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027:温泉に入ろう 一

 旅の基本は早出早着き。

 朝は日の昇らぬうちから支度して、昼の日がまだ高いうちにお宿に入る──なぜかというと簡単な話。

 他の旅人が汚す前の、きれいなお風呂に入りたいからだ。


「お湯殿、異常ありません。安全にお使い頂けます」


 戻ってきたレオニさんの首から手ぬぐいが下がっている。

 あたしの目の前に座るアルゴさんの首にも、手ぬぐいが掛かっている。

 コズサ姫は部屋の奥でしどけなく長椅子に寝そべって、ちょっぴり唇を尖らせた。


「よいのう、おぬしらは。着いた途端にさっぱりキレイになりよって、河に落ちたわらわとサトコどのは冷え切ってそのままだと言うに」

「湯殿を検めるのも近衛士の任務に御座います」

「しかも一番風呂か。つやつやしおって、まことにけしからん」

「一番かどうか存じませんが、大変けっこうな湯で御座いました」


 あたしはというといまだ毛布を体に巻きつけ、膝の上にはお風呂グッズの入った洗面器──これはコジマくんがリュックから出した──を乗せながら、ぼーっと二人のやりとりを聞いていた。

 着替えに、タオルに、髪留めゴム。ああー早くあったまりたい……


「あの弟子めが戻り次第お使い頂けますゆえ、今しばらくの御辛抱です」

「しかし戻って来ぬではないか、コジマのやつ」


 アルゴさんが小さく「弟子は?」と問うと、レオニさんは「入浴中です」と返事をする。

 それを聞いて片方の眉をわずかに動かしたアルゴさん、あいつめ……くらいは思ってそうだけど、態度や言葉に出さないのが大人の証だ。

 待ちくたびれた姫様は長椅子からぴょんと下り、庭を望む窓辺に近寄るとお風呂のある離れの方を覗きこんだ。

 あたしたちがいるのは温泉が湧く宿場町──その奥に建つ由緒あるお宿、その格調高い貴賓室。

 出したお金が昨日とは全然違うのだろう。お忍びとはいえ、そのあたりはさすが姫様御一行。

 美しく手入れされた庭の向こうには白い湯気の立つ大浴堂、遠目には残雪を頂く春の山並みを望んでいる。

 ああ、もしかするとあれは日本で言うところの日光連山にあたるのかも。


「それでサトコどの、先ほどの続きだが」

「あ……はいっ」


 その格調高い貴賓室で、カラスの行水から戻ったアルゴさんと膝に洗面器を乗せたあたしは向き合って座っていた。

 いったい何かというと、アルゴさんから異世界の温泉──というよりもコズサ姫の御入浴について後事を託されていたのだ。


「先ほども申した通り、ひいさまは(おなご)でいらっしゃる。そなたも同じ女。我々には出来ぬ働きを頼みたい」

「あの、それって結局……何すればいいんでしょうかね」

「なに、難しいことなど一つもない。ただお手伝いして差し上げればよいのだ」

「つまり具体的にどういったことを……」

「うむ、それは……」


 ……と言葉を続けながら、アルゴさんはコズサ姫の方を見た。あたしも。つられたのか、戻ってきたばかりのレオニさんも。

 姫様は視線に気づくと、窓から目線を離してむっとした様子で仰った。


「なんじゃ。風呂くらい自分で入って出てこれるわ」

「……と、あのように仰っているが実際お一人で入浴されたことは一度もない。御召し物を脱ぐことはお出来になっても、畳んでお戻りになるのは難儀されるだろう」

「アルゴ、おぬしわらわを馬鹿にしおるのか」

「湯に浸かる前にかけ湯をする、といった作法のあたりも少々怪しくていらっしゃる。御髪(おぐし)をどう洗うのかも、よくおわかりでないはずだ」

「なぬッ、なんと無礼な」

「城では御湯浴みのために三人の侍女がついていた。三人分の働きをせよなどと無理は言わぬが、付き添って頂ければ心強い」

「これアルゴ、無視か。無視するかっ」

「それからサトコどの。ひいさまの御手伝い以上に大切なことがある」

「な、なんでしょうか」


 姫様の抗議の声をことごとくスルーしながら、アルゴさんはあたしにこう言った。


「万が一のときは、そなたがひいさまをお守りするのだ」

「え……うえぇぇぇ!?」


 あたしは困惑の声を上げた。

 いやだって、お守りするって言いますけど……お風呂場で? すっぽんぽんで?

