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052:佳い男 二

 昨日の昼過ぎ──アルゴさんが(からす)について報告を受け、時を同じくしてあたしとコジマくんが自転車の練習をしていたあの時。


 鴉の呪詛の文句を、レオニさんは一言一句漏らさずアルゴさんに伝えた。

 あまりの内容にアルゴさんも言葉を失ったという。

 そりゃーそうだわ、現場で聞いた時のことを思い返すと今でもゾッとする。


「しかし呪詛は完成しなかった。それはとりもなおさず、サトコどの──そなたのおかげだ」


 鴉は撃退したし、あたしもレオニさんもちゃんと帰ってきた。ならば一旦この件は保留とし、今は『楽しいことをしてコズサ姫を誘い出す作戦』を優先することとしよう。

 アルゴさんはそう考えた。

 そしてまさに鴉の話をしていたあたしとコジマくんのところに、まずは報告を終えたレオニさんがやってきて──


「いつも通りに、ね」


 ──と、あたしを抱き寄せて耳元にささやいたのだ。

 それが昨日の昼下がり。


「いやー僕正直びっくりしましたよ、だってそんな如何にも『色男!』みたいなこと急にするんだもん。思わず二度見ですよ二度見」

「に、にに、二度見って」

「だってあの時の二人! ピンクのオーラに包まれちゃって、まーやらしいことったら!」

「や、や、やら……!!」


 あたしはちっとも気づかなかったんだけど、二度見したのはアルゴさんも同じだったそう。


「そなた、あの二人をどう思う」


 コジマくんが乗った自転車の後ろを押さえながら、アルゴさんはそう訊ねた。


「えっ隊長さん恋バナとかするんですか!? うわぁー意外だなぁ、でも僕そーゆーのけっこう好」

「違う。レオニの様子だ」

「なーんだつまんなーい。レオニさんでしたら、えーとですね……あっちゅーする! ちょっと隊長さん、なんか今にもちゅーしそうですよ!」

「馬鹿者、声が大きいッ」


 そんなやりとりがあったとは、つゆ知らず。

 あたしはレオニさんに手を握られ、見つめられ、何かされそうになり、それを近くまでこっそり来ていたコズサ姫がひっぱたき──

 うう、思い返すとホントにホントに恥ずかしい……耐えがたい……!


「そりゃあねぇ、お二人ともお若いですし? 溢れんばかりのリビドーが具体的な行動になったからって、別段不思議じゃないとは思うんです。

 ですけどねぇ──やっぱり、いくらなんでも人目があるところでそんなことするなんて、ねぇ。仮にも近衛士たるレオニさんが、上官である隊長さんや主君であるコズサ姫がおいでのところでいちゃつくなんて!」


 二人の目から見ても、レオニさんの行動は過剰に思えた。

 お出ましになったコズサ姫が「わらわがじきじきに成敗してくれる!」とレオニさんをお叱りになってる間、二人は主のために自転車のサドルを下げつつこんな会話をしていたそうで。


「ちょっと隊長さん、レオニさん何かおかしくないですか?」

「やはりそう思うか」

「なーんか上手い言葉が出てこないんですけどね、まずあんなことするタイプじゃないですよね。それによく見ると、なんかこう余裕がないってゆーか思いつめてるってゆーか、サトコさんを見る目つき! 舐めるような感じってゆーんですかね、あれやばいですよ。おかしいです」


 不審を口にするコジマくんに、アルゴさんはこう訊ねた。


「鴉の件、聞いたか」


 コジマくんは首を縦に振る。


「ちょろっと。姫様の所へ這うように、レオニさんを唆したらしいじゃないですか。でも見たところその呪詛は未完成……え、まさか」

「飲まれかけた自覚があると言っていた。サトコどのの声で我に返ったそうだ」

「えー! それ! 本当に!?」

「馬鹿者、声が大きいと先ほども……」


 疑いが確信に変わったのはこの時。

 すなわち──鴉の呪詛は、確実に作用している。ただし不完全な形で。


「不完全って……どーゆーこと?」


 涙を拭って訊ねると、コジマくんは千切りキャベツをバットに移しながら解説してくれた。


「つまりね、サトコさん。鴉の狙い……というか鴉を使って一連の悪さをしてる黒幕の狙いは、こうですよ」


 そこでちらっと、コジマくんはアルゴさんに目配せした。「続き、言ってもいい?」と確認するように。

 アルゴさんは目を伏せ沈黙していたのだけれど──「構わぬ」と静かに頷いた。

 それを受け、コジマくんはまたあたしに視線を戻した。


「鴉はね。

 『今宵、近衛士の隊長アルゴさんに、コズサ姫を、襲わせる』──これを企んでいたんです」


 ──あるいは、斬られるのは私であったやもしれぬ。


 急に背筋を寒気が駆け上がり、あたしは今度こそ本当に身震いした。

 言葉も無く黙り込むのをよそに、コジマくんの解説は続く。


「ところが境界に現れたのは隊長さんではなく、レオニさんとサトコさんでした。鴉にはわからなかったんでしょうねぇ。黒幕の指示通り、内容を寸分も変えずに呪詛を施しました。途中まで」

