にも言ってないんですけど」
「そりゃあね、僕はやるときはやる冷酷無慈悲な男ですよっ。でも、いくら何だってレオニさん相手にそんな残酷なことはできません。ちょっと杖で突っついたくらいですし、普段の鍛え方が違うんだから、どーってこたーないはずです。それに僕これでも優秀なんですからね、なんたって僕のお師匠様はこの龍の洲でも一、二を争う魔法医の」
「それは知ってる、知ってるけど!」
脱線しそうなコジマくんの話を遮って、あたしは半身を起こし寝台の上に座り直した。
「ねぇコジマくん、本当に大丈夫なの? 刺さったままなんでしょ、楔。そのままにしといて悪影響は……」
「ありますよ。身体に刺さったトゲと同じです、放っといたら腫れたり膿んだりしますし、最悪のばあい壊死します」
「壊死!?」
上ずった声で復唱したとたん、顔面からさーっと血の気が引いた。
壊死って。魂が壊死って。
それってその……つまり……
「は、廃人になるとか、そーゆーこと?」
「うーんどうでしょうねぇ。僕もそんなんなるまで呪詛に食い尽くされた人って見たことないですから。それに別人に向けた呪詛を間違って被っちゃった人ってゆーのも初めてですし。楔が抜けない以上、術者の方を何とかするしかないでしょうね。
だから隊長さん、出かけてったんでしょ?」
──気づいてたの。
あたしの表情が強張ったのを、コジマくんは気にも留めない。
「それより何より心配なのは」
と、言葉を続ける。声だけ聞くと、ちっとも心配そうに聞こえない。
「襲撃が未遂に終わったと黒幕が察知することですよ。高位の魔法使いであれば自分のかけた魔法の帰趨はすぐにわかります。それは隊長さんもよく知ってることですから。
きっとあの人、こう考えたでしょうね──」
そしてコジマくん。隈だらけの目元をキリッと引き締め、アルゴさんの口調を真似しながら重々しくこう言った。
「今宵が未遂に終わった以上、必ずや次の一手があろう」
その声真似が案外似ていたもんだから──その場にいないアルゴさんに言われたような感じがして、あたしはごくりと息を飲んだ。
「相手が次の一手を打つ前に、こちらが動くのだ。向こうは守役が姫から離れるとは、よもや思うまい。ましてや直接討ちに来るとも思うまい。
ファタルの地であれば、近衛士の精鋭と大魔法使いの唯一にして優秀、将来は龍の洲の未来を担うと期待を一身に背負う有能な弟子がいれば、幾日かを守りきることは可能であろう」
「……アルゴさんがコジマくんのことそんなに褒めるわけ」
「それにねサトコさん。あの楔、抜けなかったというよりも意図的に抜かなかった面もあるんです。念のためにね。だって無理矢理抜いてバーン!!ってなったら困るじゃないですか」
バーン!!って何よ。
そう思いながら魔法使いの弟子を見ると──
「レオニさんの魂。人のかけた魔法を無理やり解くとどうなるか、サトコさん見たことあるでしょ?」
もー忘れちゃったの? とコジマくん。
忘れるわけがない──あたしたちが初めて鴉の悪意に触れた大浴堂、そこにあった富士山のタイル絵。あれが吹き飛んだところを思い出し、あたしはブルっと身震いした。
やだもう、壊死するとかバーン!!ってなるとか……勘弁してよ!
「だからねサトコさん、楔をすっきり安全に抜くためにはどうすればいいかというと、施した術者をどうにかするのが一番なんです。説得して解かせるなり、問答無用でやっつけるなりね」
「……アルゴさん、討つって言ってた……」
「あーやっぱりね! そうだと思ったんですよー、近衛士部屋の剣が無くなってたし、第一あの人は言葉で話し合うより拳で語り合う方が得意な人ですから。僕ぁーそういうのは反対ですけどねっ、乱暴は良くないです。僕、平和主義者ですから」
「やるときはやる冷酷無慈悲な男だとか言ってたじゃない」
アルゴさんはきっと、問答無用でやっつけるのだろう。腰に佩いたあの太刀で。
「ほんとにねぇ、平和的に解決するってことをもうちょっと心がけた方がいいんですよ。人間なんですから。
お互い譲歩して落としどころを探り合って、そうやって生きてかなきゃ争いなんて無くなりませんよ。せっかくコズサ姫が体を張って天下泰平を実現なさるんですから、これから先は武勇よりも言論がものを言う時代に変わるんです。ペンは剣よりも強し、社会はもっと成熟しなければいけません。
まー何はともあれ隊長さんが西に赴くというのなら、それは姫様の為でもあり、同時に自分が育てた部下の為でもあるんでしょうね」
──あれ、とあたしはコジマくんの言葉に首を傾げた。
レオニさんの楔については、わかる。だって悪意たっぷりの鴉の呪詛で打ちこまれたものだから。悪党をやっつければきっと解決するだろう。
でもコズサ姫にかけられたのは、悪意なき魔法なのだ。
だって“境界”をくぐり抜けても打ち消されなかった。それに温泉で襲ってきたおばさん、というか鴉が言ってたじゃない。
