018:街道を往く 一
その晩、あたしたちは幌馬車の中で夜を過ごした。
後でレオニさんに聞いたら、本当は途中の宿場に宿を取ろうとしたそうだ。
けれどあたしはいつも三時起き、コジマくんも昨日は四時起きだったせいで、馬車に揺られて一時間もしないうちに眠り込んでしまった。
ならばわざわざ起こすこともなかろうと、レオニさんは星明りの下をそのまま進んだそうな。
「じゃあ、あたしたちがぐっすり寝てる間ずっと休みなしだったんですか?」
「馬を休ませる時に仮眠をとりました。それに、自分は夜勤で慣れてますから」
そういって爽やかに笑ったのが朝の五時。
やっぱり普段の生活リズムってそんなに崩れないもので、あたしは四時過ぎには目が覚めてしまった。
コジマくんはリュックを枕にまだ夢の中。
──俄然、お店のことが気になってくる。
おかーさんはもう厨房にいて、とっくにパンの成形を始めているだろう。
ホワイトボードにはなんて書いてあるのかな。いつも通りの食パン、バゲット、昼にはサンドイッチ、甘いのは何作るんだろう、アンパンか、メロンパンか、ジャムコッペか──
「なんかすいません。あたしが代われればいいんだけど」
幌をめくって声をかけると、まだ紫色の空をバックにレオニさんは微笑んだ。
道沿いの家々は眠りの中。どこの窓もまだ開いていない。ふにゃあふにゃあとかすかに聞こえるのは、目が覚めちゃった赤ちゃんの泣き声だろうか。風に乗ってどこからか流れてくる。
「いいんですよ。明日には隊長と合流ですし、時々休めば大丈夫です」
そうは言うけど、けっこうしんどいんじゃないのかなー。
荷台のあたしは旅行カバンをお尻に敷いてみたり、小麦粉の袋にもたれてみたり。
色々工夫はしているけれど、御世辞にも乗り心地がいいとは言えない。御者台だって見た感じかなり揺れている。
「ね、レオニさん。姫様とアルゴさんは……」
どうして別の道を行くんですか──と尋ねようとしたら、レオニさんは人差し指をぴっと立てて「しーっ」と言った。
「サトコさん。この旅はお忍びですから。道中あの方を呼ばれる時は“お嬢様”ですよ」
「あ……なるほど。アルゴさんは?」
「そうですね……隊長のことは“旦那様”なんてどうでしょうか」
旦那様!
いやいやいや、レオニさんは“どこか商家の旦那様”みたいなのを想定してるんだろうけど、あんな愛想の無い旦那様がいるだろうか。どっからどう見ても騎士さんとか、お武家さんとか、でなきゃお侍さんの方がまだ合いそうだ。
あるいはもう少しグレードダウンして“お嬢様の用心棒”。
うん、これなら実態にも即している。
「ま、無理に伏せなくても“アルゴさん”で充分かと思いますよ」
あたしが微妙な顔をしていると、そう言ってレオニさんが笑った。
「お嬢様とそのご家族が霊廟詣出をするとき、必ず使う道があるんです。その途中に小さな城があって、昨夜はそこでお休みになったはずですよ」
なるほど、やっぱりお姫様を荷馬車で寝かす訳には行かないようだ。
……とは言っても、ど平民のあたしだって荷馬車で寝るのなんかこれが初めて。背中もお尻も痛いのは、板敷の揺れるところで横になってたせいだ。
あーあ荷物の中に湿布入れてくれば良かったなあー……なんて考えていると、後ろで「うーん」と唸り声。コジマくんがもぞもぞ起きてきた。
時計を見ると朝の六時をまわっている。辺りもすっかり明るくなってきた。
うん、早起きといっていいだろう。
「ふあー、おはよーございます……あ、なんか背中痛い。腰も。あっどうしよう首が動かない、寝違えちゃった!」
「えー大丈夫? ごめんね、湿布持ってきてないんだよねぇ」
「どうします、次の宿場で医者に診せますか?」
「えっ、いやですよう」
寝起きのコジマくん、目をしぱしぱと瞬いている。ふわふわの金髪がボワン、と広がっちゃってるのは寝癖だろうか。
「首を寝違えて医者に行くなんてカッコ悪いじゃないですかあ。それに僕、これでも魔法医の権威マーロウの唯一の弟子ですからね、抜かりはないですよ。
サトコさん、僕のリュックの外側についてる小さいポッケ開けてもらえます?」
朝からペラペラ喋るコジマくんのリュックは、ぎっしり目の詰まった厚地の布でできている。あたしは外ポッケのボタンを外して指を突っ込んだ。
指先にガラスのような冷たい感触。引っ張り出すと、どう見てもポッケより大きな茶色い瓶が出てきた。袖といいリュックといい、どうなってるんだろ。
