024:舟唄
ゆらゆら揺れる。
ゆらゆら揺れる。
不思議な感覚であたしは目を覚ました。
光が眩しい。
もう一度目を閉じて──ハッとする。
もしかしてここ、舟の上?
「あ、お目覚めですね」
頭の上からレオニさんの声。
光が影を作って表情は見えないけれど、きっとこちらを覗き込んでにっこり微笑んでいるはずだ。
すいません眠りこんじゃって、と体を起こそうとして──あたしは凍りついた。
あたしじゃなくたって凍るだろう。
信じられないことに、あたしの頭はレオニさんの膝の上に乗っかっていた。
「あ!? あああた、あた、あたし……すすす、すいませんっ!!」
「いえ、お気になさらず」
うわー……うわーーーーーっっ!
信じらんない、信じらんない、信じらんない、膝枕って。
膝枕って!!
がばッっと体を起こし、あたしはレオニさんから離れて両の頬を手で挟んだ。
熱い。熱すぎる。
やだーやだーやだー、ああもう、なんてことなの!
「あーやっと起きたあ」
声をかけられて顔を上げると、コジマくんがじっとりこちらを見つめている。
あたりを見回せば、どうやら本当に舟の上だ。
舟というかゴンドラというか。
黒い漆塗りの船体、細く曲がった舳先にオシャレな装飾、船尾近くには船頭さんがいて、長い棒みたいな櫂で舟を操っている。
近くにはもう一つ大きめのゴンドラがあって、そこにはあたしたちの乗ってきた馬車と馬。そしてもう一頭、たぶん別の人の馬。
「ぜーんぜん起きないんだもん、声かけてもダメ、揺すってもダメ、ポッポちゃんが突いてもダメ。馬車から下ろそうとしたって重くてちっとも動かないし」
「し、失礼な。体重は平均くらいですっ」
「関所検めの時もずーっと寝てるし、結局レオニさんにおんぶしてもらってやっと舟に乗せて、岸から離れてもまだ寝てるんだもん。他のお客さんもいるっていうのにさー、ほんともうびっくりですよ」
「つ……疲れてたのっ」
「いーえっ、鈍いんです」
「鈍くないわよ、鈍かったら昨日の夜ちゃんと寝れてるわよっ」
どうやらコジマくんは機嫌が悪いようだった。
なんなのよう……と視線を逸らすと、ゴンドラはちょうど大河の真ん中あたり。遠くにさっきまでいた関所の岸辺、対岸にはこれから向かう船着き場が遠目に見える。
ゴンドラには他にもお客さんがいた。コジマくんの背の向こう、あたしの目線の先に一組の親子連れ。くたびれたマントを羽織ったお父さんと、これまたくたびれた格好の子どもさん。
こっちに背を向けてるのは「膝枕だなんて破廉恥な。教育上良くない、見せたくない」ってことなのか……はあー、もう死ぬほど恥ずかしい……
「よぉ、そっちのお嬢ちゃん起きたみたいだねェ」
船頭さんまでニヤニヤとこっちを見る。
やだあ、ほんとにもう。
「いいじゃねェか、そういうのもさ、若ェうちよ。人目を気にせずピッタリくっついてられるのもよ」
「ぴ……ぴっ」
「俺も若ェ時分は、よくかあちゃんの膝を枕にしたもんさ。今じゃーガキどもに取られちまって、俺ァせんべい布団で一人さびしく肘枕よ」
「あの、あたしたち……」
別にそういう仲では──と否定しかけた口を、あたしは途中で閉じた。
だってレオニさんがこっち見てたから。
こっち見て「にこっ」て笑ったから。
……同時にコジマくんのじとーっとした視線も感じるけれど。
「思い出すねェ。このネト河に舟を浮かべてよ、向こう岸にかあちゃんを迎えに行った日のことを。あん時のかあちゃんは、とりわけべっぴんだったなあ。
今じゃーすっかりまん丸くなっちまって、似ても似つかねェんだけどよ」
「……」