『エードの姫の生死や如何に』
コズサ姫の生死を知らない人が、その姿が子どもになっちゃったなんてこと知るはずないわけで……ということは、西の都にいる悪党をやっつけても姫様は小っちゃいままなわけで……
そもそも姫様を小っちゃくしたのはマーロウさんのお兄さんだ、って話だけど──アルゴさんは誰をやっつけるつもりでいるんだろう。
探し出す、って言っていた。
誰をだろう。
マーロウさんのお兄さんなのか。それとも、別の誰かなのか。
「レオニさん……知らないんだよね。アルゴさんが出て行ったことも、どうして出て行ったかも、何も」
「知るわけないですよ、いやー目が覚めたらさぞかし落ち込むでしょうねぇ。サトコさん、ここは腕の見せ所ですよ」
「ええぇぇぇ、何の腕よ!」
やっぱり知らないんだ。
いや、そーなのかなーとは思ってたけど……ああーいやだぁ、自分がレオニさんの立場だったらちょっと耐えられそうにない。
「やだちょっと、コジマくん後で説明してあげてよぉ」
「えー! どうして僕が!」
「だって、だってあたし、どんな顔してレオニさんに会えばいいのよぉ。どんな顔して今の話すればいいのよぉぉ」
「……あのねぇ、サトコさん」
と、コジマくんは呆れ顔。じっとりとあたしを見る。
「隊長さんが出て行く現場にいたのは他でもないサトコさんでしょーが。それにね、あの人だてに精鋭と目されてるわけじゃないんです。
考えますよ。
サトコさんの話がヘッタクソでさっぱり要領を得なかったとしても、隊長さんには考えがあってのことだろう、って。でもって自分の為すべきことを為しますよ。真面目な人ですから。
そーゆーとこがイイんでしょ? 違います?」
「べっ……べべ別にあたしはどこがイイとも悪いとも言ってませんけどっ!?」
「それにねえ、僕思うんです」
そう言いながら、大きなあくび。
あたしの部屋の寝台なのに、そんなことはお構いなしでゴロンと横になる。
「目が覚めたとき、誰にいてほしいかなーって。別に僕だっていいかもしれませんよ。だけど、わざとじゃないとは言えあんなことをしでかした後です。サトコさんに合わせる顔が無い、って思うでしょ、きっと」
「ちょっと! 忘れさせるってハナシじゃなかったの!?」
コジマくんの発言に、あたしは思わず悲鳴を上げる。
あんなの覚えてられちゃそれこそ顔なんか合わせられない。やだやだちょっと、色々思い出しちゃうじゃない。顔熱い、顔熱い!
しかし、コジマくんは無慈悲だった。人の寝台に転がったままこちらを見る。そこはかとなく、小ばかにしたような顔つきで。
「やだなぁ、そんな都合のいい魔法あるわけないじゃないですか」
えぇぇ、と口から情けない声が漏れる。
だって……だって、ぜんぶ覚えてるの? アレを? あの一部始終を!? た、耐えられない。とてもじゃないけれど。
「だ・か・ら! だからこそサトコさんが行くんですよぉー。
いいんですか? このまま一生レオニさんと気まずいままでいいんですか? 海のような広い心で受け入れて、太陽のように“にこーっ”と微笑んでさしあげた方が今後の為だと思いませんか?」
「で、でも……」
「それに僕だって嫌ですからね。きっと姫様はがっくし落ち込んでらっしゃるんでしょ? その上サトコさんたちまでギクシャクしちゃったら、いくら僕が愛と平和と光の魔法使いだとしても、さーすーがーにー耐え難いです!」
うっ、たしかにそれはそうかも──
愛と平和と光はともかくとして、ここはコジマくんに一理あり。
「そ、そうよね……」
「そーですそーです」
「わかった。あたし、勇気出す」
「その意気その意気! さーほら勇気がしぼまないうちに行って、早く行って!」
「うん、わかっ……え、今?」
「今ですよ! そのうち目覚めるでしょうからね、僕はその間ここで休憩してますから。姫様もしばらくお休みになるでしょうし、僕も空気読んで静かにしています。一、二時間膝突き合わせて語らえば若い男女の間柄ですよ、すぐに心の距離も体の距離も縮まっ……いたっ、何するんですかもー!」
「何もしてないわよっ! もーほんとにデリカシーがないんだから!」
オデコを押さえて「ぶつなんてヒドイ」と繰り返すコジマくん。
あたしは立ち上がり、ようやくコック服から袖を抜いた。
「あ、そうそう」
思い出したような声にそちらを振り返る。
「完全に忘れさせることはできませんけどね、レオニさんの魂にささやいておきましたから。『あれは夢ーぜんぶ夢ー』って」
僕って気が利くでしょ? と付け加え、コジマくんは大きなあくび。それから両手両足を「うーん」と伸ばして大の字になった。
そこ、あたしの寝床なんですけど──言いかけて「まあいっか」と自室を後にする。
窓から射す光が『狩りの城』の廊下を照らしている。
ああ、こう静かだと一連の騒ぎが嘘みたい……いつものとおり美しい、平和な朝。
そんなことは、決してないのだけれど。