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031:夕映え 二

 西日射す静寂の中、頬を染めて見つめあう──こんなことが前にもあった。

 あれはそう、一昨年の三月。

 春というにはまだ少し寒くて、ふくらみかけた桜のつぼみが開くのを待ちわびていた頃。


「松尾さん」


 人の少なくなった教室、コートを着て帰り支度をしたあたしは掛けられた声に振り向いた。

 そこには同じく、帰り支度をした山野くん。「あ」と声を上げたら、なんだかいつになく視線がまっすぐで──

 一緒に帰ろうとしてた部活仲間は「じゃあねーお先っ」と教室のドアをすり抜けてしまった。にやにやしながら「山野がんばれっ」と言い残して。


「松尾さん。今日、時間ある?」

「あ、うん」

「じゃあ一緒に帰ろうよ」

「う……うん」


 あたしたちは一緒に教室を出て、下駄箱で靴を履きかえ、校庭を横切って学校を後にした。

 その間無言で。

 沈黙が痛くて、自分の心臓の音が聞こえそうだった。


 どきどき。


 どうしよう、何か話さなきゃ。あそこの交差点を渡ったら、それぞれ違う道で帰るんだから。

 何を話そう、部活の大会の話? 定期試験の話? 最近読んで面白かった本の話? それとも……


「山野くん、あのね……」

「バレンタイン、ありがと」

「……」

「一番おいしかった」


 どきどき。

 どきどき。


 あたしの顔はみるみるうちに真っ赤になり──って自分じゃ見えないんだけど、頬も耳も熱かったから──小さな声で「あ、うん」と言うのが精いっぱい。

 でもあれ、ほとんどおかーさんに作ってもらったの。

 あたしがやったのはチョコを巻いてオーブンに入れて、かわいい包装紙でくるんだだけ。

 だから美味しいのはあたしじゃなくてプロが作ったからで、そのプロにも「次は自分でやんなさいよ!」って言われてて、だから来年のバレンタインはそんなに美味しくないかもしれなくて……来年があれば、だけど。

 頭の中は、そんな言い訳がぐるぐる。

 でも口に出せない。顔も上げられない。

 何か言おうとしたら心臓が口から飛び出してしまうかも──そんな気さえしてくるほど。

 すると、もうすぐ交差点というところで山野くんが足を止めた。


「松尾さん」


 あたしも足を止めた。


「おれ、松尾さんのこと好きだ」


 なんて答えただろう──どうしても思い出せない。

 覚えているのは、あたしを見る山野くんのまっすぐな目。かすかに頬を撫でた早春の風。二人を照らす真っ赤な夕陽。

 そして、いつもよりずっと大きい胸の鼓動。

 

 どきどき。

 どきどき。


 そう、今も──


「サトコさん」


 呆けたようにレオニさんと見つめ合っていたあたしは、名前を呼ばれてハッと我に返った。


「あ……すす、すみません! あの、あたし、うるさかったですよね? さっき、お風呂場でそのー……ずっと聞こえてたって、あたしの怒鳴り声。コジマくんが、そう言ってたから!」


 やだ、どうしよう。

 こんな状況で二人っきりとか、それもさっきハダカを見られた相手だとか、あたしこーゆーの無理、ホント無理!

 両手をぶんぶん振ってしどろもどろに口走ると、レオニさんはきょとんとして──それから少し、微笑んだ。


「や、やですよねぇーコジマくんったら! あたしのこと状況に流されるタイプだとか色々言ってくれちゃって、たしかに否定はできないですけどあたしだって怒る時くらいありますし、今もいきなり『尋問しに行きましょう!』なんてわざわざアルゴさん誘ってまで、だいたいアルゴさんもアルゴさんですよ、コジマくんの話になんか乗っちゃって」

「サトコさん」

「あ……はい」


 レオニさんは困ったように笑い、こちらに戻ってきた。

 椅子を引いて腰掛け、あたしを見る──まっすぐ。


「かっこよかったですよ、サトコさん」


 気まずい空気をかき消さんとぶんぶん空中で踊っていたあたしの手は、シュンと大人しくなり膝の上へ。

 かっこよかった、って。

 引いてたんじゃ、なかったの?


