042:境界
アルゴさんがあたしに裸踊りをさせようとした、といういわれなき誤解がとけたのち──時刻は昼過ぎ、一時ごろ。
あたしとレオニさんは肩を並べて、木漏れ日溢れる小道を歩いていた。
「いやー、とんだ早とちりでした」
レオニさんはそう言って苦笑い。
いえいえ、早とちりしたのはあたしも同じ。恥ずかしいったらもう、笑い話にもならない。
「でもこーゆー風な誤解をされるっていうのは、自業自得な面もあると思うんですよね」
「まるでコジマさんみたいなこと言いますね、サトコさん」
「えっ!? やだ、一緒にしないで下さいよー」
ははは、とレオニさんは笑う。
木漏れ日の道は緩い坂道。
ここはあの日、猿に襲われてとんでもない目に遭った後、神職さんたちに馬車で運ばれた道だ。
轍を逆に辿り、あたしたちは『ファタル神域の境界』に向けて歩いていた。
「だってアルゴさんってそーゆーこと言いだしそうなんだもん。普段は常識人っぽいのに、コズサ姫のことになると急に無茶苦茶になっちゃうみたいな」
「ははは。いや、そんなことないハズなんですけどねぇ」
レオニさんは片手に弓を持ち、腰には矢筒、両手に皮のグローブを嵌めている。きらめく日差しを受けたその姿は、いつもより三割増しでかっこよくて……あたしはつい見とれそうになったり、慌てて目を逸らしたり。
ほ、ほらアレよ、アレ。スポーツやってる人が凄くかっこよく見えてしまう、アレのようなもの。
それにレオニさんは流鏑馬の射手を務めるほどの紛うことなきプロなわけで、弓矢を持つ姿がそれはもうサマになって……つまりえーと、あたしじゃなくたって見とれるに違いない、ということだ。
「早く仲直りしちゃえばいいのに。姫様もアルゴさんも」
で、『神域の境界』をちょっと見に行くのにどうして弓矢なんか持ってるのかというと、出がけにコジマくんが押しつけてきたから。
曰く「獲物たーくさん、期待してますからねっ。雉なら炭焼き、猪なら鍋、兎ならシチューにしますから!」とのこと。
狩りに行くわけじゃないし、猪なんか出たら怖くて嫌なんだけど……コジマくんは山の幸にすっかり期待している模様。なんか獲れますかね、と訊ねたら「コジマさんにはあとでゴメンナサイしましょうか」だって。
「こういったことは、別に初めてではないんですよ」
その声にあたしはふっと顔を上げた。目が合うとレオニさんは微笑んだ。
「こういったことって……姫様とアルゴさんの喧嘩?」
「ええ。御機嫌を損ねてお隠れになるのは、隊長が守役に就いた頃からお変わりないそうですよ」
へえー、とあたしも笑った。
そういえばコズサ姫は仰っていた──あやつはわらわが何をしても、困った顔一つせぬ。それが悔しゅうてならぬのじゃ。
困った顔一つしないのは、きっと元々そういう人なんだろう。
コジマくんに言わせれば「そもそも人に何か伝えようって気があまり感じられないんですよねえー。本心を見せないとゆーか、自分の感情をあまり出さないとゆーか、円滑な人間関係を築きたいならもっと素直に心の内を曝け出すべきですよ、そう僕のように!」ということになる。
ま、あの子はちょっと曝け出しすぎだけど。
「お隠れになる場所は必ず同じなんだそうです。幼くていらした時から、ずーっと」
「あたしにもありましたよ、お決まりの隠れ家。おかーさんと喧嘩すると、自分の部屋の机の下に潜るんです。姫様はどこに隠れるんですかねぇ」
「ふふ、内緒にして差し上げてくださいよ。御寝所の箪笥の中だそうです」
「箪笥に?」
あたしは思わず吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
庶民もお姫様も、そう変わらない。
なんだか、ニヤニヤしてしまう。
楽しい。
話題が楽しいかどうかというよりも──これはきっと、お喋りしながら歩くのが楽しいのだ。高校の帰り道みたい。
そういえば山野くんともよくこうして歩いたっけ。二人で肩を並べ、笑いながら……いやいや、そんなことはどーでもよろしい。
だって、ほら。
今あたしの隣にいるのはレオニさんなんだから。
「お隠れになったところを見つけてジッとお待ち申したことも、時には抱え上げて表にお連れしたことも、両手の指を使っても数えきれぬと……隊長ではなく他の近衛士から聞いた話ですけどね。お仕えし始めた当初は、本当に手を焼いたそうですよ」
「へぇー、可笑しい。抱えて連れてくなんて、暴れたんじゃないですか? コズサ姫」
「それはもう! 隊長に初めて手傷を負わせたのは、姫様ですからね」
何がツボだったのか自分でもわからないけど、あたしはケラケラ笑った。
つられたようにレオニさんも笑った。
ああ、可笑しい。
楽しい。
境界ってどのあたりなんだろう。しばらく着かなくていいんだけど。
「そういえばあの日も、姫様は箪笥にお隠れしていたそうですよ」
「あの日?」
「ええ」
そこでレオニさんはふと足を止めた。
あたしも足を止めた。
やわらかな風が頬を撫でる。木漏れ日がふりそそぐ。
ああ……あたし、ちょっと変かも。
だって急に、あたりの景色がキラキラして見えるんだもん。
「レオニさん、あの日って……」
「姫様が子どもにお成りになった、あの日です」
目に入るすべてのものが、妙に輝いて見える。
そうだ、あの温泉宿の貴賓室で二人きりになったときもそうだった。夕陽の赤が鮮やかで眩しくて。
もしかしたらあたし、ばかになっちゃったのかも。
