033:走れ幌馬車
ががが、ががが、と車輪の軋む音。
体に伝わる衝撃。
小石か何かを踏んだのか、がごんっ、と荷台が跳ねた。そのせいというわけではないけれど──暗闇の中、あたしはふっと目を開けた。
ががが、がごんっ
「あ、あだだ、あだっ」
「しばし耐えられよ。もうじき神域だ」
御者台から聞こえた声に、揺れてぶつけたお尻や肩をさすりながら耳をそばだてる。
……ああ、いつの間に交替したんだろう。
よいしょと起き上がり、胸元から“鬼の眼”を出して腕時計に近づける。
やわらかな明かりで文字盤を確認すると、四時をまわったところ。あんなに疲れていたのに、お店にいる時と大差ない時間に起きてしまった。
外はまだ真っ暗だ。
ががが、ががが、がごんっ
「あだっ、あだだ」
「済まないな。悪路ではないのだが、早めに抜けてしまいたい」
「あ、はい。別に大丈夫で……あだっ」
ごつんごつんとアチコチ体をぶつけながら、あたしは御者台のアルゴさんに返事をした。
本当はもう少し寝てたいんだけどなあ……これだけガタゴト揺れてちゃ、しょうがない。
空にはきっと月や星が出ているのだろう。暗いとはいえ、目を凝らせば周りの様子はどうにかわかる。
馬車の中には人と荷物がぎっしり。
ちっちゃく丸まっているコズサ姫に、荷台の対角線上を斜めに伸びきっているコジマくん。それから座ったまま腕を組んで、幌馬車の枠にもたれて眠るレオニさん。
「サトコどの」
体に伝わる振動に耐えかねてもぞもぞしていると、それを察知したかのように御者台からアルゴさんの声がした。
がごっ、がごんっ
「ひいさまは如何しておられる」
「あだっ、あだだ……ぐっすり寝てますけど」
「然様か」
びしっ、と馬に鞭をくれる音。すると即座に揺れが激しくなる。
おおぅ、ちょっと飛ばしすぎなんじゃない? 仮にもお姫様が眠る馬車、こんな荒い運転でいいのかしら。
……まあでも、いざとなったら相手が誰でも河のど真ん中に放り込む人だしなあ。
がごんっ、がごんっ
それにしたって、揺れること揺れること!
やっぱりこれはアレかしら、運転には性格が出るってヤツかしら。あたしは免許持ってないから何とも言えないけれど。
ハンドルならぬ手綱を握る人の違いで、こうも乗り心地が違うものだろうか。
三日前、お店にレオニさんが迎えに来てくれたときは「おぉ馬車だぁ!」なんて一瞬テンション上がったもんだけど……のんきだったなあ、あの時のあたし。
がが、ががが、がごんっ!
「あだ、あだだっ……アルゴさぁん」
「耐えよ、もうしばらく」
おぉ、取りつく島も無いこの返事。
のんきだった三日前のあたしに、この惨状を教えてあげたい。ついでにおかーさんにも教えてあげたい。
ああでも口の悪い母のこと、「ほーれ見ろ言わんこっちゃない!」とか言い出しそう──「行っといで」と送り出したことなんか、すっかり棚に上げて。
ううぅ、内緒にしておこう。
あたしがこうして荷馬車で揺すられて、もみくちゃになってること。
あとコジマくんの偽物が出たってこと。
それから河のど真ん中に落とされて足を吊ったことも。
それからそれから、お風呂場で襲われて手桶で殴られそうになったことも。
うん、ちょっと散々な目に遭いすぎじゃない?