「あそこまで追い詰められたのに、言いたいことを言えたのは立派でした」

「それは……えっと、女の端くれかー、の部分?」

「いいえ、全体的に」


 後で言おうと思ってたんです、とレオニさんは付け加える。

 かっこよかった、だって。

 あんなにテンパってたのに。

 ほんの小一時間ほど前のことなのに、何て叫んだのか実はあんまり記憶になくて……それだけ頭にきてたといえば、その通りなんだけど。


「姫様が涙されるのも無理からぬことです。

 これまで目を逸らして胸の裡で我慢なさるしか無かったことを、サトコさんが代弁してくれたんですから」

「あー……あたし、なんて言ってましたっけ」

「自分の恋愛も人生も投げ打って。背負ったものの重さも、覚悟の深さも知らないで。

 ──かっこよかったですよ。すごく」


 貴賓室に西日が射しこむ。

 レオニさんは半身を赤く染め、もう半身は影になり、あたしの前にいる。あたしを見てる。


 どきどき。


 こうして向かい合うと、よくわかる……この人ほんとうにハンサムなんだ。顔立ちだけじゃなくて、にじみ出る雰囲気とかぜんぶ含めて。

 降りそそぐ眼差しに、あたしもなぜだか視線を逸らせない。

 苦手なハズなのに。こーゆーの。


「かっこいいなんて。あたし、そんな特別なこと言ったわけじゃ」

「そうでしょうか」

「そうですよ。あたしのいたところにも姫様みたいな高貴な人たちいましたけど──や、全然知り合いとかじゃないですけど──みんな普通に恋愛して、結婚してますもん」

「そうなんですか。それはやはり、どこか別の王家の方と?」


 真面目そうで、誠実そうで、気も使えて、やっぱりモテるんだろうな。

 そんなの言うまでもないか。だって素敵な人だもん。


「ううん……みんな、普通の人とです」

「普通の?」


 あたしはひとつ頷いた。


「普通の女の子と同じです。好きな人がいたり、彼氏がいたり、デートしたり」

「でーと、ですか」

「そう、彼氏と」

「かれし、ですか」


 するとレオニさん、突然難しい顔をした。

 眉間にシワを寄せながら、目を伏せて考え込み──また視線をあたしに戻すと、すこぶる真面目な顔でこう訊ねた。


「かれしというのは、許嫁のことですか?」

「い……許嫁!?」

「違うんですか?」


 許嫁って。

 あたしは笑いながら首を横に振る。


「違いますよぉ。あたしも彼氏いたことありますけど、結婚の約束なんて」

「かれしが、いた……!?」


 カッと目を見開き口元に手をやって、レオニさんは少し身を引くようにのけぞった。

 あたしの笑いは顔の表面で凍りつく。その場の空気とともに、ピシッと音を立てて。

 あれ、あの、もしかして──今の言ったらマズかった?


「あ、えっと、彼氏っていっても大したことしませんでしたから! 学校から一緒に帰るとか、休みの日に遊びに行くとか、遊びにったって映画館とか動物園でしたし、友達とかすごい子はホント色々すごかったけど、あたしたちはちょっと手をつないだりするくらいで」

「手を……!?」

「いや、ですからえーと、そのー……き、清い交際だったんです!」


 言った瞬間、顔がボンっ! と熱くなる。

 うわーうわーなに言ってるのあたし、清い交際とか口に出して言う人いる!?

 しかもすごく言い訳くさいじゃない「清くなかったんです、よくてグレーです」って言ってるみたいじゃない!

 違うのに。違うのにー!