春の陽気でやられてしまったんだ。
木々の緑、そこを透かす光、レオニさんの首筋、肩、見え隠れする矢羽根、前髪を揺らす風、小枝を踏む音……
ぜんぶ鮮やかで、くっきりしてて、なんていうんだろう。
生命が満ち溢れてる。
輝いてる。
あーあたし、今すっごく幸せかも……
半分近くとろけた気分で、あたしは『あの日』の話を聞いた。
それはブーランジェリー松尾がこの世界にトリップした日の話。
──すなわち、姫が子どもになってしまった日の話。
その日、コズサ姫は御機嫌斜めだった。
「その者に言えてわらわに言えぬこととは何じゃ。申してみよ」
怒っていた理由というのが、まあーしょうもないヤキモチだったそうな。
何でも『アルゴさんと女官の一人が近衛士の詰所の陰でコソコソと長話』してたのを、お稽古だかお勉強だかをサボって城内をウロウロしてた姫様が見咎めたんですって。
「御輿入れの御仕度のことに御座います。それがこの女官の務めに御座いますれば、こうして話し合うておりました」
「ならば何も、このような寂しい場所でなくとも良かろう。コソコソと人目を避けるからには、それなりのわけがあるに相違あるまい。理由は何じゃ。申せ!」
問われたアルゴさんは正直にありのままを申し上げた。
詰所のあたりにいたのは、その女官さんの相談事というのが『お輿入れの行列を警護する近衛士の装束について』だったから。別にやましいことなんか何にもないし、たまたま詰所に用事があって、そこでたまたま女官に行き合っただけなのだ。
しかしコズサ姫は納得しなかった。
「アルゴは……その者を庇うのじゃな」
そう言ってお顔をくしゃっと歪め──
「もうすぐ居なくなるわらわのことなど、適当にあしらえば良いと思うておる。適当にやり過ごして適当に機嫌を伺っておれば、それで良いと思うておるのじゃ!」
──そして「わーーーっ!」と泣きながら、そのまま走って行っちゃったんだって。
「それで姫様、箪笥の中へ?」
「ええ。『アルゴが謝るまでここから動かぬ!』と仰られて、そこからは隊長との根比べです」
わぁー、十八歳でそれは……と思わなくもないけれど。
だけど今まで見てきた感じだと、こーゆー子どもみたいなことを言うのはアルゴさんが相手の時だけなんだろう。
だって普段は誇り高い、それでいて気さくな、ちゃんとしたお姫様なんだから。
「で、謝ったんですか? アルゴさんは」
「……謝ると思います?」
少し考え、あたしは首を横に振った。
非が無きものを御咎めになるとは、情けなや──箪笥の扉越しにそう声をおかけして、アルゴさんは御寝所を退出した。箪笥に籠ってる間はある意味安全とも言えるので、その場を離れて城内の警備やなんかの通常業務に戻ったそうな。
「うわぁー長引きそう。謝っちゃえば早いのに」
「自分ならすぐに折れてるところですよ。でも隊長は引かないんです。そういう時」
喧嘩は長引いた。
夕刻前に揉めはじめ、夕餉の時になっても、空に月が輝きだしても、コズサ姫は出てこない。
「そろそろ頭を冷やされた頃だろう」
ぽつりと呟いたのは、普段であればもうお休みになろうという時刻。
その場に居合わせた近衛士の一人が「下手にお声をかけても、またお怒りになるのでは?」と訊ねると、アルゴさんはこう答えた。
「いや──ひいさまは待っておられる」
まるで自分に言い聞かせるように。それでいて確信に満ちた声で。
「私がお迎えに上がるのを、待っておられる」
ああ──と、あたしは息をついた。
そうだよね。
そうだよねぇ……
あたしだって、机の下でシクシク泣きながら待っていたのだ。おかーさんが見つけてくれるのを。「おいで」って呼んでくれるのを。
本当は飛んで行って甘えたいのに、素直になれない。
コズサ姫もきっと、そうなんだ。
あの日も。そして今も。
「……そうして、隊長は御寝所に伺いました。すっかり暗くなっていたので、灯りを持って。もしかしたら疲れて御眠りになられたかもと思い、静かに声をおかけしたそうです」
ひいさま、アルゴに御座います。もうそろそろお出ましになられませ──そのように言いかけたとき、暗がりの中で箪笥の開く音がした。つづいて「しーっ」と制する小さな声。
アルゴさんは灯りを足元に置き、その場に跪いた。
やがて聞こえる衣擦れの音。
頭を垂れて待つアルゴさんの視界に、可憐な衣装の裾が入る。
「面を上げよ」
聞こえた声は、凛として──だが何かがおかしい。
かすかな違和感に胸中で首を傾げつつ、アルゴさんは顔を上げた。
そして絶句した。
「どうじゃ、懐かしかろう」
そこにいたのは、確かにコズサ姫だった。
すっと背筋を伸ばして立つその御姿も。
闇に艶めく漆黒の髪も。
にーっと笑う、いたずらな口許も。
己の命よりも大切な、美しい主の──十年前に初めて会った時そのままの、幼い姿だったから。
それから先は、いつしかコジマくんが話してくれたとおり。
城は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、アンパンを堪能したマーロウさんは城に駆けつけたまま缶詰めとなり、あたしはコズサ姫の強引なお誘いで秘密の会議に潜入したあと、紆余曲折を経て木漏れ日の道を歩いている。
ふーん、そんなことがあったんですねぇ……と言いかけて、あたしは首を傾げた。
春の陽気でふやけた頭に、綿雲のように浮き上がる疑問。
箪笥から悪い魔法使いが出てきたっていうあの話──もしかして、嘘だったの?




