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045:自転車 二

 あたしの肩に置かれた手は大きくて、温かくて。

 降りそそぐ眼差しは優しくて。

 さっきまで何を話してたかは忘れてしまった。

 レオニさんの肩越しに『狩りの城』の扉が開いて、いつもと同じ表情のアルゴさんが来るのがチラッと見える。

 サトコさんひどいと繰り返すコジマくんが「ふっ」と真面目な表情になって鼻をひくひく動かすのも。

 でも、それらは視界をかすめただけ。

 たぶん『見えた』とは言わない。こーゆーのは。


「隊長には先ほど報告しました。サトコさんにも話を聞きたいと」

「あ……あたしに?」


 ああ、なーんだ。

 現実的な言葉に夢見心地をかき消され、肩を落とす。するとレオニさんは苦笑い。


「そんな顔しないで。何事も無かったんですから」


 するとコジマくんもパンパンと膝を払って立ち上がった。こちらこそ不満げな顔でほっぺを膨らませて──ま、手を離したあたしのせいかもしれませんけど。


「そーですよ事が事ですからね。姫様のお耳に入ったら大変です。それでなくても、もうこの近くにおいでなんですから」

「えっ」

「僕は鼻が利くんです。ハァーいい香りだなあ」


 来てるんだ、コズサ姫。

 思わず視線を城の方へ向けそうになり──その途端、レオニさんにぐいと体ごと引き寄せられた。

 どきん、と心臓が跳ねると同時に、耳元に唇がよせられる。


「いつも通りに、ね」


 と……


 吐息が!

 吐息が耳に!

 あたしは酸欠の金魚のように口をパクパク動かした。耳のあたりを手で押さえると、燃えるように熱い。

 たぶん、顔真っ赤。

 うわぁぁぁ。

 コジマくんが何か言いたげにジットリこちらを見てるけど、とてもじゃないが目なんて合わせられない。

 アルゴさんがやって来て、レオニさんはそちらを向いて軽く一礼する。解放されたあたしは二、三歩フラフラと後ずさった。


「と……溶けるかと思った……」

「何が溶けるのだ、サトコどの」

「いいえっ何でも!? 何でもありませんけどっ!?」


 絶対、言えない──腰が抜けそうになったなんて。

 あたしの挙動がおかしいことには目もくれず、アルゴさんは倒れた自転車を起こしてハンドルを左右に動かした。それからしゃがみこんでペダルを手で回し一言、


「なるほど、独楽(こま)と同じだな」


 独楽? とコジマくんがおうむ返しに問い直す。


「回っているうちは独楽は倒れない。早ければ早いほど安定するものだ。自転車(これ)も同じだな」


 そうだろう? と横目であたしを見る。

 真っ赤に火照った頬を両手であおぎながら、あたしはかくかく頷いた。アルゴさんは「やはりな」と立ち上がりコジマくんをチラと見た。


「そなたに足りないのは思い切りだ。足を動かせ。独楽と同じと思えばコツも掴めよう。さ、今一度やってみせろ」

「そんなこと言ってー、僕が転ぶとこ見てバカにするつもりでしょ」


 促されたコジマくん、思いっきりイヤそうな顔をする。


「やってみろ、なんて言うのは簡単ですけどねー。コレ難しいんですよ? すぐによろけるし、倒れちゃうし、しかも倒れるとすっごく痛いんですから! さっきなんかサトコさんが手ぇ離したからホラ見てっ、見てっ、ここ擦りむいちゃった!」

「あ、ごめんね。でもさっきのアレは」

「知ってますよレオニさんに体さわられてトロけちゃったんでしょっ」

「ちょ、言い方がヤラシイ!」

「ヤラシイのは僕じゃないです! 見てましたよ、今なんかさわるどころか抱きよせて耳元に唇這わせてたじゃないですか。

 と、に、か、くっ! 隊長さんが思ってる以上に自転車とゆーのは難しいんです。人にやれと言うならまずは自分が」

「よいだろう」

「へっ?」


 とコジマくんはあっけにとられ。あたしもだけど。たぶん、ヤラシイ呼ばわりされたレオニさんも。

 するとアルゴさん、唇の片方の端を持ち上げてにやりと笑った。


「よいだろう──私が手本を見せよう」


 いーっ!?