「けどまあ好いた相手と連れ添ってるんだから、幸せには違ェねえや。
もともと、この河挟んで別の国だ。戦の前なら向こう岸の娘と一緒になるなんて考えられなかったんだからなあ」
天下泰平、という言葉がポンと頭の隅に浮かんだ。
……きっと、こういうことなんだろうな。
戦争をして、エードが天下を統一して、だからこの船頭さんは奥さんと結婚できた。その平和を維持するためにコズサ姫は西の都に嫁ぐのだ。
『姫君はとても聡い方です。ご自身の幸せと民草の幸せを天秤にかけて、戦に翻弄されない民草の幸せを取れる御方なんです』
そう言ってたのはコジマくんだ。そのコジマくん、船頭さんの言葉にパッと顔を上げた。
「僕、知ってますよ。有名な舟唄にもなってますよね。あっちの岸とこっちの岸の、恋人の話」
「へえ、坊やはネト河渡しは初めてじゃないのかい?」
「僕は初めてですけど、お師匠様がよく歌ってるんです。それがまあ調子っぱずれだし声はフニャフニャだし、実際どんな歌なのかさっぱりわかんなくて。だから一度本場のを聞いてみたかったんですよねぇ」
ああそっか──あたしはようやく、彼の不機嫌の原因に思い当たった。
ここでコズサ姫と落ち合うの楽しみにしてたもんねぇ。一緒に舟唄聞くんだって。それでこの子、こんなむくれてるんだ。
「そうかいそうかい。そう言われちゃあ、やらねェ訳にいかねェな」
船頭さんは笑って、両手で櫂を繰りながら朗々と歌い出す。
──広くて深いネト河の あっちの岸とこっち岸 おまえに会いに舟を出す──
どことなく昭和歌謡っぽいそのメロディに、あたしは顔を上げた。
この歌知ってる。聞いたことある。
次の歌詞はたしかこうだった。
「深くて暗いネト河を……」
──深くて暗いネト河を 櫂を頼りに漕ぎ進む 忘れもしないあの岸へ──
「自分も三年前に聴きましたが……よくご存知ですね、サトコさん」
「おじいちゃんが時々歌ってたんです、厨房で。まさか異世界の歌だなんて思わなかったけど……」
「えーすごい、サトコさんのおじいさんもここを渡ったんですね! お師匠様も一緒だったのかなあ、あーもしかしたら先代の」
口を滑らせかけるコジマくんを、レオニさんが唇に指をあてて「しーっ」と諌めている。
すると向かいに座っている親子連れの、子どもの方がわずかに首をかしげ、チラッとこちらを見た。
あたしと目が合う。
一瞬見えたその面差し。
唇に浮かんだ悪戯な微笑み──えっ、うそ。
──誰も渡れぬネト河を 俺とおまえで漕ぎ進む 星よ照らせよこの小舟──
コズサ姫!?
思わず声を上げそうになってレオニさんを見ると、やはり唇に指をあてて「しーっ」とやった。
ああ、そうか。今コジマくんに教えたら喜びのあまり大はしゃぎしちゃいそう……しばらく内緒にしてた方がよさそうだ。
お忍びのコズサ姫は着古してくたっとした子どもの服を身に纏い、今は大人しく座っている。
隣でお父さんに扮してるのはアルゴさん。お父さんというにはまだ若いけど、こちらも静かに光る水面を見つめている。剣を佩いてないのは、あくまで旅人に見せるためだろう。
──星空映すネト河に 抱かれて流れる木の葉舟 誰も許さぬ泥の舟──
コズサ姫が隣のアルゴさんに何か耳打ちした。
するとアルゴさんも、指を唇にあてて「しーっ」とやった。
コズサ姫は笑う。
嬉しそうに。
──誰も渡れぬ河なれば 誰も咎めはせぬだろう 泥の小舟の行く末を──
舟唄はそこで終わり。
はあー、とコジマくんが溜息をついた。心なしか目がうるんでいる。
「泥の船だなんて……お師匠様が楽しげに歌ってたのが、こんな悲壮感あふれる歌だったなんて……」
