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046:自転車 三

 あれはいつのことだったか──今と同じように良く晴れたある日のこと。

 人が少なかったから春休みの平日だったんだと思う。

 河川敷の桜並木がきれいに色づいて、山野くんと二人で遊びに行った。

 あたしはパン屋らしくサンドイッチをお弁当に作って、山野くんが自転車で迎えに来てくれて……


「気をつけなさいよー」


 という、おかーさんの声を背に二人乗りで出かけたのだ。


「しっかり掴まってて、松尾さん」


 荷台に座って、落ちないように腰に手を回して、背中に耳をぴたっとつけると、二つの鼓動が一つになったような気がして──どきどきしたっけ。

 ま、そのあと帰り道でおまわりさんに呼び止められ、「二人乗りをやめなさい、どこの学校だね君たち、親御さんと先生に連絡するから名前と電話番号を云々(あーだこーだ)」と二十分近くこってり絞られちゃうんだけど。

 あれはホントまいったなー。

 でも、口頭注意で済んだのはラッキーだったのかもしれない。

 もしも学校に連絡されたら内申とかに響いて、あたしはともかく山野くんは困ったりしたんだろうし……


「なんでー!?」


 と叫ぶ声で、あたしはの意識は思い出の河川敷から美しい湖の畔へと戻ってきた。

 コジマくんはアルゴさんが漕ぐ自転車を見ながら、地団太を踏んでいる。ふわふわの巻き毛に枝や葉っぱが絡まってるのは、さっき倒れて藪に突っ込んだせいだろう。

 不満げな声にアルゴさんはニヤリと笑って、横目でこちらを見た。その後ろから、荷台にチョコンと腰掛けたコズサ姫が檄を飛ばす。


「もっと早う! そこを曲がって、城を一周じゃ!」


 そう──アルゴさん、初見で自転車を乗りこなしたと思ったら今度は抜群の安定感で二人乗りをしているのだ。

 現代日本だったら、おまわりさんに叱られるのは間違いない。

 それこそ、あたしと山野くんのように。


「明日はどこかに行きたい。自転車(これ)に乗って」

「でしたらファタル霊廟に参りましょう。神職方にご挨拶をなさらねば」

「ぶー」

「ぶーでは御座いませぬ。ひいさま、もう四日になりまするぞ。神職方は何も言いますまいが、黙って厄介になり続けるわけには」

「わかっておる。口煩いのう、アルゴは」


 そう言いながら姫様はアルゴさんの腰に細い腕をまわし、背中にピタッとほっぺをくっつけた。

 御顔を上気させ、瞳をキラキラさせながら。


「行きでも帰りでもよい。遊びに往くのじゃ。遠くまで」


 うきうき弾むような声を残し、自転車は角を曲がって城の裏手に周り込んでいった。

 遠くへ遊びに、かあ。

 だったら厨房担当としてはお弁当を作るべきだろう。霊廟には全員でご挨拶に行くんだから、五人分。結構な量になる。

 サンドイッチ作りたいけど、パン切包丁が無いからなあ……今ならわかるけど、たぶん猿が荷物をぶちまけた時に“境界”に触れて消し飛んでしまったのだ。それならピタパンみたいなのを焼いて、おかずを挟むのでもいいかもしれない。

 おぉ、責任重大だ。失敗しないようにしないと。


「ほんともー信じらんない、さっきの見ました? こっちみて“ニヤリ”って、あれ絶対僕のことバカにしてますよ! ちょっと自分が運動神経イイからってあんまりだと思いません?」

「そういうわけじゃないですよコジマさん。さっきのはきっと『ひいさまがお出ましになられたのは皆のお蔭だ、厚く礼を申す』とか、そんな感じの“ニヤリ”でしょう」

「それは解釈が好意的すぎってもんです。そりゃーあの人はレオニさんの直属の上官ですから、思ったことそのまま言って角が立つとよくないなー、みたいのもわかりますけど!

 でもねーそれ以前の根本的な問題として、あの人は周りに興味がないんです。そう、姫様のことしか頭にないんです! だから初対面の女性に剣を向けるとかシッチャカメッチャカなことも平気でやっちゃうんですよ、ねぇサトコさんもそう思いません!?」

「えっ? あ、うん。そうね、そうかも、そう思……ごめん何の話?」


 もー! とコジマくんはおかんむりで、持ってた樫の杖をあたしにぐいと押し付けた。


「だいたいサトコさんも隊長さんもヒドイですよ、手ぇ離さないでって言ったのに! 少ーし向きがずれてたら、僕は今ごろ湖の藻屑と消えてたんですからねっ。ほらココ見て下さいよ、ちょっとした崖になってるんですから!」


 そして袖から六角レンチを取り出すと「じゃー僕は姫様のためにサドルを下げてきます!」と言って城の方へトコトコ歩いて行く。

 途中くるっと振り返り、言い添えた。


「いちゃつくんなら見えないところでして下さいよっ」


 な……!