 びっくりするあたしたちをよそに、アルゴさんはハンドルを握ると足でスタンドを跳ね上げた。そしてひょいと跨っておもむろに漕ぎはじめる。

 ──スイスイと。


「なんでーっ!?」


 あたしとコジマくん、同時に声を上げた。

 だっていきなり練習も無しで、どーしてこの人はこんなスイスイ漕いでるわけなの? 支えも無いし、まったくふらつかないし、第一大人になってから自転車に乗るのってかなり苦労するはずなのに!


「……信じらんない、どーゆー運動神経なの」

「ほんと! 信じらんない! 軽業師かなんかじゃないですか、あの人っ」

「隊長は思い切りがいいですからね」


 たしかに「思い切って動けばいいんだ」って、一輪車が得意な友達が言ってた気もするけど……この人は自転車だろーが一輪車だろーが、初見で乗りこなしそうな感じがするわ。ちなみにあたしは乗れないけど、一輪車。

 コジマくんはよほど悔しいのか、だんだんと地団太を踏んでいる。その目の前でアルゴさんは、これみよがしに八の字を描いて行ったり来たり。


「なんでー!? なんで隊長さんそんな簡単に乗れてるんですか! 一回も練習してないのにー!」

「うむ、これは良いな。良い乗り物だ」

「ずるいー、信じられな……あっ立ち漕ぎとか。立ち漕ぎとかー!」

「後ろに乗せてやっても構わんぞ」


 にやりと笑って自転車を止め、アルゴさんは振り向いた。それがまた、主のコズサ姫を彷彿とさせるワルい笑顔で……なんか、すごく楽しそうというか。


 あっそうか。


 事ここに至り、あたしはようやく自転車練習の本当の狙いに気がついた。

 そうか、これは『楽しいことをしてコズサ姫を誘い出す作戦』の一環なんだ。コジマくんはともかく、アルゴさんにとっては。

 個人的に自転車を楽しもうとか、コジマくんの悔しがる姿を見て楽しもうなんてことは二の次。大事なのはこの楽しげな姿を姫様に見せつけることで、そのために自転車練習をするあたしたちに乗っかってきたのだろう。

 実際すぐ近くにいらしてるようだから、作戦の成功は目前といえるはず。

 ……なのだけど。


「“境界”でのことが嘘みたいですね……」


 そう──目の前に広がる光景は楽しげで、のどかで、平和で。

 すいすい走るアルゴさんと、わーわー騒ぎながら追いかけるコジマくん。あたしとレオニさんは並んでそれを眺めている。

 とゆーかこの二人、案外いいコンビな気がしてきたんですけど。

 息を切らせるコジマくんに、アルゴさんは笑って自転車を譲ってあげたりして。しかも驚いたことに、後ろから支えてあげている。

 どーしちゃったんだ、いったい。

 平和すぎて怖いくらい。

 あんな不気味でぞっとするようなことがあったのは、悪い夢だったんじゃないか──そう思えてくるほどに。


「ねえ、サトコさん」

「はい」

「さっき……やらしかったでしょうか、自分」


 え──


 レオニさんの端正な横顔。頬を染めてるように見えるのは──気のせいだろうか。


「別に、あたしは……ヤじゃないです。はい。何にも」

「本当に?」

「えっ? あ、はい! ほんとにほんとに」


 あたしはコクコクと首を上下に動かした。

 縁日で売られてる安いオモチャみたい。なんかもうちょっと、いいリアクションができないもんだろうか。

 もうちょっとこう……かわいい感じの。


「ねえ、サトコさん」


 レオニさんはもう一度あたしの名を呼んだ。

 あたしは「はい」と返事をする。


「サトコさんがいてくれて良かった。あのとき」


 あたしはもう一度レオニさんを見た。

 レオニさんもあたしを見た。


「自分だけでは、きっとダメでした」

「そんなこと……」

「いえ──あなたがいなければ、ダメでした」


 まっすぐに見つめられ、あたしは金縛りにあったように固まっていた。

 なんて言えばいいのか、わからない。

 どういたしまして、とか言えばいいの?