「つまり……サトコさんは」

「あ、あ、あたしは全然、ほんと、こーゆーことに免疫がなくって、おかーさんにも奥手だって言われるし、コジマくんにまでウブだとかウブウブだとか言われちゃうくらいで、その元彼と別れたのもアレなんです、なんかこう……この空気! この空気がいたたまれなくって、それで」


 レオニさんがこっちを見てる。

 顔に「なんてこと……!」と書いてある、そんな気がする。

 うわあああ。

 うわあああああ!

 穴があったら飛び込みたい!!


「サトコさん、落ち着いて。だいたいわかりましたから、“かれし”が何なのか」


 言い訳がましく空中で踊る両手は、またしてもシュンと大人しくお膝の上へ。

 ああやだぁ顔が熱い、手汗すごい……


「わかった、って……」

「はい。自分も、人を好きになったことがありますから」


 その一言で──


 あたしは頭っから水を浴びたように、急に冷静になった。

 頬の熱がすーっと引いていく。

 そうか。

 そうだよね。

 一人の男の人だもん。

 好きな人くらい、いて当たり前だ。


「ずいぶん前のことですけどね」


 なんて言えばいいんだろう。

 寂しいような悲しいような、なんだかとても……残念なような。

 ああ、わかった。

 自分の知らないことだから、ちょっと嫌だったんだ。レオニさんのことで自分の知らないことがあるのが嫌だったんだ。

 知ってることの方が少ないのに。

 何日か前に初めて会ったんだから、仕方のないことなのに。


「あの、それ──どんな人だったんですか? 相手の女の人は」


 しかもなんで突っ込んで聞いてるの。

 なに知りたがってるの、あたし。

 レオニさん困ってるじゃない。笑ってるけど、困ったような顔してる。


「さあ……どんな人だったでしょう」


 ──男の人ってのはさあ、女よりもずーっとロマンチストでね。昔の彼女だとか恋人のことなんか、よーく覚えてるもんなんだよ。

 腹立っちゃうよねえ。

 うちのおとーさんなんか初めての彼女との交換日記なんて大事に持っててさ、でも捨てろなんて言えないじゃないのよ。

 それで結局、今でも押し入れの奥の方に取っといてあるんだよ。まったく場所取りだから何とかしたいんだけどねぇ、おとーさんのモン勝手に処分もできないし、あーあ参っちゃうわよ本当に──


 おかーさんが言ってたっけ、そんなこと。

 いま目の前にいるこの人も、きっとかつて好きだった人のことを覚えてる。

 そういえば山野くんもそうだった。

 中学の頃はどんな人が好きだったのって聞いたとき「いいじゃん、今おれが好きなのは松尾さんなんだから」──そう言って、困ったように笑ってた。


「いいじゃないですか」


 ほら、レオニさんも。


「今、自分が好きなのは──」

「なんじゃ、おぬしらだけか」


 !?


 可憐な声に、あたしたちは思わず椅子ごと体を離した。

 いや、べつにそんなに接近してたわけじゃないんだけど、なんかこう、なんかこう……うわーーーーーっっ!!

 あたし今、すごく大きなチャンスを逃した気がする!

 姫様もうちょっとお休みになっててよかったのに!!


「あ、ひ、姫様……」

「ふむ、まだ夕方か」


 奥の間の扉を開けたコズサ姫は「ふわー」と大きなあくびをすると、ちょっと目元をこすった。まぶたが少し腫れている。

 あたしは椅子の上で凍りつき、レオニさんは直立不動。

 姫様はちょっと眉をひそめて、あたしを見た。その次にレオニさんを見た。


「なるほどのう」


 そこはかとなく不満げな様子で「ふん」と鼻を鳴らす。

 そしてこちらにのしのしと歩み寄り、すっかり冷めきった湯呑を手に取った。

 あ、それあたしのです──という間もなく、喉をごきゅごきゅ鳴らして一気飲み。さらにおにぎりに手を伸ばして「ぱくっ」とかじりつき、コズサ姫は固まったままのあたしたちに高々と宣言した。


「アルゴを探しに行く。ついて参れ!」




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