 ちょうどそこへ自転車がすいーっと入ってきて、ピタリと止まった。

 荷台からピョン、と飛び降りてコズサ姫が駆けてくる。


「サトコどの!」

「あ、いや今コジマくんが言ってたのはですね、あの、その……」

「すまぬの、不届きな近衛士が悪さをしなかったかえ?」


 えっ、と隣のレオニさんを見ると、苦笑いを浮かべたまま片膝をついて頭を垂れる。


「や、えっと、あれは悪さとかじゃなくって」

「いや、顔を掴んで何かしようとしておった。あれは鼻先に頭突きをくれてやるときの動きじゃ。あれはたしか(とお)の頃、わらわを狙った不埒者を、アルゴがそうやって成敗致したのを見たことがある──若いの!」

「はい」

「サトコどのに何かしてみよ、わらわがじきじきに成敗してくれるからの!」


 レオニさんの肩が小刻みに揺れているのは、たぶん笑っているからに違いない。

 だってねぇ、頭突きって。

 姫様の目には、あたしたちがケンカでもしてるように──もしかして見えたのかなー、さっきコジマくんにも「ケンカでもしました?」なんて聞かれたし。


 向こうの方から「サドル下げましたよー!」とコジマくんが声を張り上げ、姫様はそっちにお顔を向ける。

 と思いきや、またチラッとあたしの方を見た。


「サトコどの」

「あ、はい」

「ずっと隠れてて……すまなかったの。許してくりゃれ」


 ……姫様ったらぁ。


 パッと衣装の裾を翻し、姫様はコジマくんの方へ走って行く。

 一呼吸おいて立ち上がったレオニさん、苦笑いのままあたしを見て、小さく肩をすくめた。


「危うく御手討ちになるところでした」

「よかったです、ならなくて」


 レオニさんはふっと真顔になり──「そうですね」と呟いてあたしから視線を外し、自転車の方を向いた。

 何やらわーわーやっている姫様とコジマくんを背に、アルゴさんがこちらにやって来る。


「レオニ」

「はい」

「後ろを支えて差し上げろ」


 承知しました、と応えてレオニさんは自転車の方へと向かう。すれ違いざま、あたしの耳をささやくような声が撫でていった──サトコさん、また後で。


 また後で、何だろう。


 ぽんっと顔が熱くなり、あたしは両手で頬を押さえた。 

 だってさっきから、ささやかれたり手を握られたり、何か……何かとっても……べ、別にいちゃつくとかそーゆーんじゃないですけど!

 やだあ、もう。

 そのまま俯くと、やってきたアルゴさんがあたしの隣に立った。ついさっきまで、レオニさんがいた位置に。


(カラス)の件だが」


 ──きた。

 あたしは頬から手を離し、ちらっと横目でアルゴさんを見上げた。


「“境界”でのこと、聞かせてもらった」


 アルゴさんの視線は自転車の方へ注がれている。

 高さを調整して一番低くしても、姫様の足は地面につかない。コジマくんが荷台を押さえ、レオニさんが小さい体を抱えてサドルに座らせる。


「鴉はおそらく待っていたのだろう。誰かが“境界”に現れるのを」


 ハンドルを握ると、コズサ姫はすぐにペダルを踏み込んだ。

 少しよろめく。

「行きたい方を見るんですよー!」と自分のことを棚に上げたコジマくんが叫び、レオニさんが笑っている。

 きゃぁ、と高い声を上げてコズサ姫も笑った。

 光を受けて、きらきらと。


「現れた者に呪詛をかけ……ひいさまを、冒涜せしめるために」


 倒れそうになって、それを横からレオニさんが押さえて止める。

 コジマくんはそのままよろけて倒れ、コズサ姫がまた笑う。

 それを何回か繰り返した。

 見つめるアルゴさんの眸は──厳しい。


「しかし幸いにも呪詛は完成しなかった。そなたのおかげだ」


 姫様がペダルを踏む。座ったままだと足が届きづらいのか、サドルから腰を浮かせて。

 スピードが上がり、コジマくんの手が荷台から離れる。

 コズサ姫は頬を上気させ、こちらを──アルゴさんを──見て、叫んだ。


「出来た!」


 きゃはは、と笑ってもう一度。


「出来た! アルゴ、わらわも出来た!」


 よう御座いました──そう返した目元は、優しげに細められていて。

 この人の世界はきっと、コズサ姫とそれ以外でできてるんだろうな……なんて思った時には、元の厳しい表情に戻っていた。


「レオニは飲まれかけ、そなたの声で引き戻された。一人であれば、そのまま飲まれていただろう」


 向こうで姫様が笑っている。笑いながらこう仰る──わらわも後ろに誰か乗せたい。

 レオニさんがすぐに止める──いけません、危ないですよ。


「戻った(わけ)は他でもない」

「……」

「レオニの心の裡に、そなたの姿があればこそ」

「えっ」

「とはいえ人目のあるところで手を握り見つめ合うなど、彼奴らしくもないというか……いささか驚いたが」

「あ、いやあの、あれはその」


 姫様は食い下がる──たしかにおぬしは運べぬが、コジマくらいならわらわも乗せらりょう。見ておれ。

 コジマくんは「わーい姫様と相乗り、僕うれしい!」なんて飛び跳ねて喜び、さっそく荷台に跨っている。レオニさんは「あーあ」と額に手をやって。

 そうだ、何かが一つでも違っていたら、この光景は無かったんだ。

 ぜんぶメチャクチャにされて、言葉の掛けようもなくて、それこそ──


「事の運びによっては、私はレオニを斬らねばならなかった」


 聞こえた物騒な言葉に、あたしはぎょっとして隣を見た。


「あるいは、斬られるのは私であったやもしれぬ」


 ……どういう意味?

 言葉の真意を問おうと唇を開きかけた時。

 アルゴさんの眸がゆっくりと見開かれた。その視線の先にあたしも顔を向け──目を瞠った。

 ハンドルをとられ、自転車が傾く。

 湖の方へ。

 スローモーションで空中に投げ出される姫様とコジマくん、そして──


 ばしゃーん!


 と水音を立てて着水し、大きな波紋を描いて沈んでいった。


「ひいさま」


 アルゴさんの唇が動き、はじかれたように駆けだした。レオニさんも。

 二人の近衛士はほぼ同時に地を蹴り、湖に飛び込んだ。水しぶきと波紋を残して──


 そして、あたしひとりが岸に残された。




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