「……アルゴさん」
あたしはもう一度、幌の向こうで手綱を握るアルゴさんに声をかけた。
「もし一緒に御供してなかったら……あたし、どうなってましたかねぇ」
返事は無い。
馬車がガタガタいうから聞こえないのかもしれない。それならそれで、いいけれども。
びしーっ、とまた鞭の音がする。
「……さあ、どうなっていただろうな」
あ、聞こえてたんだ。
「危険な目に遭うのは避けられなかっただろう。たとえエードに留まったとしても」
あたしは思わず顔をしかめ、「げー」と言いかけて慌ててやめた。
それは幌の向こうのアルゴさんには見えていないはずだけど。
「……そなた今『げー』と言おうとしたな?」
「い──いえいえ別に、そんなことないですよっ」
慌てて否定するとアルゴさんはちょっとだけ笑ったようだった。
見えないけれど、そんな気がした。
「昨夜の賊め、ひいさまの生死がわからぬなどと言っていたが──おそらくそれは初めのうちだけだ。賊の黒幕は何もかも知っているとみて間違いはあるまい。
すなわち、エードの姫が極秘裏に城を出たこと。行先がファタルの神域であること。ご出立の直前に、風変わりなパン屋の娘に御目通りなされたこと……」
「……」
「そのパン屋の娘が、サトコどの──そなたであることも」
あたしは今度こそ「げー」と唸った。
「けっこう簡単にばれちゃうもんなんですね。お忍びでこっそり出かけたのに」
「相手が高位の魔法使いであれば造作もないだろう」
高位の魔法使い、かぁ……
あたしは荷台を斜めに横切って寝そべるコジマくんに目を向けた。
この子もたぶん、高位の魔法使いってことになるのだろう──全然そんな感じしないけど。
人の口から魂抜いてみせたり、大きな河の主に願いを聞いてもらったり、そういえば初対面のあたしのこともズバズバ言い当ててたっけ。おじいちゃんのノートも読むんじゃなくて「聞いてみる」なんて言ってたし。
他の魔法使いも同じようなことができるなら、あたしが異世界人のパン屋で、姫様とアレコレ話したことなんて隠すべくもない。
……ということは……
あたしがアレコレ話しちゃった、うちのおかーさんのことは?
「あぁ! どうしようアルゴさん。お店、お店マズイですよね!?」
ほとんど悲鳴に近いあたしの声に、アルゴさんは微塵も動揺することなく。
「案ずるな。近衛士の精鋭はレオニだけではない。ブーランジェリー松尾の店主には、二名の警護をつけてある」
「ほ、本当に?」
「典医どのも何やら呪いを施すと言っていた。もちろんそなたの母君には気づかれないように」
そうだったんだ。
あたしはふーっと息をついて、胸を撫で下ろした。
「良かったぁ。なら安心して大丈夫かしら」
「うむ」
「あたし、けっこう色々おかーさんに喋っちゃったから……そーゆーこともきっと、悪いやつは知ってるんですよね」
「仕方あるまい」
「すいません、護衛もお呪いも全然知らなくて……いったいいつのまに」
「三日前だ。そなたが城に来る前──」
そこで、アルゴさんは沈黙した。
急に。
あっしまった、みたいな感じで。
あたしは首を傾げる。なに、なになに?
「……あのー、アルゴさん?」
三日前、だって。
それってあの日だ、姫様の強引なお誘いで、秘密の会議に潜入したあの日。
なし崩し的にお店を出発した、あの日。
その出発の日の、あたしがお城に来る前。
つまり、まだお誘いを受ける前。
誘われてもいない旅に備えて留守番のおかーさんに護衛をつけた──それってつまり、もしかして。
「もしかして、あたしをお忍び旅行に連れて行く前提で」
「……うむ。一応、あくまで念のためだ」
答えたアルゴさんの声が、ちょっぴり揺れた──少なくとも、あたしの耳にはそう聞こえた。
「……念のため、って言いました?」
「然様、念のためだ。決して私と典医どので示し合わせたわけでは」
「示し合わせた!?」
あたしの声は思いっきり裏返った。それはもう、天高く。
「いや、誤解されるなサトコどの。決してそなたが思うような事実は無い。我々がそなたをこの道行きに引き込もうとしたなどということは、決して」
「引き込も……うそっ、あれ仕組んだの姫様じゃなかったんですか!?」
幌の向こうのアルゴさんはまた沈黙する。きっと真正面にいたら、ススーと目線を逸らしたはず。
えー。
ええー!
うそぉ、なんかちょっとショックなんですけど!