「途中まで……」

「そう。サトコさんの声が、途中でレオニさんを引き戻したんです」


 あたしの視線はフラフラと彷徨い、床に転がされたままのレオニさんに着地した。


「結果、呪詛は完成しなかった。黒幕が目論んだような形にはなりませんでした──レオニさんの魂に、不完全な楔を打ちこむにとどまったんです」


 不完全な楔、とあたしは口の中で呟いた。


「レオニさんと、サトコさんと、呪詛の文言。これらがごちゃ混ぜになって打ちこまれた楔です。すなわち、

 『今宵、エードの近衛士レオニさんが、サトコさんを、襲う』──というようにね」


 絶句。


 あたしの視線はふたたび彷徨い、レオニさんからコジマくんへ、コジマくんからアルゴさんへ、そしてもう一度──レオニさんへ。

 鴉の悪意は、あたしたち全員に降りかかったのだ。

 じわっと汗がにじむ。

 ごくりと息を飲む。


「その通りになったでしょ?」

「なったでしょ、じゃないわよぉ……」


 言い返した自分の声はなんとも弱々しくて──


「ねっ、これでわかったでしょサトコさん。レオニさんがサトコさんに無理やり迫ったのは、あれは本心じゃないんですよ。魂に打ちこまれた呪詛の楔に突き動かされてたと、そーゆーことなんです。だってちょっと考えればわかるじゃないですかー、あの紳士なレオニさんが夜更けにご婦人を襲うなんてことあるわけがないんですよ」

「わ……わかったけど、わかったけど!」


 あたしはぎゅっと台布巾を握りしめた。


「じゃあ……じゃあなによ、レオニさんがあたしに言ったあんなことやこんなことも、全部鴉のせいだってゆーの?」

「まーそうなんじゃないですかね」

「あたしを口説き落とすために? 今夜スムーズに襲えるように?」

「うーん、たぶん」

「そんなのって……そんなのって……」


 あんまりだぁーーーッッ!!


 と今度こそ口に出して叫びながら、あたしはまた作業台に突っ伏した。


「ウワァァアァァーーーッッ!!」


 もはや慟哭。

 だってそうじゃない。

 素敵なこと、たくさん言われたのに。

 どきどきしたりしちゃったのに。

 夢みたい、とか思ったのに。


「まあーね、あのあと龍神が現れたりポッポちゃんが戻ってきたりでバタバタしましたけど、僕と隊長さんの間には暗黙の了解があったんです。『今夜必ず、動きがある』ってね。だからこうして寝ないで様子を伺ってたとゆー」

「うそをつけ、フライパンが落ちる音でようやく起きたのであろうが」

「そんなことないですーっ、夢うつつでもしっかりアンテナ張ってましたーっ」

「そ、そこまでわかってたんなら……」


 あたしはのろのろと顔を上げた。顔中涙と鼻水でぐしゃぐしゃだけど、それをゴシゴシ台布巾で拭う。


「なんで……なんでもっと早く来てくれなかったのよぉぉ」


 コジマくんとアルゴさんは顔を見合わせた。それから実に気の毒そうな目であたしを見る。

 やめて、同情はやめてー!


「……だってねぇ」


 と、コジマくん。


「まさか、あんなに嫌がるとは思わなかったんだもん。途中までいい雰囲気だったし、仮にそうなったとしてもサトコさんがオッケーなら僕らとしてはむしろ盛大に祝」

「オッケーじゃないっ! ちっとも! 全然!」


 くわっと顔を上げ、あたしは噛みついた。

 どことなく他人事って顔してるコジマくんに。あといつも通りの涼しい顔で腕を組んだまま、じっとしているアルゴさんに。


「もしかしてさっきの『捨て置いても良かろうな』ってのもソレですか!? 昼間あたしが手を握られてまんざらでもないよーな顔してたから、とかそーゆーことっ!?」

「……まあ、だいたいそのようなことではあるが」

「さっきコジマくん言ってたじゃない、レオニさんは『普通なら』あたしが嫌がることはしないって!」

「い……言いましたけどぉ」

「だったらやっぱりオッケーじゃないわよ、パンピール持って迫るような『普通じゃない』レオニさんとあんなことやそんなことに……なりたいわけないじゃないのーッ! このへっぽこ魔法使い! ドジマ!!」