そう言いながらローブの裾で目元をぬぐった。
そう言えば子どもの頃、おじいちゃんにこの歌の意味を聞いたっけ。何の歌なのか訊ねるあたしに、おじいちゃんは確かこう答えた。
「サトコにゃまだ難しいかもしんねぇな……これはな、心中の歌だよ。男と女の歌だ」
横で聞いてたおかーさんが「ちょっとおじいちゃん、そんな言葉教えないで」って噛みついてたっけ。
当時のあたしは“しんじゅう”なんて言葉知るはずもなく、「なるほど男の人が好きな女の人に真珠をあげる歌か……」という超解釈をしたんだけど。
「ねー船頭さん、この二人は結局どうなるんでしょうね。夜中にこっそり船出して、ちっさな舟で身を寄せ合って、きっと荷物もほとんどない着の身着のままで……うう、ぐすっ……どうなるんでしょうね、幸せになれるのかなあ」
「おいおい、この歌でそんなに泣く奴ァ見たことねェよ」
船頭さんも苦笑い。コジマくんはまた目元をぬぐうと「だって、あんまり気の毒で……」と鼻を鳴らしている。
「そうさなァ……俺が昔じいさんから聞いた話だと、この歌みてェなことは本当にあったらしいけどな。
こっちの岸に男。あっちの岸に女。男はネト河の漁師で、女はあっち岸の地主の娘。
まあ言うなれば──身分違いの二人だった、ってことだ」
その時あたしはちらっと──決して何の意図も無かったんだけど──隣のレオニさんの横顔を見上げた。
レオニさんはどこか違うところを見ている。
その視線の先にはアルゴさんがいた。
そしてアルゴさんは、コズサ姫を見つめていた。
「もとが違う国、違う家、暮らしだって当然違ェんだ。惚れたはれたで土地を逃げ出し、行った先で幸せになれるかってェと……ま、難しいだろうな」
「うぅ、かわいそう。やっぱりそうなんだあ」
「流れ着いた先で他所モンが暮らしていくのは大変だぜ。ましてや訳アリの二人じゃな。お嬢さん育ちの女が貧乏に耐えるのも並大抵じゃあねェだろう。土地のモンも噂するだろうしな、あの二人はどこそこから駆け落ちしてきたらしい、って」
コズサ姫がアルゴさんの視線に気づく。
姫はゆっくりと、そちらに顔を向けた。
僅かに唇を動かす。
アルゴさんの目元が優しく緩む。
水面を風が揺らし、日差しが跳ね返ってあたしの目に飛び込む。ああ──眩しい。
「じいさんから聞いた話じゃ、二人は結局うまく行かなかったんだってよ。
噂を聞いた女の家が、女を連れ戻しに来たんだと。赤ん坊まで生まれてたらしいが、子どもはどこかに里子にやって、女もよそに嫁に出されてそれっきりだ。
男も里に戻されて、その後は村八分で過ごしたらしい。だがなあ、つらかったんだろ。ある時ぱったり姿を見なくなった。一人で里を出てったらしいが、ほんとのところは誰にもわからねェ」
あたしは眩しさに目を逸らした。
対岸からもゴンドラがやってくるのが遠目に見える。あっちの岸からこっちの岸へ、お客さんを届けるのだろう。
「きっと女の人を忘れられなかったんですよ。子どものことだって……うぅ、かわいそう……離れ離れになったその人と赤ちゃんを探しに行ったのかも」
「ああ、もしかしたらそうかもな。そう簡単に忘れられるもんでも、ねェだろうしな」
やってくるゴンドラには船頭さんと、お客さんが一人。長い棒のような櫂から片手を離し、こちらの船頭さんがあちらに挨拶をする。
向こうも櫂から手を離して挨拶。
するとあちらのお客さんがゴンドラに屈み込み──
──顔を上げたその時、その手には弓と矢があった。
あたしは息を飲んだ。
動けない。
あちらのお客さんは矢をつがえ、弓を引き──それをこちらに向けてヒョウと放ったのだ!