 お役に立てて嬉しいです、って言えばいいの?

 たしかにそんな気持ちはあるけれど、もっとこう、違う言葉があるはずで。


「レオニさん、あたし……」


 湖からの風があたしたちの髪を揺らす。さざ波に光が跳ね、レオニさんが目を細める。

 コジマくんの声が遠い。すぐそこにいるのに、耳に入ってこない。

 波がかき混ぜた光の欠片はあたしの目にも飛び込んで、すごく眩しい。

 あたしは目元に手をかざそうとして──やっと気がついた。

 自分の右手が、いつのまにかレオニさんの左手に繋がれていることに。


 な…………


 なんだこれ!?


「嫌ですか?」


 いつのまに。

 どうして。

 しかもこのつなぎ方はあれじゃないか、指と指を絡めあう、いわゆる『恋人繋ぎ』とゆー…………うわああーーー! なんで!? どうして!?

 “境界”でさんざん悩んだのは何だったんだ!!


「嫌ですか? サトコさん」


 い、いいえ別に決して、嫌なわけじゃあないんです。

 正直に言えば嬉しいような気がするし、あたしも女子の端くれである以上、やっぱり男性からリードされたい気持ちはあるわけで……

 ああでも……

 でも……


 ……でも、レオニさんって女の手をいきなり握るような人だったっけ?


「あの時、あなたがいなければ」


 落ち着けサトコ、落ち着いてよーく考えよう。

 レオニさんとは出会ってまだ数日、でもその間に物理的な接触はゼロじゃあない。

 というか、むしろ多い。

 だってほら、おんぶで舟に乗せられてそのあとは膝枕だったりとか、ネト河に放り込まれる直前に一瞬だけお姫様抱っこされたりとか、アルゴさんの傷焼いてる時に肩を抱かれたりとか、さっきも“境界”で見えないあたしの方に手を差し伸べたりとか色々あったし。

 あ、あとお風呂場ですっぽんぽんを見られたことも……うわぁぁぁ! もー!!


「自分には、あなたがいなくては」


 思い返せば恥ずかしいことばかりで今すぐ穴を、それもものすごく深いやつを掘って頭からダイブしたい──そんな衝動に駆られる。

 でも。

 それを差し引きしても。

 こんな『自分、あなたを口説いてます』みたいな、す、すす、スキンシップというのは、今まで無かったのだ。無かったはず。無かったよね?

 あたしの戸惑いをよそに、レオニさんは繋いだ手をそっとほどいた。

 そしてあたしの正面に立ち、両手をあたしの頬に添え──そっと包み込み、わずかに上を向かせた。


 ……………わぁあぁぁぁぁ!!

 何かされる! あたし、何かされる!!


「ちょ、ま、レオニさ……!」


 ばっちーん!!


 ──念の為お断りしますが、あたしが平手打ちをかましたのではありません── 


 高くイイ音が響き、呪縛から解き放たれたようにあたしは後ずさった。レオニさんの顔には「!?」と書いてある。よっぽど痛かったのか、ちょっと目がうるんでたりなんかして。

 その背中を手形がつきそうな勢いでひっぱたいた人物を見て、あたしは息を飲んだ。

 つやつやの黒い髪。雪のように白い肌。薔薇色の唇。形の良い眉を思いっきりしかめ、その人は腰に手を当てて仁王立ちしていた。


「……配下の教育がなっとらんようじゃのう、アルゴよ」


 近衛士二人は同時に跪き、申し訳ございませぬと頭を垂れる。同時に「ガシャーン!」とか「キャー!」とか聞こえて──二日ぶりに姿を現したコズサ姫は、そちらに目を向けた。

 そして、ちょっとだけ拗ねたような表情になり、ほんの少し恥ずかしそうに仰った。


「わらわも、あれをやる」


 作戦は成功したのだ。

 御意、と答えたアルゴさんはかすかに微笑みを浮かべていた。




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