「それ、秘伝の軟膏です。捻挫とか打ち身とか色々に使えるんですよ。サトコさんもどうぞ!」
「あ、じゃあ試してみようかな」
「どーぞレオニさんも、手綱握ってると肩凝るでしょ?」
「なら自分も後で使わせてください。いいですね、典医どののお弟子さんが一緒なら心強いことこの上ありません」
でも、ドジマくんだけどね……
蓋を開けてそっと鼻先を近づけると、なにやら変な匂い。スパイシーでいて土臭く、ほんのりハチミツのようなコクもあり、発酵食品に似た酸っぱさも感じる。
なんだろうこれ、大丈夫かしら。
「コジマくん、これカブレたりしない?」
「失礼な、赤ちゃんのおしりに塗っても大丈夫なんですよ。湯上りにこれをお顔に塗っとけば翌朝しっとりモチモチですし、ちっちゃい傷なら跡も残さず治ります。
なんといってもお師匠様の一族が代々守ってきた門外不出のレシピですからね、コズサ姫も御愛用でいらっしゃいます!」
「コジマさん、道中は“お嬢様”でお願いしますよ。お忍びですからね」
「あっはーい」
マーロウさんの一族ねぇ……
大魔法使いの一族が何人いるかは知らないけれど、そのうちの一人がコズサ姫に悪い魔法をかけたのだ。しかも、マーロウさんの実のお兄さん。
コジマくんもレオニさんも知らないことをあたし一人が知っていて、どうにも居心地が悪い。知らない方が幸せなことっていっぱいあるけど、これもその一つに違いない。
「ねーサトコさん、悪いんだけどそれ塗ってもらえます? 僕、肩も上がらなくなっちゃって……」
「やーねぇ若いのに。ちょっと待って、やってあげるから」
すいませーん、と言ってコジマくんは紫のローブの前を開けて肩から滑らせた。背中をこちらに向けて正座している。
揺れる馬車の中を膝歩きでそちらに向かい──あたしはコジマくんの裸の背中に思わず見入ってしまった。
……だって、妙にいーい体してるんだもん。
ヒョロッヒョロかと思ったらそうでもなくて、痩せてるっていうより締まってる、って感じ。筋骨隆々ではないけれど──
やだあ。
あたし、こーゆーの免疫ないんだよね……
「首のですねえ、特に左なんですよぉ。ちょっとなら曲げられるしまっすぐ向いてれば痛くないんですけど、うっかりアッチ見たりコッチ見たりするとビシーッ!って痛くなるんです。やっぱアレかなーいつもの枕じゃないからかなー」
「わ……わかったわかった、塗ったげるから静かにしててよ」
瓶の中身を指に掬ってコジマくんの首筋にべたーっと塗りつける。
それをだあーっと手のひらで肩まで伸ばすとあら不思議。変な匂いだった軟膏が、フローラルなお花の香りに変化した。残りを指先に擦り込んでみると確かにしっとり、それでいてベタつきもない。
なるほど、これはかなり優秀だわ。
コジマくんは「いたた、いたた」と唸りながらローブを着直して、荷台の隅に転がっていた杖を握るとヒョイと一振り。反対側の隅に転がっていたとんがり帽子がピョコピョコ近づいてくる。
とんがり帽子がピョコンと頭に飛び乗ると、コジマくんは御者台に声をかけた。
「レオニさーん、僕おなかすきましたあ」
はあーこの子、なんてマイペースなんだろ!
……といっても、お腹が空いたのはあたしも同じ。いつもなら開店前に焼きたてパンで朝食をとっている頃だ。
「もうすぐ次の宿場ですよ」
街道沿いにだんだんと人の姿が見え始める。家の前を掃き清める女の人、ロバに荷を引かせる男の人、あららヒヨコを連れたニワトリなんかまで。
「到着したらまた馬を休ませます。自分ももう一度仮眠を取るので、お二人は朝御飯にして下さい。たしか旅人相手に朝粥を出す店があったはずですから。
……あ、でもその前にサトコさん」
「あ、はい」
「さっきの秘伝の薬、自分にも塗ってもらえますか」
そう言って振り返り「肩のあたりお願いします」と微笑むレオニさん、白い歯が眩しい……
やだあ。
コジマくんでさえ案外いい体だったのに、近衛士のレオニさんはそれこそモデルのようないい体なんじゃないの?
こんなことで心拍数上がってる自分に若干引きながら、あたしは「あ、はい」と返事をした。
あたしたちを乗せた一頭立ての馬車はパカポコと、やがて宿場町の門が見えるところまでやってきた。
春の陽ざしが、だんだんと空気を暖める。
あたしの頬もなんとなく熱かった。
──やだあ、ほんとにもう。