「あ、言ったー!! 僕そんなドジじゃないのにっ! だいたいあの時はお客さんが来てたからでー!」


 その時、アルゴさんが静かに立ち上がった。やいのやいの言い合ってたあたしたちは騒ぐのをやめ、横目でそちらを見る。

 するとアルゴさんは、床に倒れたままのレオニさんのそばにすっと片膝をついた。


「不憫な……」


 そう言って手を伸ばし、確認するようにレオニさんの顔を左右に少し動かした。そしてあたしたちの方を向かずに、静かに問いかけた。


「そなたたちは──レオニという男を、どう思う?」


 あたしとコジマくん、思わず顔を見合わせる。


「どう、って……」

「いい人だなーって思いますけど」

「然様か」


 そう言うと、アルゴさんは膝をついたまま言葉を続けた。

 視線はそのまま、横たわるレオニさんへ。


「佳い男であると──私は、そう思う。

 姿形、性質ともに申し分ない。いささか優しすぎるきらいはあるが、言うまでも無くそれは此奴を佳い男たらしめる謂れの一つだろう。もちろん、これは上官としての意見でもあるが、それ以前に一人の人間としての」

「隊長さん固すぎやしません? サトコさんはショックで頭がマヒしたまんまなんだから、もーちょっと平たく言ったげないと」

「まあ聞け。

 ……加えてレオニは慎重な男だ。それは平素の任務に限らず、こうした男と(おなご)の事柄にも当て嵌まる。はたで見ていて、もう少し何とかならんのかと思うほどに」


 えーそれ人のこと言えるの隊長さん、というコジマくんの突っ込みは、まるっとスルーして。


「楔に突き動かされ無礼を働いたこと、上官としてお詫び申す──しかしそういった“後押し”が無い限り、此奴は決してサトコどのの手を握るようなことは無かったはずだ」

「……それって」

「繰り返しになるが、慎重な男なのだ。それが憎からず思う相手であったにせよ──いや、憎からず思うならば尚のこと、あのような真似はしない」

「……」

「加えてサトコどのは次元の彼方から来られた身。いずれは故郷へ戻られよう」


 あたしはハッとして顔を上げた。

 いずれは日本へ戻る。そうだ、だってブーランジェリー松尾は何度トリップしても、戻って来てるんだもの。「せいぜい数か月」っておかーさんも言っていた。

 それが具体的にいつなのか、どんな風に戻るのか、まだ何もわからないけれど。


「なればこそ、龍の洲(ここ)に繋ぎとめるようなことはすまいと考えよう。そなたを縛るまいとするであろう。

 ──そういう男なのだ」


 そう言うと、アルゴさんは立ち上がった。

 あたしは正直、困惑していた──きっとどれも真実(ほんとう)なのだ。

 鴉の呪いが変な風にかかって、レオニさんがあたしに襲いかかったのも。

 そのレオニさんが根っからの佳い人で、それこそ普通なら『何もしない』のも。

 今こうしてる間も指先が震えるほど、あたしにとっては怖い体験だったのも──


「おい、弟子」


 俯いて固まったあたしの胸中を慮ったのかどうか、アルゴさんはコジマくんに声をかけた。「あ、はいはい」と魔法使いの弟子は軽ーく返事をする。パン生地にかけた布巾を外して、慣れない手つきでピタパンの成形をしながら。


「連れて行け」


 かけられた言葉に、コジマくんは「はっ?」と顔を上げる。


「連れて行け。楔を抜いてやれ」

「えぇっ。いいですけど、わかんないですよ抜けるかどうか」

「抜けないようならば──せめて先ほどの行いを、忘れさせてやってくれ」

「……」


 わかりました、と魔法使いの弟子はフリフリエプロンの紐をほどいた。

 帽子をかぶり直し、杖を握ってトンと床を突く。するとレオニさんの体がわずかに浮いて、コジマくんはその襟元を片手で掴んだ。

 そのままずるーずるーと厨房の入口まで引き摺って行き、そこで一度振り返って──「早くしないと生地乾いちゃいますよっ」なんて、まるでパン屋みたいなことを言って──そのまま出て行った。


 厨房はまた、沈黙に包まれた。

 あたしはそのまま、コジマくんとレオニさんが消えた厨房の入口を見つめていた。




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