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022:恋猫

 その日の夜。

 投宿したお宿の片隅で窓際に腰掛け、あたしは星明りと鬼の眼の光を頼りに、おじいちゃんのノートに目を通していた。


 ……ふにゃあー……にゃーお……


 外では怒ったように猫が鳴いている。

 恋して鳴く猫の声をBGMに、おじいちゃんの若い頃を一文字ずつ辿り──というのはポーズだけで、あたしはぼんやりと山野くんのことを思い出していた。


 あたしにとって山野くんというのは、いわゆる「初恋の人」ってことになるのだろう。

 出会ったのは、今みたいに暖かい季節。

 高校一年の春。

 きっかけは教室で席が隣だったこと。仲良くなるのに、そんなに時間はかからなかった。

 初めはおはようの挨拶から始まって、そのうち教科書を忘れた時に机くっつけて隣同士で見たり、漫画の貸し借りをしたり、途中まで一緒に帰ったり。

 そんなことをしているうちにどんどん気になってきて──んー、なんてささやかで微笑ましいんだろう、自分のことだけど。

 話していると楽しくて、時間があっという間に過ぎちゃって、授業が全部終わってお互いの部活がない日なんかは、暗くなるまで教室の隅っこでお喋りしてたっけ。


 山野くん、そんなに目立つタイプじゃないけれど、人当たりが良くてキチンとしてて、それでいて遊びの部分もちゃんとある人だった。

 普通の人なんだけど、面白いこと言える人。

 だけど、真面目な話もできる人。

 テスト前にはよく勉強教えてもらったっけ。

 図書館で化学だか物理だか教えてもらって、それでもあたしはさっぱり理解できなくて、地頭の出来の違いに溜息ついたのも今はいい思い出。

 あーそうだ、その時「うちにも教えてよー」とか言いながら他の女子が来て……あたしは自分でも頭おかしいんじゃないかと思うくらいモーレツに苛々してしまって、


「だったら今日は帰るね」


 と椅子を蹴倒すように立ち上がり、ドカドカと足音も荒く家に帰ったのだ。

 それを後日、友人に話したところ「そりゃ恋だわ。ジェラシーだわ」と言われ、そっからはもう……

 もう……


「ぶわぁぁ」


 あたしは頭をぶんぶん左右に振った。振ったところで雑念が出ていかないのは、わかってるけど。

 あーもう、ダメ!

 今日はもう全然ダメ!

 寝ようとしても寝れないし、目を閉じると脳裏に色々ちらつくし。それは山野くんの横顔だったり、あたしをウブウブ言って喜んでるコジマくんだったり、レオニさんが手で形作った弓矢の影だったり……


「サトコ、あんたってほーんとわかりやすいわ」


 山野くんに恋をしてしまったらしい──と自覚してから二日と経たないうちに、おかーさんに言われたっけ。


「わ、わかりやすいって、なな、何がよっ」

「ほら、そーやって赤くなって噛んじゃうところとかさ。

 好きな子でもできたんでしょ? いーなあ、ニヤニヤしちゃうわ。私さー人の恋愛、大好物なんだよね」

「だ、だ、だ……」

「まーあんたほどわかりやすい人もいないだろうけれど。

 好きな相手ができるとさあ、だいたいの人は変になっちゃうんだよ。そわそわしたり、ふわふわしたり。恋と変って字面が似てるだけのことあるわ。

 いやー若いっていいじゃん、あーもう堪んないね」


 さんざんそうやってからかった後、おかーさんはふと真面目な顔になって付け加えたのだ。


「きっと相手さんはちゃんとした子なんでしょうよ。あんたを泣かすような子を、あんたが好きになるとは思えないし」


 母が言うところの“ちゃんとした子”、今もって具体的にはわからない。

 当時は「娘の初めての恋をいじってニヤニヤするなんて!」って憤慨したものだけど、要するに信用してくれてるってことなんだろう。

 それがたしか、高校一年の秋頃のこと。

 そのうち寒くなってあっという間にクリスマス、もやもやと片思いしている間に年が明け、あっという間にバレンタイン……

 そう、その時だ。おかーさんにパイ生地作りを教わったの。


 ──そこまで回想して、あたしはちっとも頭に入ってこないおじいちゃんのノートをぱたんと閉じた。

 胸に下げたままの鬼の眼をいじりながら、ふうーと溜息。するとようやく周りの物音が耳に戻ってきた。


 ……にゃあー……ふにゃーお……


 あー、猫。まだ鳴いてる。

 サカリがついて寄ると触ると喧嘩する、春の猫。


 ……にゃおー……にゃーご……


「やーねぇ、もう……」


 猫たちの痴話喧嘩があんまりうるさくて窓を開ける。すると眼下の路肩にいたいた、二匹。

 ちっちっ、と舌を鳴らすとハッとしたようにこちらを向いて──またニャゴニャゴやり始める。

 はあー。

 猫たちの恋、今が真っ盛りかあ……

 腕時計を確認すると、もう十時。普段ならよほどのことが無ければ、夢の中にいる時間だ。


「どーしよ、あと五時間しか寝れないじゃない……」


 ま、お店があるわけじゃないから三時起きする必要はないんだけど。

 あたしは一人っきりのお宿の部屋で、窓枠にもたれて小さく溜息。隣部屋のコジマくんとレオニさんは、とっくに眠っているだろう。

 サトコさんはご婦人ですから、と言ってあたしにだけ個室を取ってくれたレオニさん。気を使わせちゃって、なんだか返って申し訳ない。

 あたしとしては、


「や、そんな! 同室でも全然平気です、お金も余分にかかっちゃうし」


 そう言って遠慮したんだけど、横からコジマくんが


「いーえ別室にすべきです! それが当然のマナーですし、そうしなきゃ姫……お嬢様にお叱り受けるのはレオニさんですからねっ。いやでもサトコさんが個室を使ったことにして、実際は僕が使うってーのも無しじゃあないかな。ま、どーしてもレオニさんと二人になりたいってゆーことなら、僕はいつだって空気読みますからね。何も部屋じゃなくても待ってるだけなら荷台でもいいですし、うん、邪魔にならないように気をつけますんでご要望があればいつでも受けつけ云々(あーだこーだ)


 とか言うんだもん!