 えー、えー、どうやって……と助けを求めてレオニさんの方を見れば、ご機嫌を損ねたコズサ姫に捕まっている。

 曰く「これそこの若いの、おぬしは直属の上官が斯様な態度でいるのを何と心得る、まさか近衛集の皆が皆こうとは思わぬが、先ほどのは余りと言えば余りではないか、わらわは子どもではないこと近衛士ならば知っておろう、(あるじ)の言葉を聞かぬのなら部下から諌めてやって云々」──とまあ、長々と続きそうな感じ。

 ありゃりゃーとそちらを見れば、レオニさんは困ったように苦笑い。

 アルゴさんはそれもまたスルーしながら、いつものように落ち着き払った様子で話を続ける。


「湯殿を検めることはできようが、人の出入りまで検めることはできぬ。我々も近くに控えてはいるが、一番お側にいるのはサトコどの──そなたなのだ」

「それはまあ、そうですけど……いやそんな、あたしの肩にかかってるみたいに言われちゃうと」

「剣を振るえとは言わぬ、何かあった時は声を上げてくれれば良い。我々が即座に踏み込めるように」

「え、でもすっぽんぽん」

「あーいいお湯でしたぁ、ほっかほかー! あっ隊長さん、お風呂異常なしです。安全にお使いいただけます!」


 ばあーん、と扉を開けてコジマくんが賑々しく戻ってきた。

 一人長風呂してほかほかしちゃって、体に湯気をまとわせている。バラ色のほっぺは普段より赤み三割増し。とうの昔に確認済みだこの間抜け、とアルゴさんが渋面を作っても、そんなのもちろん聞いちゃいない。


「姫様、すっごい良いお湯でしたよぉ。無色透明のまろやかなお湯で肌あたりやわらか、泉質はアルカリ性単純泉というやつですね。神経痛、関節痛、疲労回復にストレス解消は勿論のこと、お肌をきれいにする“美人の湯”でもあるんですって! まあ姫様はもともと大美人でいらっしゃるから、もっともっと美人に」

「ひいさま、それでは他の旅人が来る前に」


 アルゴさんが促し、レオニさんはようやく姫様の長ーい愚痴から解放されたもよう。そーっとあたしの方に移動して「いや参りました」だって。

 ですよねえ。

 でも実際、こーゆーのは人当たりが柔らかい者の宿命だと思うのだ。お疲れ様です、レオニさん。


「あと番台のおじさんが言うには、この温泉飲んでも良いんですって。軽い胃腸炎なんかこれで治っちゃうし、あとサトコさんにおすすめしたいのは冷ましたのを飲むやり方なんですけどね、お通じが滞って困ってる時なんか」

「ちょ、余計なお世話!」

「さっ行こうぞサトコどの。ついて参れ」

「あー待って! 待って待ってサトコさん、これ持ってって!!」


 ようやく毛布を外して姫様と部屋を出ようとしたあたしに、コジマくんがぽーんと何かを放る。

 受け取ってみると──あ、これはアレだ。マーロウさん直伝の秘伝の薬!


「わーありがと、お風呂上りにつければいいの?」

「それだけじゃないですよー、髪や体を洗うのにも使えます! 頭のてっぺんから足のつま先まで、これ一つでしっとりすべすべな洗い上がりですから。潤いを取りすぎることなく清潔に、かつ赤ちゃんみたいなぷるぷるお肌になるんです。あっもちろんすぐにじゃないですよ、継続的なご使用により十四日間で違いを実感」

「わかったわかった、ありがとね。じゃあ今度こそ行ってきまーす」


 ごゆっくりーという声を背に受けて、あたしとコズサ姫は連れだって温泉に向かった。

 さっきの貴賓室ではコジマくんがぶんぶんと、レオニさんが片手をあげて小さく手を振っている。あたしも振り返しながらそちらを見ると──アルゴさんはいつも通りの顔でいつも通りそこに立ち、姫様がチラと振り向いた時だけ──かすかに一礼した。

 ああ、やっと一息つける。

 つけるはず。


「アルゴのやつめ。さんざん馬鹿にしおって、腹の立つ」

「まあまあ……悪気があって言ってるんじゃないですし、いいじゃないですか」

「いーやよくない、断じてよくないッ」


 コズサ姫はご機嫌斜めで、まだ唇がとんがっている。

 それを横目に、あたしはニヤつく口元を片手で隠した。

 だって、だだをこねる子どもみたいなんだもん。中身が同い年と知ってはいるけれど。


「あやつ、わらわの歳を忘れてしもうたのじゃ。見た目に騙されて真実を見失うておる!」

「そんな大仰なあ。ほら、お風呂いきましょーよ。あたし手伝いますから」

「なんとサトコどのまで。自分でできると言うに、もう」


 気さくな姫様はそう言うと、少し笑った。

 遠慮しないでくださいよー、なんて言いながらあたしも笑った。


 残雪の山並みを望む庭を渡り廊下で横切って、離れの大浴堂の扉を押す。

 木でできた重そうな扉の向こうが、異世界の温泉だ。

 敷居をまたいで番台のおじさんに挨拶し、あたしとコズサ姫は修学旅行の女子高生みたいな気分でお風呂場に向かった。

 意気揚々と。




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