040:神域の日々 二
ぱくっ。
という擬音とともに、コジマくんがプチフランスを頬張った。
「ぉおおいしーい!!」
目をきらっきら輝かせ、ほっぺをますます赤くして、もぐもぐ噛みしめている。
「おおおいしーい、これ今までで一番の出来なんじゃないですか!? このパリッとしたクラストといい、気泡が入ってふんわりしたクラムといい、うーんたまんないおかわり下さい!」
「はい、どうぞ。コジマくん、いつのまにクラストとかクラムとか覚えたの?」
クラストというのはパンの外側、クラムというのはパンの内側。パンを焼く人でなきゃ知らない専門用語、おかーさんが教えたのかしら。
厨房の食卓──もとい作業台の上には、パンを盛ったカゴ、ミルクピッチャー、絵的に浮くけどコジマくんが握ったおにぎり、各人の前にはつけあわせの野菜とお肉が並んでいる。
「うむ。実に良い味だ」
と、アルゴさんも両手でパンを割り口元へ。お褒め頂いてホッと一息。
……なんだけど、実をいうとあたし自身はイマイチ納得いってない。
たしかに、味は問題ない。
だけどクラストをもうちょっと薄くして、クラムの気泡を大きくして、食感は少し軽やかにした方があたしは好きなのだ。
なぜって、それがブーランジェリー松尾の味だから。
それにしてもアルゴさんは食べるのが早い。あっという間に平らげ、あとは割られたパンを半分残すのみ。
やっぱりちょっと少なかっただろうか。でも、おにぎりもあるし大丈夫かな。
「特にこの赤いものが良い。ほどよい酸味が甘さを引き立てている。パンに良く合うな」
「昨日ジャム煮といたんです。神職さんが果物持ってきてくれたから」
「うむ。ひいさまもお気に召すだろう」
ファタル霊廟の神職さん──名前も知らないし何人いるのかも知らないけれど、この『狩りの城』の暮らしは彼らに支えられている。
朝のパンが焼きあがる頃やってきて、荷車に積んだ食材をあれこれ届けてくれるのだ。あたしもお礼に焼き立てのパンを渡すんだけど──その食材の中に、昨日はつやつや赤くて甘酸っぱい果物があったというわけ。そのまま頂くには少し酸味が強かったので、お砂糖を足してジャムにしたのだ。
「いずれお礼をせねばならないでしょうね、隊長」
そのジャムをパンに塗りながら、レオニさんがそう言った。
「早い方が良いだろうな」
「ええ。到着した時からずいぶん面倒をかけてしまってますし」
「あーっじゃあ僕ササーッと行ってきますよ、自転車で!」
「気が早いわねぇ、まだ乗り方教えてないじゃない。それに、一人で行ったって……」
目をキラーンとさせるコジマくん、よほど自転車が気になるのだろう。苦笑いでたしなめていると、最後の一口を飲み下したアルゴさんもあたしに加勢するようにこう言った。
「然様、行くならば全員だ。勿論ひいさまにもお出でまし頂く」
「でもずーっとお隠れになってるじゃないですかあ」
そう、あたしたちが抱えてる当面の問題──お部屋に引きこもったコズサ姫が、出てこない。しかも目隠し魔法で姿を隠すという念の入り様だ。
あたしはプチフランスを二つに割り、ぽつりと呟いた。
「せっかく焼き立てなのに……」
一口ちぎって口の中へ。窯から出したばかりだから、まだ温かい。噛みしめれば小麦の味と香りがふわっと膨らむ。
うん、これは中々。
自分の中では『もう一歩』だけど、やっぱり焼き立ては格別だ。
この焼き立てが食べたくて、あたしを連れてきたんだろうに……あたしとしても職人の端くれである以上、一番美味しいタイミングで味わってほしいところ。
でもって、味がどうだとか香りがどうだとか、あれこれ意見がほしいのだ。コジマくんみたく闇雲に絶賛するのではなくて、もっとこう具体的なコメントが。
「そうだ、あたしお部屋まで行ってきましょうか? パンがあるし、匂いにつられて出てきてくれるかも」
するとジャム付きのパンを牛乳で飲み下したレオニさんが、あたしを見て微笑んだ。
「匂いでお出でになるようなら、もうとっくに居らしてるはずですよ。香ばしい匂い、城中に漂ってますから」
「あ、そっか……」
「ならば私が参ろう。霊廟に参拝し神職方に礼をせねばならぬ旨、ご説明すればおわかり頂けよ」
「えーっダメ! ダメですよっ!!」
食事を終えて立ち上がろうとしたアルゴさんを止めたのは、コジマくん。
牛乳をぐびーっと飲み干し、ミルクピッチャーからどぼどぼ次を注いでのたまった。
「隊長さんが行ったって、余計にこじれるだけだと思います!」
「何をそのような……ひいさまにもお立場というものがある。事情をご説明すれば必ずお出まし」
「ちーがーうっ! 僕が言いたいのはですねー、耳の穴かっぽじってよく聞いて下さいよ。
よーするに、御機嫌を損ねたまま出ていらしても隊長さんとの仲がこじれたままじゃマズイんじゃないですか、ってことですよっ! この鈍ちんっ」
「……」
鈍ちん呼ばわりされたアルゴさん、ストンと椅子に座り直した。レオニさんはそれを見て「うわー言った……」ってな表情。あたしは──うん、静かにしていよう。
こーゆー不毛な言い争いには、参加しないのが賢い選択だ。
沈黙は金。さー食事、食事。
「だいたいねー、隊長さんきちんと謝ったんですか? もしかしてナアナアになってたりしません?