だってあの会議室でのやりとり、ぜんぶ演技だったってことでしょ?
マーロウさんが「なんとかするからの」って言ってたのも、「そこの娘、斬らねばなりますまい」ってアルゴさんに剣を向けられたのも。
「あたし、てっきり姫様が企んだんだと思ってたんですけど……うわーっ信じられない」
「企んだとは、また随分な」
「だって企んだんですよね? お姫様の旅に異世界人のパン屋を連れて行こうって。お姫様の無茶振りなら断れないだろーって」
「うむ、断れまいと思ったのは確かだが」
「ほらぁやっぱり! ひどい、アルゴさんひどい。そんな策謀を巡らすタイプだったなんて」
「策謀……いや、違うのだサトコどの」
「なーにが違うのだ、ですかっ。現にこうしてココまで連れてきて、あたしすっごい怖い目に遭ってますよ? それももう三回、二十四時間のうちに三回も!」
あたしはショックなのを通り越し、だんだんと腹が立ってきた。
だって黙るということは、すなわち言い返せないということだ。言い訳もできないということだ。
かーっ、なんたること!
「だいたい、どうしてあたしなんですか? 御供だったら他にも人がいるじゃないですか。
おじいちゃんの石窯でパンを焼くったって、別に旅行中パンを食べられなくたって死ぬわけでもないし、そもそもあたしはホント普通の庶民の子なんです。剣を向けられるのなんて二度とごめんですし、こんな四六時中危険な目に遭うとか正直嫌ですよ!」
「……」
「昨日だって、お風呂場であんな目に遭って。大したお顔じゃないとか言われるし、それにアレですよ、みんなに……ハ、ハダカを……見られるハメになるし。そりゃ姫様とは同い年ですけど、それを理由に人違いで襲われちゃ堪らな──」
そこであたしは、ハタと言葉を止めた。
姫様と同い年。
人違いで襲われる。
ま、まさか──
「あのーアルゴさん……今度こそ、まさかとは思いますけど」
「……」
「同い年のあたしが御供してれば、本物の姫様から目を逸らせるとか……」
「……」
「それもポッと出の異世界人なら、その方が都合がいい、とか……」
「……」
「そんなこと考えてたり……しない、ですよね?」
「……そなたを無理に引き込む意図はなかった。典医どのも、私も。それだけは信じてほしい」
「うわあ、嘘くさっ」
「いや、嘘ではない。嘘ではないのだが、そう思われても仕方はあるまい」
まーその言葉の言い訳くさいことったら!
そりゃこの人の仕事はコズサ姫の護衛だから、姫様さえ無事にお守りして、つつがなくお輿入れできれば万々歳なんだろうけど。
だからといって何の罪もないあたしの人の良さに付け込んで利用するなんて、あんまりと言えばあんまりだ。
あたしは腹立ち紛れに、閉じてあった幌の紐を解いた。これはもう顔を見て直接抗議すべきだと思ったのだ。
何て言おう。
いくらあたしが状況に流されるタイプでも、何でもホイホイ言うこと聞くわけじゃないですからねっ!!──そうだ、そう言おう。
そして怒り心頭のあたしは、ぶぁっと勢いよく幌を捲り上げた。
「あのですね、アルゴさん。いくらあたしが状況に」
そして、目が合った。
「流される、タイプでも……」
目が合った──何かのケモノと。
「何でもホイホイ……あのこれ、アルゴさん?」
「うむ。猿だ」
あたしの視線の先、馬車を曳く馬の背に、一匹の猿。
毛むくじゃらで顔の赤い、日本猿。
その猿にアルゴさんは鞭を向けていた。
──なに、これ?
あたしは幌から少し顔を出して、あたりを見回した。
無数の星が浮かぶ空を、道沿いの杉の木がくっきりと切り取っている。
その真っ直ぐな杉並木を、馬車は全力で疾走していた。
馬の背に一匹の猿を乗せ。
道の両側から、無数の猿に見つめられ。
「……なに、これ?」
アルゴさんはまた、うむ、と頷いた。
そして落ち着き払った声で、こう言った。
「刺客だ、サトコどの」