 思わず頭はたいちゃったわよ……せめてもの救いは、宿の人と話し込んでたレオニさんが何も聞かずにいてくれたことだ。

 だいたいあの言い方じゃ、まるで……


「……あたしがレオニさんのこと意識しちゃってるみたいじゃない」

「うそっ、してないんですか!?」

「してな……うわっ、いつのまに!?」


 振り返ると、部屋の寝台にちゃっかりコジマくんが正座している。

 んもー、いつ入ってきたのこの子!


「ちょっと、ノックくらいしてよ! いやそれ以前に鍵してたのに、どーやって開けたのよ?」

「やですねえサトコさん、僕これでも魔法使いですよ? 鍵がかかってよーがなかろーが、この部屋が僕を入れてくれたんです。だからここにいるんです」

「もー、デリカシーがないんだからあ。部屋が良くてもあたしは良くないの!」


 えーそんなあ、とぶーたれるコジマくん。とんがり帽子と樫の杖は、隣の部屋に置いてきたみたい。

 お店でもそうだったけど、鍵してよーがシャッター下ろしてよーが簡単に開けて入ってきちゃうの、どうかと思うわ……開けちゃうのか開いちゃうのかは、定かじゃないけれど。


「ねーサトコさん。コズサ姫、今どこら辺なんでしょーねえ」


 寝台からピョコンと下りると、コジマくんは窓際に寄ってきた。

 窓辺には、こちらもいつやってきたのか白い鳩が一羽──ポッポちゃんだ。飼い主がこれなら鳩もこれ。くるっぽーと一声鳴いて、頭を前後に動かしている。


「えー、なんであたしがそんなこと知ってるのよ」

「だってサトコさん、姫様から直接誘われたんでしょ?」

「そうだけど」

「だったら、ちょっとくらい旅程の説明があったんじゃないですか?」

「ないない、そんなの! 行先だって出発してから知ったんだから」

「うっそぉー」


 ──んん?

 窓枠に止まったポッポちゃんがトコトコと横歩きしている。視界の隅にそれを見ながら、湧きあがった違和感にあたしは首を傾げた。

 行先……教えてくれたのコジマくんじゃない。

 今朝言ってたじゃない。あたしたち、ファタルへ向かってるって。

 忘れちゃったの?


「もったいぶってないで教えて下さいよぉ。姫君、何処を通って何処へ行くんです?」


 おかしい。

 何かおかしい。

 変だ。


「な……なによ、そんなの別に今わからなくたって困らないでしょ。そのうち合流するんだから」

「えー、待ちきれませんよぉ。早く会いたいなあー」


 あまり賢くないあたしの頭が、ぎゅんぎゅん音を立てて回転する。

 おかしい。

 コジマくんはこんなこと言わない。

 だってコジマくんは行先を知ってるし、旅程を知ってるし、何処で合流するかも知っている。

 もちろんコズサ姫が何処を通るのかも。

 なのに、なんであたしに訊くの?


 その時「くるっぽー」と一声鳴いて、ポッポちゃんが羽を広げた。そのままバサバサと羽ばたき飼い主の頭の上へ──


「うわっ、わっ、何この鳩!!」


 あたしはガタン、と立ち上がった。


「ちょ、どけよ鳩ッ!! やめろって!」


 ポッポちゃんはコジマくんの頭を鋭い爪で掴み、クチバシで容赦なく顔を突いている。

 あたしは首から下げた鬼の眼をぎゅっと握りしめた。

 やばい。

 やばい。

 この人、誰!?


「畜生、このッ……おまえの鳩か!? 今すぐやめさせろ!」

「そいつから離れてサトコさん!!」


 扉を破る音。

 あたしを呼ぶ声。

 ポッポちゃんの羽音。

 衝撃音と、爆発のような閃光────


「サトコさん!」


 ……部屋の隅にしゃがみこんだあたしは、おそるおそる目を開けた。


「だいじょうぶ!? 何もされてない?」

「う、うん……されてない、平気」


 目の奥がチカチカと痛い。

 ぎゅっと凝らしてよく見ると、コジマくんがあたしの目の前にしゃがみこんでいる。

 そして、その奥にレオニさん。

 レオニさんの足元には──もう一人のコジマくんが、腕を後ろに捩じり上げて制圧されていた。


「何、これ……」


 あたしは呆然と呟いた。


 ……ふにゃあー……にゃーご……


 恋する猫の鳴き声が、あたしの耳をすり抜ける。

 フル稼働していたあたしの脳はショックで働くのをやめ、状況を理解するにはわずかにタイムラグが必要だった。ほんの、数秒。


 恋猫の鳴く夜──あたしたちはこうして、初めての敵襲に遭ったのだった。




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