僕としちゃー納得いかないけれど、あなたは姫様のお気に入りなんですから。十年もの間お側に仕えてりゃそうもなるでしょうし、だからこそ大怪我負ったあなたを心配してずーっと枕元においでだったんです。それをなんですか、いの一番に僕を呼ぶなんて! あんなことしちゃー姫様でなくとも誤解が生じますよ」
「ひいさまが……何を誤解されると?」
「でーすーかーらっ! 姫様とあなたの仲よりも、僕とあなたの仲の方が深く濃密なんじゃないか、とゆー誤解ですっ」
「ぶふっ!」
「ちょっとサトコさん、なに吹いてるんですか! んもーバッチイ、えんがちょ!!」
「な……なんでもないわよ、どーぞ続けてちょうだい」
おぉ、危ない危ない。
あたしは口元を拭い、何でもないふりをしてお肉を齧った。塩漬け肉の燻製、これは要するにベーコンみたいなものだろう。細かく切ってパン生地と合わせて、ベーコンエピなんかにすると良いかも。
よし、そのうちやってみよう。
「つまりですねっ、よく聞いて下さいよココ重要ですから! 姫様の御心にしこりが残るようでは、僕らのファタルでの生活も幸せとは言えないわけです。ですから何としてでもこの誤解は解かなければなりません。とはいえ鈍ちんで堅物で言葉の足りない隊長さんが行っても、ますますご機嫌を損ねる可能性の方が高い、そ・こ・で!」
続けて野菜をかじる。おー、みずみずしい。ファタル神域の畑で朝採れた野菜、霊廟にお供えしてるものと同じだそう。
要は神様と同じものを頂いてるのだ。なんだかありがたいような、勿体ないような。
「僕が! 姫様に! きちんとご説明申し上げてきます!!」
「……でもコジマさん、いったい何を申し上げるつもり」
「やですねぇレオニさん、そんなの言わずもがなですよ」
そう言うとコジマくんは二つ目のプチフランスをバリバリ割って、そこにべったぁぁぁとジャムを塗りつけた。
「僕が隊長さんのことを苦手だなーとか、出来たら絡みたくないなーとか、嫌だけどしょうがないなーとか、置物かなんかだと思って我慢しなきゃなーとか、そーゆー風に思ってるってことを、率直にお話しするんです!」
「……なるほど、そなたの気持ちはよくわかった」
「とまぁこのように、僕らがどれだけ相性が悪いかをご説明すれば姫様の誤解も解けようというもの! 必ずや御機嫌を直してニッコリ笑って下さいますよ」
ジャムポットを覗くと、底の方にすこーしだけ残ってる。あーあコジマくんったら、中身ほとんど持ってっちゃって。でもまあ、好評だったから良しってことにしときましょう。
あたしはパンの最後の一欠けで残ったジャムを掬うと、それを口に放り込んだ。
んー、自分で言っちゃうけどコレ美味しいわ。
さて、男性陣も食べ終わってることだし、食後の飲み物でも用意しよう。おにぎりがあるのだから、珈琲よりはお茶の方がいいだろう。
「それに、姫様に限らずとも女性は笑顔が一番ですからね。昔っから言うじゃないですか、『古来女性は太陽であった』って」
その時あたしは席を立ち、石窯の焜炉からヤカンを下ろしたところだったんだけど──コジマくんの発言が耳に引っかかり、視線を宙に泳がせた。
古来女性は太陽であった……ああそうだ、もしかしたら。
「ねえアルゴさん。あたしたちが楽しいことして騒いでたら、姫様も出てきてくれませんかね」
おにぎりに手を伸ばそうとしてたアルゴさん、その手をふと止めてあたしの方を向く。そして何か言おうとわずかに唇を開いた。
……のだけど、お喋りな魔法使いの方がほんの少ーし早かった。
「えぇー、コズサ姫はそんな単純じゃないですよ。僕らがちょっと楽しそうにしたからって、そんなホイホイ出ていらっしゃいますかね」
「なによー、あたしのいたところじゃ伝統的なやり方なんだから。それこそ神話に出てくる神様だって、まわりのお祭り騒ぎが気になって引きこもるのやめたのよ」
神様の話、と聞いた途端コジマくんは俄然興味を示しだした。「何ですかそれ後学のために教えてください、僕も魔法使いの端くれです、神様のことならぜひ知っておかなくては!」ですって。
──というわけで、あたしは食後のお茶を淹れながら日本の神様の話をすることになった。
そう、あたしが思い出したのは日本神話のワンシーン。
太陽の女神が引き篭もり、世界が闇に包まれた時のお話。
いわゆる『天岩戸伝説』である。




